イスラムアート紀行

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中央アジア人2・かれらの眼に近づきたい。カザフ装飾文化を調査し発信する廣田千恵子さん

帰国の荷物が70キロと聞き、170㎝くらいのたくましい女性を想像していました。待合せ場所にふわりと現れた廣田さんは小柄でやさしい雰囲気。一方で、その眼差しや、揺れる水色のビーズのイアリングから、草原の風を感じます。人が惹かれて向かう地は、やはりその人に合っているなあと、いつも思います。今回は長文です。カザフ人の暮らし、装飾文化、現地での調査について、若き中央アジア人の思いをお聞きしました。(今回の写真はすべて廣田千恵子さんからお借りしたものです。多謝。*最後のコラージュはorientlibrary)

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<中央アジア人・2 >
「カザフの人たちのこころを知りたい。かれらの眼に近づきたい。その思いで突っ走る」
廣田千恵子さん(千葉大学大学院/カザフの装飾文化をフィールドワーク&発信)



■ ■ ■ いちまいの布を、ただただずっと見ていた ■ ■ ■

--- 装飾文化に興味を持ち始めたのは、いつ頃からですか。カザフの装飾文化をフィールドワークするようになったきっかけを教えてください。
手芸は苦手だったのですが憧れはありました。織や刺繍も詳しくなかったけれど、いつかやってみたいと思っていました。きっかけは2009年。東京外国語大学モンゴル語専攻時に、一年間モンゴル国立大学に語学留学したときの経験です。雪害の年ですごく寒かった。部屋の壁に氷が張るくらいでした。それで外気を塞ぐために窓に布を貼ったんです。バヤンウルギー(カザフ人が居住するモンゴル西部の県)で買った大きな刺繍布でした。それを毎日なんとなく見ていた。これ手で作ったんだよあ、時間がかかってる、すごいなあ。きれいなものはパッと見たときにきれいと思いますよね。でも、使いながら見ていると、また違ったものが見えてくるんです。響くものがあった。惹き付けられるように、ずっと見ていました。そして一針一針の縫い目を手で触ったときに、本当にきれいだと思った。これだ!これを調べたい、と思うようになりました。

--- バヤンウルギーの刺繍布、強い磁力があったのですね。どのような布なのですか。
トゥス・キーズと呼ばれる布です。布にびっしりと刺繍が施されています。家(天幕=カザフでは“ウイ”と言う)の中で、装飾品として、また防寒対策や砂よけのために使われます。でも、どのような意味を持つものか、またなぜ埋め尽くすほどに全面に刺繍を施すのか、全然知らなかった。あれだけの大きいものをよく縫えるなあ、と思っていました。

--- 布のことを調べたいと思い、どのようなアクションをおこしたのですか。
2009 年の留学はモンゴル語習得のために1年間費やしました。2010年の春、もっとカザフの文化を知りたいと思い、当時ウランバートルにあったカザフ文化センターで話を聞くと同時に、そこでカザフ語の勉強を始めました。大学4年生の秋に帰国。急いで大学院(千葉大学)を受験し、2011年に入学。カザフの装飾品を研究したいという思いから、文化人類学を専攻。2012年から再度モンゴル国立大学に留学し、バヤンウルギー県でのフィールドワークをスタートしました。布を美しいと思って感動し、大学院進学と再留学。ただきれいだなと思っただけで突っ込んでいきました。これは何?知りたいという思いだけで。

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■ ■ ■ どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう ■ ■ ■

--- 知りたいという、そこまでの強い思いの根源は何だったのでしょう。
人のこころ、でしょうか。どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう、という好奇心。家族のことをいろいろ考えて、思って縫うのだろうなあ。そういう心の部分、カザフ人ってどんな人だろうというのが知りたかった。

