コンヤのタイルについて書くには、もっといろいろ調べて、とくに『TILES / TREASURES OF ANATOLIAN SOIL/ TILES OF THE SELJUK AND BEYLIK PERIODS』をちゃんと読まなくてはアップできないと思っていました。でも、今の時点で一度アップしたいと思います。時間だけが経ってしまうので。。

そんなわけで、今回は、コンヤの「サヒップ・アタ・モスクとキュリエ(Kulliye、建築複合体)」(1270年:1258年から1283年までの間に建立/Sahip Ata mosque and complex(Kulliye) , Konya)。

画像中心に、織り交ぜる文章は「ファイアンスモザイクについて」(「イスラム建築における陶製タイル」/著者:ギョニュル・オネイ、より)というかたちにしようと思います(=***の後の文章)。セルジューク朝のタイルは、ファイアンスモザイク抜きに語れないと思うので。*この文章と写真は直に対応していません。写真の解説ではなく別途のものです。ご注意ください。

サヒップ・アタ全体を少しだけ見てみますと、「サヒップ・アタ・モスクとキュリエ」は、セルジューク朝の宰相サヒップ・アタにより1258年から1283年までの間に建立されました。設計者は、アブドルラ・ビン・ケルリュック。

キュリエ(Kulliye、建築複合体)の構成は、モスク、霊廟、ハナカ(hanigah=ハナカならば修行場のことだと思う。ある解説には“テッケ”とありましたが=ハナカと同義?)、浴場(タイル専門書にはhospiceとあり、コンヤ解説書にはa Turkish bathでその日本語訳としてハマム。浴場〜休息所でよいかと)。ここまで調べるのも、てんやわんや。

今回の画像は主に霊廟のものです。もう目を奪う素晴らしさなのです。霊廟は「1283年にrenovate修理・改修」との記載があり、建造はそれ以前であることは確か。あるいは霊廟への転用が1283年かもしれないとのこと。位置的には、モスクと浴場の間にあります。と、ざっくりで失礼して、ファイアンスモザイクの文章とともに、セルジューク、青のタイル世界への旅へ!

*** セルジューク朝の小アジアの美術に対する貢献のひとつは、ファイアンスモザイクである。セルジューク人は、ファイアンスモザイクを実験的に用い、やがてそれをさわやかで精気に満ちた内部装飾の要素のひとつにまで発展させた。トルコブルーがやはりその主要な色であり、次いで濃い紫色、コバルトブルー、黒が使われた。

*** ファイアンスモザイクは、その名前が示すように、好みのパターンにそって、思いどおりの形に切断されたタイル片によって構成される。断面がわずかに台形をしたタイル片が、平らな面に裏向けに並べられ、その上から白いモルタルで固められていく。

*** このようにして形づくられたプレートは、壁にはめ込まれたり、建築要素として装飾に使われたりする。

*** ファイアンスモザイクは、ミヒラブの装飾に巧みに使われていた。この種のミヒラブ装飾は、イスラム芸術のなかでは特異なもので、セルジューク朝とエミール諸政権(=君候国/ベイリク/ beylik)時代の建造物にだけ見られる。これらのミヒラブは、トルコブルー、紫、空色のタイル片からなる幾何学模様、植物文、ナスキー体やクーフィー体の碑文によって装飾されている。初期では、単純な幾何学模様とともに、パルメットの全文、2分の1の文様によって形どられたアラベスク模様、蔦の文様、ニ段式の装飾模様、ナスキー体碑文の彫られた縁取りタイルなどが広く利用された。トルコブルーは、空色や紫によって補われている。

*** ファイアンスモザイクは、ミヒラブのほかにドームの内側、ドームへの移行部、アーチや壁などを装飾するためにも使われた。陶芸の他の形態と同じように、ファイアンスモザイクの使用は、エミール諸政権(=君候国/ベイリク/ beylik)時代には、やはり限られたものとなった。

