イスラムアート紀行

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セルジュークへ

セルジュークへ。時の旅へ。

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ルーム・セルジューク朝(1077年 - 1308年)。セルジューク朝(テュルク系遊牧民オグズの指導者セルジュークおよび、彼を始祖とする一族に率いられた遊牧集団(トゥルクマーン)により建国)の地方政権として分裂して誕生。アナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝。当初、首都はニカイア(現在のイズニク)。1097年にニカイアが占領されたため、再びコンヤを都とした。「ルーム」とは「ローマ」の意味。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)領であったアナトリアの地を指す言葉としてイスラム教徒の間で用いられ、アナトリアを拠点としたことからルーム・セルジューク朝という。

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13世紀に入ると、ルーム・セルジューク朝は最盛期を迎え、東はアルメニアから南北は地中海、黒海両岸に至るまでのアナトリアを征服し、対岸のクリミア半島にまで勢力を延ばすに至り、コンヤはその中心として繁栄を極めた。

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ルーム・セルジュークの治下ではアナトリアの都市にモスク、マドラサ(学院)が多く建設され、この時代にはアナトリアのイスラーム化が進んだ。コンヤには、カイクバード1世の建立したアラエッディン・モスクやセリム2世のセリミエ・モスクなど多くのモスクがあり、アナトリア随一の宗教都市として繁栄したかつての姿を現在に伝えている。

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1228年には中央アジアのバルフ(現在のアフガニスタン北部)に生まれたイスラム神秘主義者、ルーミー(メヴラーナ)がカイクバード1世の招請によってコンヤに定住、1273年に亡くなるまでコンヤで活動し、トルコを代表する神秘主義教団であるメヴレヴィー教団を開いた。

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中央アジアの香りのするアナトリアのタイルの世界へ。
そして華やかなオスマンとも触れ合って。
タイルに会いに行ってきます。Gidiyorum!

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(キュタヘヤ旧市街 青の館にて)

*参照:wikipedia、その他コンヤ関連資料より。
*写真上から5点は、チニリキヨシュク、キュタヘヤ博物館で撮影したもの、orientlibrary。
by orientlibrary | 2014-02-19 22:53

<中央アジア人・3>トゥバ音楽演奏家・寺田亮平さん「トゥバと出会い人生がゆたかになった」

中央アジア人シリーズ、1回め=ウズベキスタンの絹織物アトラスのプロジェクトに取組む川端良子さん、2回め=カザフ遊牧民の刺繍布に魅せられた廣田千恵子さん、中央アジアの伝統的な手工芸に関わる、パワー全開のお二人をご紹介しました。

今回は音楽。ロシア連邦を構成する共和国の一つであるトゥバ共和国の伝統音楽演奏家である寺田亮平さんにお話を聞きました。「中央アジア出身の留学生」と言われても自然な感じの大陸系容貌&おおらかな人柄。トゥバ音楽への熱い思いあふれるインタビューは2時間半。「中央アジア人」の皆さん、のびのびとおおらかで、そしてホントに熱いです! (*今回も長文です。皆さん、よろしく☆*)

 写真は特記したもの以外は寺田さんに提供頂いたものです。ご協力に感謝します。

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<中央アジア人・3 >
大自然と遊牧文化が、育み織りなす、ゆたかな詩情と旋律
「トゥバの音楽の素晴らしさを知ってほしい」寺田亮平さん(トゥバ音楽演奏家)


■ ■ ■ トゥバで音楽修行 ■ ■ ■

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(地図はGoogle mapからクリップ/トゥバの切手は有名だそうです=写真はwikipediaから)