--- 熱い思いに感心します。20代前半にくっきりしたテーマを見つけて走っているのですから、すごい。モンゴル語を専攻した時点で、遊牧文化やアジアの文化に興味が強かったのですか。
何にも知らない、ちゃらんぽらんな学生でした。カザフ装飾に出会う前は、モンゴル語を知れば就職に有利かな、商社とかキラキラした企業で働いてお給料をもらえればいいや、くらいに考えていました。でも、ある出会いがあったのです。西村幹也さん(NPO法人北方アジア文化センターしゃがあ理事長)に会って人生が180度変わりました。西村さんの影響が大きい。西村さんは、「彼らが見ている眼と自分の眼とは違う。見ている世界が違う。彼らが見ている眼に近づきたい。彼らの眼になりたい」と言い、そのスタンスで遊牧文化を伝える活動を続けています。そうだ、私が見ている刺繍布と彼らが見ている刺繍布とは違う。彼らの眼に近づくためにはもっと知らなくてはいけないと考え、大学院進学を決めたのです。単純にきれいと感動したことも一因ですが、彼らの眼を持ちたいと思ったのがきっかけです。彼らの眼に近づきたいのです。

--- 「眼に近づく」、なるほど、遊牧文化に関わる活動を長くなさっている方ならではの言葉、視線ですね。
西村さんは、人生の先生です。加えて、留学中に日本人の学芸員に出会い、学芸員の仕事に興味を持つようになりました。いつか学芸員として仕事をするためにも研究テーマを見つけたいと思っていたときに刺繍布を見た。これを深めたい。普通に就職してお金を稼げればと思っていたのに、いまは「お金?どうでもいい」になっちゃった。すごい縁だと思います。

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■ ■ ■ 家族と同じ暮らし。天幕で起き20キロの牛糞を集める ■ ■ ■

--- 現地のことを教えてください。まず、モンゴルのカザフ人について。どのくらいの数の人たちがどのあたりに居住し、どのように暮らしているのですか。モンゴルに対しての意識は?
モンゴルには約14万人のカザフ人が、ウランバートル市などに居住(2007年現在)。私がフィールドワークに入っている西部のバヤンウルギー県には、およそ9.3万人が暮らしています。生業は季節移動型の牧畜が主です。メインは羊と山羊。山羊はカシミアが採れるので増えています。また、一部牧民は鷹の観光で収入を得ています。カザフの鷹の羽は質が良く、日本の弓道の矢にも使われているんですよ。かれらは「自分たちはカザフ人であり、バヤンウルギーはホームランドである」と思っています。モンゴル人に対してネガティブな感情はなく、同じ遊牧民だし土地を与えてくれたし、平和に暮らしてこれたのは彼らのおかげと言っています。

--- フィールドワークの生活はどのようなものでしたか。天幕で家族と暮らすのですよね。
元牧民で今は街の病院でお仕事をなさっているクグルシンさんという人の家で2年弱、住み込み調査をおこないました。クグルシンさんのお宅は県央であるウルギー市内にあります。また、毎月1週間ほど、ウルギー市から30kmほど離れたサグサイ郡のブテオというところに住む牧民・マナさんの家に泊まりにいっていました。クグルシンさんのところでも、マナさんのところでも、夏期はウイ(カザフの天幕)で、冬期は木造平屋の固定家屋で、家族と同じように暮らしました。ウイは広くて高くて快適。たくさんの装飾品で飾られています。田舎では、朝は起きてから家畜を放牧に出す仕事や糞掃除をします。春から秋は、燃料用の牛の糞を集めますが、これが重労働。20キロもの糞を袋に詰めて帰るので腰にくる。バヤンウルギーのほとんどが標高1600メートル、最も高いところは4300メートルに及びます。私が調査した場所も1700〜2700メートルと高かった。高地のせいか、疲れ方が違う。最初の3ヶ月で12キロ痩せました。でも病気ではなかった。食事の違いが大きいと思います。現地は朝昼とも揚げパンとお茶、夜は肉だけ。米をあまり食べないので痩せてしまいました。2年目には一時期体調を崩しました。数ヶ月間、39度、40度の高熱が突然出て、家の人に心配をかけました。たぶん疲労だったんだと思います。お風呂は1週間に1回くらい、少量のお湯を使う程度。これはきつかった。痒くて体を掻く。それが今、傷跡になっているんですよ。

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--- 調査はどのようにかたちで進みましたか。自分でも刺繍や織をおこなうのですか。
留学の調査テーマは「カザフの装飾品の社会的経済的利用の変遷について」です。社会主義時代には手作りの装飾品を販売することはなかったのに、資本主義経済になり観光地化していくなかで、大事な装飾品を売るようになった。そのことが彼らの経済に影響を与えています。その詳細を調べたい。日常生活のなかで装飾品がどのように使われているかも調べたい。そうして見て歩いているうちに、自分でも作りたいと思うようになり、2年目から作り始めました。作られたものは細密だけれど、手芸手法は凝ってはいないので、意外と簡単。反復練習を重ねていくうちに、できるようになりました。並行して元々牧畜文化に興味があったので、春営地、夏営地、秋冬のデータを取ることもおこなっています。

