イスラムアート紀行

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フェルガナ陶芸の故郷 リシタン・伝統の青

先日、フランスから帰国した日本の陶芸家の話を聞く会がありました。フランスにもリモージュなどの産地がありますが、ヨーロッパではセットの食器が一般的なため、作家ものはあまり売れず、彫刻的な置物などに活路を見いだしているというお話でした。

日本では、日々の食卓で焼き物がおおいに活躍します。お金持ちだけ、ハレの場面だけでなく、焼き物が普段の生活に彩りを添えています。フランスの陶芸家は「日本はいいなあ」とうらやましがったそうです。こと焼き物に関しては、私はけっこう日本贔屓です。ウズベキスタンの陶芸についても、あまり意識したことがありませんでした。

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(白地緑彩深皿(9世紀・サマルカンド/『偉大なるシルクロードの遺産』より引用)

しかし陶芸とタイルは影響しあっています。中世、世界的に見ても突出した装飾タイルが展開した地・ウズベキスタン。8〜9世紀にはすでに、マーワラーアンナフル(中央アジア南部のオアシス地域を指す。アラビア語で“河の彼方の地”の意味)に釉薬を施した陶器が登場し、広く用いられていたといいます。

11〜12世紀には高度な技術を確立。陶器文化の中心地が各地に形成されたました。最大の中心地はサマルカンド(当時はアフラシャブ)。シャシ、フェルガナ、チャガニアなどの陶器も有名だったそうです。このあたりは書き出すと長くなってしまいそう。今回は一気に青い陶器で名高いリシタンに飛びます。

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(カップと大皿。カップは19世紀末・フェルガナ。大皿は1908年・リシタン/『シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの美術』より引用)

フェルガナ盆地にあるリシタンは「フェルガナの陶芸芸術のふるさと」と言われています。良質の陶土に恵まれ、千年以上前から陶芸がおこなわれていました。中世にはシルクロード沿いの町々で人気を博しました。

14世紀末、ティムールがサマルカンドからリシタンに数名の陶工を送ったのは、有名な話です。その狙いは、当時の中国の磁器製造の秘密を明らかにすることだったと考えられています。しかしこの試みは失敗しました。フェルガナ盆地には良質のカオリンが産出されなかった>からです。

しかしリシタンでは、地元の土を使いファイアンス(堅く焼かれた彩色陶器)を作る技術を生み出しました。白い地に青で絵付けしたこの陶器は「チーニー」(中国)と呼ばれ、19世紀に盛んに作られました。古代の太陽や月、宇宙の象徴である円や螺旋、ザクロや鳥などの美しい絵が職人によって描かれました。絵付けのスタイルは、むしろウズベキスタンのオリジナルといえるようです。

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(古リシタン陶器。リシタンの工房にて) 

しかし20世紀初頭には安価なロシア製品に市場を奪われ、ソ連時代には工場の労働者となるなど、生産と市場も大きく変容。けれども陶工たちは、この間も技術の伝承を維持してきたといいます。独立後は伝統が再評価されるなか、陶器製作も活性化しているようです。

またリシタンでは、他の産地が工業製品の釉薬を使うことが多くなるなかで、ウズベキスタン伝統の天然釉「イシクール」を上薬に使っていることも大きな特徴です。イシクールは彼らだけが知る砂漠に咲く灌木の灰から作られるもの。今回はその写真も撮ることができましたが、詳細は次の機会にしたいと思います。

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(大皿=アリシェル・ナジロフ氏作品、ウズベキスタン国立工芸博物館所蔵。アリシェル氏は日本の九谷と交流があり、九谷の繊細な画風が反映された作品も多い)

リシタン陶器は形状も多彩。大皿からボウル、ジャー、ピッチャー、ポット、保存容器、壷など商品開発にも熱心です。海外で個展を開催したり、日本の産地と交流して技術を高めるなど熱意あふれる陶芸家もいます。その筆頭がアリシェル・ナジロフさんです。アリシェルさんとリシタン、そしてウズベキスタン各地の個性的な陶芸産地については、これから少しずつ書いていきます。

*ウズベキスタンの陶芸についてはスタディの途中です。資料も豊富ではありません。可能な限り、修正等を加えていきます。ラフ段階の記事であることをご了承ください。
by orientlibrary | 2006-07-06 20:47 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

