イスラムアート紀行

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映画『あたらしい野生の地 リワイルディング』

忘れないうちに、印象が強いうちに、、と思うと、こんなに頻度低いブログアップが、映画の話題ばかりに、、。そう、今回も映画「あたらしい野生の地 リワイルディング」について、なのです。

いろんなことを書きたいと思っているんです。たとえば、

1: 日本のタイルの動き・まとめ (日本のタイルが動いています!多治見市モザイクミュージアムのオープン、各地の多彩なタイルイベント、タバコ屋とタイルの会に寄せられる日本各地のタイルの景、素晴らしい本『美濃のモザイクタイル つながる思い、つなげる力』、「タイルびとの会」のイベント、など)

2: 「工芸を体感する100日間」レポ (10月22日〜1月29日まで東京で開催される300に及ぶ工芸イベントについて、ガイドブックを見ながら行ける限り行き、見学体験し、なるべくトークなども参加し、それをレポしていこうと思い、別のブログの用意までしました。実際、展示やトークにも行っています。が、まだ書けていません、、)

3: 民藝を巡る (2とも関連しますが、この数年、あらたなブームとも言える若い層の民藝人気について、ショップやイベント体験を)

4: ホラズムのタイルと陶芸 (ウズベキスタン西部、ホラズム地方の装飾タイルと青の陶器について。陶芸工房訪問レポ。取材もしています。かなり秘境の地、二度訪問しました。でもまだ書けていません)

5: アースバッグの家づくり (今年の2月に出会った「アースバッグ」、土で作る家(空間)に一目惚れしました。天幕と土の好きな私の超ツボでした。主催者や集まる人たちも魅力的。時間をかけて追いかけたいと思っています、が、まだまだ動けていません)

6: タイルのテーマいろいろ (鳥の図柄、魚の図柄、多角形、幾何学、その意味や背景、文化など)

7: 九州北部の陶磁器 (有田、三川内、そしてこれから回りたい九州の産地。有田焼400周年イベントレポ)

8: 植物アルバム (去年秋から、コンデジでパシャパシャですが、植物の写真を撮っています。小さな植物の宇宙、枯れて満ちて開く時間の流れに惹かれています。雫も好き)

、、などなど。要気力&体力、です。

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(テーマいろいろ)



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「大自然の無尽の力を、春夏秋冬の歓喜を、途切れることのない命を、そして生死を見つめていた」〜『あたらしい野生の地 リワイルディング』 

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■ 干拓事業の失敗で放置された土地

オランダというと、海抜が低く人口過密な小さな国、というイメージが。そのオランダに、しかもアムステルダムから2時間ほどのエリアに、何万匹もの馬が駆け抜け、キツネや鹿が走り、さまざまな鳥が飛ぶ「野生の地」がある、そのことがまず、イメージできませんでした。しかも、1968年以降、50年に満たない時間の中で、ほぼ自然にできた野生というのですから、不思議でなりませんでした。

映画公式サイト、現在上映中の渋谷UPLINKサイト、そして菅啓次郎さん&ドリアン助川さんによるトークショー(濃くて充実!)の内容から(メモとっていないので記憶違いがあったらすいません!)、少し書いてみたいと思います。

まず、この野生の園が、元々は干拓事業の失敗で放置された土地だったということに驚きます。

「アムステルダムから北東50キロの海沿いに位置する6000ヘクタール程の小さな自然保護区「オーストファールテルスプラッセン」。もともとは1968年に行われた干拓事業の失敗で放置された人工の地だった。しかし、人に忘れられたその土地に、わずか45年で自然はあたらしい命を育み、野生の楽園を築きあげていた」(UPLINKより)

オランダは干拓事業による地域が多い国ですが、放置されたというこのエリアは海抜が低い湿地で、水はけがうまくいかなかったのだそうです。そして放置されたままに。


■ 生態系が自らを復元する

ところが数年後に、植物学者が訪れてみると、あらたな生態系ができている気配が。長期を見越した調査や計画がすすめられ、10年程後には馬をこの地に放ちます。

「この土地でもっとも人目を引くのは、美しいたてがみをゆらして草原を駆け抜ける馬の群れ。ヨーロッパ原生種の馬にもっとも近いといわれるポーランドのコニックがリワイルディング(野生の再生)の試みとして放たれると、馬たちはこの土地に適応し、人間の介入の外で順調に数を増やしていきた。今では2000頭を優に越える頭数が確認されている」(公式サイト)

放たれた生き物もあれば、さまざまな地から入って来た多様な生き物が。

「同時期に放たれたアカシカも繁殖に成功。また鳥類では、17世紀以来ヨーロッパ大陸では目撃されたことがなかったオオワシが、おそらくスカンジナビア半島から飛来して姿を見せている」(公式サイト)


■ 春夏秋冬、生き物たちと自然、映像の美しさ

この野生の園の広さは東京大田区ほどであり、それほど広くありません。まさに都市近郊ですが、ゲートで囲まれており、一部を除き人間は入れないそうです。この中に、16人もの各分野(動物、昆虫等)の専門カメラマンが入り、600日かけて撮影したという映像の迫力、臨場感、美しさが素晴らしい。

「限られた土地の中で植生がどう移り変わってゆくのか、どこにどんな動物が戻り、他の動植物たちとの関係をつくっていったのか。湿原にはコケ類が、草原には一年生の草本が、そして森林には多年生の草木がはえ、土の性質を変えていく。水辺にはまず魚、両生類が戻り、鳥類が呼び寄せられ、それを狙ったキツネがやってくる。草原では馬やアカシカが子どもを育てる。こうした生態系復元のプロセスや自然のサイクルを美しい映像を通して学ぶことができる本作は、それはまるで動く生きもの図鑑のよう」(公式サイト)

トークでは福島の話がありました。避難指示が出された南相馬では一時、家畜が野生化して繁殖しているという報道がありましたが、守るのではなく殺すという選択が取られたそうです。南相馬は元々は湿地帯で、津波の後、農地に開拓された部分が流されて元の湿地に戻り、自然という面から見ると、この「オーストファールテルスプラッセン」的でもあったそうです。複雑な気持ちです。


■ 凍っていく鹿のように、、 

ドリアン助川さん、トークにて開口一番「この映画は(老子の)tao、タオだと思った」。そして「観られた幸せ」を、詩人の言葉でたくさん語ってくれました。皆さん同じなのでしょう。映画へのコメント、いい言葉がたくさんありました。(公式サイトより)

* 捨てられた土地で新しい生命の可能性が示された。それは人間の想像を超えた想定外のことだった。考えてみよう「捨てる」ことの積極的な意味を。認識を変えたとたん、それは新しい思想になる。(田口ランディ)

* なにもなかった場所にこれだけの宇宙が誕生するのであれば、この世の命あるどんなものも自らを再生する力を持っているのだと確信できた。(吉本ばなな)

* 映像を観ているうち、ボクは草に宿った水滴となり、大自然の無尽の力を、春夏秋冬の歓喜を、途切れることのない命を、そして生死を見つめていた。体験し得た者は、本当の意味でこの世の祝福を受けたのだ。(ドリアン助川)

* 人間の手の触れない世界が、隅から隅まで、どれほど喜ばしい生命に満たされているかを、本作品はつぶさに示してくれる。(野崎歓)

* ひたすら生きて繁殖して死んで食われる、食われて死ぬ。ただそれだけのことが圧倒的に美しい。この美しさは、ただ単に人間が「何もしなかった」ことの結果だ。その結果を驚くべき映像でつきつけられ、身体中の細胞が喜びに打ち震える。この映画の中で凍ってゆく鹿のように死にたい、と本気で思った。(小池桂一)


・・・ 「凍ってゆく鹿のように死にたい、と本気で思った」、同感です。もっとも強く印象に残ったシーンです。死期を悟った鹿の眼に映るオーストファールテルスプラッセンの景。それをカメラは静かに見つめます。動物の眼に映る自然の景、次第に閉じていく眼、閉じた眼に降り積もる雪。厳しく、悲しく、しかし美しかった。この死は不幸なのでしょうか。自然なのでしょう。私の心にも、思いが降り積もりました。

映画は、東京アップリンクの他、名古屋、大阪、京都などで上映されるようです。
* 公式サイトはこちら
* UPLINKサイトでの紹介はこちら



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タイルのブログとしては、オランダ→デルフトを載せるべきなのでしょう。けれどもヨーロッパのタイルの写真がほとんどない、イスラームタイル一辺倒のorientlibraryです。中国染付と染付に憧れたデルフト&世界各地のブルー&ホワイトのやきものを少々ご紹介します。


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(青花魚藻文壺/景徳鎮窯/元時代14世紀)(青花唐草文水差/景徳鎮窯/明時代(1426−35))(デルフト/藍彩人物タイル)(イラン)


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(トルコ)(青磁染付鶴亀図大皿/伊万里/19世紀)(ウズベキスタン)(リシタン絵付け)


近々、何かアップしたいです。気合い入れつつ、セルフメンテナンスをゆるゆるやっていきます。
by orientlibrary | 2016-11-03 23:04 | 美術/音楽/映画

キルギス映画「山嶺の女王クルマンジャン」「アンダー・ヘヴン」

9月下旬から10月上旬にかけて、「中央アジア+日本」対話 第9回東京対話ウィークリーイベント 「知られざる中央アジア:その魅力と日本との絆」(外務省主催,独立行政法人国際交流基金,筑波大学,東京大学,東京外国語大学の共催)が開催されています。

音楽祭やシンポジウムは、なぜか平日の日中という多くの人にとっては行きにくい日程ですが、「中央アジアミニ映画祭」は夜間開催。「明りを灯す人」(キルギス)、「True Noon」(タジキスタン)は以前観ており、今回観たかったのはキルギス映画「山嶺の女王クルマンジャン」(2014年)、「アンダー・ヘヴン」(2015年)。東京・駒場会場にて観ることができました。ずっしり見応えがありましたよ〜。内容を忘れないうちに、備忘録的なブログアップにて失礼します。


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(キルギスにて。クルマンジャンでも、馬と人は常に一体だった/orientlibrary)


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<重厚!キルギス歴史スペクタクル 「山嶺の女王クルマンジャン」>

・・・・・ 19世紀、中央アジアにおいてキルギス人の誇りを貫いた高地民族の女王クルマンジャン。山岳地帯に生まれ育ち、「神と長が決めた」男と結婚するも婚家の男達の情けなさ、酷さに我慢ならず脱出。運命の出会いからクルグズタン南部アライ地方のダトカ(部族長)、温厚で聡明なアルムベクと結婚。しかし部族間抗争は絶え間なく、コーカンド・ハン国によりアルムベクが暗殺される。指導力と人望のあったクルマンジャンがダトカになる。ロシアは中央アジアに南下、やがてアライを支配する。これに抵抗する部族民の抗争が続くなか、クルマンジャンは二人の息子を喪う。それでもなお、キルギスの部族の誇りを守り抜き、96歳で逝去。その波乱万丈の一生を実話を基に製作した映画。

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アジアフォーカス・福岡国際映画祭上映後のQ&Aより
・国家的プロジェクトで政府の支援もあり、キルギス社会全体の後押しがあって出来た作品
・予算は150万ドルあり、メインプロデューサーを務めたのは現役の女性国会議員
・クルマンジャン生誕200周年に向けて、彼女にちなんだ映画をつくろうと社会的に影響のある文化人の間で動きがあった
・91年の独立後、あまり映画は製作されていなかったので、今作は大きな挑戦だった
・監督は以前、キルギスの首相だった人物。しかし、監督のプロではないのでロシアの映画学校で一から勉強した

・19世紀の中央アジアの女性の地位は男性よりもはるかに低く、周辺の国々もそうだった
・キルギス国民なら誰でも知っている女王クルマンジャンはキルギス南部で生まれた初の女王
・キルギスでは昔から男性は息子を教育する、女性は国民を教育する、と言われている。クルマンジャンはまさにその一例
・ドキュメンタリーではなく実話を基に製作されたものであり、映画化にあたっては脚色もあるが抽象的な表現も見てほしい
・激動の時代を生きたクルマンジャンダトカの肖像はキルギスの紙幣にもなっている


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(映画の中でのコーカンド・ハン国は衰亡期。写真は現在のコカンド/orientlibrary)


■イスラムアート紀行 感想
* 2時間超、緊張感が高いまま、ドキドキハラハラ。濃厚な歴史スペクタクル。国をあげての総力製作、守り抜いたキルギスの誇り、美しくも峻険な自然の景、役者さんたちの渾身の役作り。見応え。次回機会があれば、天幕や生活用品などじっくりと見たい。もう一度見たい!

*映画中、 唯一ホッとできたのは、天幕の中でのコムズ(キルギスの弦楽器)の演奏シーン。それだけ。想像するに、クルマンジャン、というよりも当時のかの地の人々の暮らしは、同様に緊張感の高いものだったのでは。部族間抗争は絶え間なく、周辺のハン国、大国の影も常にある。戦と隣り合わせの日々は、さぞやきびしいものだったでしょう。

* 「男の子を授けてください」と夫婦がシャーマン(?)に願う冒頭シーン。続いて、でっち上げの姦通を名目に女性への石打刑あわやという場面では「女の証言など当てにならん」。「女は家畜じゃない!」というクルマンジャンの叫び。部族社会での女性の地位の低さ、というか、男達のやりたい放題。いい加減にしろよ!と怒鳴り込みたくなります。イスラームは女性を差別する、と言われますが、元々の部族社会の慣習という面は大きいと感じます。

* ハラハラの合間には、画面の中のフェルトや山岳民族の衣装を楽しみました。青のスッキリした衣服がカッコいいと思ったらブハラからの使者、赤のチャバンはブハラのアミールでした。ブハラの衣服が都会的?でカッコ良く映りました。&口琴の響きはなぜか崖のシーンに合う。ウエスタン映画連想?