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■ ■ ■ 市販の糸を自分の手でさらに撚る ■ ■ ■

--- 装飾品の自宅利用と販売の比率はどのくらい?また手作りする人は今でも多いのですか。動向を教えてください。
装飾品は自宅利用がほとんどです。販売は本当に一部。でも自宅利用すら少なくなってきています。装飾手芸文化がなくなるのではないかと危惧しています。材料の糸などは、社会主義時代にはソ連からの支援物資をバザールで買っていました。ところが1980年代、突然物資が入ってこなくなった、あるいは値段が高くなったときがあったそうです。カザフの布製品はたくさんの糸を使うので大変です。40代〜60代くらいの女性がその頃のことを話してくれるのですが、持っている服を裂いて糸にして、その糸を撚ってから使ったそうです。そこまでして作らなきゃいけないの?と聞くと、あの頃は時間があった、と。以前は給料をもらえていた、やることやっていれば時間もあり、生活に少し余裕があったのだそうです。想像ですが、手芸ブームみたいなものもあったのではないかと思います。

--- 服から糸を作るのですか。そこまでして装飾品を作ってきたんですね。
70年代80年代に作られた装飾品が圧倒的に多いんですよ。70年代まではロシア製の細い糸、元々撚ってある糸をそのまま使っていた。80年代には生地を裂いて作った糸を自分たちで撚る。糸が太くなり糸の質が良くなりました。自分たちで撚った糸、労力を費やした糸で作るので、女性たち自身も質の良さを自覚しています。90年代、がらっと変わって中国製の糸になる。これが質が悪い。細くて毛羽だって、すぐに切れてしまう。けれども、それを使わざるをえないので、自分たちで撚るんです。三重くらいに撚って撚って、ものすごい時間かかっている。貴重で丈夫なドイツ製の糸でも撚っています。自分の手で作るからには、質のいいもの作りたいというプライドがある。きれいということだけではない、日々使うものなので実用性、丈夫であることは重要。その人たちの眼になると、そうかなと思う。あるもので手をかける。安い糸を買っても手をかければ美しくなる。ものづくりしている人たちのこだわりですね。時間をかけるのがすごいなあ。時間感覚が違う。

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--- 手に入るもので時間と手間をかける、手仕事の基本なのかもしれませんね。若い世代も手芸が好きなのですか。
人によりけりですね。勉強したい、海外留学したいという人は手芸には行かない。最近ではパソコンや携帯電話で遊んだりする方が面白いと感じる子も多い。人気アイドルのクリップをみて踊ったり。一方、手芸全般ができるとある30代後半の女性は、「おばあちゃんに手芸はやっておきなさい、嫁に行くとき利益になるよ」と言われたそうです。こだわりを持って手芸をしていると、上手な人がいるという噂が広がり、みんなが頼むようになる。あるときは、作ってあげた布のお礼に羊2頭をもらい換金、大きな利益を得たそうです。こういうタイプの人は、常に刺繍しています。また、子供が多い家庭のほうが装飾品を作ります。子どもの数は9人、10人くらい。18人という人も。子供が多いと、子どもが家事や兄弟の世話を担うので、親は自分の時間を作ることができる。装飾品を作る環境作りになります。子育てにお金のかかる日本や欧米とは逆の発想ですね。

--- カザフの装飾品は、いつ頃に生まれ、どのように発展してきたのですか。
カザフの手工芸の歴史については、資料が少なく探している最中です。その歴史について、はっきりしたことは今の私にはまだ言えません。模様については、伝統的に受け継がれてきたと言われるものもあれば、一部は近隣地域の手芸品やバザールにある既製品などを見て取り入れていったのではないかと想像します。いまは安いキリムが入ってきているので、それを買って使う人もいます。モンゴル人は絨毯を壁に貼るけれど、カザフ人は貼らない。というのも、主柱がないウイの構造上、重いものは負担になるからです。でも何かつけないと美しくない。だから布になったのではないかと思います。布になる前は、フェルトなど別の素材を使っていたのではないかと。ちなみに、刺繍布の下の部分は完結してしまうから(不完全な部分を残す)ということで縫いません。

