イスラムアート紀行

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風のインド、花のインド

インドを書いた本が好きです。(あ、全部ではありません。いろんな本が出てますからね) 私の好きなインド本を出してきました。(引用して更新しようという甘い考え!) でも、どの本も、どのページをめくっても、心に沁みてくる文章、心地よさに包まれる文章で、迷ってしまい、、もうパッと開いたページに近いノリで選び、ほんの少しだけ書き出してみました。ね、インドに行きたくなりませんか!?

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(ヒマーチャルプラディーシュ州/orientlibrary)


*** アショーカ、チャンパ、春 ***

「男の家は城門の脇の路地を数十メートル入ったところにあって、この辺りではめずらしく緑にあふれていた。遠くから庭のアショーカ大樹が見えた。明るい萌葱色の、その涼しげなはむらのあいだからは、珊瑚色の花房がいくつも下がっていた。門の前までいくと、塀の上からチャンパの花枝が張りだしていた。白い優雅な花が、ちょうど咲き始めたところだった。そのかぐわしい匂いを私はよく知っていた。荒涼とした無慈悲な大地にも春が来ているのである、彼は振り返り、微笑みながらその美しい花の名を言った」

■ 『喪失の国、日本』訳者の序より引用/M・K・シャルマ著、山田和訳/文藝春秋/2001年/ここに登場する「彼」が著者のシャルマ氏。とても触発的な素晴らしい文化論なのに本のタイトルが変で残念です。訳者の山田和さんの文章、この透明感がたまらなく好きなんですよね〜!!ふわ〜っとしてきます。

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(ラジャスターンにて/orientlibrary)


*** 花、木、草 ***  

「私にとってインドの良さは都会より田舎にあった。その簡素な暮らしぶり、人と木や草との関わりあい方は、私がふだん何気なくしている行為の原点を見せてくれることが多かった。それまで私を、知らず知らずのうちに縛っていた日本の常識とか観念というたががひとつひとつ外れていくのは快感だった。インドという国で、さまざまのことを言葉とともに覚えていくことは、またたがの掛け替えでもあったが、それは子ども時代をもう一度やり直しするような楽しさがあった」

■ 『インドの樹、ベンガルの大地』より引用/西岡直樹/講談社文庫/1998年/西岡さんの『インド花綴り』には精密で美しい花の絵が満載。

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(ラジャスターンにて/orientlibrary)


*** コンピュータ、牛、日記 ***

「実際のところ、インドは現在の日本しか知らない人間にとっては、驚きの多い社会である。街頭に立つだけで明らかにわかる貧富の差。牛の集団がハイウエイの中央分離帯で昼寝をしている風景。たびたびの予定変更や値引き交渉に現れる価値観のずれ。「召使」や「知識人」といった、現代日本では死語同然になった社会階層が厳然と実在している状況。いまになって日記を読んでみると、私が近代日本について知っている知識を総動員し、それとの比較でこれらの事象を解釈するというかたちで、その衝撃と対応していることがわかる」

■ 『インド日記 牛とコンピューターの国から』より引用/小熊英二/新曜社・2000年/デリー大学の客員教授として滞在した2ヶ月。ネットで日々原稿を日本に送信しながら書かれた本。2000年には、そのこと自体が新鮮に感じられた。インドが高度成長に邁進していた時期、しかしコンピュータカフェの前には牛がいる。見るもの聞くものに敏感に反応し、的確に素早く書きこんでいく。同じ24時間を生きていて、こんなにも多くのことを感受し、即時に文章化できるなんて、、感心します。

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(ラジャスターンにて/orientlibrary)


*** 風、美、幻想 ***

「夕暮れの屋上は、風が出て心地よかった。僕らは椅子に座り、屋上で夕涼みをきめこんだ。足元には赤唐辛子が干してあり、頭上にはあくまでも青く広い空が拡がっている。南天高く仄白い昼の月がかかり、辺りは鳥の声に満ちはじめていた。あちこちの白い石の家々の屋根では猿が戯れていた。広い家並みが遙かな丘陵に向かってなだらかに続き、その頂きには荘重な古い宮殿が眺められた。それこそ、十九世紀末のインド総督ジョージ・カーズンに「美中の美」と絶賛され、ウインザー城に比された、壮麗なマハーラーナー宮殿に他ならなかった」