* 激動の日々を生き抜き、96歳という長寿を全うしたクルマンジャン。まさにキルギスの母ですね。女性も活躍する市民社会、民主主義の国をうたう現在のキルギス。英雄の中でも女性をテーマにすることは、内外へのメッセージなのかなとも感じました。


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(タイル主役のブログなので、こちらを。コカンドのパレス、ファサードのタイル装飾/orientlibrary)



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<キルギスの自然の中、息詰る心理劇 「アンダー・ヘヴン」>

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016WEBサイトより(下記のあらすじ↓)

・・・・・  中央アジアの荒涼とした大地を舞台に描く、キルギス版「カインとアベル」。反抗的なケリムと良心的なアマンの二人の兄弟は、石工の仕事をしながら母と暮らしている。父親はケリムの借金のため、出稼ぎに出ていた。二人が一人の少女サルタナに恋をしたことから、悲劇が起こる。『エデンの東』のモチーフにもなったと言われている、旧約聖書「創世記」に登場する人類最初の殺人の加害者と被害者とされるカインとアベルのストーリーを、キルギスの広大な地で墓石の採石をする兄弟の物語に置き換えた、女性監督ダルミラ・チレプベルゲノワの野心作。

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(映画でも重要なモチーフであった石人、映画にも登場したイシククル湖/orientlibrary)


■東京・駒場での上映後のQ&Aより
・石人とは=戦で負けた人を讃えるために作られるもの。映画のラストでは善と悪という意味ではないか。

・旧約聖書のカインとアベルがモチーフとのことだが=キルギスにもキリスト教徒(ロシア正教)はいる。 (*イスラムアート紀行思うに、普遍的なテーマであり、採石場という光景と合ったのかな?)


■イスラムアート紀行 感想
* 心理劇は苦手と思いましたが、最後まで緊張感を持って観ました。石人について、鉱物資源、冠婚葬祭の慣習、地方と都会の格差、ロシアへの出稼ぎなど、ストーリーの中で臨場感を持って伝わりました。

* 民族衣装は多くないけれど、フェルト、キリム、葦の工芸、石彫りなどを、たっぷり見ることができました。

* イスラムアート紀行のテーマである「タイル」が、かの地では富裕層向けの商品であり、ケリムが「街に行ってタイルを作れるように稼いで来る(お父さんにタイルの仕事をさせてあげたい)」というようなことを言っていたのが印象的。

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(映画では荒涼とした採石場の景色が多かったけれど、自然がゆたかなキルギス/orientlibrary)



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中央アジア関連イベント、この間、グッと増えてきました。「中央アジア文化祭」をおこなった2年半前はまだまだ、なかった。検索しても「中央アジア文化祭」(イベント及びfacebookページ=現在非公開=)がトップに出てきてしまって、、複雑でした。今はいろいろあります!!状況、変わりましたね!!


---  イスラムアート紀行内・中央アジア文化、映画などの関連記事  ---

中央アジアが熱い!音楽、踊り、コミック、人々(2013 /01/28)

中央アジアの映画や演劇、独特の世界が魅力(2006/12/01)

聖なるブハラ 太陽に向かう鳥(2005/12/07)


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(コカンドのタイル/orientlibrary)
by orientlibrary | 2016-09-30 00:11 | 美術/音楽/映画

「ソング・オブ・ラホール」〜全世界に知ってほしい。パキスタン人は芸術家でテロリストじゃないことを〜

音楽の興奮と希望に満ちたドキュメンタリー映画「ソング・オブ・ラホール」(SONG OF LAHORE)。8月13日から渋谷ユーロスペースにて公開中。キャッチフレーズは「スィングしなけりゃ“あと”がない」。観て、その意味がわかりましたが、公開中の映画なので、内容がわかるような感想を書けないのが、とても残念。



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一度だけじゃもったいない。何度も観たくなる映画。いろんな発見があると思う。


● ストーリー 要約 (公式サイトより) ● 
「パキスタン映画産業の中心都市、ラホール。数々の映画が作られるとともに、伝統楽器を使った映画音楽も数多く生み出された。しかしイスラーム化の波、タリバンによる歌舞音曲の破壊によって映画界は衰退。音楽家たちは転職を余儀なくされる。そんな中、ラホール出身の実業家イッザト・マジードが私財を投じて音楽スタジオを作り、往年の音楽職人たちを集めて楽団“サッチャル・ジャズ・アンサンブル”を結成。彼らは古典楽器を用いた、世界で類を見ないジャズのスタンダードナンバーを生み出し、名曲「テイク・ファイヴ」をカバーしたプロモーションビデオは100万以上のアクセスを記録。ウィントン・マルサリスが、彼らをニューヨークへと招待。そこで彼らは、音楽家である誇りを取り戻していく」

ドキュメンタリー映画なのだけれど、良質なドラマのようでもあります。キャストの個性が際立ち魅力的なことに加え、音楽家たちの窮状からニューヨーク公演までの展開がスリリングで、感情移入し、ヒヤヒヤドキドキ、なのです。

それほどに音楽家たちを応援する気持ちが沸き上がるのは、それぞれの音楽家が語る音楽への尽くせぬ愛と敬意、伝統の継承者としての使命感が、ていねいに描かれているから。

何代も続く伝統音楽一家の継承者として、誇りを持ち精進を続けてきた凄腕の音楽家たちが、社会変化の中で音楽で生計をたてられなくなり、ウエイターやリキシャドライバーをしなくてはならなかった日々の葛藤、子孫に音楽を伝承できない苦悩。どうぞ誇りを取り戻し、存分に活躍して欲しいと思わずにいられません。


● 監督のことば 要約 (公式サイトより) ● 
「私は祖父からパキスタンの昔の音楽のことを聞いて育ちましたが、私が育った1980年代頃にはそれはすべて過去のものとなっていました。2012年ごろ、ラホールの音楽家たちが一丸となり、パキスタンの伝統楽器を使った音楽をレコーディングしているという無謀とも思えるような話を聞いた時、それが私の伝えたい物語だと気づきました。その時は彼らの旅がどこへたどりつくのか想像もつかず、ただ彼らの声や音楽を残したいと思いました」

監督はシャルミーン・ウベード=チナーイさん、女性です。いい映画撮るなあ。「ただ彼らの声や音楽を残したいと思った」、これがモチベーションというものですよね、理屈ではなく、ただただ撮りたいと思う。そして展開は思いがけない方向に。ニューヨークでの4日間のリハーサルシーンは白眉、そして感動のラストへ。


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< トークイベント  「パキスタンから世界へ!超絶演奏楽団サッチャルの魅力を語る」 >

サッチャル・ジャズ・アンサンブル、数年前にサラームさんが、某研究会で紹介されたとき、そりゃあもう驚きましたよ。白い民族衣装のおじさんたちがヴァイオリンを奏で、シタールやタブラは超絶技巧で、それでいて曲目が「テイク・ファイヴ」、、。今回その背景を知り、私も一緒に旅したような気持ちになりました。

映画公開に先立ち、映画『ソング・オブ・ラホール』公開記念 トークイベント 「パキスタンから世界へ!超絶演奏楽団サッチャルの魅力を語る」が開催されました。出演は、サラーム海上さん、村山和之さん、ヨシダダイキチさん。秘蔵映像を見ながらパキスタン音楽の魅力をスタディしておくというもの。

会場は満員でびっくり。2時間半、疾走しつつ濃厚なトークと演奏が繰り広げられました。サラームさんのサッチャル・ジャズとの出会い、村山さんのタリバーンの音楽(メロディはダメ、聖句などを吟ずるのは問題ないとのこと)などパキスタン音楽の紹介、ヨシダさんのグルーブ感ある「テイク・ファイヴ」シタール演奏、すべて素晴らしかったです。愛と熱がありました。

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「ソング・オブ・ラホール」、、とにかく、オジさんたちがいい。ウィントン・マルサリスが、またいい。

音楽がいい。音楽はいい。

こんなに人を繋ぐものを、こんなに時を繋ぐものを、こんなに空間を超えるものを、禁止したり弾圧したり、それはイスラームの教えではない。原理主義はあくまでも原理主義。現実が、伝統が、思いが、それに押しつぶされることがありませんように。パキスタンの圧倒的な音楽伝統が、卓越したセンスが、代々の技術が、これからも伸びやかに継承されていきますように。


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< TILE IN LAHORE AND INDIA >

最後に、タイルオタクから少々。前述のトークイベントで、ラホールの光景がスライドで紹介され、「あ、タイルだ!」と喜んだのですが、もしかしてタイルと認識されていないかも、、という弱気の想像も。たぶん、このタイルだったと思う。違ったらゴメンナサイ。でも似たものです。

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(MOSQUE OF WAZIR KHAN, LAHORE, COMPLETED IN 1634-35 /cut tile mosaic panel with an inscription in Persian in the nastaliq style on a blossom strewn ground/『The Art of the Islamic Tile』より引用)


このタイル、トークの中で「中央アジアの印象がある」とのお話がありましたが、タイルに限定して言えば中央アジアではあまりないタイルの様式だと思います。中央アジアは青が主で、こちらは黄色と緑がメイン。中央アジアの印象を持たれたとしたら、アトラスなど色鮮やかな布のイメージと重なったのかも、、。印象すごく強いですものね!


黄色と緑はイランやモロッコのタイルでも使われますが、ムガル時代のタイルの特徴を示す色だと思います。まさに、ムガルのタイル。ムガルインドの都・ラホールらしいタイルですね。参考までに、ラホールのタイルを写真だけですが少々。

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(LAHORE FORT, LAHORE, COMPLETED IN 1631 /the parrot perching on the upper cornice seems to be peering down at the little scene showing horsemen in the middle register/『The Art of the Islamic Tile』より引用)


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(orientlibrary)


インドにはタイルがない、というイメージがありますが、ムガルインドの建築物をよ〜〜〜く見ると、少しあるのです!その写真を少々。インドは石造建築が主なので、装飾もタイルに走りませんでした。石の象嵌の美しさはよく知られるところです。だからタイルも、どこか石っぽい。
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(orientlibrary)


パキスタンのタイルということでは、時代を遡り、デリースルタン王朝時代の、ムルタンやウッチュのタイルが圧巻です。こちらは青、青、青。濃い青、強い青。そして幾何学の構図が素晴らしい。インド亜大陸タイルの傑作です。写真を少々。
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(orientlibrary)


文章を推敲するより、とにかくアップ、を目指します。気持ちがフレッシュなうちに。
そうしないとなかなかアップできないので。ことば足らず、乱文、ごめんなさい〜。



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<リンク>

  『ソング・オブ・ラホール』 公式サイト
http://senlis.co.jp/song-of-lahore/

  『ソング・オブ・ラホール』 facebook
https://www.facebook.com/songoflahore.jp/?fref=ts

  『ソング・オブ・ラホール』予告編
https://youtu.be/fSepumfQkd4

  Sachal Studios' Take Five Official Video
https://youtu.be/GLF46JKkCNg

  映画『ソング・オブ・ラホール』公開記念「パキスタンから世界へ!超絶演奏楽団サッチャルの魅力を語る」
https://www.facebook.com/events/1702373750024046/

  クラウドファンディング 「パキスタン伝統音楽×ジャズ!? サッチャル・ジャズ・アンサンブルの初来日公演にご支援を!」(9月来日決定!!
https://motion-gallery.net/projects/song_of_lahore

 レヴュー「劇映画よりドラマチック!な ドキュメンタリー『ソング・オブ・ラホール』」(ブログ「アジア映画巡礼」/パキスタンの状況も含め詳細な解説)
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/16f9c1c2fd5baf856f50150788b2175f

 レヴュー「Song of Lahore (Pakistan)」(HP「バハールドゥルシャー勝」/ラホール、パキスタンの歴史から、音楽家のカースト、宗派について、映画の紹介など、さすがのレビュー!!勉強になりました!)
http://www.bahadurshah.com/film/song-of-lahore
by orientlibrary | 2016-08-13 22:45 | 美術/音楽/映画

タシケントのバザール&ショップ、少々 +物語タイル

タシケント、気になるバザール&ショップ

12月のウズ行きにて、今回初見参の「ヤンギアバッド・バザール」。タシケントで週末に開かれる「フリーマーケット&骨董市&闇市!?」。カオス的な雰囲気に大コーフン。雨の中、歩き回ったけれども、たぶんほんの一部しか見ていないと思う。広い!!おもしろい〜〜!!

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(メトロのタシケント駅下車、バスも出ているらしいけれど安全策でタクシー利用しました。ここだと言われて降りたところは、国鉄(言い方古い!)跡地のようなところ。鉄ちゃんの中でも線路マニアには興味深いのでは?と思いながら歩いていくと、やがてポツポツと出店が見え始めて、、、)

facebookでは一度書いたことがあるんですが、バザールで売っているニンジンサラダ(写真参照)。

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あるとき、これを再現しようとニンジンを千切りし始めたんですが、切っても切ってもたいした量にならない。すごい時間がかかる。しかも千切りの形を揃えようとしたらある程度面が揃っていないとダメ→ロスが出る。で、挫折。(>_<。。) 

いったいどうやってあのニンジンを切ってるんだろう、というのが深淵な謎でした。「専用の道具を使うんだよ」という声も聞いたけど、あれだけ大量なものを毎日だとカッターの消耗が激しくて無理なのでは?と、謎が深まっていました。

で、ヤンギアバッドの入口で専用カッター見つけて、思わず買っちゃいました。でも、こういうのなら日本に持ってたよ、、こんなヤワなものでは、すぐ切れなくなりそうだし。

今回、日本語の上手なウズ人大学生に聞いてみました。「あのニンジンはどうやって?」「ものすごい勢いで包丁で切るんですよ」「やっばり!」「おばちゃんたち、手元見てませんから」「?」「見ずにダーッと切ります。今度チョルスーで見せてあげますよ」「やったー」。タイミングが合わず今回は見られませんでしたが、長年の謎は解けた。やはり高速包丁ワザだったんだ!