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■ ■ ■ 赤を使わない人はいない。満たすように縫う ■ ■ ■

--- 布は、赤やオレンジなど、とにかく色合いが派手ですね。
色や模様については、モンゴルはシンプルでシック。カザフは多彩で華やか。カザフ人のセンスで、派手なものが美しいと思ったのだと思います。色の組み合わせは子供のときに親が教えてくれるそうです。地味めの人もいるんですよ。でも、赤を使わない人はいない。たぶん自分の作っているものが派手だと思っていないと思います。美しい、きれいという言葉はよく使いますが、派手という表現は使わない。派手とか地味とは異なる概念があるのだと思います。私自身もシンプル好みだったのに、現地に行ってから派手なのがいいなと思うようになりました。自然環境が大きいと思います。山合いの地で色彩がまわりにない。そんななかでは、赤などの明るい色を求めるのではないでしょうか。また、自分で刺繍をやってみてわかったのですが、色選びは意外に難しい。大きな布のため全体が見えず、頭の中でイメージしにくい。でも、カザフの女性は頭の中で見えているんです。すごい才能だと思う。

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--- 模様は大胆で、ぎっしりと埋め尽くすように縫い込まれています。
よく見かける丸の模様ひとつとっても、作り手はかたちにもこだわっています。規則性がある。余白や間のような日本の美的感覚とは違うようです。余白があるのは美しくないのかもしれない。満たす、という感じでしょうか。カザフの女性たちは手工芸を楽しんでいる。楽しまなきゃ、あのびっしりした手仕事はやりきれないでしょう。使う家族や相手を思って作っていくし、自分も楽しんで作る。だから心に響くものになる。販売目的だったらたぶん作れないんじゃないかな、あれだけのものは。

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--- 民族衣装はどのようなものですか。日常に着ていますか。
民族衣装は男女とも、ふだん着ている人はあまり見ません。祭りなどの行事には大勢の人が着ているのを見ます。模様の刺繍のある長いコート、装飾のある凝ったベルトなどです。男性の帽子、女性のスカーフは、普段からよく着用しています。女性が髪を見せるのはよくないようです。元々の習慣でもありイスラム的なこともあるようです。現実的には頭が汚れているのを隠したり、冬は防寒にも役立ちます。私も向こうでは、バザールでいろいろ買って毎日かぶっていました。

--- 宗教が暮らしに根づいているのですか。イスラム?チベット仏教?また中国の影響はどうですか。
イスラム教のスンニ派ですが、それほど厳格ではありません。また、チベット仏教でもありません。中国の影響はないと思います。中国化は避けているように思います。でも、中国のミシンや糸、織物が入ってきているなど、現実的な関わりはありますね。


■ ■ ■ アウトプットは大事。勢いをつけていきます ■ ■ ■ 

--- 現在は一時帰国中。また現地に戻るそうですね。今後、どのようなかたちで活動をしていかれるのでしょう。とても興味があります。
冬に一時現地に行き、春からはしばらく日本で活動します。現地で集めた手工芸品を紹介する展示会をしていきたい。それが大切なものを売ってくれた人たちへの恩返しにもなるかなと思います。試行錯誤ですが、布の展示に際しては、作り手のこと、布の背景を伝えたい。作り手の人となり、暮らしや歴史について語っていきたい。その上で、その人に何か作って欲しいという人がいたらオーダーを取るなどして、少しずつ広がっていけばいいなと思います。将来は招聘事業もしていきたい。作者と生で交流してもらうと、また違うでしょう。逆にツアーで向うに行き、触れ合ってもらうのもいいなと思っています。

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--- ビジョンとともに、具体的な活動のプランがありますね。アウトプットを強く意識されている印象です。
手探りなんです。でも、夢ややりたいことって口にしていくほうがいいと思う。言っていくことで、広がっていけばいいなと思います。アウトプットはすごく大事だと思う。「カザフ情報局 ケステ」というホームページを作り発信しているのも、とにかくカザフに触れて欲しいから。まず興味を持って欲しい。学校などで教えることも考えましたが、論文やペーパーだけを残してなんになるんだ、という気持ちが強い。日本ではカザフについての情報が少ないんです。モンゴルはいろいろあるのですが。カザフにも、こんなすごいのがあるよ!と発信していく方が盛り上がるかなと思って。そんな気持ちで、この一年は勢いをつけていこうかと思っています。