■ 『インド・ミニアチュール幻想』より引用/山田和/平凡社・1996年/アトランダムにページを開いても、静かで深く、透明で温かな文章がつづられており、引用カ所を選ぶことができません。私の好きな屋上のシーン。視界の広がりがあります。私も夕暮れのウダイプルでなごんでいる気分。山田さんみたいな文章、書けるようになりたい。

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(ヒマーチャルプラディーシュ州/orientlibrary)
by orientlibrary | 2009-04-24 19:46 | インド/パキスタン

セレクトショップで”ギーヴェ”は売れますか?!

西アジアの伝統工芸や遊牧民の暮らしを強烈に愛するSさん、今年もイランへ。“あのへん好き”が集まった機会に、バザール(観光客は行かないような地元のバザール。イスファハンでした?テヘラン?)で買ったという様々な綺麗なもの、おもしろいものを見せてくれました。

毛織物、布、細密画から食器、キラキラのライターまで。情緒的で浪漫な感じで、イランだなあと皆で楽しみました。そして最後に、こんなものも、という感じでSさんが出したきたのが、靴(らしきもの)。「何、これ〜?!」、、好奇心が刺激されますね〜。

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(謎めく靴底を持つイラン靴(右)、その正体は!?/(左)のはゴム底のレディース)

靴の上部(甲部)はコットン製。爽やかでステキじゃないですか〜☆!が、裏を見るとどっしりした布製?さらに謎なのは、つま先とかかとのワラ状のもの、、。Sさんによれば「ラクダの骨と聞いた」そうです。マジックでデカデカと書かれている「3」はサイズ?

「裏の布地、雨の日に色が滲みだしてくるかも〜」などと失礼なことも言いつつ、「“キャメルボーンシューズ”ってことでBEAMS とかで売り出したらいいのに」と盛り上がりました。

写真も撮って帰ったので、ブログの話題で「イランのメンズ靴特集」がいいかも、と思って写真集をチェック。ペルセポリスから現代までページに付箋をしていたところ、、なんと発見したのです。この靴を作っている写真を!

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(「IRAN THE NEW MILLENIUM SERIES」より引用。「伝統的なやり方でコットンの靴を作る」とのキャプション。どうも「キャメルボーン」とは靴底が異なる印象、、品がいいというか、、)

イラン全土を紹介したガイドブック的な写真集「IRAN THE NEW MILLENIUM SERIES」のなかの「KURDISTAN」のなかに風景や建築と並んで大きく紹介されています。文中の説明は短く、「イランの靴の種類のひとつである“GIVEH“。通常は田舎で使用される」とのこと。伝統工芸が今も生きているという説明の流れなので、クルドだけが履く民族的な靴というわけではなさそうです。

もっと知りたいなあ、、そう、こんなとき頼りになるのが、『ペルシアの伝統工芸 風土・歴史・職人』(平凡社)。載ってるかなあ、、、あ、さすが!ありました。「ギーヴェ(布靴)作り」。ホントに素晴らしい本です。

が、いきなり、「ギーヴェ作りという地味な技術の発達過程については、ほとんど知られていない」という文章。でも、ただ者ではないこの本、ここからが詳しい。数ページを費やしています。もともとはファールス州のグンディージャーンという地域が生産地として有名でしたが、現在ではイスファハーンとシーラーズの間にあるアーバーデというところが産地なのだそうです。
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(『ペルシアの伝統工芸 風土・歴史・職人』(平凡社)より引用。ギーヴェの靴底)

「イランのギーヴェはイランの気候によく適した、履き心地のよいものであるが、西洋タイプの靴とはまったく異なっている。それは驚くほど強靱で耐久性のある布製の靴底と、綿糸で編んだ甲部とからできている」。

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(『ペルシアの伝統工芸 風土・歴史・職人』(平凡社)より引用。甲部と靴型)