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(ニンジンカッター、買った。バナナは高級フルーツ。たしか日本円で100円くらい。輸入だと思うけど、おいしいです。「タシケントの人は魚が大好き」というもの最近教えてもらったこと。肉のイメージが強烈なので、魚なんて食べないと思い込んでいましたが、タシケント郊外に魚で有名な町があって、そこにたくさんの人が魚のフライを食べに行くのだそうです。刺身にも興味津々の人が多いですから、意外と魚好きなんですね)

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(なんでもあり!とくに中古部品が多かった。部品だけで100店くらいあるのでは?)

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(陶器!あとで聞くと、ショッピングモールみたいなところがあって、そこにロシア製のユーズドなどがたくさんあるそうです。発見できず残念。でも、このお店では、リシタンやホラズムの古いお皿や旧ソ連圏の国々のカップ&ソーサーをたくさん見られてうれしかった。今回はすでにホラズムで陶器の重量制限?が危なくなっていたので買いませんでしたが、、)

ヤンギアバッドとは対称的なのが、高級ホテル「インターナショナルホテル(旧名:インターコンチネンタルホテル)」で開催される(月に1回?)「アートバザール」(通称?)。ウズベキスタンの民芸工芸品が販売されるのですが、出展者数も来場者数もすごい。日本の商業施設の人が見たら垂涎でしょう。お土産もので買いたいものを探すのが難しいことも多いウズ。でもここはひと味違う。個性的で質も高く、モノとしてこなれている。値段も高額なものもあるけれど、意外と割安感も。

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(欲しいものがたくさん!!買い占めたい!)

なんだか買物特集みたいな感じになってきたので、もう少し。お土産を買うのに良いのが、マドラサの中庭に面した小部屋に民芸品工房があるところ。細密画や木工など、専門の職人さんたちが、そこで制作しながら販売しています。

有名なのが、ナボイ公園内の「アブドゥル・ハシム・マドラサ」。こちらは細密画が多い。集中を要する緻密な作業をしながらの接客、中断してもらうのが申し訳ないくらいです。

旧市街、チョルスーの裏手、ハズラッディ・イマーム広場、バラク・ハン・メドレセも同じように民芸工房が軒を連ねます。

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(上段:バラクハーン・マドラサは16世紀、シャイバーン朝期の建立。現在、ウズベキスタンのイスラム教本庁が置かれているそうです。タイル装飾も綺麗です。下段:アブドゥル・ハシム・マドラサ。右は見せてもらった古い紙。細密画を書くのに使う貴重な紙なのだそうです。今の時代に合う新商品も作っていました)

こうなったら買物、もう少し。ウズベキスタン〜中央アジアの模様、これらが最近ますますさまざまな手工芸品に展開されるようになりました。アトラスやアドラスを使った衣料品も洗練度アップ!

代表的なのが「UZBEK APPAREL」。いいお店。民芸民芸せずにちょっとした集まりなどでも着られる感じ。デザイン優先ではなく縫製もきちんとしています。例えば、ジャケットで日本円で1万5千円〜2万円くらい(その時々の為替レートによりますが)。

「アートバザール」でアトラスをオシャレに着こなしていた可愛いウズ女子に出会い、教えてもらったチョルスーのお店にも。こちらは「ウズのシモキタ」という感じ。ビニールを使ったバッグやジャケットも。でも普通に着られるものもたくさんありました。

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(上段:UZBEK APPAREL/下段:COMO)

そんなこんなで、重量級のスーツケースとデカリュックで帰ってきたのですが、ごく一部をご紹介。

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(今回心惹かれたホラズムのお皿やタイル。これから長いおつきあいになるかも。&アートバザールでリシタンの陶芸家バフティヨルさんに会ったのでリシタンの小さなものもまた買ってしまった。やはりリシタンの青はいいなあ)


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タイルが伝える物語


おっと、話がタイルに近づいてきました。タイルつながりで、こちらの話題も。

昨年、常滑のINAXライブミュージアムなどで開催された展覧会「タイルが伝える物語-図像の謎解き- 展
」が「LIXILギャラリー東京会場」にて開催中です(2月21日まで、水曜休)。

「室内外を華やかに飾るタイルは、耐久性があり、量産も可能なため、古くより世界でさまざまな文様が生み出され、かつ身近な建材として発展しました。本展では、タイルの装飾性だけでなく大衆へのメッセージを含んだ「メディア」としての機能に着目し、描かれた文様の意味や物語を読み解きます」との趣旨で、ヨーロッパ、中国、イスラームの物語を題材にしたタイルを展示紹介しています。

西洋タイルは、子どもの遊びを素朴に描くオランダのデルフトタイルや、家庭で行われていた宗教教育や当時の生活文化が垣間見られるイギリスのタイルなど。中国のタイルは、説話集「二十四孝」を刻んだ貴重な画像塼(がぞうせん)、桃源郷を主題とした染付陶板など。

そしてお楽しみはイスラーム!!

「イスラーム教の戒律がゆるやかになると、人物を描いたタイルが登場し、宮殿などの私的空間の壁を飾りました。 詩人ニザーミーが詠んだ長編ロマンス叙事詩「ホスローとシーリーン」や、美男の預言者ユースフとエジプト高官の妻ズライハの恋を描いた「ユースフとズライハ」など15点を紹介します。鮮やかな色彩で物語や人物を描いたタイルは見ごたえも十分あり、人物の表情や華やかな衣装、背景の模様などから、イスラームの生活文化を伺うことができます」。イスラームタイルとじっくり向き合い、たっぷりと浸りました。撮影可なのがありがたい!

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(いちばん好きだった多彩レリーフタイル「ユースフとズライハ」(イラン、19世紀)。青が美しい。イランの青フィルゼイ(いわゆるトルコブルー)、コバルトブルー、紫味を帯びた青など。見惚れました)

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(有名なペルシア恋愛叙事詩「ホスローとシーリーン」を描いた組タイル(イラン、18〜19世紀)はコバルト青が濃く強い印象。貴人遊楽の図を描いたサファヴィー朝の「野宴図」(18世紀)は、サファヴィー朝らしい優美さで人物や植物や雲を描いています)

「ホスローとシーリーン」のタイルに顕著ですが、タイルとタイルの隙間の目地を塗りつぶしており、一見一枚の陶板。ならば陶板で良かったのでは??大きいサイズは作りにくいのかもしれませんが、作れなくもないでしょう。小さなタイルにした後で再度くっつける理由がわかりませんが、やはり物語を描くのはタイルなのかもしれません。


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今回、写真を用意したのは、上の他、「渋沢史料館 青淵文庫(せいえんぶんこ)」(東京北区)。見に行ったのは初めてですが、タイルが想像以上に良かったです。

もうひとつ、竹橋の東京国立近代美術館 工芸館にて開催中の「所蔵作品展 近代工芸案内 - 名品選による日本の美」(2月15日まで)。今回一部作品をのぞき撮影可だったので、写真を撮ることができました。板谷波山など、少し用意していましたが、、長くなるので、次回にします!

一話ずつのfacebookは短いため書きやすく、こちらはわりとアップしていますので、ご興味がありましたら、遊びにお寄りください。「青の陶器とタイル好き

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(青のfacebook、こんなかんじで、いろんな青をピックアップ)
by orientlibrary | 2015-01-18 23:08 | 中央ユーラシア暮らしと工芸

中央アジアバス停/フンフルトゥ/古武雄/火の誓い/夏俳句

重厚なセルジュークの装飾タイルが続きました。今回は小さな話題をいくつか。夏休み気分で。

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ついに「SOVIET BUS STOP」


「中央アジアのバス停留所」、これもまた、えらくマニアックなテーマでした。中央アジアを旅行していると、道沿いにポツポツ、不思議な小さな建物があることに気づきます。なんだろう。どうもバス停らしいけれど、地元の人はそれほど関心をはらっているようにもみえない。でも、その手作り感、愛らしさ、奇妙さ、存在感、おもしろさ。誰かバス停の写真集を作ってくれないものかと、長い間思っていました。

そんな奇特な人いないよな、、それがいたんです!中央アジアバス停に強烈にハマってしまった人が。クラウドファンディングで写真集プロジェクトを実施、完売!タイトルは「SOVIET BUS STOP」。出たー!

中央アジア各所にあるということは、ソ連時代のものだろうと想像していました。バス停作り、競争意識があったのか、作りながら楽しかったのかどうか、それはわからない。でも、とにかく、ここまでやるか状態のものもあります。写真を引用するわけにいかないので、ご興味ある方、クリックで飛んでみてください。魅せてくれますよ。again! → http://herwigphoto.com/bs/


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南シベリアからの風  HuunHuurTu 来日公演


南シベリア・トゥバ共和国の生んだ世界的ホーメイグループ「HYH-XYPTY(または HuunHuurTu)フンフルトゥ」、フジロック・フェスティバルのための来日。1回のみのホール公演に行くことができました。生の音楽との出会いに感謝です。

来日公演のWEBサイトより抜粋=「トゥバ人に最も愛され、尊敬されるホーメイグループ。ソ連邦崩壊後間もなく結成され、伝統の中に新しい音楽の要素を折り込んだ洗練されたスタイルが大きな話題に。長らくトゥバ民族とその周辺地域のみで伝えられていた伝統歌唱ホーメイを、世界に知らしめ、発展させた。驚異的なテクニックと懐かしさあふれるメロディーによるオリジナルなアンサンブル」。

オーディエンスもノリノリで3回のアンコール。それに応えてくれたHuunHuurTu。アンコールのラストは、寺田亮平さん(トゥバ音楽演奏家。「中央アジア人3」参照)推選の「チュラー・ホール」でした。「ある男が風に吹かれながら馬と一緒に旅し、ある土地で暮らし始めた。その美しい土地で相棒のチュラー・ホールと競馬に勝ち、美しい恋人から隠れて泣いた」。YouTubeで聴いていたこともあって思い入れがあり、これをラストで聴かせてくれたことに感激!


Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor





声そのもののゆたかさ、声の重なりから生み出される透明な音世界、声や楽器による自然の描写、イギルやドシュプールなどシンプルな楽器が織りなす豊穣。4人それぞれが高い演奏技術と歌唱力を持ちつつ、個性をユニットとしてのハーモニーに昇華している。その素晴らしさに浸りました。


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豪快で技法さまざま 魅力の古武雄


「古武雄 やきもの王国九州から 江戸陶磁のモダニズム」展@町田市立博物館へ。九州国立博物館(「古武雄 まぼろしの九州のやきもの 江戸のモダニズム」、愛知県陶磁美術館(「桃山・江戸の華やぎ 古唐津・古武雄」)などと、北上してきた展覧会のようです。チラシの豪快な陶味に惹かれて、猛暑のなか、町田に行ってきました。

佐賀県立九州陶磁文化館開催の「古武雄 江戸のモダニズム」のチラシ。クリックで画像

それにしても、古唐津なら聞いたことがありますが、古武雄とは?

*(古武雄を)分からないのも当然と言えば当然なのです。この「古武雄」という名称は近年生まれたものだからです。「古武雄」は、かつては「二彩唐津」、「武雄唐津」、「弓野」、「二川」などと呼ばれていました。(九州国立博物館HP)

* 江戸時代前期(17世紀前半)から19世紀にかけて武雄地域で「古武雄」というやきものが誕生しました。生き物のように躍動する松、今にも飛び立とうとする鶴、釉を掛け流しただけの力強い文様・・・器をキャンバスに、様々な技法を用いて、大胆な文様を絵画のごとく描いたこれらの陶器は、現在、その魅力と重要性が再評価されています。(
愛知県陶磁美術館HP)

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(鉄絵緑彩松樹文大平鉢 江戸時代・17世紀前半 肥前・武雄/九州国立博物館HP)

* 古武雄は、多彩な文様表現に魅力があります。古武雄の作品で基本的におこなわれる装飾技法の基本は、褐色の胎土の上を白く塗ることに大きな進歩がありました。この白いキャンパスを得られたことにより褐色の胎土という、絵付けにはある意味で言えば不利な条件を克服し、新たな文様表現の土台を得ました。そして、そこに緑や褐色で絵を描いたり、緑や褐色の釉をかけ流して文様にしたり、スタンプで文様を押し、その部分に白い土を埋める象嵌、白い土を刷毛で打ち付ける文様などなど多彩な文様が生み出されました。このような多彩な文様こそ「古武雄」の見所です。(
愛知県陶磁美術館HP)

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(緑釉唐花唐草文五耳壺 江戸時代・17世紀中頃 肥前・武雄/九州国立博物館HP)

* 江戸時代のさまざまな遺跡が調査された結果、公家も武士も、大名も庶民も「古武雄」を愛用していたことがわかってきました。(町田市HP)

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(展覧会図録より/刷毛目打ち刷毛目白泥〜刷毛や筆を用いた白化粧の文様・象嵌〜埋め込まれた白土の模様・鉄絵緑彩〜緑と褐色の絵付け文様)

江戸時代には、参勤交代で江戸でのつきあいが必要な日本各地の有力者たちの「宴会需要」があったそうです。しかし磁器はまだまだ高価。そこで古武雄の大皿が活躍したのだとか。絵柄も作風も大胆で奔放。多彩な技法に触れることもでき、行った甲斐がありました。


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偉大な設計者


新聞の読書欄、(はずれることが多くて)あまり見なくなりました。が、今朝、『白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』についての隈研吾氏の評(朝日新聞8月10日付)を読んでいるうちに、昨日読んだ河井寛次郎さんの文章が浮かんできました。