蒼の都サマルカンド モザイクタイルの発展

ウズベキスタンの魅力、何をあげるかは人それぞれでしょう。私の場合は、やはりタイルへの思いが強くあります。たしかに、タイル装飾の博物館とも称されるサマルカンドの「シャーヒ・ズインダ」は近年の修復によって、雰囲気が大きく変わりました。歴史的な建造物のオリジナルの個性を変容させてしまうタイプの修復については、今後への課題を残しているのではないかと思います。

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それでもなお、いえ、ますます、ウズベキスタンのタイル装飾、土の建築文化は、私を惹きつけます。今回は、より素朴な土壁の住まいを見たり、各地の意欲のある陶芸家の方々に出会い、土〜陶の世界の魅力にさらに入り込んでしまった、というのが実感です。

以前も書きましたが、サマルカンドでもレギスタン広場やビビハニムは、今もなお、タイル装飾の美と建造物の歴史的な雰囲気を味わえると思います。

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(先月撮ったレギスタン広場の「シェルドル・マドラサ」:1636年。ライオンと人の顔が描かれた文様で有名)。

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(レギスタン広場の古い写真)

これを見ると、やはり構造体の修復は必須だということがわかります。タイルは、かなりオリジナルのものが残っていたことがわわかります。現在ずっと平面での広場になっているあたり、一段下の段差がわかるのも興味深い写真です。

装飾タイルが開花するのは14世紀のイラン〜中央アジアです。モザイクタイルが壁面を覆うばかりに埋め尽くし、文様も流麗な植物文様が登場します。とくにティムールが1397年に首都としたサマルカンドは、建造物を彩るタイルの色から「青の都」とも呼ばれます。

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イルハーン朝の時代に萌芽したモザイクタイル装飾は、ティムール朝の時代になって大発展を遂げました。モザイクタイルはペルシア語で「モアラッグ」と言われます。様々な色調の施釉タイルを文様に合う形に刻み、それらを組み合わせて文様を表現するのです。

モザイクタイルでの装飾には、大変な手間と莫大な費用がかかりました。10センチ四方のモザイクタイルを製作するには一人の職人が一日8時間働いて2日かかったそうです。壁面を埋め尽くしたモザイクタイルは、圧倒的な美の表現であると同時に、強大な権力の象徴でもあったのではないでしょうか。

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オアシス都市サマルカンド、真っ青な空よりもさらに蒼く輝く壮大なドームやミナレット。サマルカンド人だけでなく、行き交う旅人はどんな思いで見上げたのでしょうか。

そしてティムールがイランや中央アジアを支配していた同時代、イラクやイラン北西部は、カラ・コユンル朝(1375頃〜1469年)、アナトリア東部を中心とする地方はアク・コユンル朝(1378年頃〜1508年)という>二つのトルコ系王朝が統治していました。

カラ・コユンル朝、、そうです。このブログのロゴにもしている「ブルーモスク」(タブリーズ)を建造した王朝です。セルジューク朝、イルハーン朝、ティムール朝、カラ・コユンル朝。個人の好みなのですが、私は洗練された美の極致であるサファビー朝やオスマントルコのタイルよりも、草創期から発展期の、この時代のタイルに心惹かれます。イキイキしている感じがします。もっと知りたいし、見ていきたい時代と地域です。
by orientlibrary | 2006-06-23 02:23 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

fruits on the way

あさごはん、あんずの木の下のテーブルで。チャイと焼きたてナン。けさのメインはつぶつぶそばの実。きょうも暑くなりそう。@リシタン
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各地で違うレシピ、プロフ。じんじんいろ、ひつじあじ。@ウルグット
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ひつじにく、しっとり白い小麦粉の皮でくるくる。さくらんぼも桑の実もツヤツヤ、だって摘みたてだから。@ウルグット
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桑の実、さわさわ揺れている。歩いていても、木を見上げて、おいしそうな実を摘んで、、、みなさん、おいしくて、とまらない、みたい。@サマルカンド
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by orientlibrary | 2006-06-16 22:46 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

サマルカンドの修復と観光プログラム

ウズベキスタンの陶芸事情や歴史的建造物の修復(とくに壁面を彩るタイルの修復)について、文献や資料で調べようと探しています。が、これといった資料を見つけられません。とくに日本語では非常に少なく、英語資料を読まざるをえませんが、これもそれほど多いというわけではありません。