ギーヴェの製作には3人の職人が関わるそうです。まず女性が自宅で丈夫な綿糸で甲部を編みます。この仕事だけで数日必要。次に靴底作り職人がゴムを塗ったぼろ切れなどを平らに打ちのばし、さらにつま先とかかとには帯状の牛の皮を補強剤として置き革ひもで固定する。3人目の職人は、靴底のまわりに革ひもを縫いつけ、靴型に甲部を乗せて縫い合わせる、、、

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(『ペルシアの伝統工芸 風土・歴史・職人』(平凡社)より引用。靴底を甲部に縫い合わせるギーヴェ職人)

と複雑な記述を要約して書いてみても、じつはさっぱり理解できていません。とにかく手間をかけて作られるようです (^_^;)。問題はキャメルボーン。どこを読んでも、記述が出てこないんです。

「良質なギーヴェには、綿糸で内張りされたり、かかとが革張りされたり、爪皮で補強されたものもある」、、、たしかに(イラン商人が言うところの)キャメルボーンシューズには、中に裂き織りの内張りがありましたから高級品なのかも!だから本当にキャメルかも!さらに、こんな記述が。

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(『IRAN JEWEL OF JEWELS』より引用。暮らしの中の靴ってこんな感じでしょうか)

「使い古したタイヤはほとんど限りないと言ってよいほど供給されるので、いまや多くの職人は、そのようなタイヤを使って靴底としたギーヴェを作っている。その結果、従来のギーヴェ作りの技術は著しく衰えてしまった」。

この記述から類推すると、タイヤ底ではないSさんのギーヴェは伝統的な手法で作られた稀少なものではないかとも思われます。「キャメルボーン」となれば、もっとすごいんじゃないですか?、、でも、、、なんだか革ひもにも見えてきたんですけど、、、

やはり、謎ですね〜。モロッコサンダルはお洒落さで人気。セレクトショップにイラン靴が並ぶ日は、はたして来るでしょうか?!

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(上品と野蛮のミックステイスト!私の大好きな映画「レニングラード・カーボーイズ・ゴー・アメリカ」の靴を思い出しちゃいました(*^_^*)。・・思うに、縁を揃えてカットしていない点がキャメルボーンの気配の一因かも)
by orientlibrary | 2009-04-18 19:16 | 中央ユーラシア暮らしと工芸

イスラムタイル、青の二重奏

うすもも色の桜の花びらがひらひらと舞い散る様は、まさに日本の春。でも、「イスラムアート紀行」ですから、少しイスラム風の香りが出せないか、試みてみました。ミフラーブ風の装飾がほどこされたガラス戸超しの桜です。

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桜色からパープルへのグラデーション、好きな色です。夕暮れのブルーグレーも好き。でもやはり、色として強く迫るのは私にとってはブルーです。イスラムタイルに惹かれる理由のひとつは、青という色の魅力であることは確かです。

世界最古のタイルと言われるエジプト第3王朝(BC2650年頃)のファイアンス(石英の粉を練り固めた胎土に天然ソーダと酸化銅を混ぜて施釉したもの)は、トルコ石のようなターコイズブルー。

メソポタミアでは、紀元前1700年頃の文書に、高度に発達した釉薬の知識があったことが記されているそうです。バビロニアやアッシリアでは、緑釉や青釉が彩釉レンガや飾り釘などに使用されました。バビロニアのイシュタール門(BC1000年頃)はコバルトブルーの彩釉浮彫レンガが強烈な印象です。

その後長い時をおいて、11世紀のセルジューク朝頃からしだいにターコイズブルーのタイルが建築装飾に使われるようになります。13世紀中頃からのイルハーン朝ではラピスラズリの意味を持つコバルトブルーの「ラジュバルディナ手」の技法が開発されました。陶器にも装飾タイルにも、青が使われるようになっていきます。

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(イラン国立博物館にて撮影。詳細不明。浮彫り、ラスター彩に見える地模様、カリグラフィー、二つの青のミックスなどがきれい。惹かれます)

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(イラン国立博物館にて撮影。詳細不明。大胆な二つの青使い)