--- 寺田さんのライブや報告会に参加するたびに、トゥバ音楽への強い思いが伝わります。日本では情報が少なく触れる機会があまりないトゥバ共和国。トゥバの音楽と関わるようになったきっかけから教えてください。
1999年、山梨県白州町で開催されたアートフェスティバルに参加したのがきっかけです。ここで基本的な発声を習いました。まだ20歳くらい、大学生でした。喉歌というものは知っていましたし、喉歌独特の声や発声に興味があり、まねごとでやってみてもいましたが、ちゃんと発声を習ったのはこのときが最初です。独特の発声だけでなく、トゥバの音楽には、何かとても琴線に触れるものがありました。その後も、CDを聴いたりライブに行ったり、日本人の先生に習ったりしながら喉歌の練習を続けていました。「病気」になったのは2010年、初めて3ヶ月間トゥバに行ってからです。

--- 「病気になる」、熱中感、わかります。それまでは、どのような音楽生活を送っていましたか。元々音楽少年だったのですか。
音楽はずっと好きでした。子どものころから音楽オタク。家はCDやレコードで埋め尽くされていました。小学2、3年からラジオ番組をエアチェック。中学からバンドを始めました。高校時代は、地元の長崎でメタルやハードコアのようなバンドをやっていました。大学入学で長崎から上京。大学には音楽に詳しい人たちがたくさんいて刺激を受けました。2000年前後はクラブ音楽シーンに勢いがあり、僕もダンスミュージックに面白さを感じていました。野外パーティに行ったり、自分でイベントをオーガナイズすることも多かった。就職してからも、打ち込みでダンスミュージックを作ったりDJしたり。海外から12インチのレコードをリリースしたこともあるんです。音楽での収入はあまりなかったけど、けっこう本気でやっていました。そして並行して喉歌も続けてました。

--- ロック少年が大人になりダンス音楽も作っていた。そしてトゥバに行く。背中を押したものは何?
会社員しながらお金を貯めて、喉歌を通してずっと興味のあったトゥバに行きました。2010年の夏、会社を辞めて行った。30歳でした。音楽制作にちょっと疲れていて、最初は半分くらいバカンスのつもりでした。それから毎年、夏の3ヶ月間、トゥバ共和国の首都クズルに滞在し音楽修行する生活を続けています。

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(トゥバには美しい湖がたくさんある)


■ ■ ■ 神様みたいな人たちがそこにいることに感動 ■ ■ ■

--- 空港に降り立って最初の印象は?音楽の先生とはすぐに出会えましたか。
一年めはアバカンという街から車で5〜6時間かけてトゥバの首都クズルに降り立ちました。トゥバの空港は小さくて不安定なので、利用したことはありません。トゥバがどういうところか、行ってみるまで想像できませんでした。大草原なのかな、とか思っていた。クズルは小さいけれど街でした。最初は、CDの中で知っていた神様みたいな人たちがそこにいることに感動。その人たちに楽器や歌を教えてもらえることに感動。でも、コミュニケーションはけっこう大変でした。先生の携帯の番号を聞き出して、謝礼金の交渉もして。習えない人もいるし、恐れ多くて頼めない人もいる。正直、苦労しました。いろんな人に助けてもらいました。

--- コミュニケーションは現地の言葉でおこなうのですか。
行く前にトゥバ語を1年くらい勉強しました。現地に行った人にレッスンを受けたり、教材をアメリカから取り寄せて勉強したり。それでも、一年めはほとんど歯が立たなかった。英語がほぼ通じないことも知りませんでした。向うでは買物は対面式が多くて、欲しいものを言う。でも「オレンジジュースください」さえ通じなかった。もう必死です。トゥバでも毎日夜まで勉強。最初のトゥバ行きからの帰国後は、当時は時間があったこともあり、毎日10時間くらいロシア語とトゥバ語を勉強しました。それから今に至るまで、あいている時間があれば語学の勉強をしています。

