イスラムアート紀行

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早春の奈良、瓦と土塀と花と絨緞

前々回、瓦の記事で書いた飛鳥寺の瓦(588年)、その瓦が現存し、しかも実際に屋根の瓦として使われている寺があります。奈良市にある元興寺です。早春の奈良が好きな私、瓦見たさ&所用もあり、出かけてきました。

訪れたのは、法隆寺(瓦と土塀)、白毫寺(落椿)、元興寺(瓦)、薬師寺(平山郁夫さんのシルクロードの壁画)などがメインの趣味的セレクト。ちょうど開催されていた奈良在住で絨毯仲間Fさんの展示会も見ることができ、ラッキーでした。

楽しく充実した小旅行でしたが、残念ながら天候は悪く、写真はまったく冴えません。また、最近のコンパクトデジカメは大丈夫との甘い考えで充電器を持っていかなかったことも敗因で、写真は総崩れ。肝心の瓦の写真も数枚しかありません、、、

瓦については次の機会に。今回は冴えない写真のみというパッとしない更新ですが、早春の奈良の空気を少しでも感じていただけたらうれしく思います。(空の色が暗いですが、、こんな日もありますよね!)

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(奈良の土壁。土族感涙!いいですねえ)

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(法隆寺土塀。以前、左官の記事で少し書いたことがあります)

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(法隆寺は一日かけてゆっくり見たいです。今回は瓦屋根と土塀中心)

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(寒さのなか、桜もほころびかけて迷い中?)

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(やっぱりあった、夢殿を模した野菜直売所。周辺にどんどんいろんなものを作っているご主人を発見。いい感じです。斑鳩の里の思い出。〜夢殿の近くの景色なので勘違い。写真をよく見たら六角堂でした。ご主人、失礼!〜)

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(Fさんの絨毯コレクションの展示会@奈良市内のギャラリー。今回はバローチがテーマ。さすが、良いセンスです)

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(私が好きだったバローチ絨毯模様アップ。色合いがいいです。家の模様?、、そんなわけないですね!ボテ〜花模様だそうです。遊牧民はこういう家に住んでないし、、。でも私だけでなく、お客さんたちも「家だと思った」と語ってました)

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(白毫寺。高台にある小さなお寺ながら花の寺として有名。とくに萩。この時期は落椿。大椿や白木蓮も見事で旅気分を満喫しました)

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(落椿の存在感)

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(元興寺にて。蓮の手入れだと思います。きちんとした並べ方が日本だなあ)

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(早朝、興福寺にて。瑞々しさに目が覚めるようでした)

憧れの古代瓦へ春の旅
斑鳩や鶯一声澄みわたる
ひたひたと古代回廊春の暮
白木蓮飛鳥の土塀のその奥に
落椿紅き曼荼羅描きおり
春の雨子鹿の睫毛濡らしおり
大和路は色まだ淡き初桜
by orientlibrary | 2009-03-28 20:18 | 日本のいいもの・光景

土壁、土の屋根。土の建築伝統が生きるイラン

「5000年前の日干し煉瓦に勝るものは作れない」、前回記事でご紹介した久住章さんが遺跡の修復に関しておっしゃっていたことです。「作り方が違うようだが、専門家の間でも明らかになっていない」とも。
日干し煉瓦といえば、土に水と藁などを加え枠に入れて成形し天日で固めるもの、もっともシンプルな建築素材、という印象を持っていましたが、様々な工夫が必要なのかもしれません。

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(日干し煉瓦の例ではありませんが面白い形状の壁。イラン北部地方。土壁の段にふくらみを持たせているのはなぜ?きっと何か合理的な理由があるのでしょうね/『IRAN jewel of jewels』・gooyabooksより引用)

◆ 日干し煉瓦の作り方 ◆
●日干し煉瓦について調べたい。土の建築伝統を体現する国・イランを見てみることにしました。こんなとき頼りになるのは、『ペルシアの伝統芸術〜風土・歴史・職人』(平凡社)。建築技術やタイル製作などが詳細に書かれている秀逸本です。期待通り日干し煉瓦製作の工程がくわしく書かれていました。(以下は同書より。読みやすいように書き直している部分があります)

*土の入手=家を建てるときに掘り下げる土を材料として用いる。不足分は近くの採土穴から入手する
* 調整=土は十分な水で細かいものと粗いものを分け余分なものを除去する
* 混ぜ土作り=その土に切り藁を加え足で踏んで混ぜ合わせる。鍬でさらによく混ぜる
* 型置き=煉瓦の型作り職人が地面に切り藁を薄く敷き、木製の煉瓦の型を平らに置く
* 型に入れる=土と切り藁の混ぜ土を型に投げ入れ素手でたたいて隅々までいきわたらせ余分な土をまっすぐな板で掻き取る
* 抜く=素早く型を持ち上げると煉瓦が地面に残る
* 次の煉瓦=型をその隣に置く。こうして煉瓦を型作りし1時間に約250個の煉瓦を作る
* 乾燥=よく乾くように煉瓦を立てて3〜5時間、1〜2日間、日なたで乾燥させる
* 製作時期=空に一片の雲もない暑い夏の数ヶ月のみおこなう