もともと、西アジアでは、高い温度で焼くことのできる粘土や燃料となる脂分の多い木材が少なく、低い温度で焼ける釉薬を利用していたことが青、緑、黄色などの色遣いにつながったと言われ、材料の制約から青が多用された面はあると思います。けれども11世紀頃から、より積極的に青が選ばれ始めたような気がします。

その背景として、空や水の色、そして聖なる色である青を愛好するイスラムの影響はあるように思います。(「イスラムと青」については文末の過去記事をご参照ください)。

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(空、水。深々と清冽な青の魅力。キルギスのイシククル湖。向こうに見えるのは白き天山山脈の連なり)

さらに「美の流行」が背景にあると想像します。イルハーン朝の頃、イランのカシャーン付近ではコバルト顔料が採掘され、白磁藍彩陶器が作られます。そして、このコバルト顔料は中国に輸出され、中国では鮮やかな染付(青花)が作られて世界に輸出されます。世界は染付に熱狂。このグローバルな美のトレンドが、もともとあったイスラムの青への嗜好を、さらに強く刺激したのではないかというのが、タイル好きの私の想像です。

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(ホラズム王国のタイル。トラベク・ハニム廟。1370年。赤茶色や黄色も印象的ですが青も強いです)

ティムール時代の都サマルカンドは「青の都」と呼ばれ、その後のイスファハーンで、イスタンブールで、青のタイルが建物の外部、内部を埋め尽くすようになりました。(イスラムの色、シンボルカラーは、本来は緑です)。

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(ティムール期のタイル。アフマドヤサヴィー廟。二つの青のバランスがよく安定)

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(ティムール期のタイル。アフマドヤサヴィー廟。二つの青を使ってかわいらしい花模様)

そんなイスラムタイルの青を見ていて、気になることがあります。ターコイズブルーとコバルトブルーの勢力図です。妙な言い方ですが、時代と地域による両者の比率の変化に興味があります。初期のタイル装飾はターコイズブルーが多く、おおらかで素朴な印象。でもある時期からラピスラズリのような強い美しさを持つコバルトブルーが増えてくるように思います。

専門的なことはわからないのですが、染付の世界的な流行以降、陶器の世界でコバルトブルーの人気、価値が高まっていったのでは?イルハーン朝頃からその兆しがあり、ティムール期では両者がほど良いバランスになり、その後コバルトブルーが拡大していくのでは?、、そんなイメージを楽しんでいる私です。

さらに、次のような個人的な印象があります。<ターコイズブルー=素朴で質実な美=遊牧民的感性/コバルトブルー=華やかで高貴な美=王朝的感性>。コバルトブルーはヨーロッパでは「ロイヤルブルー」とも言われます。バロック的な16、17世紀にはふさわしい色でしょう。

さらに、より個人的な感覚では、<ターコイズブルー=チュルク的/コバルトブルー=ペルシア的>とも感じます。ただし時間軸は重要で、タイル装飾初期から発展期という流れをかけ合わせて考える必要があり、やはり時代の美意識の方が動機としては大きいのでは、と思っています。

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(ヒヴァ陶器。ヒヴァタイルの模様を思わせる。二つの青と白で軽快な印象。各産地とも陶器とタイルは共通項が多い)

今回は、このふたつの青が使われているタイルや陶器の写真を選んでみました。いろんな想像を楽しみましたが、ふたつの青は、いつの時代も、良きライバルであり、良き友だちである、そんな気がします。

<ブログ内関連記事>
  「イスラムの青。コバルトとターコイズ」
  「きらめくタイルが映す天空への憧れ 聖なる青」
  「紀元前13世紀の施釉レンガ@チョガ・ザンビル」
by orientlibrary | 2009-04-10 21:42 | タイルのデザインと技法

古い写真集のなかの「シャーヒズインダ」

サマルカンドにあるティムール親族の墓廟「シャーヒズインダ」(生ける王者の意)。タイル装飾の博物館と言われるほど、多彩な技法を見ることができます。近年、修復が進み様変わりしたとはいえ、やはりタイルに浸れる時空間。もっと時間をかけて、じっくり見たいなあ、、。

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(ウズベキスタンの古い写真集より〜サイズが大きくスキャンできないのでパシャっとデジカメで撮ってみました。こうしてみると、水彩画みたいです。。画質、よりも雰囲気をどうぞ!)