『火の誓い』(河井寛次郎/講談社文芸文庫)の第一話「部落の総体」(昭和19年7月)。

「自分はいつも部落に這入る前に、その部落全体の組合せについて驚くべき事を見せられる。その部落を見上げたり見下ろしたりする位置にあればあるだけ、この組合せの魔術にかけられる。森に囲まれた平野の村は這入って見なければ解らないが、これはこれで、思わぬ処で、思わぬ素晴らしさに出喰わして驚かされる事がある。いずれにしても、此等の村と家と家との地形に応ずる巧妙な配置については、見ても見ても見つくす事が出来ない。自分はいつも誰がこんな素晴らしい大きな構図を設計したのかと聞きたくなる」

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(福井県池田町)

「家と家とはーどうしてこんな美しい間隔と均衡を保って隣り合わされたのか。相隔たる甲と丁とはどうしてこんな美しい比率で隔離されたのか。瓦と草屋根を誰がこうもたくみに配分したのか。それぞれの家の持つ力を、時には複雑極まるでこぼこの丘地や山の傾斜面に、誰が一体こんなに見事に配置し組み合わせたのか。自分はいつもこの偉大な設計者の前に立って驚かない訳にはゆかない」

「どんな農家でもーどんなにみすぼらしくってもーこれは真当の住居だという気がする。安心するに足る家だという気がする。喜んで生命を託するに足る気がする。永遠な住居だという気がする。これこそ日本の姿だという気がする」

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(越中和紙の桂樹舍/富山県八尾)

この文章からちょうど70年後出版の、『これからの日本に都市計画は必要ですか』(蓑原敬、藤村龍至、響庭伸、姥浦道生ほか。大御所蓑原敬氏と70年代生まれの若手による論議の記録)。本書は日本の都市計画のつまらなさとその理由を明かしているといいます。

「一言でいえば、日本的縦割りが、本来諸分野を串刺しすべき都市計画をつまらないものにし、機能不全に陥れていたのである。様々な縦割りのひどさに唖然とした。(中略)実際の計画は道路団子とか公園団子などのジューシーで利権だっぷりの団子に委ねられていたのが、戦後日本の寒い姿だった」

天候のせいか今ひとつ調子が悪く読書の日とした昨日、河井さん著書(『火の誓い』『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』)の気迫ある文章、凛とした姿勢の強さが滲みました。

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日本の自然や工芸について読んでいると、昔は当たり前だった普通の光景の、普通だからこそ輝く姿が愛おしく思えてきます。十七音でその情緒をうたう俳句、夏の情景、昔日の景を選びました。

  金魚売りの声昔は涼しかりし  正宗白鳥
  うちの子でない子がいてる昼寝覚め   桂米朝

  
  セルの袖煙草の箱の軽さあり  波多野爽波
  ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓  三島由紀夫(中等科時代か)
  

 
 口開けて金魚のやうな浴衣の子   三吉みどり
  
  夕顔やろじそれぞれの物がたり   小沢昭一

  
  バリカンに無口となって雲の峰  辻憲

  

  心太足遊ばせて食べにけり   佐藤ゆき子
  
  たつぷりとたゆたふ蚊帳の中たるみ  瀧井孝作
 

  湯上りや世界の夏の先走り  平賀源内   
  美しき緑はしれり夏料理  星野立子    
  麦の穂を描きて白き団扇かな  後藤夜半  
  稲づまや浪もてゆへる秋津しま  与謝蕪村
  うつくしや雲一つなき土用空  小林一茶  

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(江戸東京たてもの園&多治見の光景)

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(瀬戸焼きの生産の場や道具を展示している瀬戸蔵/瀬戸市)

夏生まれだからかもしれませんが、夏だけは、昔の夏が好きです。青空とプールだけの、あっけらかんとした夏が。
by orientlibrary | 2014-08-10 21:30 | 日本のいいもの・光景

春の中央アジア文化祭

あまりに長いご無沙汰、、すいません!!!セルジュークのタイルでテンション上がりつつ、なんだかんだと時間が経ち、もう青葉の季節になりました。いやもう、ほんとに冷汗です。今後は、ちょっとペースを上げていきたいと思います!さっそく、スタートします〜m(_ _)m。今回は、軽いトピックス。次回からタイル、行きます!

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<パキスタンフェスティバル>

まず、パキスタンのポップ(と書いていいのかな、ジャンルがわかりません)シンガー、COKE STUDIOのファンにはおなじみのZeb(Zebunnisa Bangash)さん、Arieb Azharさんがバンドとともに来日、「Pakistan Japan Friendship Festival」(上野公園、4月26、27日)にて、数ステージを披露しました。

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(Zebさんの伸びやかな明るいヴォーカル、Azharさんの物語を感じさせる深い声、素晴らしいフルートはミカール・ハサン・バンドのレギュラー・フルート奏者Ahsan Papuさんだそうです)

昨年の熱狂のカワーリとは、また性格が違いますが、パキスタンポップスの魅力、レベルの高さを垣間見ることができました。30分の屋外ステージだけでは残念。コンサート会場でしっかり聴きたいという声が多かったです。また、いい音楽を聴かせてもらって書くのもなんですが、、時間が押したりスケジュールがわかりにくかったり、イベント自体の告知が広まっていなかった気がする(当日朝知りました)今回のイベントの運営が残念と思ってしまいました。なかなかない機会ですし、ファンも多いのですから、、来年またよろしくお願いします!待ってます。


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「春の中央アジア文化祭2014 〜工芸と人とものがたり、中央アジアをめぐる旅を西早稲田で〜」(4月18〜20日)

「中央アジアに魅せられた仲間が集い、その文化、工芸、芸能を、来場者と分かち合う試み。会場は昭和の一軒家。コレクションアイテム、暮らしで用いられてきた布や道具、進行形でものづくりが進んでいるものまで、展示紹介。トーク、音楽ライブも」という趣旨と概要です。

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今回、活動や情報やコレクションをシェアする中央アジア熱中人は、「美しきアトラスの世界(東京農工大学ウズベキスタンプロジェクト)」「カザフ刺繍のお店・ケステ屋(北方アジア文化交流センターしゃがぁ)」「草原の赤い絨毯 トルクメン族(triBe)」「ものがたりの部屋(イラン絵本、サラーム・サラーム)」「ワークショップ「アトラスでつくる お月見うさぎ」(高橋ゆり)」「コンサート&トーク「トゥバ共和国の伝統音楽とホーメイ」(寺田亮平)」の皆さん。

3日間、中央アジアを愛する、関心を持つ、ご縁のある、年代や出身もさまざまな、たくさんの方々がご来場。なごやかでディープな時間と空間になりました。必要があれば「交流タイム」を作ろうと思っていましたが、そんな必要なし。各所で自然に熱い語りの輪が。

簡単ではありますが、写真で少々ご紹介(今回は写真をあまり撮っていなくて、、適当な写真がなく、、失礼します)。

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(会場は西早稲田学生街、レトロな建築が建ち並ぶ路地の中にある昭和の一軒家。趣き最高ですが、周囲のご迷惑にならないよう、その点は気を使いました/玄関ホール、受付にはお客様歓迎のタオルを持つウズじいちゃん人形、お客様が集まるシンボルであるティーポットが描かれたウズの絵付けタイル、ホールはウズのバランジャやスザニ、アトラスなどで飾りました)


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(ウズベキスタン部屋/プロジェクトの紹介および、色鮮やかなさまざまなアトラスの布とアトラス商品の展示販売/トーク「養蚕交流とアトラス」川端良子/日本でのコンテスト入賞作品を現地で製作、現在ウズでも人気商品になっている捻り香合、テディベアなどを展示紹介。常に女性が集まっているコーナーでした。トークはプロジェクトのこと、養蚕のことなど、専門的かつ具体的でわかりやすく、聞き入りました。プロジェクトでは、現在、ヒバのイチャンカラにアンテナショップを準備中!)


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(カザフ部屋/カザフ人が長きに渡り日常生活の中で用いてきた刺繍布や手織り紐の展示、刺繍実演/トーク「カザフ女性の手仕事 ーつくり、つたえる、母心ー」廣田千恵子/大きく色鮮やかな刺繍布で注目を集めたカザフコーナー。かぎ針を使う刺繍の実演ではドスドスッという大きな音が。大胆さが魅力!トークも現地で暮らした人ならではの臨場感と現地への愛情にあふれていました。廣田さんのこれからの展開が楽しみです!/台の掛け布に使っているウズのアンティークスザニ、、いいですね〜、、)


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(トルクメン部屋/村田清、田井みず、橘コレクションを中心に、道具として織られたトルクメン絨毯〜敷物、袋物、暖簾、テントベルト等〜を展示。絨緞織実演や解説も/トーク「優雅なる野生人」/濃く熱い空気が充満していた真っ赤なトルクメ部屋。ディープな絨緞ファン、織物ファンが集まり、歴史から織の構造やテクニックまで深い語り合い。素晴らしいです/乙姫語りをイメージした衣装を床の間に。森薫さん歓迎万全の構えでしたが来場叶わず、、忙しい方だから仕方ないです、、)


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(イラン絵本部屋/1960年代より絵本が多く作られるようになったイラン。作り手たちは、革命や戦争など時代の荒波に揉まれながらも、豊かな感性と確かな技術を武器に、絵本を作ってきました。革命前のものから新しいものまで、ふだん目にする機会の少ないイラン絵本の紹介。古更紗を使ったカードホルダー等の展示も/皆さん熱心に絵本や小さなかわいいものをごらんになっていました/朗読と演奏「ペルシャ語の物語を楽しもう」朗読:愛甲恵子(ペルシャ語絵本翻訳家)、ゲスト:蔡怜雄(トンバク、ダフ、ダイェレ奏者)/朗読会はペルシアらしい雅な雰囲気に包まれていました。&奥にある青い大壷=あのトルコのお壷様。まるで100年前からここにいるような風情で鎮座、さすがの貫禄)


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(2階では、縮緬のお顔とお耳に綸子とアトラスシルクを纏う「お月見うさぎ」づくり。アトラスを使い手作りした名古屋帯や数寄屋袋の展示紹介も/高橋さんの温かい雰囲気が和の空間と合って居心地良い!いろんな人が2階に集まってきて、日だまりのなかでのんびり。高橋さんは毎日異なる着物と帯の組み合わせで、とってもステキでした/プライバシーの観点から、了解を取った方以外、お顔のアップのある写真掲載をなるべく避けており、写真が限定されます。残念)


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(上段右:トゥバの伝統楽器、イギルやドシュプルールを用いてのトゥバの伝統的な歌と演奏。トゥバの基本的な情報や旅の記録などの紹介も。初めてトゥバ音楽に触れるかたも多かったようですが、心を揺さぶる音世界に会場が一体となっていました。&楽器好きが多く音楽談義も盛り上がってました/会場ではヒバの帽子が人気。被る人によって雰囲気が変わるのが面白い。来場者の中には中央アジア各国からの留学生、現在日本で働いている中央アジア出身者も。そして日本から中央アジアに留学するという学生やその経験者も訪れ、多彩でした)


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(受付=民家なので靴箱の台ですが鮮やかなアトラスを掛けて雰囲気を/イラン部屋に行く角には現代イラン作家の装飾タイル。イラン部屋は4畳半で和風な作りですがディスプレーの工夫が魅せました/中央アジア各地直送のお茶も販売。味の違いを入れると20種類くらいあり、スタッフも全部は飲みきれない。ウズ直送のドライフルーツやナッツも/チョイホナと名づけたカフェ空間でなごみます)


無事に終了して何より。いろんな人の笑顔に出会い、満たされました。ありがとうございました。


*** ブログ等でのご紹介 ***
中央アジア文化祭のこと その3:まさに「文化祭」でありました。(salamx2の雑談)
春の中央アジア文化祭初日(My Favorite Rugs and Kilims)


*** ラブコ〜〜〜ル ***
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(『乙嫁語り』の森薫さん「マンガ大賞2014」受賞!おめでとうございます。当初より「森薫さんを文化祭に呼ぼう」が内部スローガン。熱いラブコールをお送りしつつ(勝手に)お待ちしていましたが、、イメージを持てただけでも楽しかったです)


そんなわけで、トピック編終了。皆さん、大型連休、爽やかな青葉の季節を存分にお楽しみくださいね!
by orientlibrary | 2014-04-27 23:40 | 日々のこと

トルコ・タイル旅 街角編

アナトリアのセルジューク、コンヤのモザイクタイルとの出会いは鮮烈でした。

成田からイスタンブールへ、国内線に乗換えてコンヤ(セルジューク朝の首都だったアナトリアの都市)についたのは早朝。待合せのホテルで無事に、イスタンブール在住のタイル友、KRさんとKUさんの笑顔に会うことができてホッ。チェックインを済ませて、さあ、さっそく動きます!元気元気!

最初に訪れたマドラサ(カラタイ・マドラサ)、入った瞬間から圧倒され、数時間、皆無言。それぞれに、見る、撮る、浸る。他に来場者もなく、タイル好きには至福の時間です。その後、訪れたマドラサやモスクでも同様に、見る、撮る、浸る。

今回、ブルサとイスタンブールでもタイル三昧。写真はバシャバシャ撮りなので、また1500枚を超えています。でも、今回の見学先の数はそれほど多くない。つまり同じタイルを何度も何度も撮っています。中央アジアとはまた違うタイルの良さがありました。

そんなタイルについては回をあらため、まずは写真メインで軽〜い話題、雑談気分でごらんください。気候は、日本が寒い冬であるせいか、それほど寒さを感じず。内陸部のコンヤ、覚悟の防寒準備が、ダウンコートどころか機内用のヤッケでも暑いくらいのポカポカ陽気でした。

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(コンヤはイスラム神秘主義メヴレヴィー教団の聖地。宗教都市のイメージが強く、実際にそういう面も各所で感じましたが、高層ビルもあり目抜き通りは賑やか。各地からの観光客で賑わっています/上段右は、50年前にドイツに移民したトルコ人家族を描く映画『おじいちゃんの里帰り』の看板。各地にあり、関心の高さがうかがえた/下段のクルクルした植栽、さすがセマー(旋回)の都!木も合わせている!と感心していましたが、他の都市でも見かけた。こういうスタイルが流行っているのかも??)