--- 音楽修行はどのような感じでおこなうのですか。修行に来ている外国人は他にもいるの?
トゥバの伝統楽器・イギルとドシュプール、そして喉歌を習っています。ショールという笛とブザンチュという弦楽器も少し。基本的に先生と対面し、先生が楽器を弾いて、自分がそれを真似する。先生の歌を聴いて、自分が真似する。一回2時間ほどですが、集中力がもうパンパン。歌詞の意味がわからないときは、書いてもらって、クズルの図書館に行って辞書で調べる。歌詞は古い言葉が多いし、地名とか人名も多く、辞書に載っていない単語もたくさんありますから、また先生に聞く。現地に習いに来る外国人はけっこういますよ。アメリカ人がいちばん多く、フィンランド、ドイツ、ノルウエー、スペイン、日本人もいるし、世界中から来ています。トゥバの音楽は欧米では知名度が高いのです。

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(トゥバの女性たち)


■ ■ ■ 遊牧生活に根ざした豊穣な音楽世界 ■ ■ ■

--- トゥバの音楽について基礎的なことを教えてください。
トゥバの音楽世界は多様です。なかでも喉歌ホーメイ(フーメイ)が有名。元々はソロパフォーマンスが主体でしたが、1980年代以降は舞台化が進み、多くのアンサンブルが生まれました。伝統的な民族楽器としては、擦弦楽器の「イギル」と撥弦楽器「ドシュプール」などが知られています。口琴も盛んです。

--- イギルの音を聴き、喉歌を聴いていると、草原の風、空、空気を感じます。そして馬が駆け抜けていく。なんとも雄大で骨太で颯爽とした印象を受けます。遊牧文化の影響は大きいのでしょうか。
遊牧文化と音楽は密接だと思います。遊牧民の土地は基本的に農業に適していない。遊牧民は麦くらいは作ってきましたが、土の表皮が薄いため耕すと土地が消耗してしまう。現在トゥバでは農業も行っていますが、近年ロシア人が伝えたものです。それに比して、トゥバの遊牧形態は多様です。気候風土が変化に富んでいるので、北のトナカイ遊牧から南のラクダ遊牧まで、家畜の種類が多いのが特徴です。変化に富む気候風土、遊牧生活の歴史は、音楽に影響を与えていると思います。小さな共和国で、あれだけ豊穣な音楽世界がある土地はそんなにないと思います。推測ですが、トゥバは山脈に囲まれた盆地で不便な地ではあったが、盆地の中は遊牧には適していた。そこに遊牧民族が入れかわり立ち代わり入ってきた。ある種閉ざされた地域の中に遊牧文化が濃厚に残り、音楽にも影響を与えたのではないでしょうか。

--- 気候風土や地形とも関わっているのですね。今でも遊牧に携わる人が多いのですか。遊牧とはトゥバの人たちにとってどのような存在なのでしょう。
現在は街に定住している人が多いですが、田舎で親戚が遊牧していたりする。週末や夏休みに田舎に行って仕事を手伝ったりしています。彼らには「自分は遊牧民である」という誇りがある。それはとても大きなことだと感じます。地方に住むホーメイジ(喉歌歌手)は「街に住んでる奴にホーメイはできない」と、しばしば言います。彼らの歌にトゥバの様々な文化が凝縮されているからだと思います。遊牧生活のことは歌の中にも入っています。例えば、国境ができたことで故郷に帰れなくなった人の歌があるけれど、歴史を理解していないと歌の意味がわからない。たくさんの地名が出てくるので、地理を知らなくてはらない。しかも古い言葉が多い。だから、勉強せざるを得ない。彼らの歌を理解するためには、彼らの民族文化や歴史を勉強し理解することが、とても重要だと思います。