* 廣田さんが管理人をつとめる「カザフ情報局 ケステ」。カザフの人、暮らし、装飾文化について、豊富な写真とともにイキイキと紹介。

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もう何もつけ加えることはないのですが、丸の模様や他の地域からの影響の話も出ていたので、自分の写真を見ながら考えてみました。文様構成は中央アジアの好みがベースにあるような気がします。

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(上段左から:ウズベキスタンのフェルガナ(タジク寄り)のスザニ/同マルギランのスザニ/ブハラのアンティーク・スザニ3点。色の組合せやデザイン=オアシス的と感じる/リシタン陶器=大皿の模様。青と緑で花円を多数描く/ご存知トルクメニスタン、テケ族の赤い絨緞。強烈なギュル。遊牧民の強さと、突き抜けた手技の洗練がある/パキスタンのミラーワーク。円の模様は各地にある/雲南の民族衣装。印象だが、高地に行けば行くほど手仕事の濃密度が高まるような気がする。とてつもない凝縮に圧倒される。一種のトランス!?)


廣田さん、ありがとうございました。とても楽しい取材でした。WEBサイト、レクチャー、展示会、ツアー、招聘事業、どんどんアウトプットする、興味を持つ人が増える、きっと動きが生まれるはず!、、その意気と粋がいいな。触発されます。どんどん発信していってくださいね。そして、中央アジア、盛り上げていきましょう!
by orientlibrary | 2013-12-25 19:48 | 中央アジア人

青のタイルとやきもの 2014

あっという間に20日になっていました。タイルの歴史や建造物についてコツコツと調べて少しずつ入力していたExcelのファイルが壊れ、気を失っていましたが、Mac神Sさんのおかげで本日、Excelも本人も回復。準備していたタイルセレクト12、カレンダーっぽく(日がないカレンダー!?)アップしてみます。インタビュー編である「中央アジア人」の「カザフ装飾文化」、原稿終了していますので、近日中にアップ予定です☆

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1月:ブルーモスク(マスジト・キャブード)/タブリーズ、イラン/カラコユンル朝、1465年/「カラコユンル」、訳して黒羊。イラン北西部からイラクにかけて権力を握ったトルコ系の王朝時代の建造物。カリグラフィー、植物文様のモザイクが圧倒的なまでに繊細優美なタイル装飾の傑作/Blue Mosque (masjed-e kabud)


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2月:シャーヒズインダ墓廟群/サマルカンド、ウズベキスタン/ティムール朝、14世紀後半(写真の廟はたぶん15世紀前半建造)/シャーヒズインダ墓廟はタイル装飾の博物館とも言われタイル技法の宝庫。幾何学文様、アラビア文字による銘文、様式化した小花文様が多い。サマルカンドの青い空と呼応する青の世界がたまらない魅力/Shah-i Zinda funerary complex


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3月:アイシャビビ廟/タラス、カザフスタン/カラハーン朝、12世紀/焼成レンガだけで作る風雅。レースのように軽やかな土色の美。ブハラの「サーマーン廟」(10世紀)など多彩な模様の焼成レンガのみで作られた建造物もまた、西アジア中央アジアの土の魅力を発現して美しい/Aisha-Bibi


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4月:ナディール・ディヴァン・ベギ・マドラサ/ブハラ、ウズベキスタン/ブハラハーン国、1622年/ファサードの二羽の不死鳥と太陽の顔を描いたタイル装飾で有名。ファサードだけでなく外壁、中庭、渡り廊下に至るまでタイルの魅力が満載。多彩なデザインと技法で描き尽くす。かの地で14世紀頃から愛され発展してきたタイル装飾が成熟した時代の美しさを堪能できる/Nadir Divan-Beghi Madrasah


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5月:アリシェル工房/リシタン、ウズベキスタン/フェルガナ盆地の東にある中世からの陶芸産地リシタン。伝統の色、技法、図柄を守る工房が、現代のデザインにもチャレンジしながら腕を競う。アリシェル工房は自由闊達な筆使いが魅力。師匠と弟子学校の場でもあり若い弟子たちがウストから伝統を受け継ぐ/Alisher Nazirov studio