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(トルコのタイルにチューリップとともに描かれることの多いヒアシンス。トルコの人たちの好きな花のようだ。春が待ち遠しい時期、アーモンドや木蓮の淡いピンクが、心をほっこりさせる)


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(コンヤで宿泊したHich Hotel Konya 。booking.comの評価が9.6〜9.8という高さ。それも納得の大満足の宿だった。メブラーナの向かい側という立地、安らげる適度な規模、古い建物や調度を再利用し今風な快適さと両立させた空間、細部までこだわったカジュアルなデザイン、ゴテゴテしていないおいしい朝食、なのにリーズナブルなお値段。歴史のあるホテルをリニューアル開業して1年。若いセンスだけでなく地元の伝統へのリスペクトが随所から伝わり感心した)


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(お約束のようなバザール編。どの国でも街でも、バザールは楽しい。こちらはイスタンブールの庶民のバザール。グランドバザールやエジプシャンバザールとはまた違い、観光客はほとんど来ないところ。ジモティKさんに連れて行ってもらった。日用品や日用衣料、生鮮食品がメインだが、グランドバザールはなんだったんだろうと思う価格帯。安い!こういうところで買物すれば、物価の高い印象のあるイスタンブールでも暮らしていけるかなと感じた。写真は閉場ちょっと前の場面なので静かだが、人であふれかえる活気がすごかった)


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(とくに何というわけではない写真だけど、トルコらしいなと思った。町中に野良ちゃんの大型犬がリースなしで歩き回っているのがすごい。狂犬病予防はしているらしいけど、ちょっとコワイ。日本はプチサイズのあくまでペットのワンコが多いので、大型犬にちょっと驚く。そして猫。トルコではなく「トネコ」かと思うくらい、猫が多いと思う。そういえばイスタンブールの猫のテレビ番組があったな。あまりに多すぎると憤慨している人もいたけど、基本的には受け入れられている感じ。気ままに街を闊歩する猫の多さが、土地の自由でのんびりした印象につながっているのかな)


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(こちらも町中エピソード集。柿がこの時期もツヤツヤして売られていた。傘がさしかけられた店頭。イスタンブールは毎日雨だったけど、それもまた良し。どんな気候でも絵になる街。すごい。海あり高台あり、美観に裏付けられた歴史遺産とそれらが織りなすスカイライン、財産。世界中から観光客がワサワサと訪れる。観光を打ち出す日本、見習う点が多いと思った/上段右:ブルサにて。こういう建物も多い。地震を考えたくない建物が非常に多いと思う/下段左:イスタンブールの骨董街にて。自由な感性が満ちて楽しい一角。この店は「ガラクタ度」が高く微妙すぎたが見るには楽しかった/下段右:今も恐ろしくなる、、肉や油物に弱いので後半だんだん食べるものがなくなってくるのが常。何かスイーツでもと思って入ったカフェ。ムースかプリンにしておけばよかったのに、、、みんなが食べている大きなケーキを食べてみたくて、写真のメニューを見て選んだのはフルーツ系ケーキ。が、来たのはこれ!上のビザンチンのモザイクみたいな小石状の一粒を口に入れると、、超激甘爆弾が炸裂!チョコに砂糖がコーティングされている。大量に乗っているばかりかスポンジの中まで!白いチョコ柵も激甘。早々撤退したが今見ても恐ろしい、、)


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(町中にタイル装飾が多い。伝統的な水場などだけでなく、駅の壁面の陶の装飾が目を引く。それぞれ工夫があり、楽しい。タシケントの地下鉄駅も素晴らしいタイル装飾が各駅を彩るが写真禁止。トルコは写真もOK。この自由さがうれしかった。ホントにその点がハッピーだった。トルコ旅、全体にとてもスムーズで快適だった)


最後のタイル写真の流れで、、町の中のタイル装飾、タイルで美しく飾った建物や民家、そういう場面は、なにもヨーロッパだけじゃない、というか、むしろ中東、中央アジア、マグレブなどの地域が圧倒的に「本場」です。が、「タイルのある街角」みたいな記事をたまに見ると、ほとんどヨーロッパ。理解に苦しむ。多彩でゆたかなタイル文化があるエリアを、なぜ取材紹介しないのかわからない。ヨーロッパの方が取材に行きやすいから??「産業タイル」ではヨーロッパが先進だから??それが理由??

テレビを見ると、中央アジアの大都市でも「秘境」になっている。秘境って、パミールの山岳地帯など非常に行きにくい場所を言うのかと思っていたが、今どきは、聞いたことがない、行ったことのない地域のことを秘境と言うようだ。

ブログを始めた9年ほど前とは状況も少しずつ変わり、タイルが好きという人にもけっこう出会うようになった。この点は、とてもうれしい。でも、「タイルをめぐる環境」みたいなものは、あまり変容していないと感じる。このちっぽけなブログ、微力でもやはり続けていくつもりです。

たぶんなら、次回からご紹介予定のセルジュークのモザイクタイルは、あまり反応がないと予想しています。華やかさに欠ける。印象が地味で重く、無骨といえるかもしれない。青のfacebookでも、12、13世紀頃のタイルはあまり人気がないのです。それでも、アップしちゃいます!自分がいいと思ったものを。タイルの歴史からみても、とても大切な時期のものを。中世の匠たちの手技と幾何学の凄みを。

後半、叫んでしまってますが、これからも楽しくやっていきます^^また遊びにお立ち寄りくださいね。
by orientlibrary | 2014-03-07 23:34 | トルコのタイルと陶器

<中央アジア人・3>トゥバ音楽演奏家・寺田亮平さん「トゥバと出会い人生がゆたかになった」

中央アジア人シリーズ、1回め=ウズベキスタンの絹織物アトラスのプロジェクトに取組む川端良子さん、2回め=カザフ遊牧民の刺繍布に魅せられた廣田千恵子さん、中央アジアの伝統的な手工芸に関わる、パワー全開のお二人をご紹介しました。

今回は音楽。ロシア連邦を構成する共和国の一つであるトゥバ共和国の伝統音楽演奏家である寺田亮平さんにお話を聞きました。「中央アジア出身の留学生」と言われても自然な感じの大陸系容貌&おおらかな人柄。トゥバ音楽への熱い思いあふれるインタビューは2時間半。「中央アジア人」の皆さん、のびのびとおおらかで、そしてホントに熱いです! (*今回も長文です。皆さん、よろしく☆*)

 写真は特記したもの以外は寺田さんに提供頂いたものです。ご協力に感謝します。

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<中央アジア人・3 >
大自然と遊牧文化が、育み織りなす、ゆたかな詩情と旋律
「トゥバの音楽の素晴らしさを知ってほしい」寺田亮平さん(トゥバ音楽演奏家)


■ ■ ■ トゥバで音楽修行 ■ ■ ■

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(地図はGoogle mapからクリップ/トゥバの切手は有名だそうです=写真はwikipediaから)

--- 寺田さんのライブや報告会に参加するたびに、トゥバ音楽への強い思いが伝わります。日本では情報が少なく触れる機会があまりないトゥバ共和国。トゥバの音楽と関わるようになったきっかけから教えてください。
1999年、山梨県白州町で開催されたアートフェスティバルに参加したのがきっかけです。ここで基本的な発声を習いました。まだ20歳くらい、大学生でした。喉歌というものは知っていましたし、喉歌独特の声や発声に興味があり、まねごとでやってみてもいましたが、ちゃんと発声を習ったのはこのときが最初です。独特の発声だけでなく、トゥバの音楽には、何かとても琴線に触れるものがありました。その後も、CDを聴いたりライブに行ったり、日本人の先生に習ったりしながら喉歌の練習を続けていました。「病気」になったのは2010年、初めて3ヶ月間トゥバに行ってからです。

--- 「病気になる」、熱中感、わかります。それまでは、どのような音楽生活を送っていましたか。元々音楽少年だったのですか。
音楽はずっと好きでした。子どものころから音楽オタク。家はCDやレコードで埋め尽くされていました。小学2、3年からラジオ番組をエアチェック。中学からバンドを始めました。高校時代は、地元の長崎でメタルやハードコアのようなバンドをやっていました。大学入学で長崎から上京。大学には音楽に詳しい人たちがたくさんいて刺激を受けました。2000年前後はクラブ音楽シーンに勢いがあり、僕もダンスミュージックに面白さを感じていました。野外パーティに行ったり、自分でイベントをオーガナイズすることも多かった。就職してからも、打ち込みでダンスミュージックを作ったりDJしたり。海外から12インチのレコードをリリースしたこともあるんです。音楽での収入はあまりなかったけど、けっこう本気でやっていました。そして並行して喉歌も続けてました。

--- ロック少年が大人になりダンス音楽も作っていた。そしてトゥバに行く。背中を押したものは何?
会社員しながらお金を貯めて、喉歌を通してずっと興味のあったトゥバに行きました。2010年の夏、会社を辞めて行った。30歳でした。音楽制作にちょっと疲れていて、最初は半分くらいバカンスのつもりでした。それから毎年、夏の3ヶ月間、トゥバ共和国の首都クズルに滞在し音楽修行する生活を続けています。

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(トゥバには美しい湖がたくさんある)


■ ■ ■ 神様みたいな人たちがそこにいることに感動 ■ ■ ■

--- 空港に降り立って最初の印象は?音楽の先生とはすぐに出会えましたか。
一年めはアバカンという街から車で5〜6時間かけてトゥバの首都クズルに降り立ちました。トゥバの空港は小さくて不安定なので、利用したことはありません。トゥバがどういうところか、行ってみるまで想像できませんでした。大草原なのかな、とか思っていた。クズルは小さいけれど街でした。最初は、CDの中で知っていた神様みたいな人たちがそこにいることに感動。その人たちに楽器や歌を教えてもらえることに感動。でも、コミュニケーションはけっこう大変でした。先生の携帯の番号を聞き出して、謝礼金の交渉もして。習えない人もいるし、恐れ多くて頼めない人もいる。正直、苦労しました。いろんな人に助けてもらいました。

--- コミュニケーションは現地の言葉でおこなうのですか。
行く前にトゥバ語を1年くらい勉強しました。現地に行った人にレッスンを受けたり、教材をアメリカから取り寄せて勉強したり。それでも、一年めはほとんど歯が立たなかった。英語がほぼ通じないことも知りませんでした。向うでは買物は対面式が多くて、欲しいものを言う。でも「オレンジジュースください」さえ通じなかった。もう必死です。トゥバでも毎日夜まで勉強。最初のトゥバ行きからの帰国後は、当時は時間があったこともあり、毎日10時間くらいロシア語とトゥバ語を勉強しました。それから今に至るまで、あいている時間があれば語学の勉強をしています。

--- 音楽修行はどのような感じでおこなうのですか。修行に来ている外国人は他にもいるの?
トゥバの伝統楽器・イギルとドシュプール、そして喉歌を習っています。ショールという笛とブザンチュという弦楽器も少し。基本的に先生と対面し、先生が楽器を弾いて、自分がそれを真似する。先生の歌を聴いて、自分が真似する。一回2時間ほどですが、集中力がもうパンパン。歌詞の意味がわからないときは、書いてもらって、クズルの図書館に行って辞書で調べる。歌詞は古い言葉が多いし、地名とか人名も多く、辞書に載っていない単語もたくさんありますから、また先生に聞く。現地に習いに来る外国人はけっこういますよ。アメリカ人がいちばん多く、フィンランド、ドイツ、ノルウエー、スペイン、日本人もいるし、世界中から来ています。トゥバの音楽は欧米では知名度が高いのです。

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(トゥバの女性たち)


■ ■ ■ 遊牧生活に根ざした豊穣な音楽世界 ■ ■ ■

--- トゥバの音楽について基礎的なことを教えてください。
トゥバの音楽世界は多様です。なかでも喉歌ホーメイ(フーメイ)が有名。元々はソロパフォーマンスが主体でしたが、1980年代以降は舞台化が進み、多くのアンサンブルが生まれました。伝統的な民族楽器としては、擦弦楽器の「イギル」と撥弦楽器「ドシュプール」などが知られています。口琴も盛んです。

--- イギルの音を聴き、喉歌を聴いていると、草原の風、空、空気を感じます。そして馬が駆け抜けていく。なんとも雄大で骨太で颯爽とした印象を受けます。遊牧文化の影響は大きいのでしょうか。
遊牧文化と音楽は密接だと思います。遊牧民の土地は基本的に農業に適していない。遊牧民は麦くらいは作ってきましたが、土の表皮が薄いため耕すと土地が消耗してしまう。現在トゥバでは農業も行っていますが、近年ロシア人が伝えたものです。それに比して、トゥバの遊牧形態は多様です。気候風土が変化に富んでいるので、北のトナカイ遊牧から南のラクダ遊牧まで、家畜の種類が多いのが特徴です。変化に富む気候風土、遊牧生活の歴史は、音楽に影響を与えていると思います。小さな共和国で、あれだけ豊穣な音楽世界がある土地はそんなにないと思います。推測ですが、トゥバは山脈に囲まれた盆地で不便な地ではあったが、盆地の中は遊牧には適していた。そこに遊牧民族が入れかわり立ち代わり入ってきた。ある種閉ざされた地域の中に遊牧文化が濃厚に残り、音楽にも影響を与えたのではないでしょうか。