●現地での短い滞在期間の中では、陶芸現場や修復現場を幸運にもかなり見ることができ、話も聞けたと思うのですが、客観的に調べようとすると、やはり大変だと気づきました。タシケントに陶芸家が設立したプライベートミュージアムがあるようなので、少し希望を持っています。

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●、、って、冷静になってみると、だいたいが私、ド素人なんですよね、、。なのに調べたいというのが、もともと無理な話なのかも。でも、知らないからできる無茶もあるだろうし、、もう少しがんばってみようかと思います。そんな私のけなげな(!?)気持ちにショックを与えたのが、蒼いタイルの陶都サマルカンドの修復、とくに陶芸術の博物館とも形容される(た)シャーヒズインダ(墓廟群)でした。

●サマルカンドのガイドさんとSちゃんと車でシャーヒズインダへ向かっていたとき、左手に新しい建物を発見。前夜にサマルカンドのトレンドスポット「田舎」(という名前のレストラン)に連れて行ってもらったこともあり、いろいろ新スポットができているのかと思ったのです。それで思わず「あれってショッピングセンターかテーマパークですか?」とガイドさんにたずねました。ガイドさん、苦笑い。「・・・シャーヒズインダよ」。ほ、ほわ〜っと!?何ですって!?

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●シャーヒズインダはピカピカした映画のセットのようでした。古びた、でも静かで味わいのあるタイルの聖地が、アナログからデジタルになったようにクッキリとして、なんだか偉容を誇るように建ち並んでいるのです。写真を撮る気もなくなってしまいました。


e0063212_114695.gifレギスタン広場の3つのマドラサは、シャーヒズインダほどにはピカピカしておらず、早朝に一人で中に入ることができ、タイルに囲まれた至福のひとときを過ごせました。

●レギスタンでは、夕方には広場で演劇があり、夜はライトアップ+ショーがあります。またマドラサの中〜その昔、神学生たちが学んだ部屋〜は、大半がショップになっています。

●ショーやショップに対しては文句を言うつもりはないし、時代の流れなのではないかと思います。でも元のかけがえのない「味わい」を損なうような過剰な修復は、歴史的建造物にとって悲劇ではないかと思います。

●修復は1998頃から活発になったようです。このような修復について「古代シルクロード都市の修復に苦闘するウズベキスタン」という2000年7月のCNNの記事を見つけました。

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●ブハラの修復がメインなのですが、その中で悪い例としてサマルカンドが出てきます。「(ブハラの修復を手がける職人たちは)街の活気は維持したいがサマルカンドの失敗は避けたいと切実に願っている」「サマルカンドの歴史的中心地は生命のない博物館の作品のようだ」「大規模に修復されたサマルカンドは街の生命を失った。モスクやマドラサは今や不毛だ。人工的な博物館にいるような気にさせる。ブハラには街の息づかいがある」、、等々の言葉が続きます。

●さて、ぎりぎり持ちこたえていたブハラ、それから6年後の今も、旧市街は古いたたずまいを残し魅力的!でも今後の展開でどうなっていくかわかりません。ウズベキスタン、行くなら早いほうがいいかも・・という気もします。でも、がんばっている陶工さんたちもいます。修復については、現地で聞いた話も含め、これからも少しづつ調べて書いていきたいと思います。

*写真(上)=シャーヒズインダの古いタイル (上から2番目)=ピカピカのシャーヒズインダ (上から3番目)=マーチャンダイズ盛んなレギスタン内マドラサ。商品自体は私には興味あるものが多いです (下)=レギスタン広場でおこなわれる演劇ショー
by orientlibrary | 2006-06-12 01:04 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

ウルグットの泉と丘 スザニのある中庭

●早朝のタシケントの空港から、いきなりノンストップで午後まで走り通し、テンション高く到着したのがウルグットでした。ウルグットはサマルカンド郊外にあるスザニで有名な町。訪れたのは陶芸家の住居兼工房。ご主人は9代目の陶芸家、奥さんはスザニの4代目という手仕事ファミリーです。中庭にスザニが揺れます(写真↓)。

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●テーブルには、食事の準備がしてありました。うれし〜!朝もお昼も食べていなかったので、もうパラダイスに見えました。(写真↓)は最初のテーブルの光景。ナッツ類や果物、ナン、チャイなど。ここにピラフやメインディッシュが加わっていきます

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●食後に陶芸家の親戚の人がウルグットの名所に案内してくれました。「湧き水が湧くところ」だそうです。どんなところだろう。着いたのは緑がすがすがしい公園のようなところでした。ロシア的な雰囲気のモスクもあります。木々は樹齢500〜1500年ということで、幹が太くサワサワと茂っています。