■ ■ ■ 喉歌は心。トゥバを学び歌詞を大事にしたい ■ ■ ■

--- 喉歌というと発声法が注目されがちですが、歌はトゥバの歴史や文化を語るものなのですね。
当初、喉歌の発声の面白さに関心はありました。が、僕は歌に、より関心があった。喉歌はたしかにファーストインパクトとしてはすごいものがあります。トゥバの音楽世界ではもちろん重要な要素です。でも、やはり大切なのは歌だろうと思っていました。トゥバの歌詞世界、歌の内容をちゃんと理解しないといけない。彼らの精神世界の中に喉歌があるわけだから。行く前からそう思っていた。だからホーメイジたちに歌を教えてくれと頼んだ。テクニックも、もちろん重要なことだし、彼らの音楽の特徴でもあるのですが、大事なのは「心」じゃないですか。歌は彼らの気持ちを表現している。複雑な感情や文脈があって、それを表現している。だから自分のライブでは、トゥバの歌を日本語に訳してプリントアウトしてお客さんに渡す。それがないと伝わらないだろうなと思うから。

--- 遊牧の心を歌う伝統的なトゥバ音楽。現代の社会では海外からの情報もどんどん入ってきます。変化が見られますか。
外の世界の情報や影響は大きいと思います。すごく動いている。ポップスやロックも人気があり、トゥバ語のラップもあります。伝統音楽はソロからアンサンブルへ。フンフルトゥなど世界的なグループが活躍し、アラッシュなど若手グループは毎年アメリカツアーをしています。向うのミュージシャンと共演して、どんどん吸収している。外界の影響をあまり受けずに熟成されてきたものが変化していて、それが面白いともいえる。ただ、昔の音源を聴くと、本当にすごいんですよ。平均律とかじゃない。自分の先生は楽譜を読めない最後の世代ですが、僕はそこが面白いと思っている。謎なんですよね。先生の演奏を見ていると。なんでそんな動きするの?と思う。西洋音楽のロジックからいうとわけがわからない謎の動き。若い世代の楽譜を読めるミュージシャンのほうが、演奏がかっちりしている印象です。トゥバ語がもっとうまくなったら地方に調査に行きたい。失われかけている伝統的な歌を聴いてまわりたいと思っています。

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(トゥバの秘境 トジュ地方のタイガ)


■ ■ ■ おすすめ!トゥバ音楽 ■ ■ ■

--- トゥバ音楽で、まずはこの人(グループ)を聴いて欲しいというおすすめミュージシャンを教えてください。
やはり、フンフルトゥ(Huun- Huur-Tu)チルギルチン(Chirgilchin)、アラッシュ(Alash)あたりですね。もちろん他にもたくさんのおすすめはありますが。フンフルトゥはロックの影響を受けていると思います。その前の世代の歌とは結構違います。それでもトゥバの音楽の基礎と言えるものが詰まっています。

寺田さんおすすめはこちら!
huun-huur-tu




Chirgilchin




Alash




--- この一曲は絶対聴いて欲しい!というトゥバの歌をあげるとしたら何ですか。
「チュラー・ホール」でしょうか。自分の友人のような馬、チュラー・ホールとの思い出を歌った曲。曲自体も美しいけれど、歌詞が本当に好き。トゥバの若手ミュージシャンと一緒に酒を飲むと、多くの人がこの歌をうたう。若者に影響を与えた、切ない曲。淋しさとか人生の喜びとかが凝縮されていて、本当にいい歌です。翻訳してみて泣きました。「ある男が風に吹かれながら馬と一緒に旅し、ある土地で暮らし始めた。その美しい土地で相棒のチュラー・ホールと競馬に勝ち、美しい恋人から隠れて泣いた」。自分がトゥバに行ってトゥバの文化を理解することによって、その感動が初めてわかりました。トゥバの心、いつか自分も歌えるようになりたい。

Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor





■ ■ ■ テレビも捨てた、デジタル音は要らなくなった ■ ■ ■

--- トゥバの心を理解し、自分の音楽として歌いたい。本当にトゥバから学んだものが多いのですね。
トゥバで、いろんなことをすごく考えさせられた。本当に勉強しなければいけないと思った。知的な刺激を強く受けました。だから余計なことをするヒマがなくなりました。トゥバから帰って来て、テレビとか全部捨てて、DJみたいなレコードも聴かなくなった。そして、勉強すればするほど、どんどん面白くなった。いろんな人に会いに行って、研究者などの知り合いも増えた。本当はもっと勉強したい。もっと書かなきゃいけないしライブもしなきゃいけない。日本ではトゥバの情報がほとんどないから、とりあえず地道に継続してやっていこうと思っています。納得できることを一つずつ積み上げて、理解してくれる人を増やしたい。