--- 気候風土や地形とも関わっているのですね。今でも遊牧に携わる人が多いのですか。遊牧とはトゥバの人たちにとってどのような存在なのでしょう。
現在は街に定住している人が多いですが、田舎で親戚が遊牧していたりする。週末や夏休みに田舎に行って仕事を手伝ったりしています。彼らには「自分は遊牧民である」という誇りがある。それはとても大きなことだと感じます。地方に住むホーメイジ(喉歌歌手)は「街に住んでる奴にホーメイはできない」と、しばしば言います。彼らの歌にトゥバの様々な文化が凝縮されているからだと思います。遊牧生活のことは歌の中にも入っています。例えば、国境ができたことで故郷に帰れなくなった人の歌があるけれど、歴史を理解していないと歌の意味がわからない。たくさんの地名が出てくるので、地理を知らなくてはらない。しかも古い言葉が多い。だから、勉強せざるを得ない。彼らの歌を理解するためには、彼らの民族文化や歴史を勉強し理解することが、とても重要だと思います。


■ ■ ■ 喉歌は心。トゥバを学び歌詞を大事にしたい ■ ■ ■

--- 喉歌というと発声法が注目されがちですが、歌はトゥバの歴史や文化を語るものなのですね。
当初、喉歌の発声の面白さに関心はありました。が、僕は歌に、より関心があった。喉歌はたしかにファーストインパクトとしてはすごいものがあります。トゥバの音楽世界ではもちろん重要な要素です。でも、やはり大切なのは歌だろうと思っていました。トゥバの歌詞世界、歌の内容をちゃんと理解しないといけない。彼らの精神世界の中に喉歌があるわけだから。行く前からそう思っていた。だからホーメイジたちに歌を教えてくれと頼んだ。テクニックも、もちろん重要なことだし、彼らの音楽の特徴でもあるのですが、大事なのは「心」じゃないですか。歌は彼らの気持ちを表現している。複雑な感情や文脈があって、それを表現している。だから自分のライブでは、トゥバの歌を日本語に訳してプリントアウトしてお客さんに渡す。それがないと伝わらないだろうなと思うから。

--- 遊牧の心を歌う伝統的なトゥバ音楽。現代の社会では海外からの情報もどんどん入ってきます。変化が見られますか。
外の世界の情報や影響は大きいと思います。すごく動いている。ポップスやロックも人気があり、トゥバ語のラップもあります。伝統音楽はソロからアンサンブルへ。フンフルトゥなど世界的なグループが活躍し、アラッシュなど若手グループは毎年アメリカツアーをしています。向うのミュージシャンと共演して、どんどん吸収している。外界の影響をあまり受けずに熟成されてきたものが変化していて、それが面白いともいえる。ただ、昔の音源を聴くと、本当にすごいんですよ。平均律とかじゃない。自分の先生は楽譜を読めない最後の世代ですが、僕はそこが面白いと思っている。謎なんですよね。先生の演奏を見ていると。なんでそんな動きするの?と思う。西洋音楽のロジックからいうとわけがわからない謎の動き。若い世代の楽譜を読めるミュージシャンのほうが、演奏がかっちりしている印象です。トゥバ語がもっとうまくなったら地方に調査に行きたい。失われかけている伝統的な歌を聴いてまわりたいと思っています。

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(トゥバの秘境 トジュ地方のタイガ)


■ ■ ■ おすすめ!トゥバ音楽 ■ ■ ■

--- トゥバ音楽で、まずはこの人(グループ)を聴いて欲しいというおすすめミュージシャンを教えてください。
やはり、フンフルトゥ(Huun- Huur-Tu)チルギルチン(Chirgilchin)、アラッシュ(Alash)あたりですね。もちろん他にもたくさんのおすすめはありますが。フンフルトゥはロックの影響を受けていると思います。その前の世代の歌とは結構違います。それでもトゥバの音楽の基礎と言えるものが詰まっています。

寺田さんおすすめはこちら!
huun-huur-tu




Chirgilchin




Alash




--- この一曲は絶対聴いて欲しい!というトゥバの歌をあげるとしたら何ですか。
「チュラー・ホール」でしょうか。自分の友人のような馬、チュラー・ホールとの思い出を歌った曲。曲自体も美しいけれど、歌詞が本当に好き。トゥバの若手ミュージシャンと一緒に酒を飲むと、多くの人がこの歌をうたう。若者に影響を与えた、切ない曲。淋しさとか人生の喜びとかが凝縮されていて、本当にいい歌です。翻訳してみて泣きました。「ある男が風に吹かれながら馬と一緒に旅し、ある土地で暮らし始めた。その美しい土地で相棒のチュラー・ホールと競馬に勝ち、美しい恋人から隠れて泣いた」。自分がトゥバに行ってトゥバの文化を理解することによって、その感動が初めてわかりました。トゥバの心、いつか自分も歌えるようになりたい。

Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor





■ ■ ■ テレビも捨てた、デジタル音は要らなくなった ■ ■ ■

--- トゥバの心を理解し、自分の音楽として歌いたい。本当にトゥバから学んだものが多いのですね。
トゥバで、いろんなことをすごく考えさせられた。本当に勉強しなければいけないと思った。知的な刺激を強く受けました。だから余計なことをするヒマがなくなりました。トゥバから帰って来て、テレビとか全部捨てて、DJみたいなレコードも聴かなくなった。そして、勉強すればするほど、どんどん面白くなった。いろんな人に会いに行って、研究者などの知り合いも増えた。本当はもっと勉強したい。もっと書かなきゃいけないしライブもしなきゃいけない。日本ではトゥバの情報がほとんどないから、とりあえず地道に継続してやっていこうと思っています。納得できることを一つずつ積み上げて、理解してくれる人を増やしたい。

--- 全部要らなくなった、それってすごい。出会っちゃったんですね。
音楽オタクだった自分が、今では全然音楽を聴かなくなった。毎日練習している自分の演奏で満たされるんです。聴く音楽もガラッと変わった。デジタル音が要らなくなりました。今から考えると、以前の自分は音楽を消費していたんだなと思います。毎週、渋谷のレコード店に新譜チェックに行き、ホクホク顔で何枚か買って家に帰って針を落とす、それが楽しかった。膨大な音楽を浴びるように聴いていた。けれど、もうトゥバ音楽だけでいい。自分と音楽の関わり方自体が完全に変わったし、人間と音楽のあり方というものを考えさせられることになった。トゥバに行ってから人生観が変わりました。

--- 出会った年齢もあったのかも?
自分が行った時は30歳すぎていた。20代前半くらいで行っていても、あの面白さに気づけなかったと思う。社会に出て働いて、本読んだり社会事象とか自分なりに考えたり経験したりたからこそ、いろんなことが見えた。それで自分の中で好きだったものが引き出された。トゥバには自分の好きなものが全部あったんです。

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(トゥバのシャマン)


■ ■ ■ トゥバが自分の人生をゆたかにしてくれた ■ ■ ■

--- それにしても2010年からの熱中がすごい。今後どうなっていくのか、とても楽しみです。
ここ4年くらいですよ。今はまだ基礎をやっていると思っています。これからです。音楽家としてやりたいこともあるし、書かなきゃいけないし。熱中から、だんだん落ち着いてくる。たしかに今までの多くの情報がいらなくなるんだけど、今まで好きだったものと今の自分とだんだん混ざってきている感じです。それを少しずつ形にしていきたい。今は自分で考えた事をちょっとずつ達成している感じで、毎日が面白いですね。

--- トゥバに出会って、自分自身でいちばん変わったと思うのはどんなところですか。
ネガティブなところが、あまりなくなった。面白くなった、人生が。自分の人生がゆたかになりました。トゥバの人たちにいろいろなことを教えてもらった。トゥバやトゥバの人たちが、自分の人生をすごくゆたかにしてくれた。だから恩返しがしたいんです。「中央アジアの音楽」などのイベントもそういう気持ちでやっています。返さなきゃいけない。ただもらっているだけじゃダメなんですよ。そういう役割があると思っています。

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(2013年トゥバ共和国滞在報告&ミニライブより)


■ ■ ■ 「中央アジアの音楽2」、2月16日開催 ■ ■ ■

--- 寺田さんの企画で実現した昨年1月開催の「中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」、とても盛り上がりましたね。出演者の演奏の素晴らしさはもちろんのこと、雰囲気がとても暖かかった。良いイベントでした。
「テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」は、盛り上がりがすごくて、予約申込みを何十人もお断りしなくてはならないほどでした。“チュルクでまとめたコンサート”は珍しく、インパクトがあった。けっこう成功したと思うし、あのようなコンサートの必要性を感じました。これまで中央アジアの音楽に触れる機会がなかっただけで需要はあった。留学生などからは「またやってくれ」という声が多かった。そして自分が心から信頼しているとあるチュルクの人から、「あなたにあの仕事を続けて欲しい」と言われた。現地の人からそう言われて感無量です。音楽を通して文化を知ってもらおう、民族文化そのものを愛してもらいたい、という気持ちが通じたと思います。また、カリマンさん(クルグス)やイナーラさん(カザフ)など、素晴らしいミュージシャンを紹介できたことがうれしい。

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(中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー。チラシも。写真の右3枚はorientlibrary)

--- 来る2月16日には「中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージック」が開催されますね。2回めとなる「中央アジアの音楽」について、また今後のイベント企画について教えてください。
今回は、アフガニスタンの伝統音楽を演奏する「ちゃるぱーさ」をゲストに迎えます。テュルク遊牧世界のクルグズ(ウメトバエワ・カリマン)、トゥバの音楽(寺田)、そしてシルクロードの十字路、アフガニスタンの音楽をお楽しみください。今後、イベントのテーマとしては、シベリア、北方(北方民族)にも広げていきたいと考えています。情報がないところ、例えば、サハ、ハカス、チュクチ、エウェンキ、ナナイなど。現地の音楽フェスで彼らを見ていて、面白いと思っているんですよ。アイヌの人とのコンサートも企画中です。日本での活動にも意義を見いだしています。

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(中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージックのチラシ。2月16日です!/写真上段右:トゥバのフェスティバル、ウストゥー・フレーにて子供たちと/下段左:カルムイク共和国のシャラエフ ディーマ アラッシュのメンバーと/下段右:ミュージシャンたちとトゥバ相撲フレッシュで鷲の舞を踊る)


■ ■ ■ トゥバの人たちに恩返しがしたい ■ ■ ■

--- トゥバに旅したい、滞在したいという人も増えそうです。注意点、アドバイスはありますか。
興味を持つ人は増えて欲しい。でも正直に言って、バックパックでも旅行でも、簡単に行ける場所とは言いづらいのも事実。一人で行く場合、やはりある程度のロシア語をやった方がいいでしょう。残念なことですが、日本ほど治安がいいわけでもないので。たしかに一人旅をする人もいるけれど、ちゃんと準備をしてきています。日本トゥバホーメイ協会が毎年ツアーを企画していますし、最近は少し高いけれど一般的な観光ツアーも出てきています。そういうところを利用するのも方法だと思います。

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(上段左:2013年国際ホーメイシンポジウム ソロ部門にて名人芸賞受賞/下段左:山頂や峠のような高所に建てられるオバーにて/下段右:フェスティバル ウストゥーフレーにて、チベット仏教の音楽隊の行進)

--- トゥバ音楽を好きになった日本人として、今後への思いを教えてください。
トゥバと日本との間にある関連性に興味を持ちます。トゥバで「お前、地元の歌を歌え」とかよく言われるんですが、「日本人の歌」をパッと歌える人は少ないのでは。彼らが自分たちの歌として、音楽の表現しているのを見ると羨ましいと思うし、日本人は何かをなくしたと考えざるを得ない。彼らとは、人と音楽との関係性が全然違う。だけど、共通する部分も多いんです。僕は日本人だけど、彼らの音楽を聴くとすごく懐かしいと思ったりする。その間にあるものをよく考えていきたい。今後やって行きたい事は、これからも現地に通いながら彼らの音楽と向き合い、その上で自分のスタイル、自分の音楽を作っていくこと。そして先々、トゥバの友人たちや先生に、「お前は、俺たちの音楽を勉強して、俺たちの文化を深く理解して、その上でお前の音楽を作ったね」と認めてもらいたい。考えていることはいろいろあり、今後少しずつ形にしていくつもりです。僕はトゥバ人になれるわけじゃないんです。トゥバの音楽を愛した一人の日本人の音楽家として、自分の音楽を作っていきたいと思っています。

*本文中でも何度かリンクしていますが、寺田さんのブログはこちらです=「トゥバ日記」

取材場所は吉祥寺の「Cafe RUSSIA」、満員でお店自体が熱気。その中でさらに熱く思いを語る語る寺田さん。トゥバの音楽を紹介してくれてありがとう!自らの演奏活動はもちろん、多様な音楽を伝えてください。中央アジアを盛り上げていきましょう☆
by orientlibrary | 2014-02-08 18:31 | 中央アジア人

中央アジア人2・かれらの眼に近づきたい。カザフ装飾文化を調査し発信する廣田千恵子さん

帰国の荷物が70キロと聞き、170㎝くらいのたくましい女性を想像していました。待合せ場所にふわりと現れた廣田さんは小柄でやさしい雰囲気。一方で、その眼差しや、揺れる水色のビーズのイアリングから、草原の風を感じます。人が惹かれて向かう地は、やはりその人に合っているなあと、いつも思います。今回は長文です。カザフ人の暮らし、装飾文化、現地での調査について、若き中央アジア人の思いをお聞きしました。(今回の写真はすべて廣田千恵子さんからお借りしたものです。多謝。*最後のコラージュはorientlibrary)