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(イラン北部の景色。雪の中の土の家々/orientlibrary)

工程としては今も変わらないのでは、と思うのですが、細部に微妙な経験則などがあるのでしょうか。神殿や宮殿などではより良い土が選ばれたりするのでしょうか。このあたり私にはわかりません。煉瓦のサイズについても書かれています。

* 現代の煉瓦=20㎝×20㎝×4㎝
* バビロン=40㎝×40㎝×10㎝
* ペルセポリス=33㎝×33㎝×13㎝
* ササン朝=38〜50㎝×38〜50㎝×9〜13㎝
* 初期イスラム建築=23㎝×23㎝×5㎝

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(タフテ・スレイマーン。雪に覆われた日干し煉瓦の建物/orientlibrary)

日干し煉瓦はモルタルで接着して、壁やヴォールトなど曲面にも用いられます。イランの暑さに対処するため外壁の厚さは60〜90㎝必要なのだそうです。厚いですね〜!箱状の空洞を作ることもあるそうです。そして仕上げです。

* 土と切り藁の混ぜ土で下塗りするが、少量の石灰を加えて耐水性を持たせることが多い
* 鋼鉄製の鏝(こて)で下塗りしたあと、木製の鏝で滑らかに仕上げる

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(イラン北部にて。どうして藁を積んでいるのかと謎でしたが、もしかして雨や雪を防ぐため?単に藁の乾燥〜保存のため?/orientlibrary)

◆ 土の建物のメンテナンス ◆
●乾燥しているといっても雨も降ります。気になるのは耐水性です。壁はまだしも屋根や天井はどうなっているのでしょう。

* 天井板などの上に藁で編んだマットを敷き、土と切り藁と少量の石灰の混ぜ土を何層にも分けて敷いていく
* 各層を十分に乾燥させ石製のローラーで固める
* 切り藁の割合が高いアゼルバイジャン地方では50〜63㎝に達する
* 雨が降ったらそのつど屋根をローラーで固める必要がある。そうしないと乾くときにひび割れてしまう。溶けかけの雪は雨よりも早く浸みこむためすぐに取り除く。ローラーは常に屋根の上に置いておく
* シロアリや木喰い虫を防ぐために十分な量の塩をマットに蒔き混ぜ土にも混ぜておく

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(イラン北部にて/orientlibrary)

きめ細かいメンテナンスが必要なんですね。でも、土製の屋根は夏に涼しく冬には暖かく部屋を保ってくれるそうです。同書の著者ハンス・E・ヴルフ氏はこう書きます。「驚くことに、粗末な農家ですら多くの建築資材や技術が用いられている」。日本でもイランでも、そして世界各地で、心地よい住まい作りとその維持のための工夫と努力が続けられてきたんですね。

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(ソルタニエにて/orientlibrary)
by orientlibrary | 2008-04-10 11:46 | タイルのデザインと技法

土の建築、左官の仕事、その深くて熱い世界

「土の建築の素材と形 1000年の壁」という魅力的なタイトル、語るのは淡路のカリスマ左官・久住章さん。先日開催された「左官的塾の会 公開講座」は、一言も聞き逃せないくらい興味深く楽しいもの。「こういうことが知りたかった〜!」と土族感涙でした。

◆ 世界各地の土の建築 ◆  
考え方をあらためたのは、土の建築世界の奥行きについてです。西アジア〜中央ユーラシアを集中的に考えていた私ですが、ヨーロッパ、アフリカ、南米、そして日本と、世界各地の多彩な土の建築の写真に、自分の視点の狭さを感じました。

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(ウズベキスタン・フェルガナ地方の土壁。今も土だんごで仕上げていました/orientlibrary)

古い土の建築についても、日干し煉瓦大好きでその印象が強かった私ですが、「木の小枝を編んで土を塗ったもの」「土だんご、練り土」などの歴史の古さにはガツンときました。

西アジア、中央ユーラシアは土が主な建築材料。権力者の大規模な建造物も宗教施設も土を使って作られており、土という身近な素材でここまで美しく表現できるのか、というところが私の興味と敬意の基本であり、装飾タイルはその最たるものです。

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(タフテ・スレイマーン(イラン/ササン朝の遺跡)の日干し煉瓦/orientlibrary)

けれども世界に視野を広げると、古今東西、庶民はどの地でもおおいに土を使ってきたし、今も土作りの家で暮らしています。版築工法(板などで枠を作り土を入れて突き固めたものを重ねていく技法)で作られたフランスの農家。練り土を積み上げただけの素朴な工法のイギリスの農家。ともにどっしりしてオブジェのよう。存在感がありました。

スペインやニューメキシコでは、日干し煉瓦や土を高く盛っていった下地に漆喰やペンキを塗り、防水しつつ清潔でおしゃれな仕上がりにしています。

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(Wikipediaより引用/マリのジェンネのモスク)