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6月:トゥラベク・ハーヌム廟/クニャ・ウルゲンチ、トルクメニスタン/ホレズム・シャー朝、1370/イルハーン朝のタイルの影響を受け、流麗な文様を描く廟。ドーム天井の装飾はタイルの宇宙。タイル装飾の至高。14世紀にこのようなタイル世界に到達していたこと、土から作る至高の美を尊敬する/Mausoleum of Tughabeg Khanum


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7月:ティラカリ・マドラサ/サマルカンド、ウズベキスタン/1646〜1660年/レギスタン広場正面にあり、ファサードから中庭までタイル装飾が美しい。金箔を施した内部装飾が有名。写真は中庭の壁面ディテール。修復されていないモザイクタイル装飾、製作過程が垣間見え興味深い。埋め尽くすイスラームの美学に熱中するなか、このような偶然の余白を見ると、こちらもまた好ましく映る/Tilya-Kori Madrasah


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8月:ザンギアタ廟/タシケント、ウズベキスタン/オリジナルはティムール朝の15世紀か/地元ムスリムに愛されている聖所。通えば願いごとがかなうという。老若男女が集い公園のような賑わい。礼拝の場は敬虔な空気が満ちる。青いタイルはどっしりとして趣きがある/Zangiata Mausoleum


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9月:ウスマノフ工房/リシタン、ウズベキスタン/陶芸産地リシタン、細密な絵付けが魅力的なウスマノフ工房。二羽の鳥の図柄は伝統的。「陶器の青は砂漠のなかの水のようなもの。心が安らぐ」。職人さんたちの遅い昼食、和気あいあいと/Rustam Usmanov studio


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10月:「青の魅惑 イラン・トルコ・ウズベキスタンのやきもの」展/INAXライブミュージアム、2011年/中東、中央アジアの建造物の青の輝き。その「青の遺伝子」は今も受け継がれている。日本で紹介されることの少ないイラン・トルコ・ウズベキスタンの現代のやきものを、現地の代表的な作家作品を通して紹介。写真はトルコ・キュタヘヤのメフメット・コチェル氏作品/The Allure of Blue -The Ceramics of Iran, Turkey and Uzbekistan


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11月:ブハラ旧市街モスク(名称不明)/ブハラ、ウズベキスタン/16世紀?/旧市街の観光名所ではない場所にある古いモスク。オリジナルと言われるタイルが残っており独特の濃い空気に包まれる。モザイクタイルは様式美に走らない力強さや親しさがある/ Bukhara, old mosque


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12月:ホジェ・アハマド・ヤサヴィー廟/トルケスタン、カザフスタン/ティムール朝、1370〜1405/壮大な廟建築。聖地として今も巡礼が盛ん。彩釉レンガとタイルを駆使した外壁の壮麗な装飾はティムール朝初期の優れた事例。青のタイル、色合いが深い/Mausoleum of Khodja Ahmad Yasawi
by orientlibrary | 2013-12-20 20:24 | タイルのデザインと技法

真珠の世界史、東方見聞録、カロタセグ

真珠を旅する

e0063212_025377.jpg真珠の世界史 〜富と野望の五千年〜』(山田篤美著/中公新書)。『ムガル美術の旅』の著者が徹底的に探った真珠史。フォーマルシーン以外にあまり意識することのない真珠でしたが、卑弥呼から東方見聞録、帝国主義、養殖真珠、グローバル化まで、真珠をめぐる激動の歴史に驚きの連続でした。

まとめられないので、同書からの引用にて。

「古代ギリシアやローマでは真珠は最高の宝石だった。なぜなら丸くて美しいアコヤガイの真珠は、アラビア半島と南インドの海域でしか採れなかったからである。そのため古代ヨーロッパ人は希少な真珠に高い価値を置いてきた。真珠は、コショウや象牙、綿織物などとと同じように、オリエントを代表する富のひとつだった」
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(真珠の写真がなく仕方がないと思っていたそのとき、偶然入れたテレビが真珠の番組でビックリ。カメラを持ってきてテレビ画面を撮影しました。NHKの番組より/自然が生み出す丸くて美しい玉。神戸の加工工房ではミリ単位の大きさを一瞬で判断していく)