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<中央アジア人・2 >
「カザフの人たちのこころを知りたい。かれらの眼に近づきたい。その思いで突っ走る」
廣田千恵子さん(千葉大学大学院/カザフの装飾文化をフィールドワーク&発信)



■ ■ ■ いちまいの布を、ただただずっと見ていた ■ ■ ■

--- 装飾文化に興味を持ち始めたのは、いつ頃からですか。カザフの装飾文化をフィールドワークするようになったきっかけを教えてください。
手芸は苦手だったのですが憧れはありました。織や刺繍も詳しくなかったけれど、いつかやってみたいと思っていました。きっかけは2009年。東京外国語大学モンゴル語専攻時に、一年間モンゴル国立大学に語学留学したときの経験です。雪害の年ですごく寒かった。部屋の壁に氷が張るくらいでした。それで外気を塞ぐために窓に布を貼ったんです。バヤンウルギー(カザフ人が居住するモンゴル西部の県)で買った大きな刺繍布でした。それを毎日なんとなく見ていた。これ手で作ったんだよあ、時間がかかってる、すごいなあ。きれいなものはパッと見たときにきれいと思いますよね。でも、使いながら見ていると、また違ったものが見えてくるんです。響くものがあった。惹き付けられるように、ずっと見ていました。そして一針一針の縫い目を手で触ったときに、本当にきれいだと思った。これだ!これを調べたい、と思うようになりました。

--- バヤンウルギーの刺繍布、強い磁力があったのですね。どのような布なのですか。
トゥス・キーズと呼ばれる布です。布にびっしりと刺繍が施されています。家(天幕=カザフでは“ウイ”と言う)の中で、装飾品として、また防寒対策や砂よけのために使われます。でも、どのような意味を持つものか、またなぜ埋め尽くすほどに全面に刺繍を施すのか、全然知らなかった。あれだけの大きいものをよく縫えるなあ、と思っていました。

--- 布のことを調べたいと思い、どのようなアクションをおこしたのですか。
2009 年の留学はモンゴル語習得のために1年間費やしました。2010年の春、もっとカザフの文化を知りたいと思い、当時ウランバートルにあったカザフ文化センターで話を聞くと同時に、そこでカザフ語の勉強を始めました。大学4年生の秋に帰国。急いで大学院(千葉大学)を受験し、2011年に入学。カザフの装飾品を研究したいという思いから、文化人類学を専攻。2012年から再度モンゴル国立大学に留学し、バヤンウルギー県でのフィールドワークをスタートしました。布を美しいと思って感動し、大学院進学と再留学。ただきれいだなと思っただけで突っ込んでいきました。これは何?知りたいという思いだけで。

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■ ■ ■ どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう ■ ■ ■

--- 知りたいという、そこまでの強い思いの根源は何だったのでしょう。
人のこころ、でしょうか。どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう、という好奇心。家族のことをいろいろ考えて、思って縫うのだろうなあ。そういう心の部分、カザフ人ってどんな人だろうというのが知りたかった。

--- 熱い思いに感心します。20代前半にくっきりしたテーマを見つけて走っているのですから、すごい。モンゴル語を専攻した時点で、遊牧文化やアジアの文化に興味が強かったのですか。
何にも知らない、ちゃらんぽらんな学生でした。カザフ装飾に出会う前は、モンゴル語を知れば就職に有利かな、商社とかキラキラした企業で働いてお給料をもらえればいいや、くらいに考えていました。でも、ある出会いがあったのです。西村幹也さん(NPO法人北方アジア文化センターしゃがあ理事長)に会って人生が180度変わりました。西村さんの影響が大きい。西村さんは、「彼らが見ている眼と自分の眼とは違う。見ている世界が違う。彼らが見ている眼に近づきたい。彼らの眼になりたい」と言い、そのスタンスで遊牧文化を伝える活動を続けています。そうだ、私が見ている刺繍布と彼らが見ている刺繍布とは違う。彼らの眼に近づくためにはもっと知らなくてはいけないと考え、大学院進学を決めたのです。単純にきれいと感動したことも一因ですが、彼らの眼を持ちたいと思ったのがきっかけです。彼らの眼に近づきたいのです。

--- 「眼に近づく」、なるほど、遊牧文化に関わる活動を長くなさっている方ならではの言葉、視線ですね。
西村さんは、人生の先生です。加えて、留学中に日本人の学芸員に出会い、学芸員の仕事に興味を持つようになりました。いつか学芸員として仕事をするためにも研究テーマを見つけたいと思っていたときに刺繍布を見た。これを深めたい。普通に就職してお金を稼げればと思っていたのに、いまは「お金?どうでもいい」になっちゃった。すごい縁だと思います。

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■ ■ ■ 家族と同じ暮らし。天幕で起き20キロの牛糞を集める ■ ■ ■

--- 現地のことを教えてください。まず、モンゴルのカザフ人について。どのくらいの数の人たちがどのあたりに居住し、どのように暮らしているのですか。モンゴルに対しての意識は?
モンゴルには約14万人のカザフ人が、ウランバートル市などに居住(2007年現在)。私がフィールドワークに入っている西部のバヤンウルギー県には、およそ9.3万人が暮らしています。生業は季節移動型の牧畜が主です。メインは羊と山羊。山羊はカシミアが採れるので増えています。また、一部牧民は鷹の観光で収入を得ています。カザフの鷹の羽は質が良く、日本の弓道の矢にも使われているんですよ。かれらは「自分たちはカザフ人であり、バヤンウルギーはホームランドである」と思っています。モンゴル人に対してネガティブな感情はなく、同じ遊牧民だし土地を与えてくれたし、平和に暮らしてこれたのは彼らのおかげと言っています。

--- フィールドワークの生活はどのようなものでしたか。天幕で家族と暮らすのですよね。
元牧民で今は街の病院でお仕事をなさっているクグルシンさんという人の家で2年弱、住み込み調査をおこないました。クグルシンさんのお宅は県央であるウルギー市内にあります。また、毎月1週間ほど、ウルギー市から30kmほど離れたサグサイ郡のブテオというところに住む牧民・マナさんの家に泊まりにいっていました。クグルシンさんのところでも、マナさんのところでも、夏期はウイ(カザフの天幕)で、冬期は木造平屋の固定家屋で、家族と同じように暮らしました。ウイは広くて高くて快適。たくさんの装飾品で飾られています。田舎では、朝は起きてから家畜を放牧に出す仕事や糞掃除をします。春から秋は、燃料用の牛の糞を集めますが、これが重労働。20キロもの糞を袋に詰めて帰るので腰にくる。バヤンウルギーのほとんどが標高1600メートル、最も高いところは4300メートルに及びます。私が調査した場所も1700〜2700メートルと高かった。高地のせいか、疲れ方が違う。最初の3ヶ月で12キロ痩せました。でも病気ではなかった。食事の違いが大きいと思います。現地は朝昼とも揚げパンとお茶、夜は肉だけ。米をあまり食べないので痩せてしまいました。2年目には一時期体調を崩しました。数ヶ月間、39度、40度の高熱が突然出て、家の人に心配をかけました。たぶん疲労だったんだと思います。お風呂は1週間に1回くらい、少量のお湯を使う程度。これはきつかった。痒くて体を掻く。それが今、傷跡になっているんですよ。

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--- 調査はどのようにかたちで進みましたか。自分でも刺繍や織をおこなうのですか。
留学の調査テーマは「カザフの装飾品の社会的経済的利用の変遷について」です。社会主義時代には手作りの装飾品を販売することはなかったのに、資本主義経済になり観光地化していくなかで、大事な装飾品を売るようになった。そのことが彼らの経済に影響を与えています。その詳細を調べたい。日常生活のなかで装飾品がどのように使われているかも調べたい。そうして見て歩いているうちに、自分でも作りたいと思うようになり、2年目から作り始めました。作られたものは細密だけれど、手芸手法は凝ってはいないので、意外と簡単。反復練習を重ねていくうちに、できるようになりました。並行して元々牧畜文化に興味があったので、春営地、夏営地、秋冬のデータを取ることもおこなっています。

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■ ■ ■ 市販の糸を自分の手でさらに撚る ■ ■ ■

--- 装飾品の自宅利用と販売の比率はどのくらい?また手作りする人は今でも多いのですか。動向を教えてください。
装飾品は自宅利用がほとんどです。販売は本当に一部。でも自宅利用すら少なくなってきています。装飾手芸文化がなくなるのではないかと危惧しています。材料の糸などは、社会主義時代にはソ連からの支援物資をバザールで買っていました。ところが1980年代、突然物資が入ってこなくなった、あるいは値段が高くなったときがあったそうです。カザフの布製品はたくさんの糸を使うので大変です。40代〜60代くらいの女性がその頃のことを話してくれるのですが、持っている服を裂いて糸にして、その糸を撚ってから使ったそうです。そこまでして作らなきゃいけないの?と聞くと、あの頃は時間があった、と。以前は給料をもらえていた、やることやっていれば時間もあり、生活に少し余裕があったのだそうです。想像ですが、手芸ブームみたいなものもあったのではないかと思います。

--- 服から糸を作るのですか。そこまでして装飾品を作ってきたんですね。
70年代80年代に作られた装飾品が圧倒的に多いんですよ。70年代まではロシア製の細い糸、元々撚ってある糸をそのまま使っていた。80年代には生地を裂いて作った糸を自分たちで撚る。糸が太くなり糸の質が良くなりました。自分たちで撚った糸、労力を費やした糸で作るので、女性たち自身も質の良さを自覚しています。90年代、がらっと変わって中国製の糸になる。これが質が悪い。細くて毛羽だって、すぐに切れてしまう。けれども、それを使わざるをえないので、自分たちで撚るんです。三重くらいに撚って撚って、ものすごい時間かかっている。貴重で丈夫なドイツ製の糸でも撚っています。自分の手で作るからには、質のいいもの作りたいというプライドがある。きれいということだけではない、日々使うものなので実用性、丈夫であることは重要。その人たちの眼になると、そうかなと思う。あるもので手をかける。安い糸を買っても手をかければ美しくなる。ものづくりしている人たちのこだわりですね。時間をかけるのがすごいなあ。時間感覚が違う。

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--- 手に入るもので時間と手間をかける、手仕事の基本なのかもしれませんね。若い世代も手芸が好きなのですか。
人によりけりですね。勉強したい、海外留学したいという人は手芸には行かない。最近ではパソコンや携帯電話で遊んだりする方が面白いと感じる子も多い。人気アイドルのクリップをみて踊ったり。一方、手芸全般ができるとある30代後半の女性は、「おばあちゃんに手芸はやっておきなさい、嫁に行くとき利益になるよ」と言われたそうです。こだわりを持って手芸をしていると、上手な人がいるという噂が広がり、みんなが頼むようになる。あるときは、作ってあげた布のお礼に羊2頭をもらい換金、大きな利益を得たそうです。こういうタイプの人は、常に刺繍しています。また、子供が多い家庭のほうが装飾品を作ります。子どもの数は9人、10人くらい。18人という人も。子供が多いと、子どもが家事や兄弟の世話を担うので、親は自分の時間を作ることができる。装飾品を作る環境作りになります。子育てにお金のかかる日本や欧米とは逆の発想ですね。

--- カザフの装飾品は、いつ頃に生まれ、どのように発展してきたのですか。
カザフの手工芸の歴史については、資料が少なく探している最中です。その歴史について、はっきりしたことは今の私にはまだ言えません。模様については、伝統的に受け継がれてきたと言われるものもあれば、一部は近隣地域の手芸品やバザールにある既製品などを見て取り入れていったのではないかと想像します。いまは安いキリムが入ってきているので、それを買って使う人もいます。モンゴル人は絨毯を壁に貼るけれど、カザフ人は貼らない。というのも、主柱がないウイの構造上、重いものは負担になるからです。でも何かつけないと美しくない。だから布になったのではないかと思います。布になる前は、フェルトなど別の素材を使っていたのではないかと。ちなみに、刺繍布の下の部分は完結してしまうから(不完全な部分を残す)ということで縫いません。

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■ ■ ■ 赤を使わない人はいない。満たすように縫う ■ ■ ■

--- 布は、赤やオレンジなど、とにかく色合いが派手ですね。
色や模様については、モンゴルはシンプルでシック。カザフは多彩で華やか。カザフ人のセンスで、派手なものが美しいと思ったのだと思います。色の組み合わせは子供のときに親が教えてくれるそうです。地味めの人もいるんですよ。でも、赤を使わない人はいない。たぶん自分の作っているものが派手だと思っていないと思います。美しい、きれいという言葉はよく使いますが、派手という表現は使わない。派手とか地味とは異なる概念があるのだと思います。私自身もシンプル好みだったのに、現地に行ってから派手なのがいいなと思うようになりました。自然環境が大きいと思います。山合いの地で色彩がまわりにない。そんななかでは、赤などの明るい色を求めるのではないでしょうか。また、自分で刺繍をやってみてわかったのですが、色選びは意外に難しい。大きな布のため全体が見えず、頭の中でイメージしにくい。でも、カザフの女性は頭の中で見えているんです。すごい才能だと思う。

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--- 模様は大胆で、ぎっしりと埋め尽くすように縫い込まれています。
よく見かける丸の模様ひとつとっても、作り手はかたちにもこだわっています。規則性がある。余白や間のような日本の美的感覚とは違うようです。余白があるのは美しくないのかもしれない。満たす、という感じでしょうか。カザフの女性たちは手工芸を楽しんでいる。楽しまなきゃ、あのびっしりした手仕事はやりきれないでしょう。使う家族や相手を思って作っていくし、自分も楽しんで作る。だから心に響くものになる。販売目的だったらたぶん作れないんじゃないかな、あれだけのものは。