アフリカのマリ、有名な泥のモスク(ジェンネのモスク)。雨期には激しい雨が降るらしく、修理修繕は必須、毎年地元の人が何百人何千人と参加して手で泥を塗っているとのこと。突き出たたくさんの棒は、泥の塗り替えのための足場だそうです。実用のものですが、意匠としても生きていますよね。

日本も素晴らしい土の建築文化があります。例としてあげられたのは、三十三間堂の版築土塀(版築に水を切るため漆喰を挟む。意匠的にも美しい)、京都御所の辻塀(練った土を積み上げ化粧に漆喰を塗る。聚楽土は権威の象徴)、東大寺土塀(瓦、粘土、土だんごを積み上げる)、法隆寺土塀(版築を積み重ねる。きっちりと手間をかけて作られた)や民家など多数。日本の塀、壁、屋根、深いです!

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(Wikipediaより引用/法隆寺土塀)


◆ 日本の繊細な左官の技術は世界遺産 ◆
お話は縦横無尽で、「え〜!?」というエピソードも多く、書きたいことは山のようにあるのですが、もう一点、左官職人さんのことに話題を絞りたいと思います。そもそもこの講座は「左官的塾」という会の主催。

左官的塾の会の主宰者でもある久住章さんは、「日本の左官の技術は世界遺産」と言います。ドイツのある街で土壁の修理をしようとしたけれど、すでに道具がない。日本の鏝(こて)がいちばん優れていると日本から輸入したそうです。

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(INAXライブミュージアムの一角にある「土・どろんこ館」の壁は版築でできています/orientlibrary)

驚いたのは、日本の左官道具はなんと1500種類もあるということ。道具、まさに「道」の具、道の深み厚みが道具の深み厚みにつながるのかもしれません。「日本は仕上げが繊細で、仕上げの種類も多い。土を繊細に使える技術は日本の特許。日本のもの作りの特色、誇れる文化」。

さらに、「ヨーロッパでも土の建築物が見直されているし、ペルー、インド、マリなどは土の建物がとても多い。ニューメキシコには日干し煉瓦のメーカーだけで478あり400万個作っている。しかも年々増えている」「土を扱う職業は世界的に最もメジャーで将来性のある職業」。聞いているこちらも熱い気持ちになってきます。

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(イラン/チョガザンビールの近くで・壁塗り/orientlibrary)

新しい動きもあります。『左官教室』・・塗り壁を文化としてとらえ左官仕事を追求、文化誌の趣があってファンに愛されていたこの雑誌が昨年秋、休刊となりました。しかし、、さすが左官界!!つい先日、『月刊さかん』が創刊に。早〜い!版も大きくなってオシャレなデザインです☆♪(左官的塾のサイトで紹介されています)

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(左官職人さん手作りのチリボーキ。美しい!!勝手に写真を撮ってすいませんでした!)

輪島での土蔵修復のエピソード(修復の報告レポートはこちら)や、独創的な構造体(=竹ゴマイ・この上に荒壁を塗れば千年持つ)のお話も印象的。これがタイトルの「1000年の壁」とつながっていたんですね。ひたすらメモを取りまくり、刺激を受けまくりの3時間でした。会の皆さん、久住さん、どうもありがとうございました。

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(千年持つ壁の中にはこれ!竹ゴマイ。縄の結び方や縄になる植物も強度と関係あるそうです)
by orientlibrary | 2008-04-01 17:27 | タイルのデザインと技法

ショック、、、転じて春の花速報!!

●記事をうっかり消してしまった話(↓)に、あたたかいコメントをいただき、どうもありがとうございました。またいつも訪問していただいている皆さま、どうもありがとうございます。心ばかりのお礼の気持ちをこめて、2月10日現在の春の花速報をお届けします。
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(福寿草)
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(紅梅)
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(みつまた)
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(寒桜)

******************
1週間に一度は更新したい!という悲願のもと、必死で書いた記事を消してしまいました。。ノートに保存のときに、何か変なことをしたようで、、たいしたことではないと思いながらも、現在ショックで、思い出しながらもう一度書くという作業ができません。。はあああ〜〜〜〜、、、

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(気分は”壁”、行き止まり、、) 

アラブポップスなど、複数の話題について書いていたんですが、、見出し回りや太字指定も全部すんでアップするばかりでしたが、、

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(行っても行っても壁、、) 

こういうときもありますね、、立ち直るまで、しばし時間をいただきたいと思います。(泣)

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(壁の向こうに青空は開けるでしょうか、ブログの春を待つ私です、、あ、でもこの青のお皿キレイですね!、、でも、、シュン、、) 


** <2月8日・記> ** メールやコメント、どうもありがとうございます(涙)。快晴の青空を見つつ元気になっています。昨日は他にもシュンとすることがいくつかあってうつむいていましたが、、、 壁もいい感じと言っていただき(これ、うれしかったです!)、教訓を得ました。
「転んでも 土をつかんで 立ち上がれ」(「土族」orientlibrary)
見ていただいている皆様、今後ともよろしくお願いいたします♪
by orientlibrary | 2008-02-07 14:15 | 日本のいいもの・光景

土族の思い、「アイシャ・ビビ」から「ウズゲン」へ 

●装飾タイルのなかでも、土味を感じるのがティムール期のタイル。イスファハーンのタイルの華麗さ、イスタンブールのタイルの可憐さ、その素晴らしさや洗練度はわかっていても、惹かれるのは、より土の味わいを感じるもの。だって「土族(つちぞく)」なんだもん!