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●小川のような水の流れをたどって行くと、人が写り込むくらい澄んだ湧き水の泉がありました(写真↑)。プクプクと盛んに湧きだしています。しばらく皆で静かに見ていました。そのあと、町全体が見渡せる丘に登りました。木の実を取って食べたり、タンポポを飛ばしたりして過ごしました。こういうときは、言葉はいらないですね。

e0063212_147691.gif●ウズベキスタンというと、「砂漠」だと思っている人が多いようです。シルクロードのイメージでしょうか?そんなこともあって、水と緑の写真を載せたいと思いました。

●一方、町には白いかわいいエプロンをしている女の子がたくさんいました(写真←)。(アキバの最近流行の喫茶を連想した私、、、)

●通訳のSちゃんによると、これは制服だそうです。「私も着ていたよ」と清楚なSちゃん。かわいい〜!

●ちょうど終業式で、いろんなところで盛り上がっていました。これから本格的な夏。50度を超える熱い季節になります。

余談ですが、、水分について(かったるい話です。念のため)
by orientlibrary | 2006-06-10 02:03 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

古いタイルのある光景 古い陶器 古いスザニ

●いきなりですが、旅行前に勉強していく派と、旅行後に勉強する派がいると思うんですよね。私は後者です。行く前には特に準備しません。というよりモチベーションが高まらないのです。行ってみて、どうしてかな、もっと知りたいな、という思いがグッと強まります。その集中力を待ちます。・・要は怠け者なんですかね!?

●ウズベキスタンについても、勉強はこれからです。以前購入した『SAMARKAND BUKHARA KHIVA』という本(写真集に詳細な解説)を読み込みたいです。相当時間がかかりそうですが、、。なので、今日はちょっと雑談です。

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●上の写真(↑)はレギスタン広場の中にある売店(マドラサの中がほとんどショップになっている)で買ったものです。ウズベキスタンの昔の光景の様々なモノクロ写真をポストカード大(ポストカードではなくペラペラの写真です)にして、1枚1ドルで販売していました。

●私にとっては建物の状態やタイルの模様がわかる貴重な資料になります。でもウズベクの物価からすると、この写真の1ドルは、かなりいい商売だと思います。ちょっとまとめて買えば数十ドルになって、書籍並みです。

●各地の博物館でも、このような昔の写真を展示していました。ソ連時代に工芸をはじめ、いろんな伝統が一時途絶えたと聞いています。昔の写真はウズベクの人にとっても関心の高いものなのかもしれません。

●今回は、1冊、とても貴重な昔の写真集を購入しました。全編アラビア語なのでいつの発行かもわかりませんが、建造物とタイルの修復前の姿を知ることのできる大事な資料です。高かったです。でも、ウズベクの人たちにとっても大変貴重な本だということも認識しています。外国人の私が買ってしまったことを申し訳なく思います。そのことを無駄にしないように、いろんな面でがんばっていきたいです。

●日本では、工芸というと伝統的なもの、高価なもの、特別なもの、という印象があります。でもウズベクでは工芸が現在進行形でイキイキしているのが素晴らしいなと思いました。各地に「アートセンター」が作られ、工芸家やアーティストが制作し、販売していました。

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●「現役」というのは強いものです。技術のレベルの高さを実感しました。現代的なセンスを感じるものもありました。ウズベクの工芸やアートは、これからますます面白くなると思います。写真(↑)は、陶器の古いものです。いいですよね〜!!!

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ウズベキスタンといえば、最近では刺繍布の「スザニ」が有名です。日本でも展覧会が開かれたり、シルクロードの染織文化ということで紹介される機会が増えました。私も多少見ていましたが、行ってみて各地で異なる色柄の豊富さに驚きました。ヨーロッパでブームになり、相当数が海外に流出。現在は50年以上の古いものは海外持ち出し禁止になっているそうです。写真(↑)のものは、タジキスタンに近いコーカンド地方のアンティークです。(博物館で撮影)

e0063212_2348228.gif●食では果物のおいしさが格別でした。さくらんぼ、すもも、そして桑の実もイケました

●写真(←)は通訳してくれたSちゃんの家の庭のリンゴです。味が濃くておいしかった。

●建築、タイル、陶芸、スザニ、食、人、などについてスタディしながら書いていきます。ゆっくりになりそうですが、また見て下さいね。
by orientlibrary | 2006-06-05 23:56 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