*** セルジューク時代には、ファイアンスモザイクが広範囲に使われている建造物が多い。コンヤのアラアッディン・モスク(1220年)、サドレッディン・コネビ・マスジド(1274年)、サヒブ・アタ・モスク(1258年)、スルチャル・マスジド(13世紀末)、ベイヘキム・マスジド(13世紀末)、チャイのタシュ・メドレセ(1278年)、ハルブトのアラジャ・マスジド(1279年)、シヴァのギョク・マドレセ・マスジド(1271年)、アフヨンのムスリ・マスジド(13世紀末)、アンカラのアルスランハネ・モスク(13世紀末)。この最後の建造物はファイアンスモザイクが浮彫りのスタッコ装飾とともに用いられた、特異な例である。
--------------------------------------------------
「サヒップ・アタ・モスクとキュリエ」では、コンヤのキリム展示も充実していました。アナトリアの赤や軽やかな幾何学模様、古い味わいがステキでした。

蒼のタイル世界に朦朧としつつ、別の目的である草木染めの毛糸を探してバザールへ。絨緞修復をしているファミリーのお店&工房で、たくさんのラグを拝見。修復に使っていた大切な毛糸を少しだけわけてもらいました。感謝。

コンヤへのタイル旅、どのモスクもマドラサも圧巻で、熱狂と感動の連続、至福の時間でした。なので、どこが一番とは言えないのですが、スルチャル・マドラサのタイルには本当に惹かれました。修復があまりされておらず、いにしえの姿のままに出会えたこと、そしてタイルのある場所が屋外(イーワーン=中庭に向けて開いた前方開放式の小ホール)であり、遺跡のような感覚でタイルを味わえたこともあるかもしれせん。(ここもまた誰もおらず、タイル友二人と3人で熱狂)
1242年建造のスルチャル神学校、トルコのセルジューク朝タイルの中でも初期に属すと思います。1242年に、この素晴らしいモザイクタイルが壁面を覆い尽くしていた。タイルの歴史を考えると、なんとも興味深く、その現場に立ってタイルを見られたことは感涙でした。

以前ご紹介したセルジュークタイル史の詳細な専門書=『TILES / TREASURES OF ANATOLIAN SOIL/ TILES OF THE SELJUK AND BEYLIK PERIODS』では、スルチャル神学校は写真含めて10ページ。かなりのページを使っており、やはりセルジュークのタイル史の中でも重要であるようです。ざっと読んでみたのですが、タイルの模様の詳細な解説が多く、スルチャルならではの特長や他との比較、歴史的な位置づけなどは、今ひとつピンときませんでした。英語力の問題が大きいと思います。残念。なので、今回はあまり書ける内容がないのです。写真中心です。


スルチャル・マドラサは、1242年にベドレッディン・ムスリフによってイスラム法学校として創設されました。メインのイーワーンのアーチのタイルの銘文には建築家の名前が記されています。








---------------------------------------------
これまでずっと自分の好きなタイルだけを見てきました。それ以外に興味もわかなかったし、日本ではタイルの情報自体が少なかった。それが今では、ネットやfacebookで日常的に世界各地のタイル情報、イスラム建築情報に接することができます。少しずつでも毎日見ていると、発見があり、楽しく、勉強になります。ありがたい。
そしてなんだか、日本でもタイルが動いているように感じます。タイルに関する話題に触れる機会が俄然増えてきました。以前紹介した日本のタイル愛好者のfacebookページ。ますます盛り上がってきています。近代建築の中のタイル、街角のタイル、商店や地蔵祠のタイルなど、いろんな視点、いろんなタイルがあるのですね。発見があります。また、多治見に開館予定の「モザイク・ミュージアム」がらみの話題もあり、楽しみです。
そんなこんなで、日本でのタイル情報、検索などもするようになったのですが、、これがなあ、、
日本で「タイル」というとき、イスラームのタイルが出てくることが非常に少ない(過小評価という以前に認知されていない)、タイルの歴史に誤解がある(ヨーロッパ近代からのスタートと思われている)など、以前からしつこく書いていますが、このことも一層感じるようになりました。
((( ここに、いろいろと残念な事例を書いていたけど、消去! 自分のことをやっていくのみ )))
つまり=イスラームのタイルは歴史であり過去であり、現在の産業と結びつかない、だから何らかの媒体を通しての話題にのることが少ないのかと思う昨今です。ハイ。報道などを通じてのイメージの問題もありますしね。
それを前提にして、では何をするか。そんなことを考え始めています。愚痴だけではダメなんでですね。きっと。
*「カラタイ・マドラサ」(セルジュークを象徴するようなモザイクタイルが圧巻。「クバダバード宮殿」のタイルや陶器が展示されている博物館でもある)
*「スルチャル・マドラサ」(屋外で剥離や損傷もかなりあるけれど、カリグラフィーから幾何学模様まで、最も惹かれた多彩なタイル装飾が魅惑)
*「サーヒブ・アタ廟」(濃いターコイズ青、タイル、多彩な装飾が素晴らしい)
*「エシェレフオール・モスク」(圧巻のミヒラーブ、言葉に形容しがたい。コンヤ郊外のベイシェヒール=クバダバード宮殿のあった場所=にある)
*「アラアッディン・モスク」(ミヒラーブは見られなかったけれど棺やミナレットの青を確認)
など、もう、どうしよう!という圧倒的なセルジュークのタイルたちなのです。困ってばかりもいられないので、今回は「インジェ・ミナーレ・マドラサ(THE INCE MINARE MADRASA)」を、写真中心にて。(現場ではひたすら熱中しており、調べたのは後のこと。写真と文章が必ずしも呼応していないかもしれませんが、全体の雰囲気でお願いします)
--------------------------------------------------