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(アイシャ・ビビ廟)

●そんな「開き直り系・土族」の私が、歓声をあげたのが、「アイシャ・ビビ廟」。現在のカザフスタン、タラズの近くにあるカラ・ハーン朝時代の廟です。アイシャ・ビビは、カラ・ハーンの后だそうです(悲恋の伝説があるようですが、省略します)。

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(アイシャ・ビビ廟、テラコッタのディテール)

●12世紀建造。小さな四角形の建物で、さまざまなデザインに浮彫されたテラコッタだけで作られています。壁面も、柱も、アーチの装飾も、凝っていて、美しい。小さな方形の煉瓦の建物、ということで思い起こすのは、ブハラの宝石箱、9世紀の「サーマーン廟」(サーマーン廟についてのブログ内記事は、こちらこちら)ですよね。

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(サーマーン廟)

●アイシャ・ビビ廟も同様に正方形の小さな廟ですが、浮彫が施されたテラコッタを用いる点がカラ・ハーン・スタイルの特徴のようです。サーマーン廟では、煉瓦でこれほどの美が可能なのか、と感動しますが、アイシャ・ビビ廟はもう少し軽やかな印象を持ちました。浮彫や、その繰り返しが軽快さを醸し出しているのかもしれません。

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(アイシャ・ビビ廟、テラコッタのディテール、アーチ部分)

●アイシャ・ビビ廟のすぐ横にアイシャ・ビビの乳母の廟、「ババジ・カトゥン廟」があります。二つ並んだ廟には、女子学生がたくさん見学に来ていました。悲恋伝説が、お年頃の女の子の心をつかむのかな?!

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●また、11世紀のカラハーン朝の統治者、アブドゥウ・カリム・カラハーンの廟、「カラハーン廟」も近くにありましたが、こちらは何だか地味。13世紀の「ダウトベク廟」もあり、廟がまとまって見られます。

●これらのテラコッタの廟群や、キルギスの観光スポットになっている「バラサグン遺跡とブラナの塔(焼成煉瓦のミナレット)」について書こうかな、と、先ほどから調べているうちに、う〜〜〜、、久々に土族の血がフツフツとしてきました。テンション高いです、今。すごいぞ、カラ・ハーン朝!

●フツフツの元は、「ウズゲン(UZKEND)の廟群とミナレット」。でも、でも、残念ながら、ここは現地に行けていないんです。キルギスの国立博物館でその写真を見て(写真自体を撮影してきました)、なんだ、これは〜!?と驚きました。すごく惹かれました。でも。なにしろ行っていないので、ブログで盛り上がろうにも盛り上がれなかった建造物なんです(悲)。

●このウズゲンを詳しく説明しているのが、『MONUMENTS OF CENTRAL ASIA ~ a guide to the archaeology,art and architecture of turkestan ~ 』(EDGER KNOBLOCH/IB TAURIS)という本。先刻、読んでみて、ウズゲンすごい、カラ・ハーン朝すごい、と、クラクラしています。

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(ババジ・カトゥン廟にて。カザフの若い女性は、皆、脚が長くてジーンズがよく似合う)

●興味を持って下さる方も少ないかと思うんですが、そうわかっていつつ、次回書いてみたいと思います。その前に、カラ・ハーン朝について、『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社)から、ご紹介!

* カラ・ハーン朝*
チュルク族のうちで最初にイスラーム化した中央アジアの王朝
・ 840年にモンゴル高原のウイグル国家が崩壊した後に台頭した
・ 王家の起源は不明
・ カラハーン朝という名称は近代の歴史家の命名によるもので、イスラーム史料ではハーカーニーヤ朝もしくはアフラースィヤーブ朝と呼ばれている
・ イスラーム化後も匈奴以来の遊牧国家の構造を維持し、東西に2人のハンがあり、東方のアルスラン(獅子の意味)・カラ・ハンが大ハン、西方のボグラ(駱駝の意味)・カラ・ハンが小ハンであった
・ 999年にはブハラを最終的に占領し、サーマーン朝を滅亡させた
・ 11世紀に後半には完全に東西に分裂した
・ 1132年のカラキタイの建国後、カラハーン朝の東半はカラキタイの直接統治におかれたが、マーワラー・アンナフルのカラハーン朝は13世紀の初頭まで存在した