--- 全部要らなくなった、それってすごい。出会っちゃったんですね。
音楽オタクだった自分が、今では全然音楽を聴かなくなった。毎日練習している自分の演奏で満たされるんです。聴く音楽もガラッと変わった。デジタル音が要らなくなりました。今から考えると、以前の自分は音楽を消費していたんだなと思います。毎週、渋谷のレコード店に新譜チェックに行き、ホクホク顔で何枚か買って家に帰って針を落とす、それが楽しかった。膨大な音楽を浴びるように聴いていた。けれど、もうトゥバ音楽だけでいい。自分と音楽の関わり方自体が完全に変わったし、人間と音楽のあり方というものを考えさせられることになった。トゥバに行ってから人生観が変わりました。

--- 出会った年齢もあったのかも?
自分が行った時は30歳すぎていた。20代前半くらいで行っていても、あの面白さに気づけなかったと思う。社会に出て働いて、本読んだり社会事象とか自分なりに考えたり経験したりたからこそ、いろんなことが見えた。それで自分の中で好きだったものが引き出された。トゥバには自分の好きなものが全部あったんです。

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(トゥバのシャマン)


■ ■ ■ トゥバが自分の人生をゆたかにしてくれた ■ ■ ■

--- それにしても2010年からの熱中がすごい。今後どうなっていくのか、とても楽しみです。
ここ4年くらいですよ。今はまだ基礎をやっていると思っています。これからです。音楽家としてやりたいこともあるし、書かなきゃいけないし。熱中から、だんだん落ち着いてくる。たしかに今までの多くの情報がいらなくなるんだけど、今まで好きだったものと今の自分とだんだん混ざってきている感じです。それを少しずつ形にしていきたい。今は自分で考えた事をちょっとずつ達成している感じで、毎日が面白いですね。

--- トゥバに出会って、自分自身でいちばん変わったと思うのはどんなところですか。
ネガティブなところが、あまりなくなった。面白くなった、人生が。自分の人生がゆたかになりました。トゥバの人たちにいろいろなことを教えてもらった。トゥバやトゥバの人たちが、自分の人生をすごくゆたかにしてくれた。だから恩返しがしたいんです。「中央アジアの音楽」などのイベントもそういう気持ちでやっています。返さなきゃいけない。ただもらっているだけじゃダメなんですよ。そういう役割があると思っています。

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(2013年トゥバ共和国滞在報告&ミニライブより)


■ ■ ■ 「中央アジアの音楽2」、2月16日開催 ■ ■ ■

--- 寺田さんの企画で実現した昨年1月開催の「中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」、とても盛り上がりましたね。出演者の演奏の素晴らしさはもちろんのこと、雰囲気がとても暖かかった。良いイベントでした。
「テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」は、盛り上がりがすごくて、予約申込みを何十人もお断りしなくてはならないほどでした。“チュルクでまとめたコンサート”は珍しく、インパクトがあった。けっこう成功したと思うし、あのようなコンサートの必要性を感じました。これまで中央アジアの音楽に触れる機会がなかっただけで需要はあった。留学生などからは「またやってくれ」という声が多かった。そして自分が心から信頼しているとあるチュルクの人から、「あなたにあの仕事を続けて欲しい」と言われた。現地の人からそう言われて感無量です。音楽を通して文化を知ってもらおう、民族文化そのものを愛してもらいたい、という気持ちが通じたと思います。また、カリマンさん(クルグス)やイナーラさん(カザフ)など、素晴らしいミュージシャンを紹介できたことがうれしい。