「十六世紀の大航海時代になると、新大陸のベネズエラ沿岸部がアコヤガイの真珠の産地であることが明らかになった。スペインはベネズエラの真珠の産地を支配。ポルトガルはアラビアとインドの真珠を手に入れた。こうしてヨーロッパには大真珠ブームが訪れる。十七世紀になると、ダイヤモンドの人気が増していったが、十九世紀後半に南アフリカでダイヤモンドが発見されると、その希少性が減少し、真珠がダイヤモンドよりも貴重になった」

15世紀、コロンブスが「発見」したベネズエラ。スペイン人は、当初は先住民が持っていた真珠を収奪するも、次第にカリブ海の無人島を拠点にしての真珠の採取へ。バハマ諸島でとらえた先住民を強制連行して海に潜らせる。潜水という重労働を朝から夜まで強いられた先住民は次々と命を落とし、民族絶滅の道に追い込まれます。

紀元前、ある博物学者は、「それを獲得するには人命をも賭けねばならない」として、真珠を「貴重品の中でも第一の地位、最高の位」と述べているそうです。清楚な輝きは古代より権力者の証、そして帝国主義の賜物。

「したがって二十世紀のはじめの日本の真珠養殖の歴史的意義は、ヨーロッパの支配者階級が二千年にわたって熱望し、カルティエ社やティファニー社が高値で販売していた真珠という宝石の価値と伝統を瓦解させたことだった。養殖真珠の登場で、真珠は大量消費時代の大量生産商品になったのだった」
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(NHKの番組より。神戸は世界有数の真珠製品の集積地なのだそうです。現在は南洋産の多彩な真珠が豊富に供給されており、日本で細密に加工されお洒落な製品に。フォーマル一辺倒ではない斬新なアクセサリーをデザインする日本女性も紹介されていました)

日本の養殖真珠は欧米による財宝の支配をグラグラと揺るがしました。その品質があまりに素晴らしかったため欧米では排斥運動も起きたほど。やがて日本は真珠王国に。けれども、「ほかならぬ日本人がこのことを十分理解してこなかった」。

古代日本でも最古の輸出品であり、戦後は外貨を稼ぐ救世主となった真珠。「日本は長い間真珠王国だったが、いったいどのくらいの日本人が貝から真珠を取り出したり、その真珠の神秘的な美しさや輝きに感動したことがあるだろうか。真珠と産地が一体ならば、私たちはきっと海の環境にも目を向ける」。結びの言葉は、「豊穣な海があり、美しい真珠があること、それが日本の原風景なのだから」。

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東洋文庫ミュージアムで『東方見聞録』を見る

真珠史でも鍵を握ったマルコ・ポーロの『東方見聞録』。現在、文京区の東洋文庫ミュージアムで、「マルコ・ポーロとシルクロード世界遺産の旅~西洋生まれの東洋学~」展開催中。
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(東洋文庫ミュージアム。上段右がアントワープで出版されたラテン語訳本。下段は世界で出版された『東方見聞録』)

『東方見聞録』では、日本は「莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている」との記述があるようです。

一方、『真珠の世界史』での『東方見聞録』は、次のように紹介されています。「この書物は紀行文というよりも、オリエント世界ではどこにどのような特産品があるのか記された情報本だった。きわめて役に立つ本で、たちまち当時のベストセラーとなった。百四十以上もの古写本などがヨーロッパ各地の図書館に残っている」。

『東方見聞録』、真珠についても情報が。オリエントの真珠産地は、日本、中国、南インドとセイロン島の三カ所。丸くて美しい真珠の産地は、世界でも日本と南インドとセイロン島だけ、と。これらの地域への到達がヨーロッパの支配者の悲願になりました。

展覧会では世界で出版された同書が多数展示されています。なかでも目玉は、1485年、アントワープで出版されたラテン語訳本。世界で3番めに古いもので、西洋で最初期の活字印刷物にあたる貴重な書だそうです。

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中央アジア人、予告編

「中央アジア人」、小さな予告編です。第2回は漆芸作家の中村真さん。ウズベキスタンで中央アジアの民族造形の調査研究をおこない、タシケントの工房で楽器制作と修理を習得した中村さんの報告書と、先日お聞きしたお話をもとに、書いてみたいと思っています。ドゥタール、カシュガルルボップについて、長い時間をかけてその行程を追った制作記録が圧巻。
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(アトリエにはウズ愛あふれる不思議グッズがたくさん。音楽もウズポップ。楽器が美しいです。私の陶芸の先生Kさんの先輩でもある中村さん。3人で語りましたね〜。楽しかったです)