●マニアックな話になっていますが、ま、お盆ということで、、。
by orientlibrary | 2007-08-10 23:42 | タイルのデザインと技法

女性だけが陶芸に従事する村に、古代を思わせる陶器があった

洗練優雅な装飾タイルが建造物の壁面を華麗に彩るイラン。今なお修復などで、タイル製造と緻密なモザイクの技法が受け継がれているようです。イランの建築物の綺麗さというのは、半端ではありません。こと芸術に関しては、イラン人というのは中途半端を好まない人たちなのではないかと思うほど、どこか徹底したところがあるような気がします。

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そんなイランから、日本に陶芸を学びに来ているアーティストがいることを知りました。先日までイラン大使館ホールで、その作家ティムール・サブーリさんの展示会がおこなわれていました。現代イランの陶芸の感性は、ぜひ見てみたかったので出かけてみました。

鳥や動物を大胆に表した作品は、力強く、それでいなから軽やかな遊び心があるものでした。焼きしめの壷などは備前のようで、日本で学びながら様々な陶芸に挑戦している様子が感じられました。その展示の一角に、ふしぎなコーナーがありました。素朴な茶色の地色に黒の幾何学模様。3000年前の皿ですよ、と言われても信じてしまうようなプリミティブな色と模様<。これって何!?

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はじめて出会ったこれらの陶器は、南イラン・バローチスタン州のKALPURKAN 村というところで作られているもの。え〜、このタイプの陶器を今も作っているの?さらに驚くことに、陶器を作るのは女性だけなのだそうです。サブーリさんが興味を持って調査した関係で、展示されたようです。

非売品だったのですが冊子があり、そこには少女からおばあさんまで、女性たちが土をこね、成形し、絵を描いている写真がありました。バローチーの民族衣装を着て、、もう、めちゃカッコイイです。

ティムール・サブーリさんのホームページは、イラン陶芸の歴史などとても充実しています。KALPURKAN 村についても記載がありました。それによると、「KALPURKAN 村の陶芸は、歴史あるイラン陶芸の古代の方法とひな形を不滅のものとするような製造技術が際だっている」 「土はMASHKOTAKというところから村の男たちが運んでくる。そして液状粘土と混ぜ合わせて焼き物のための土を作る」。(写真の右下にある石を顔料に、その下にある細い棒で絵を描く)

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「女性たちはろくろを使わない。手で成形し数千年もの伝統のある独特の幾何学模様を描く」。「筆ではなくマッチ棒のような石で線画を描く。顔料は村の近くの山でとれる特殊な石だ」「絵は、完全な抽象。世代から世代に受け継がれてきた心理的なイメージであり、時には宗教、信仰、作り手の女性の状況を反映する」「これらのシンボルは先史時代や古代のものと類似している」。

いったいどういう経緯で、女性が陶芸にたずさわるようになったのか、イランの土関係の伝統には男性のイメージが強かったので、不思議であり驚きでした。女性たちが作る製品は多様で、鉢や壷、コップ、ピッチャー、容器(VESSEL)から、水パイプ、お盆、乳製品入れなどさまざま。

でも淋しいことに、軽くて丈夫なプラスチックが陶芸製品にすっかり置き換わってしまったようです。需要は減少し、「70人の女性が1971年の時点で陶芸に従事していたが、99年には7人になった。2001年にはわずかひとりの女性が近くの町のクラフトセンターで陶芸を教えていた」。

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(サブーリさんの皿)

「古代の貴重な芸術が滅亡しようとしている」とティムール・サブーリさんは危機感を持っているようです。イランの若い陶芸家がこの村の焼き物に興味を持っていてくれたおかげで、日本にいながらバローチーの香りのする味わいのある陶器を見ることができました。あらためてイランの歴史と文化を思うこの頃です。
by orientlibrary | 2006-11-28 00:03 | 至高の美イランのタイル

ウズベキスタン 陶芸の里を巡る旅

やきもののくに日本、、瀬戸、有田、九谷、益子など、日本にはたくさんの歴史ある陶芸の町があり、それぞれに異なる産地の個性を楽しむことができます。また現在も各地に熱心な陶芸家が窯をかまえ、腕を競っています。やきものと料理や花との組み合わせなども、大きな楽しみです。

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(ウルグットの陶芸工房にて。土のある光景)

ウズベキスタンの装飾タイルに惹かれている私、でもウズベキスタンのやきものについては、ほとんどイメージがありませんでした。ところが今年、ウズベキスタンの陶芸家であるAさんと一緒にウズベキスタンの陶芸の町を訪ねるという幸運な機会を得て、ウズベキスタン各地に陶芸の産地があり、それぞれに歴史と特徴があるということを知りました。

古代からウズベキスタンの人びとは、水と大地を聖なるものと考えてきました。日干しレンガや焼成レンガは建造物に使われ、食器や皿も土で作られます。そして各地に、古代からの伝統を受け継ぐ陶芸の流派があるのです。

さかのぼると、8〜9世紀には、マワラーアンナフルに釉薬を施した陶器が出現し広く用いられていました。11〜12世紀になると高度な技術が確立。陶器文化の主要な中心地が各地に形成されました。最大の中心地はサマルカンド。シャシ、フェルガナ、チャガニアなどの陶器も有名でした。