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--- 民族衣装はどのようなものですか。日常に着ていますか。
民族衣装は男女とも、ふだん着ている人はあまり見ません。祭りなどの行事には大勢の人が着ているのを見ます。模様の刺繍のある長いコート、装飾のある凝ったベルトなどです。男性の帽子、女性のスカーフは、普段からよく着用しています。女性が髪を見せるのはよくないようです。元々の習慣でもありイスラム的なこともあるようです。現実的には頭が汚れているのを隠したり、冬は防寒にも役立ちます。私も向こうでは、バザールでいろいろ買って毎日かぶっていました。

--- 宗教が暮らしに根づいているのですか。イスラム?チベット仏教?また中国の影響はどうですか。
イスラム教のスンニ派ですが、それほど厳格ではありません。また、チベット仏教でもありません。中国の影響はないと思います。中国化は避けているように思います。でも、中国のミシンや糸、織物が入ってきているなど、現実的な関わりはありますね。


■ ■ ■ アウトプットは大事。勢いをつけていきます ■ ■ ■ 

--- 現在は一時帰国中。また現地に戻るそうですね。今後、どのようなかたちで活動をしていかれるのでしょう。とても興味があります。
冬に一時現地に行き、春からはしばらく日本で活動します。現地で集めた手工芸品を紹介する展示会をしていきたい。それが大切なものを売ってくれた人たちへの恩返しにもなるかなと思います。試行錯誤ですが、布の展示に際しては、作り手のこと、布の背景を伝えたい。作り手の人となり、暮らしや歴史について語っていきたい。その上で、その人に何か作って欲しいという人がいたらオーダーを取るなどして、少しずつ広がっていけばいいなと思います。将来は招聘事業もしていきたい。作者と生で交流してもらうと、また違うでしょう。逆にツアーで向うに行き、触れ合ってもらうのもいいなと思っています。

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--- ビジョンとともに、具体的な活動のプランがありますね。アウトプットを強く意識されている印象です。
手探りなんです。でも、夢ややりたいことって口にしていくほうがいいと思う。言っていくことで、広がっていけばいいなと思います。アウトプットはすごく大事だと思う。「カザフ情報局 ケステ」というホームページを作り発信しているのも、とにかくカザフに触れて欲しいから。まず興味を持って欲しい。学校などで教えることも考えましたが、論文やペーパーだけを残してなんになるんだ、という気持ちが強い。日本ではカザフについての情報が少ないんです。モンゴルはいろいろあるのですが。カザフにも、こんなすごいのがあるよ!と発信していく方が盛り上がるかなと思って。そんな気持ちで、この一年は勢いをつけていこうかと思っています。

* 廣田さんが管理人をつとめる「カザフ情報局 ケステ」。カザフの人、暮らし、装飾文化について、豊富な写真とともにイキイキと紹介。

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もう何もつけ加えることはないのですが、丸の模様や他の地域からの影響の話も出ていたので、自分の写真を見ながら考えてみました。文様構成は中央アジアの好みがベースにあるような気がします。

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(上段左から:ウズベキスタンのフェルガナ(タジク寄り)のスザニ/同マルギランのスザニ/ブハラのアンティーク・スザニ3点。色の組合せやデザイン=オアシス的と感じる/リシタン陶器=大皿の模様。青と緑で花円を多数描く/ご存知トルクメニスタン、テケ族の赤い絨緞。強烈なギュル。遊牧民の強さと、突き抜けた手技の洗練がある/パキスタンのミラーワーク。円の模様は各地にある/雲南の民族衣装。印象だが、高地に行けば行くほど手仕事の濃密度が高まるような気がする。とてつもない凝縮に圧倒される。一種のトランス!?)


廣田さん、ありがとうございました。とても楽しい取材でした。WEBサイト、レクチャー、展示会、ツアー、招聘事業、どんどんアウトプットする、興味を持つ人が増える、きっと動きが生まれるはず!、、その意気と粋がいいな。触発されます。どんどん発信していってくださいね。そして、中央アジア、盛り上げていきましょう!
by orientlibrary | 2013-12-25 19:48 | 中央アジア人

真珠の世界史、東方見聞録、カロタセグ

真珠を旅する

e0063212_025377.jpg真珠の世界史 〜富と野望の五千年〜』(山田篤美著/中公新書)。『ムガル美術の旅』の著者が徹底的に探った真珠史。フォーマルシーン以外にあまり意識することのない真珠でしたが、卑弥呼から東方見聞録、帝国主義、養殖真珠、グローバル化まで、真珠をめぐる激動の歴史に驚きの連続でした。

まとめられないので、同書からの引用にて。

「古代ギリシアやローマでは真珠は最高の宝石だった。なぜなら丸くて美しいアコヤガイの真珠は、アラビア半島と南インドの海域でしか採れなかったからである。そのため古代ヨーロッパ人は希少な真珠に高い価値を置いてきた。真珠は、コショウや象牙、綿織物などとと同じように、オリエントを代表する富のひとつだった」
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(真珠の写真がなく仕方がないと思っていたそのとき、偶然入れたテレビが真珠の番組でビックリ。カメラを持ってきてテレビ画面を撮影しました。NHKの番組より/自然が生み出す丸くて美しい玉。神戸の加工工房ではミリ単位の大きさを一瞬で判断していく)

「十六世紀の大航海時代になると、新大陸のベネズエラ沿岸部がアコヤガイの真珠の産地であることが明らかになった。スペインはベネズエラの真珠の産地を支配。ポルトガルはアラビアとインドの真珠を手に入れた。こうしてヨーロッパには大真珠ブームが訪れる。十七世紀になると、ダイヤモンドの人気が増していったが、十九世紀後半に南アフリカでダイヤモンドが発見されると、その希少性が減少し、真珠がダイヤモンドよりも貴重になった」

15世紀、コロンブスが「発見」したベネズエラ。スペイン人は、当初は先住民が持っていた真珠を収奪するも、次第にカリブ海の無人島を拠点にしての真珠の採取へ。バハマ諸島でとらえた先住民を強制連行して海に潜らせる。潜水という重労働を朝から夜まで強いられた先住民は次々と命を落とし、民族絶滅の道に追い込まれます。

紀元前、ある博物学者は、「それを獲得するには人命をも賭けねばならない」として、真珠を「貴重品の中でも第一の地位、最高の位」と述べているそうです。清楚な輝きは古代より権力者の証、そして帝国主義の賜物。

「したがって二十世紀のはじめの日本の真珠養殖の歴史的意義は、ヨーロッパの支配者階級が二千年にわたって熱望し、カルティエ社やティファニー社が高値で販売していた真珠という宝石の価値と伝統を瓦解させたことだった。養殖真珠の登場で、真珠は大量消費時代の大量生産商品になったのだった」
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(NHKの番組より。神戸は世界有数の真珠製品の集積地なのだそうです。現在は南洋産の多彩な真珠が豊富に供給されており、日本で細密に加工されお洒落な製品に。フォーマル一辺倒ではない斬新なアクセサリーをデザインする日本女性も紹介されていました)

日本の養殖真珠は欧米による財宝の支配をグラグラと揺るがしました。その品質があまりに素晴らしかったため欧米では排斥運動も起きたほど。やがて日本は真珠王国に。けれども、「ほかならぬ日本人がこのことを十分理解してこなかった」。

古代日本でも最古の輸出品であり、戦後は外貨を稼ぐ救世主となった真珠。「日本は長い間真珠王国だったが、いったいどのくらいの日本人が貝から真珠を取り出したり、その真珠の神秘的な美しさや輝きに感動したことがあるだろうか。真珠と産地が一体ならば、私たちはきっと海の環境にも目を向ける」。結びの言葉は、「豊穣な海があり、美しい真珠があること、それが日本の原風景なのだから」。

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東洋文庫ミュージアムで『東方見聞録』を見る

真珠史でも鍵を握ったマルコ・ポーロの『東方見聞録』。現在、文京区の東洋文庫ミュージアムで、「マルコ・ポーロとシルクロード世界遺産の旅~西洋生まれの東洋学~」展開催中。
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(東洋文庫ミュージアム。上段右がアントワープで出版されたラテン語訳本。下段は世界で出版された『東方見聞録』)

『東方見聞録』では、日本は「莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている」との記述があるようです。

一方、『真珠の世界史』での『東方見聞録』は、次のように紹介されています。「この書物は紀行文というよりも、オリエント世界ではどこにどのような特産品があるのか記された情報本だった。きわめて役に立つ本で、たちまち当時のベストセラーとなった。百四十以上もの古写本などがヨーロッパ各地の図書館に残っている」。

『東方見聞録』、真珠についても情報が。オリエントの真珠産地は、日本、中国、南インドとセイロン島の三カ所。丸くて美しい真珠の産地は、世界でも日本と南インドとセイロン島だけ、と。これらの地域への到達がヨーロッパの支配者の悲願になりました。

展覧会では世界で出版された同書が多数展示されています。なかでも目玉は、1485年、アントワープで出版されたラテン語訳本。世界で3番めに古いもので、西洋で最初期の活字印刷物にあたる貴重な書だそうです。

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中央アジア人、予告編

「中央アジア人」、小さな予告編です。第2回は漆芸作家の中村真さん。ウズベキスタンで中央アジアの民族造形の調査研究をおこない、タシケントの工房で楽器制作と修理を習得した中村さんの報告書と、先日お聞きしたお話をもとに、書いてみたいと思っています。ドゥタール、カシュガルルボップについて、長い時間をかけてその行程を追った制作記録が圧巻。
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(アトリエにはウズ愛あふれる不思議グッズがたくさん。音楽もウズポップ。楽器が美しいです。私の陶芸の先生Kさんの先輩でもある中村さん。3人で語りましたね〜。楽しかったです)

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フォークロアの宝庫、トランシルバニアのカロタセグ

「イーラーショシュとカロタセグの伝統刺繍」展。「トランシルヴァニアの片隅にひっそりと、煌びやかな手仕事の文化が花ひらきました。その多彩で豊富な刺繍の世界を、コレクションとともにご紹介します」「カロタセグを代表する刺繍「イーラーショシュ」をはじめとする、農村を土壌に生まれ、育った美しい手仕事の数々。今年発売された二冊の本の出版記念として開催いたします」(手芸研究家・谷崎聖子さん)。
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(展示会場写真がないのが残念〜撮ってもよかったようです。圧倒的な衣装や刺繍、ディスプレーをお伝えできないことは残念ですが、自身は一期一会と思って、本を見ながら想像を広げようと思います。下段中と右がイーラーショシュ)

東欧は行ったことがなく、ほとんどわかりません。でも小説や音楽や衣装など、断片的には見ており、興味は大きいのです。展示は、まさにフォークロアの宝庫を感じさせるもの。とても充実した展示でした。ブログや書籍の写真がまた、ものすごくいい。ステッチや図案も詳細。

主催者である谷崎さんの熱い気持ちが伝わります。熱ですね。調査、蒐集、研究、発表、展示、すべて熱。あふれるようなものがないと、伝わらない。ルーマニアの刺繍は赤が多く、可愛く強い。強烈に重い密度。自然のモチーフが多彩。魅せられた気持ち、わかるなあと思いました。

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船でしか行けない秘境の温泉

平家の落人伝説が残る秘境の宿、しかも交通手段は船だけ。それが「大牧温泉」(富山県南砺市)。遊覧船が遡り行く庄川は紅葉の盛りです。前日に降った雪が遠景の山にうっすらと積もり、前景は赤や黄色の紅葉。川面に映る紅葉が絵画のようです。

大牧温泉は、1183年、合戦に敗れた平家の武将が源氏の追撃を逃れ隠れ家を求めてこのあたりをさまよっていたとき、豊富に湧き出る温泉を発見。その湯を口にし湯あみをして創傷の身を治したのが始まりとの由来が。

かつては峡谷の底に村落があり、村人の湯治場でした。1930年、ダムの完成とともに村落は湖底に没し、温泉宿一軒だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残されてしまいます。

温泉を何とか続けようと、源泉を湖底から採り込み、船を頼りに再興されたのが現在の大牧温泉の基。
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(40分ほどかけて深緑色の川を遡る。関東や関西からのツアー客で満員。紅葉シーズンが観光のピーク?宿の人によると、「冬が一番人気」なのだそうです)

日本の百名湯にも選ばれた湯質、ホカホカあったまります。富山の民芸・工芸を訪ねる小さな旅のひとこま、でした。民芸はまたの機会にご紹介できればと思います。

民芸ついで、と言ってはなんですが、「今どきの民芸」、盛り上がってますね〜。雑誌「nid」でも「民芸はあたらしい」特集。民芸のある暮らし。まだ熱中が続いている私がチェックしているサイトの主催者や時おり出没しているショップのオーナーも。お洒落だな〜。センスがいい。ほんと、いい感じ。
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(民芸と特集する雑誌「nid」。下段中と右は、セレクトの眼が冴える「工芸喜頓」さんにて。いろいろ欲しいよー!久々の物欲上昇)

民藝という視点では、「違う(本当の、本物の民藝ではない)」という意見もあるのかもしれない。でも、やきものや手仕事で心が満たされ、日々が潤うのならば、いいのでは。個人的には、器で美味しさがこんなに違うのかと眼からウロコの日々です。

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今回もバラバラな話題です。まだまだトピックがあるのですが、なかなか書けません。ひとつのテーマを深めた長編?もトライしたい。元気でやってるんですが、とにかく日の経つのが早いとしか言いようがないのです。せっかく訪ねてくださっているのに、、なるべく間をあけずアップしたい。12月、ブログも走りたいと思ってます。最後にタイル写真をどかん!と。

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(ナディル・ディヴァンベギ・マドラサ(ブハラ)/Nadir Divan-Beghi madrasah, Bukhara, Uzbekistan)
by orientlibrary | 2013-12-07 00:03 | 美術/音楽/映画