インジェ・ミナーレ・マドラサ、創建は1264〜68年。セルジューク朝の大臣サーヒブ・アタ・ファーレッディン・アリ(サーヒブ・アタ廟のアタさんですね)により、ハディース(ムハンマドの言行録)を教えるために創設されたそうです。インジェ・ミナーレとは「細い尖塔」の意味。
設計はケリュック・ビン・アブドラー。19世紀末まで神学校として機能していましたが、1956年に博物館として開館。セルジューク朝、カラマン候国、オスマン帝国時代に作られた工芸品も展示されています。

イスラムタイル好きの私、トルコというとタイル、イスラムという連想になるのですが、地中海〜アナトリアあたりは歴史、宗教、文化、すべてが重層的であり、キリスト教、東ローマ帝国、石造建築など、さまざまな表情が織り込まれているように見えてきます。
インジェ・ミナーレ・マドラサは「セルジューク朝の石工芸術の傑作」とも言われており、ファサードは、地中海的な植物文様、幾何学模様、カリグラフィー(「ヤシンとフェティフ」の文字)が彫り込まれています。タイル好きも見入るボリュームと精緻さです。

一方、ミナレットはレンガ造の中のターコイズブルーのタイルが目を引きます。バルコニーの部分は半ピラミッド形で12の角があり、ターコイズ青のラインが垂直に走ります。ジグザグ模様はターコイズ青とセルジュークの紫で。青と紫とのコンビネーションは、遠目にも鮮やか。青空の下でイキイキした旋律を奏でているかのようです。

建物に入ると、中庭、サロン、教室、神学生たちのための小さな部屋があります。ドームのあるホールはむしろレンガの印象が強く、タイルはレンガを美しく見せるためにあるかのようです。茶色と青は、強く美しく、響き合うんですよね。最強の組合せ!

タイルは、カラタイ・マドラサに見られる三角形を組み合わせた天井への持ち上がり部分にラインのみ。が、ラインの中にはモザイクでパルメットのような模様が黒で描かれています。

ドームは青と紫の組合せ。模様はジグザグと菱形をベースとしたもの。専門書には「キリムのデザインと共通点がある」とも。

また、ミヒラーブ形の窓の上部などに幾何学模様、そしてカリグラフィーと植物模様の組合せのタイルが。各所でデザインが異なり、リズムがあります。どれも、とてもキレイで、見とれます。


インジェ・ミナーレは、日本からのツアーでコンヤに行くコースにも入っているようです。ツアーのコンヤでは、旋回で有名なスーフィー教団「メブラーナ」の博物館がメインで、プラス、こちらのマドラサ。有名な観光地に比べてサラッと通りがちなようです。
元々、日本であまり馴染みのない装飾タイル、その中でもセルジュークの青と黒のタイルは、残念ながら地味なのかも。イスタンブールの華やかな絵付けタイルに人気が集まるのは理解できます。でも、セルジュークのタイル、最高です!私はそう思います。圧巻。圧倒的なのに、愛おしい。1200年代の工人たち、その匠に惹かれます。