ティムールの時代には、都市建設、建築、芸術、文芸、工芸が勃興します。陶器制作では中国陶磁(染付)の影響を受け、まったく新しいスタイルが形成されました。土着の陶土を素材として、ブハラ、シャフリサブス、ウルゲンチなどで陶器が制作されました。中心はやはりサマルカンド。サマルカンドの碧青釉鉢はティムール朝陶器を代表するものです。

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(ウルグットの工房にて。三彩風で土の味わいがある)

18-19世紀には各地に施釉陶芸の主要な流派が形成されました。その流派とは、、
フェルガナ流派==碧青釉陶。中心地はリシタン、グルムサラエなど。
ブハラ・サマルカンド流派==黄釉陶。キジュドゥヴァン、ウバ、ブハラ、ウルゲンチ、サマルカンド、シャフリサブスなど。
ホラズム流派==碧青釉陶。ヒヴァ、カッタバグ、ハナカ村など。

これらの流派はその伝統を20世紀まで残しましたが、その後秘伝の多くが失われたそうです。(歴史については「中央アジア美術の至宝(陶芸)」『偉大なるシルクロードの遺産』展カタログなどを参考にしました)

けれども、Aさんと訪問したアトリエでは、陶芸家の皆さんが熱心に情熱を傾けて作品を作っていました。陶芸家さんと工房でお話していると、なにか日本にいるようで、遠い国とは思えず、とても親しみを感じました。

写真でご紹介しているのは、「ウルグット」「キジュドゥヴァン」「ヒヴァ」「リシタン」のものです。ウルグットでは1600年頃から陶芸が始まり、今回取材したノモン氏は9代目)。釉薬は手で流しかけします。唐三彩のような深い緑と黄土色で、暖かみと味わいがあります。

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(ギジュドゥバンの陶のテーブル。工房にて)

ギジュドゥバンはブハラの近郊にある町。緑や黄土色の色使いと星や太陽の大胆な文様が特徴です。テーブル、なごみ系でいい感じですよね。ブハラからサマルカンドへの途中にあるため、観光客の休憩スポットにもなっているようです。私設博物館が充実しており、各産地の特徴を確認できるのがうれしい!

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(ヒヴァの皿。タシケントの工芸博物館展示品を撮影)

ヒヴァは、古代から栄えた世界遺産の町。陶芸もホラズム派の中心地として発展してきました。鮮やかな色と幾何学模様が特徴。ヒヴァのタイルとも共通したクリアさとシャープさがありモダンな印象です。

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(リシタンの皿)

当ブログでは何度も登場しているリシタン。フェルガナ盆地の南端にある町です。土や顔料など陶器制作に必要な良質の素材に恵まれ、千年以上前から焼き物が作られてきました。天然釉薬「イシクール」を使った鮮やかな青と、繊細な植物文様の絵付けが特徴です。

ただし、これらの皿は飾り皿としての利用が多く、そこが日本と違うと感じました。食卓では既製品の青い陶器のセットが、家庭でもレストランでも、どこに行っても出てくるので、ちょっと驚いてしまいました。陶器が使われる場所が違うということでしょうか。私はウズベキスタンの陶器、ぜひ使いたいと思いますが、今のところ大事に飾ってますね、やっぱり、、。
by orientlibrary | 2006-11-07 00:07 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

ちいさな瓦が伝える 16世紀モンゴルのこころとセンス

e0063212_1365433.gif●前回記事でデビューした “笑う瓦”(←)(@エルデニ・ゾー寺院(1586年建立)/モンゴル・カラコルム)。実際は瓦というよりも丸瓦列の先に置かれる装飾用の「軒丸瓦」、あるいはそれが変化して装飾的要素を増したもの、ではないかと思います。でも、この文様はいったいどこから??この意味するところは?

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16世紀後半ということで、タイル史的にも興味がわきます。でも、考える基礎になる当地域の歴史や美術史の知識があまりにない、エルデニ・ゾーの情報が少ない、自分自身記憶があいまい・・・という「三重苦」で引いていたのですが、、この際、感覚勝負で思い切ってトライ!(ご専門の方、間違いは覚悟のうえですので、違っていたら寛大に教えて下さい〜!)

モンゴル地域の仏教寺院は、中国様式、チベット様式、その折衷様式の3つに分類されるそうです。エルデニ・ゾーは勾配屋根(〜瓦的なもの)葺きなので中国様式、かと思いますが、壁面などの細部にチベット独特の文様がほどこされていますし、内部空間はみっちりとチベット仏教ですから、折衷式?

●エルデニ・ゾーを建立したハーンの名前も、資料によっていろんな名前が出てきて、どれが正解かわかりません。「アルタン・ハーン」「アフタイ・ハーン」「アバタイ・ハーン」、、、(記述を統一してほしいなあ)。どれですか〜?