怒濤の、そして温かさに満ちた、ウズベキスタン工芸の旅

●成田発関空経由のウズベキスタンエア、10数時間かけて到着した午前5時前のタシケント空港。ジーンズ姿のAさんが出迎えてくれました。「ミジカイネ」、Aさんの最初の言葉です。

●私にとって(多分多くの日本人にとっても)、往復の2日を入れての10日間は、かなり気合いの入った日程です。しかもAさんは、実力、知名度ともウズベキスタンでも有数の陶芸家。そんな人に同行してもらえるなんて本当だろうか、しかも知人の紹介とはいえ私とは初対面なのです。

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(リシタンの陶芸工房でモスクの尖塔の月を造る職人さん)

●通訳をしてくれるSちゃん、運転をしてくれるNさんとも挨拶し、いざ出発。「安心して来てください」という心強いメールを支えに来た私、どうやってウズベキスタンを廻るんだろう、、小さな不安がよぎりましたが、それは一瞬のことでした。そんなことを考える暇もなく、怒濤のウズベク、タイルと陶芸の旅が始まったのです。

●どこに向かうかわかりませんが、車は快調に走ります。日本語もかなり上手なAさん、2年間の留学で流暢な日本語のSちゃん、ウズベク語のNさん、日本語の私、会話の途切れることはなく喋りっぱなし。

5時にタシケントを出て、なんとノンストップ、ノン休憩で、水も飲まずに到着したのはサマルカンドの、さらに郊外にあるスザニと陶芸の街ウルグットでした。時間は午後2時半。いきなりタフな行程ですが、、、楽しい〜!

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(通訳をしてくれたSちゃん。ウズベクの20歳はしっかりしている!&可愛い)

●入って行ったのは一軒の大きな家。わ〜、中庭!葡萄棚、チャイハネのテーブル、憧れのシルクロードの住宅だあ!しかもテーブルの上には、あふれんばかりのごちそう!ここはウルグットの陶芸家のお家だったのです。

●奥には工房があり、奥さんはスザニ(ウズベキスタンの刺繍布)の作家で、スザニも飾られています。チャイを飲んで、おいしい家庭料理に熱中しているうちに、陶芸家の親戚やAさんの友人たちが次々と集まってきました。ウルグットの陶芸現場を見せてもらい、街を見物し、スザニについて聞き、チャイを飲み、、。

●ウルグット・・・そのあとのウズベキスタンの旅を象徴するような光景でした。そうです、その後の8日間、ずっとこんな感じだったのです。車でどこかに行き、工芸家に会い、ウズベク料理を食べ、モスクやマドラサを見て、タイルの写真を撮り、ノンストップで次の街へ行き、アーティストに会い、ビールで乾杯し、陶芸について聞き、タイルの修復を見て、チャイを飲み、結婚式に行き、博物館へ行き、スザニを見て、バザールに行き、お家を訪問してご飯をごちそうになり、そしてタイルを見る、、。

怒濤の、けれども基調はのどかで、心が安らぐ日々でした。訪れたのは、ウルグット、サマルカンド、ブハラ、キジュドヴァン、リシタン、コーカンドです。ブハラやサマルカンドの素晴らしさはもちろんなのですが、今回もっとも心に残ったのは、リシタン〜コーカンドなどフェルガナの小さな街の人々のこぼれるような温かさ、人間味、家族や親戚や友人を大事にする生き方、暮らし方でした。AさんもSちゃんもNさんも、みんなフェルガナの人でした。

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(一昔前のリシタンの陶芸家の光景=写真を撮影=。シルクロードだ!!

●帰国の日、1日の夜、タシケントの空港、Aさんが着いたときと同じように「ミジカイネ」。私も思いました。「ミジカイネ」。そんなウズベキスタンのこと、これから少しずつ書いていきたいと思います。
by orientlibrary | 2006-06-03 20:40 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

聖なるブハラ 太陽に向かう鳥

「ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ」(ブハラ)

「生きている、湧いている、大きな眼である太陽」・・・“ブハラ”という名前をはじめて意識したのは、94年に開催された「中央アジア映画祭」(国際交流基金)で「聖なるブハラ」という映画を観たとき。サディコフというウズベキスタンの監督の、重さのある幻想的な世界にショックを受けました。