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(中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー。チラシも。写真の右3枚はorientlibrary)

--- 来る2月16日には「中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージック」が開催されますね。2回めとなる「中央アジアの音楽」について、また今後のイベント企画について教えてください。
今回は、アフガニスタンの伝統音楽を演奏する「ちゃるぱーさ」をゲストに迎えます。テュルク遊牧世界のクルグズ(ウメトバエワ・カリマン)、トゥバの音楽(寺田)、そしてシルクロードの十字路、アフガニスタンの音楽をお楽しみください。今後、イベントのテーマとしては、シベリア、北方(北方民族)にも広げていきたいと考えています。情報がないところ、例えば、サハ、ハカス、チュクチ、エウェンキ、ナナイなど。現地の音楽フェスで彼らを見ていて、面白いと思っているんですよ。アイヌの人とのコンサートも企画中です。日本での活動にも意義を見いだしています。

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(中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージックのチラシ。2月16日です!/写真上段右:トゥバのフェスティバル、ウストゥー・フレーにて子供たちと/下段左:カルムイク共和国のシャラエフ ディーマ アラッシュのメンバーと/下段右:ミュージシャンたちとトゥバ相撲フレッシュで鷲の舞を踊る)


■ ■ ■ トゥバの人たちに恩返しがしたい ■ ■ ■

--- トゥバに旅したい、滞在したいという人も増えそうです。注意点、アドバイスはありますか。
興味を持つ人は増えて欲しい。でも正直に言って、バックパックでも旅行でも、簡単に行ける場所とは言いづらいのも事実。一人で行く場合、やはりある程度のロシア語をやった方がいいでしょう。残念なことですが、日本ほど治安がいいわけでもないので。たしかに一人旅をする人もいるけれど、ちゃんと準備をしてきています。日本トゥバホーメイ協会が毎年ツアーを企画していますし、最近は少し高いけれど一般的な観光ツアーも出てきています。そういうところを利用するのも方法だと思います。

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(上段左:2013年国際ホーメイシンポジウム ソロ部門にて名人芸賞受賞/下段左:山頂や峠のような高所に建てられるオバーにて/下段右:フェスティバル ウストゥーフレーにて、チベット仏教の音楽隊の行進)

--- トゥバ音楽を好きになった日本人として、今後への思いを教えてください。
トゥバと日本との間にある関連性に興味を持ちます。トゥバで「お前、地元の歌を歌え」とかよく言われるんですが、「日本人の歌」をパッと歌える人は少ないのでは。彼らが自分たちの歌として、音楽の表現しているのを見ると羨ましいと思うし、日本人は何かをなくしたと考えざるを得ない。彼らとは、人と音楽との関係性が全然違う。だけど、共通する部分も多いんです。僕は日本人だけど、彼らの音楽を聴くとすごく懐かしいと思ったりする。その間にあるものをよく考えていきたい。今後やって行きたい事は、これからも現地に通いながら彼らの音楽と向き合い、その上で自分のスタイル、自分の音楽を作っていくこと。そして先々、トゥバの友人たちや先生に、「お前は、俺たちの音楽を勉強して、俺たちの文化を深く理解して、その上でお前の音楽を作ったね」と認めてもらいたい。考えていることはいろいろあり、今後少しずつ形にしていくつもりです。僕はトゥバ人になれるわけじゃないんです。トゥバの音楽を愛した一人の日本人の音楽家として、自分の音楽を作っていきたいと思っています。

*本文中でも何度かリンクしていますが、寺田さんのブログはこちらです=「トゥバ日記」

取材場所は吉祥寺の「Cafe RUSSIA」、満員でお店自体が熱気。その中でさらに熱く思いを語る語る寺田さん。トゥバの音楽を紹介してくれてありがとう!自らの演奏活動はもちろん、多様な音楽を伝えてください。中央アジアを盛り上げていきましょう☆
by orientlibrary | 2014-02-08 18:31 | 中央アジア人