●アルタン・ハーンだとすると、「アルタン・ハーンが1578年にチベット仏教ゲルク派の高僧ソナムギャムツォと会見し、この高僧にダライ・ラマの称号を贈った」ということで、このハーンは熱心なチベット仏教の支持者だったことがうかがわれます。つまり、細部には相当チベット的なものが入っている、と考えていいのではないでしょうか。

e0063212_1334789.gif中国の軒丸瓦は多くは蓮華文のようです(←)。これは焼成レンガですから、中国で「墫(せん)」と言われているものに入ると思います。無釉です。

●焼き物の盛んな中国ですが、中国では壁面をタイルで覆うという装飾技法は発達しませんでした。唐代には中国北部を中心に瑠璃釉瓦、墫が作られ、また15世紀の景徳鎮では白磁墫、青花タイルが発見されています。

●けれども実際には、タイル(陶)の装飾は寺院の塔にいくつかの事例が見られるだけです。一方で、瑠璃釉の墫や瓦は、床に敷く、屋根に葺くなど実用に使われました。モチーフは象、麒麟、獅子、鳳凰、天馬、巨龍など、いかにも中国という文様です。

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●もう一度エルデニ・ゾーに戻ると、瓦の色は、緑、褐色、瑠璃など中国の色(↑)と言ってもいいかもしれません。(敷地内にはいくつもの寺があり瓦の色もいろいろです)。けれども、軒丸瓦の文様はストレートに中国的なものではないと思います。

e0063212_12345615.gif一方、チベットには8つのラッキーサイン・「八吉祥(タシタゲ」という図像があります。(→)は多少関連がありそうです。=訂正:この文様は「ナムジュ・ワン・デン」というものだそうです。チベットの図像に詳しいDさんにご指摘頂きました。チベットの文様についてももっとスタディしていかないと、、。Dさん、どうもありがとうございました!(2007.1.18)

●でも、“笑う瓦”モチーフは八吉祥にもありません。中国でもないし、チベット的とも思えない。う〜ん、いったいどこから来たの?

●モンゴルというとチベット仏教という印象が強いですが、チンギス・ハーンはシャーマンを重用。伝来のシャーマニズムに加えて、さまざまな宗教・思想が流入していたそうです。オゴタイ・ハーン時代の活気あるモンゴル帝国の国際都市カラコルムには、イスラム教、キリスト教、仏教、ソロアスター教などの教会が渾然と同居していたといいます。

●そのような土壌の上に作られたエルデニ・ゾー。“笑う瓦”はシャーマニズムをも内包した自由でコスモポリタンなモンゴルの匂いがします。

●13世紀から16世紀、イスラム圏ではタイル装飾が成熟し、中国では元、明の時代に青花磁器が大ヒット。海外への輸出も盛んでした。ユーラシアの文化がモンゴル系の王朝によって撹拌されると同時に、全体が陶の時代ともいえる展開を見せます。自由闊達な“笑う瓦”は、そんな時代のひとつのシンボルのように思えてなりません。

*もしも典型的なチベットや中国の模様だったら、すいません〜! 発展途上人なので・・
*写真は、中国の軒丸瓦=『シルクロード 華麗なる植物文様の世界』より引用。他はorientlibrary

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追記1: 祝! オルハン・パムク氏 ノーベル文学賞受賞

追記2:パムク氏をアメリカのPBSがさっそく特集。02年のインタビューと受賞後のインタビューで構成。彼の「衝突ではなく対話」「小説はそれをなし得るもの」という考えが伝わります。
by orientlibrary | 2006-10-13 02:00 | モンゴル

草原のエルデニ・ゾー 草原色の笑う瓦

「タシデレ」   「ニイハオ」   「サンバイノー」

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緑色の釉薬が魅力的なお肌の色合い。
ちょっとファニーで、ちょっとミステリアスで、ギリシアの哲人のようでもあり。

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こちらは輪郭も個性的で。
ユーモラスなのに、どこかに鳳凰や獅子、入ってませんか!?

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モンゴル・カラコルム(ハルホリン)・エルデニ・ゾー寺院
屋根。瓦。(この写真がじつはとても好き。この色合い、デザイン、質感が大大大好き)
ふしぎだあ。どうしてこんなデザインがここに!?

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●エルデニ・ゾーについての記述をまとめると次のようになります。(これ以上のことは、調べてもわかりませんでした)

・ 「エルデニ・ゾーはハルハ族のアバタイハーンによって1586 年にカラコルム(ハルホリン)に建立された寺院。「宝の寺」という意味」
・ 「400M平方の城壁で囲まれており、その上には108の塔がある。四つの側に城門。広大な敷地にチベット様式(基本的に漢民族様式だがチベットの要素がミックス)の仏舎利塔や十以上の寺院、大聖堂などが立っている」
・ 「カラコルム(ハルホリン)は、1235 年にオゴディ・ハーンによって築かれたモンゴル帝国の首都。オルホン川の豊かな水と肥沃な高原は、牧畜にも軍事的にも好適地だったが、5代目のフビライ・ハーンが大都(現在の北京)に遷都すると急速に衰退した」
・ 「入って左手にある建物はゴルバンゾーと言われ、16世紀に建てられた当時のもので、建物の取り壊しを免れることのできたものである」