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91年にソ連から独立した中央アジア5カ国は、思い起こせば、この頃にようやく語られ始めたと思います。映画祭のパンフレットは「中央アジアの基礎知識」から始まり、チラシには「世界の映画史に急浮上する中央アジア映画群」と記されています。私もまったく白紙の状態で観ただけに、ほんとにドカンときましたね〜・・・

中央アジアの映画は、1920年代から30年代盛んだったソ連の映画製作から学び、「映画という製品を生産する工場」として各共和国に撮影所が設置されていたといいます。サディコフ監督はタルコフスキーやエイゼンシュタインの弟子など大物に師事。しかし検閲はきびしく、幻想的なサディコフ作品は何度も没収や上映禁止の憂き目にあっています。

前置きが長くなりました。今日のタイルはブハラの幻想的な鳥と太陽のタイルです。1622年に建造された「ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ(神学校)」のファサード・アーチの上部を飾る大胆な模様。タイル自体は近年修復されたものでピカピカした印象ですが、図案はオリジナルであり、勢いがあります。

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抽象的な文様しかないと思われているイスラムデザインですが、サマルカンドにはライオンの絵柄もあるし、イランなどには人物を描いたタイルがたくさんあります。このタイルの鳥は架空のもので、左右から太陽に向かっています。コバルトブルーの中の瑞々しい緑色が見事です。そして太陽の中には人間の顔が。太陽、、、そこでフラッシュバックでよみがえった記憶が、「聖なるブハラ」とサディコフ監督でした。

冒頭の一節は、ブハラ生まれのサディコフ監督が「中央アジアでは詩の言葉で語る」として紹介した一千年前のウズベキスタンの詩(映画祭パンフレットより)。

紀元前1世紀からの歴史があると言われているブハラは、7世紀にはイラン系ソグド人の都市国家が成立、その後イスラム化が始まり商業都市として繁栄、イラン文化の中心地に。15世紀にはウズベク族によりブハラ・ハン国の首都となり、またイスラム教学の中心地として多くのイスラム教徒が巡礼に訪れる街として「聖なるブハラ」と呼ばれるようになりました。

19世紀後半には帝政ロシアの植民地に、そして91年にソ連から独立、、、ということになりますが、ブハラでは1920年代まだイラン系のタジク語がウズベク語よりも優位だったというように、イラン的色彩の濃さを感じさせます。

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そこで、タイルでの関連を調べてみると、こんなのがありました。イラン・ケルマンの「金曜モスク」(1359)。エントランス・タイル装飾には2羽の孔雀と花瓶の図柄が。構図に共通点を感じます。

ブハラは、ゾロアスター教、イスラム教などの様々な宗教、文化、民族が交錯し育層にも重なり合う街。タイルを見るたびに、現在の国境の感覚から物事を見てしまう想像力の貧しさを感じています。

*写真は、(上)赤い布に映えるブハラの実り、葡萄、(中)ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ・ファサード、(下)イラン・ケルマン・金曜モスクのタイル装飾(『The Art of the Islamic Tiles』 / Flammarionより引用)
by orientlibrary | 2005-12-07 01:20 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

レンガだけで生み出した典雅な美 サーマーン廟

本郷の東洋文化研究所(東京大学)に、深見奈緒子さんの「イスラム建築」の講演>を聞きにいきました。キャンパスには、何やらこじゃれた建物も建ち「法人化した東大」をわかりやすくアピール。おしゃれな東大グッズを青山あたりのショップもびっくりのディスプレーで販売し、接客もこなれてお上手。「入試要項」が「ご自由にお持ちください」の箱に。そう言われても。。

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深見さんは十年くらい前にイランの建築の講座を聞いて以来のファン。3月に『世界のイスラーム建築』(講談社現代新書)を上梓され、豊富な現地調査に基づき多様なイスラム建築の事例をわかりやすい文章で紹介しています。

造詣の深い人ほど謙虚だなあと思わせる穏やかな語り口の先生。せっかくの機会なので、先日のウイグルのタイルやウイグルのイスラム建築について質問してみました。注目のその答えは!?