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フォークロアの宝庫、トランシルバニアのカロタセグ

「イーラーショシュとカロタセグの伝統刺繍」展。「トランシルヴァニアの片隅にひっそりと、煌びやかな手仕事の文化が花ひらきました。その多彩で豊富な刺繍の世界を、コレクションとともにご紹介します」「カロタセグを代表する刺繍「イーラーショシュ」をはじめとする、農村を土壌に生まれ、育った美しい手仕事の数々。今年発売された二冊の本の出版記念として開催いたします」(手芸研究家・谷崎聖子さん)。
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(展示会場写真がないのが残念〜撮ってもよかったようです。圧倒的な衣装や刺繍、ディスプレーをお伝えできないことは残念ですが、自身は一期一会と思って、本を見ながら想像を広げようと思います。下段中と右がイーラーショシュ)

東欧は行ったことがなく、ほとんどわかりません。でも小説や音楽や衣装など、断片的には見ており、興味は大きいのです。展示は、まさにフォークロアの宝庫を感じさせるもの。とても充実した展示でした。ブログや書籍の写真がまた、ものすごくいい。ステッチや図案も詳細。

主催者である谷崎さんの熱い気持ちが伝わります。熱ですね。調査、蒐集、研究、発表、展示、すべて熱。あふれるようなものがないと、伝わらない。ルーマニアの刺繍は赤が多く、可愛く強い。強烈に重い密度。自然のモチーフが多彩。魅せられた気持ち、わかるなあと思いました。

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船でしか行けない秘境の温泉

平家の落人伝説が残る秘境の宿、しかも交通手段は船だけ。それが「大牧温泉」(富山県南砺市)。遊覧船が遡り行く庄川は紅葉の盛りです。前日に降った雪が遠景の山にうっすらと積もり、前景は赤や黄色の紅葉。川面に映る紅葉が絵画のようです。

大牧温泉は、1183年、合戦に敗れた平家の武将が源氏の追撃を逃れ隠れ家を求めてこのあたりをさまよっていたとき、豊富に湧き出る温泉を発見。その湯を口にし湯あみをして創傷の身を治したのが始まりとの由来が。

かつては峡谷の底に村落があり、村人の湯治場でした。1930年、ダムの完成とともに村落は湖底に没し、温泉宿一軒だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残されてしまいます。

温泉を何とか続けようと、源泉を湖底から採り込み、船を頼りに再興されたのが現在の大牧温泉の基。
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(40分ほどかけて深緑色の川を遡る。関東や関西からのツアー客で満員。紅葉シーズンが観光のピーク?宿の人によると、「冬が一番人気」なのだそうです)

日本の百名湯にも選ばれた湯質、ホカホカあったまります。富山の民芸・工芸を訪ねる小さな旅のひとこま、でした。民芸はまたの機会にご紹介できればと思います。

民芸ついで、と言ってはなんですが、「今どきの民芸」、盛り上がってますね〜。雑誌「nid」でも「民芸はあたらしい」特集。民芸のある暮らし。まだ熱中が続いている私がチェックしているサイトの主催者や時おり出没しているショップのオーナーも。お洒落だな〜。センスがいい。ほんと、いい感じ。
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(民芸と特集する雑誌「nid」。下段中と右は、セレクトの眼が冴える「工芸喜頓」さんにて。いろいろ欲しいよー!久々の物欲上昇)

民藝という視点では、「違う(本当の、本物の民藝ではない)」という意見もあるのかもしれない。でも、やきものや手仕事で心が満たされ、日々が潤うのならば、いいのでは。個人的には、器で美味しさがこんなに違うのかと眼からウロコの日々です。

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今回もバラバラな話題です。まだまだトピックがあるのですが、なかなか書けません。ひとつのテーマを深めた長編?もトライしたい。元気でやってるんですが、とにかく日の経つのが早いとしか言いようがないのです。せっかく訪ねてくださっているのに、、なるべく間をあけずアップしたい。12月、ブログも走りたいと思ってます。最後にタイル写真をどかん!と。

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(ナディル・ディヴァンベギ・マドラサ(ブハラ)/Nadir Divan-Beghi madrasah, Bukhara, Uzbekistan)
by orientlibrary | 2013-12-07 00:03 | 美術/音楽/映画