●多分、上の写真はゴルバンゾーで撮ったと思います。ということは16世紀の瓦装飾?モンゴル(=イルハーン朝以来の土の文化の歴史)とチベット(=この文様の雰囲気は)と中国(焼き物のセンスや色合い)がミックスした感じ?です。いつかわかる日が来るかな?
by orientlibrary | 2006-10-10 01:04 | モンゴル

陰影の美から色彩の美へ イスラムの墓廟建築

イスラムの建築というと、モスクやマドラサ(神学校)などの宗教建築物、または宮殿が思い浮かびますが、タイルや壁面を見ていると気になるのが墓廟建築です。“タイル装飾の博物館”とも称されるサマルカンドの「シャーヒ・ズインダ墓廟群」、マイナーだけど個人的に好きなパキスタン・ウッチュの「ビービー・シャビンディ」、優雅なインド・イスラムの「タージ・マハル」等々、あげればきりがありません。

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(サーマーン廟)

『イスラーム美術』(岩波書店)によると、ムハンマドは入念に作られた墓で死者を記念することに反対し、自らも簡素な墓で直接地面に埋葬されることを望んだそうです。しかし権力者がそれで満足しないのは世の常でしょうか、初期イスラムの時代にはすでに墓石や印をつけた墓が登場し、ムハンマドの墓も最終的にはドームがかけられたといいます。

また墓参りの慣習は正式には否定されていたのですが、多くの人が墓参りをおこない、埋葬も敬意を表すために次第に柵や覆いがなされ、建物で装飾されるまでに。しかしながら、宗教的な見地からまだ躊躇があり、カリフでさえも簡素に埋葬されていたそうです。変化するのはアッバース朝カリフ時代、9世紀末頃までに墓廟への埋葬をおこなうようになり、他の王朝もすぐにこれにならいました。

イスラム地域全域で現存するそのような墓のなかの、もっとも早い例のひとつが、ウズベキスタン・ブハラにある「サーマーン朝墓廟」です。サーマーン朝(873年- 999年)は、中央アジア西南部のトランスオクシアナとイラン東部のホラーサーンを支配したペルシア系のイスラム王朝。その家族墓とされるサーマーン廟は9世紀の建造。19世紀末まで廟の半分ほどが地中に埋まっていたおかげで、千百年以上経った今でも当初の姿を見ることができます。

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サーマーン廟は焼成レンガでできており、一辺が10メートルの立方体の壁に内径8メートルのドームが載っています。土色のこじんまりとした地味な建物ですが、レンガだけでここまで表現できるのかと感嘆する多彩なレンガ積み、積み方による陰影が作り出す繊細で味わい深い表現が大きな魅力です。

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「建設と装飾の品質の高さと見事な調和は、この建物がこの種の建物では現存最古ではあっても、最初に建てられたものではなかったことを示している。10世紀初頭までにはすでに大イラン圏においてドーム構造で建物を装飾する長い伝統が存在していたはずである」(『イスラーム美術』)。ペルシアの土の建築技術と装飾の美は本当にすごい!

このようなドームを載せた立方体は、墓廟建築でもっとも一般的な形のようです。また、墓によって自分の名前を残そうとした権力者が増えた結果、次第に墓は大きくなっていきます。

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その最たるものが、これまで何度か登場しているイラン北西部にあるイルハーン朝の墓廟「ソルタニエドーム」(1307〜13)です。八角形の広壮な建物で、高さは50メートル。ドームの直径は25.5メートルもあり、回りには8本のミナレットがあります。

壁面装飾におけるソルタニエドームとサーマーン廟との違いは「色」。「(レンガの陰影が装飾的美を生み出す)手法は11世紀以後変化し、壁を活性化するためにレンガの間に施釉された陶器片を挿入することによって色彩が導入された」「14世紀までには、施釉・無釉の割合が入れ代わり、表面全体が施釉陶器片のモザイクで覆われた」(『イスラーム美術』)。

ソルタニエには、外壁や内壁に青の施釉レンガや施釉タイルが使われています。世界遺産になり修復が始まっていますが、わずかながら残存している当初のタイルからも、往事の輝きを想像することができます。

権力者は自らの、また他の優れた人々のために意匠をこらした墓作りに熱中。その後の墓廟建築では、14世紀後半からのティムール朝期の「シャーヒズインダ墓廟群」「ホジェ・アフマド・ヤサヴィー廟」などが有名です。

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そして私がずっと気になっていたパキスタンの「シャー・ルクネ・アーラム」(ムルタン/1320〜24)や「ビービー・シャヴィンデイ」(ウッチュ/1493)も、サーマーン朝、セルジューク朝、イルハーン朝、ティムール朝などからの影響を受けたダルガー(聖者廟)なのだと思います。装飾タイルに覆われた壁面の輝きが、強烈な印象です。このあたりの伝搬、影響は、もっと深めたいところです。
by orientlibrary | 2006-09-05 01:54 | タイルのデザインと技法