◇  ウイグルは中央アジアとのつながりが強い。カザフスタンの一部という印象だ。建築も中央アジアの影響を受けている
◇  しかし漢族の建物は中国のもの。木造で壁、瓦
◇  タイルは、アバ・ホージャ墳では確かに染付風や黄土色や緑も使われている。しかし14世紀にできたイーニンの廟などではシャー・イ・ジンダ廟と同様のタイルが使われている。またサファヴィー朝にも染付みたいなものがあるし、ヒヴァやコーカンドのタイルにも染付や黄土色や緑のものがある
◇  イルハーン朝の都だったスルタニエの遺跡「ビアール」には、石造の龍の浮き彫りがある。中国の影響だろうか
◇  中央アジアの建築は、中国と影響しあっている。そしてウイグルの建築は両方から影響を受けている。しかし、タイルに関して言えば、やはり磁器ではなく陶器なので、中央アジアの影響が大きいだろう

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なるほど、やはりユーラシアの東西からの影響を受けているんですね。そこで、中央アジアの影響という流れで、昨日の「日干しレンガ造・干し葡萄作り小屋」を彷彿とさせる?!ウズベキスタン・ブハラの「サーマーン廟」へとGO!『世界のイスラーム建築』の中にも「煉瓦に織り込まれた古拙の美」として紹介されていますよ〜。

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9世紀に建てられたこの廟は、10メートル四方の立方体にドーム屋根が乗ったもので、建物としてはこぶり。でもレンガだけでここまで変化をつけられるのかと驚く工芸品のようなディテールとデザイン感覚が見事。積み方や凹凸による陰影が、素朴ながら高度な装飾となっている。

『世界のイスラーム建築』によると・・・「焼成することによって耐久性を増した煉瓦は、建築表面を飾るために特別な形や細工を施すようになった。さらに皮膜材としての焼成煉瓦には、表面に色や光沢をつける釉薬が使われるようになる。こうしていわゆるタイル技法が成立するわけであるが、サーマーン廟は17世紀イスファハーンの青く輝くタイル文化の素地となる、工芸的な焼成煉瓦の装飾法を伝えている」・・・その後のタイル装飾につながるサーマーン廟、タイル界のクラシック!!当然、世界遺産です。
 
* 写真は、(上)(突然ですが・・)ウズベキスタンの特産品・綿花、(中)サーマーン廟・外観(『SAMARKAND BUKHARA KHIVA』 / Flammarionより引用)、(下)同・ディテール
by orientlibrary | 2005-11-25 02:12 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

ティムール期のタイル装飾 ビビ・ハヌム

東方イスラム圏のタイル装飾の頂点と言われるティムール期。個人的な好みでは、東方イスラム圏ばかりか、イスラムタイルの精華ではないかと思う。特にモザイクタイルや聖なる青の力強さに、ルネサンス的な伸びやかでイキイキした時代の息吹を感じる。

ティムール期の技法はイラン・サファビー朝に受け継がれ、イスファハーンでモザイクタイル、絵付けタイルともに最盛期を迎える。またアナトリアでは、オスマン朝期にはティムールから影響を受けた植物紋の多彩色絵付けタイルが発展した。

こうしてタイル装飾は、イスラム美術や建築装飾の真髄と言われる存在になっていく。ティムール期は多様なタイル技法の開花期であり、その「旬」の雰囲気が今もなお続いているように私には感じられる。

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ティムールは1370年にトランスオクシアナ地方を統一して、サマルカンドを首都とする大帝国を築いた。1398年にはデリーを攻め、その後西へ。1400年にはシリアのダマスカスでマムルーク朝の軍隊に勝ち、1402年にはアンカラでオスマン軍を破る、という破竹の勢いを見せる。

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(Mausoleum of Babi-hanum /samarkand/ 1398-1408)

戦争に明け暮れたティムールだが、建築には力を入れた。イランをはじめとして各地から優れた建築家や芸術家を集め、多くのモスクや廟を作った。サマルカンドやブハラ、ヒワなどには、青のタイルに覆われたドーム廟やモスク、マドラサが、市街地の中心に今も位置し、中世の面影を残す魅力的な街の景観を形作っている。また、サマルカンド郊外の「シャーヒ・ズインダ(墓廟複合体・14世紀後半)」では様々なタイル技法が試みられており、タイル装飾ミュージアムの趣き。

「ビビ・ハヌム」は中央アジア最大のモスク。ティムールが当時の建築技術の粋を結集して建造。完成したのは彼の死後3年も後だった。時とともに荒廃し廃墟のようになっていたが、ユネスコの協力で修復が進んでいる。バザールに隣接したビビ・ハヌム、今も人々の暮らしを見つめているようだ。
by orientlibrary | 2005-10-12 00:00 | ウズベキスタンのタイルと陶芸