そんなシャーヒズインダで、男性が一冊の本を売っていました。商品はその一冊だけ。高かったです。結局、買いました。たぶん、売り手にはかなりいい商売になったはず。

相当に古い写真集。すべてアラビア語と思われる文字のみなので出版年はわかりませんが、年期が入っているのは一目瞭然。最近は古い写真を現像してカードにしたものをお土産物屋で売っているので、稀少ではないかもしれませんが。

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写真集のサイズはA3くらいと大きく、分厚くずっしり重い。カラー写真が7割くらい。あとは白黒。どうやらウズベキスタン全土のタイル装飾を集めたもののようです。でも、どれがどの建物だか、よくわかりません。文字が読めないことに加えて、「編集」というものがされておらず、都市別とか、年代別とか、そういう順序、ページネーションの意図みたいなものがないのです。

また、ご紹介しようにもサイズが大きすぎて、これまでスキャンできずにいました。が、先日思い立ってコンデジで写真そのものをバシャバシャ撮ってみました。深く考えずに好きなものだけを。

シャーヒズインダの入り口近くと思われるショットが何枚かありました。ページは各所に分散して。でも、こうして見てみると、同じような写真(上から3点)です。この写真家はこの角度が好きだったんでしょうね(シャーヒズインダはたくさんの墓廟が並ぶ広い墓廟群。紹介すべきところはたくさんあります)。といっても自分も無意識にこの角度の写真ばかりを選んでいたわけですが、、

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シャーヒズインダについて。イスラム美術の泰斗・杉村棟先生の論文「中央アジアにおけるティームール時代の建築遺構と装飾タイル」(『シルクロード学研究7(1999)』より、一部(要旨)をご紹介します。杉村先生、タイルについても、その博識と見識が素晴らしいです。

< ティムールとその時代>
・ トルコモンゴル系、1370年から〜。都はサマルカンド
・ イラン、シリア、アナトリア、インド等の征服地から建築技師を強制的に連行して新都を造営
・ 陶工、織工、ガラス職人、仕立屋、宝石細工師、武具師、大工、弓師、画家、鷹匠、馬蹄鉄工、髪飾り師、などの職人、芸術家、学者を使用、建築のみならず写本や工芸品の製作を奨励、諸芸術の発展に寄与した
・ スペインの使節クラヴィホが1404年にサマルカンドを訪れた。建築装飾として青釉金彩のラジュバルディナ手やラスター彩が当時好まれていたことを示唆
・ 宮殿やモスク、墓廟造営にあたってリシタンなど各地の窯場からタイルを焼くために陶工たちが徴用されたと言われている
・ 当時サマルカンドにはリシタンのような陶工たちの出身地名がつけられた町があったとされている
・ ティムールは1405年死去。都はシャー・ルフによってヘラートに移されティムール朝は新たな段階へ

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<シャーヒズインダ>
・ 墓廟群の遺構とタイル装飾
・ 11-19世紀の間に建造されたトランスオクシアナにおいて発達したタイルの標本と言えるほど種々の技法とスタイルを網羅している
・ ほとんどがひとつの墓室からなる稀有な墓廟群。主として ティムール一族のもの。中流貴族の女性埋葬者が多い。墓廟は私的な性格が強い
・ 1370-1045年の間に建てられたものは20を超える
・ 施釉レンガ(バンナーイ)、モザイクタイル、クエルダセカ。無釉レンガのすべてが見られる

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昔のシャーヒズインダ、のどかで、趣き、風情があり、最高ですね〜!

<ブログ内関連記事>
 「蒼の都サマルカンド モザイクタイルの発展」
 「サマルカンドの修復と観光プログラム」
by orientlibrary | 2009-04-03 23:44 | ウズベキスタンのタイルと陶芸