--------------------------------------------------
展覧会など、少々。
「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」(新国立美術館):この分野、まったくわからないけれど、「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」という映画の後で展示を見たので、展示展開についていけました。工芸品としての衣装という視点では世界各地には、より驚愕の手仕事が多数あるけれど、舞台総合芸術として見るとテーマや表現として斬新なコスチュームだと思いました。中央アジアテイストのものが少しあり、やはりそのあたりには惹かれた。映像等で補足しながら見るのがよいかも。バレエ・リュス(ロシア・バレエ)のダンサーたち、重厚で軽やかで芸術的!(入場料1500円、図録3500円、、5000円時代ですか。国立なのだからもう少し抑えた料金にできないのでしょうか。上野の東博、常設はたしか600円くらいですが、超見応えありですしね、、)
「超絶技巧!明治工芸の粋」(三井記念美術館/7月13日まで):明治工芸すごし!その精緻さ、チマチマしているのではなく勢いがあると感じます。このジャンル、もっと見たりスタディしたい。明治、日本のタイルや建築も含めて、勉強したい。
「フランス印象派の陶磁器 1866-1886―ジャポニスムの成熟―」(汐留ミュージアム/6月22日まで):19世紀後半のフランスが憧れた東洋や日本の美術が色濃く反映されたテーブルウエアや陶芸作品。どちらかというと苦手な分野だけど、陶芸ということで視野を広くと思って見学。滲み出るフランス流のアレンジが興味深い。
--------------------------------------------------
タイル。さまざまなタイルやタイルを愛する人や、タイルのデザインや研究に、最近、リアルでもネットでも、不思議と出会うんですよね。びっくりです。この流れは、どうなっていくのかな。

「イスラム建築における陶製タイル」、読んだのは一度や二度じゃないはず。でも覚えてない。そんな自分を認識し、何度でも読むしかないです。そして『TILES / TREASURES OF ANATOLIAN SOIL』に圧倒され、どこから手をつけようと、、建造物のタイルに行く前に、発掘のすばらしいタイルを、と思います。クバダバード宮殿(1236年)の星形と十字形のタイル!!
これらのタイルが展示されているのは、カラタイ・マドラサ(コンヤ、1251年創設)。陶器とクバダバード宮殿出土品を展示する博物館にもなっています。圧巻のモザイクタイル装飾は次の機会にしっかりご紹介することにして、今回は「イスラム建築における陶製タイル」の文章(及び要旨)を引用しつつ、画像とともにお送りします。


… 「イスラム建築における陶製タイル」より。以下…後同様/ 宮殿の装飾に用いられた一群のタイルは、宗教的な建造物とは異なり、完全な形のまま今日まで残っているものはない。宮殿のタイル装飾については発掘調査を通じてのみ、知ることができる。
… 宮殿のタイルは、宗教的な建造物に使われていたものとは、多くの点で異なっている。第1に、形状が異なる。宮殿で好まれたタイル装飾は、いわゆる星形と十字形の組合せである。端から端まで23センチの星形のタイルが、十字形のつなぎタイルとともに用いられている。
… 第2に、タイルの種類、または施工の技法が異なっている。最も一般的に用いられた種類は、下絵付けタイルである。ラスタータイルはあまり一般的ではない。
… 第3には、タイルの装飾が異なる。これはクバダバードの収集品によって、明らかである。



… コンヤの南西、ベイシュヒル湖岸のクバダバード宮殿で行われた発掘調査によって、セルジューク朝時代で最も注目に値するタイル装飾が明らかになった。
… クバダバード宮殿は、1236年に完成。セルジューク朝のスルタン、アラエッディン・ケイクバドの夏の別荘として用いられた。タイルのほとんどは、非常に興味深く、人間や動物の、革新的な絵柄で装飾されている。(*Kubadabad Palace was a complex of summer residences built for sultan Kayqubad ruler of the Sultanate of Rum. )





… 人物像としては、召使いとともに宮殿の高官が描かれている。人物像のほかに、スフィンクス、サイレーン、双頭の鷲、孔雀、生命の樹のまわりの一対の鳥、一対の竜などの魔術的な象徴動物が、タイルを飾っている。一連の実在動物も描かれている。この中では、狩猟動物や狩猟風景が強調されている。猟犬、狼、キツネ、野ウサギ、野山羊、カモシカ、野生ロバ、クマ、馬、ライオン、ヒョウ、鷹、ハヤブサなどが、飛び跳ねたり疾走する姿が優美な動きで表現されている。
… ザクロ、またはケシの枝が、地模様を形づくり、一般的には中央のモチーフを囲んでいる。絵柄は十字形タイルで仕上げられている。
… 壁の上段は、普通、魔術的な動物の描かれたタイルで占められ、魔術的な世界や宮殿の高官を表現している。一方、実在する動物は下段に集中している。
… 星形タイルでは、文様は通常無色透明の釉薬の下に、ダークブルー、紫、トルコブルー、黒、暗緑色で描かれている。つなぎ十字タイルは、トルコブルーの地に黒いアラベスク模様用が描かれている。素地土は、かすかに黄色味をおび、きめ粗く、くだけやすい。


あ〜、素晴らしい。憧れの八角星とクロスのタイル、大好きな青。コンヤでの幸せなタイル時間に感謝!
---------------------------------------------------
始まる。日本での、タイル・モザイクの、新しい物語。

さて!タイル、モザイク、日本でも何かが始まるかもしれません。じつは、若干、始まっております!^^
試行錯誤は覚悟の上で、ささやかに、でも情熱とワクワクする気持ちを満載に、先日、「タモガク」がスタートしました。初期メンバー4名、もうテンションがどんどん上がってます。
ところで、タモガクとは!?泣く子も喜ぶ、「日本装飾タイル・モザイク学会」なのです!すごいでしょ。言ったもん勝ち、というより、本当にタイルとモザイクを学びたい、楽しみたい。だから学会。
当面、タイルやモザイクへの熱い思いを心ゆくまで語り合いながら、展開を考えていきます。当ブログでも、少しずつご紹介していきますね。




成田からイスタンブールへ、国内線に乗換えてコンヤ(セルジューク朝の首都だったアナトリアの都市)についたのは早朝。待合せのホテルで無事に、イスタンブール在住のタイル友、KRさんとKUさんの笑顔に会うことができてホッ。チェックインを済ませて、さあ、さっそく動きます!元気元気!
最初に訪れたマドラサ(カラタイ・マドラサ)、入った瞬間から圧倒され、数時間、皆無言。それぞれに、見る、撮る、浸る。他に来場者もなく、タイル好きには至福の時間です。その後、訪れたマドラサやモスクでも同様に、見る、撮る、浸る。
今回、ブルサとイスタンブールでもタイル三昧。写真はバシャバシャ撮りなので、また1500枚を超えています。でも、今回の見学先の数はそれほど多くない。つまり同じタイルを何度も何度も撮っています。中央アジアとはまた違うタイルの良さがありました。
そんなタイルについては回をあらため、まずは写真メインで軽〜い話題、雑談気分でごらんください。気候は、日本が寒い冬であるせいか、それほど寒さを感じず。内陸部のコンヤ、覚悟の防寒準備が、ダウンコートどころか機内用のヤッケでも暑いくらいのポカポカ陽気でした。







最後のタイル写真の流れで、、町の中のタイル装飾、タイルで美しく飾った建物や民家、そういう場面は、なにもヨーロッパだけじゃない、というか、むしろ中東、中央アジア、マグレブなどの地域が圧倒的に「本場」です。が、「タイルのある街角」みたいな記事をたまに見ると、ほとんどヨーロッパ。理解に苦しむ。多彩でゆたかなタイル文化があるエリアを、なぜ取材紹介しないのかわからない。ヨーロッパの方が取材に行きやすいから??「産業タイル」ではヨーロッパが先進だから??それが理由??
テレビを見ると、中央アジアの大都市でも「秘境」になっている。秘境って、パミールの山岳地帯など非常に行きにくい場所を言うのかと思っていたが、今どきは、聞いたことがない、行ったことのない地域のことを秘境と言うようだ。
ブログを始めた9年ほど前とは状況も少しずつ変わり、タイルが好きという人にもけっこう出会うようになった。この点は、とてもうれしい。でも、「タイルをめぐる環境」みたいなものは、あまり変容していないと感じる。このちっぽけなブログ、微力でもやはり続けていくつもりです。
たぶんなら、次回からご紹介予定のセルジュークのモザイクタイルは、あまり反応がないと予想しています。華やかさに欠ける。印象が地味で重く、無骨といえるかもしれない。青のfacebookでも、12、13世紀頃のタイルはあまり人気がないのです。それでも、アップしちゃいます!自分がいいと思ったものを。タイルの歴史からみても、とても大切な時期のものを。中世の匠たちの手技と幾何学の凄みを。
後半、叫んでしまってますが、これからも楽しくやっていきます^^また遊びにお立ち寄りくださいね。