イスラムアート紀行

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中央アジアからインドへ。伝統織物の伝道師

前回記事のアジュラックについて、『インド 大地の布』(岩立広子さん/求龍堂)中の寄稿文「インドの染織 5000年の伝統」(ジャスリーン・ダミージャさん)に、素晴らしい解説がありました。今回は、この論文から多くを引用させていただきたいと思います。(写真は適切なものがなく、インドの衣装の雰囲気ということでムガル時代のインド細密画(東京国立博物館)、ブハラは古い建築装飾の幾何学模様などにしてみました)

* 「アジュラック染めは、青、赤、黒、なかでも藍による青を主体とした幾何学文様の木版染めだが、アジュラックという言葉そのものが、青を意味するアラビア語に由来する」

*「赤はアカネ染料で、黒は植物染料で下染めしたうえで、鉄とジャグリー(ココナツ椰子の樹液からとる粗黒砂糖)を酸化発酵させた媒染剤で染める。西欧でファスチン織りとして売られ、また東洋では香辛料と交換に取引されたのが、この布であった」

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(アジュラック制作過程/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

アジュラックが世界中の貿易業者をインドに引きつけたとダミージャさんは指摘します。一方で、インドも外国文化や周辺諸民族の影響を受けています。

*「フン族やスキタイ人、中央アジアの家畜放牧民など遊牧民族の流入により、テントの住居用布地や日用品、衣類などの織物を多用する遊牧生活の伝統がもたらされた」

*「10世紀にはアラビア人が西海岸に移住。外国文化の影響はますます強くなった。アラビア人が支配権を確立すると、アラビア文化の影響は組織的に浸透していった。イスラームの宮廷の伝統は、おそらくこの時期にインドにもたらされたものだろう」 

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(ジャハンギール立像/ビカネール派/18世紀後半/ジャハンギールはムガル帝国第4代皇帝。絵画を愛好し、この時代に芸術活動は活発化した/東京国立博物館東洋館にて撮影。文章は同キャプションより)

遊牧民の生活様式、イスラム宮廷文化、幅広い魅力的な文化の流入が、インド染織に磨きをかけていく様が想像されます。

*「緯糸を余分に足して紋を織り出す織物、ブロケードをインドにもたらしたのは、おそらくシリア人だったと思われる。中近東のシリアは、ブロケード生産のもっとも重要な中心地の一つだったからだ」(ブロケード(brocade)とは、サテン地に浮き模様を織り出した織物のこと)

*「「マッシュルー」(アラビア語で「許されているもの」の意味)は綿と絹の交織で、外側の見える部分が絹、裏側の肌に触れる部分が綿である。おそらくこれもアラビア文化を通してインドにもたらされたものだ。正統のイスラム教徒は肌に絹を直接つけることが許されなかったので、裏側に綿を織り込んだのだ」

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(テラスに立つハイデラバードの君主(ニザム)/ハイデラバード派/19世紀前半/豪華な金地縞花模様の上着やこれと似た文様の帯、左手に持つ長剣、右手の本、緑色の後光はこのニザムの地位の高さをよく示している。花壇、テラス、上をやや濃い色とした背景は、定型化した形式である/東京国立博物館東洋館にて撮影。文章は同キャプションより)

AZURE(青)とAJRAKHなど、言葉から類推されるつがなりがあるんですね。綿と絹の交織って、「正統のイスラム教徒は肌に絹を直接つけることが許されなかった」というところから始まったんでしょうか?オリジンはどこなんでしょう。興味深いです。そして次に、びっくりな一節がありました。

*「13世紀に中央アジアからもたらされ、インド伝統織物の重要な一部をなす技術がある。ブハラからグジャラート州スーラトに移住したナクシャバンディ派が導入した技術で、織機の上部にコードを張ってフレームに模様を織り出す技術である」

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(ブハラのカリヤンミナル。1172年建造。カラハン朝の壮大なミナレット。焼成煉瓦で幾何学模様を表現。この頃のブハラの都市としての勢いが伝わってきます。13世紀前半にモンゴル軍が侵攻したことが、織物職人のインドへの移住につながったのでしょうか/orientlibrary)

*「彼らの祖先は、スーフィー教ナクシャバンディ派の導師バフー・ディン・ナクシャバンディで、金のブロケードの複雑な文様をデザインする名匠でもあった」

*「このナクシャバンダ族(*)のグループは、スーラトからアーンドラ、アウランガバードやヴァラナシなもっとも重要な織物の中心地へ移住し、その地で織物業に従事し、族長バフー・ディン・ナクシャバンディへの尊敬を持ち続けた。それは今日も続いている」(* 族という意味がよくわかりませんが、、)

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(ブハラの金糸刺繍。ブハラ工芸を代表する名産物。土産物にも/orientlibrary)

ブハラは今でも金糸刺繍が盛んですが、スーフィーの導師がブロケードデザインの匠だったとは!染織の技術を各地に伝搬していくことと布教は重なり合っていたのでしょうか。ナクシシュバンディーの名を染織の本で見るとは思いませんでした。

インド、パキスタンと中央アジア、西アジアが好きで、その共通点やつながりを見つけては一人喜んでいる私、ブハラとグジャラートが染織を通じて重なり合うということに、すごくドキドキしてしまうのです。

でも、これって私だけかも、、。ですので、ダミージャさんの文の中から、染織や文化が好きな多くの方に興味のありそうな<インド哲学と染織>をご紹介して終わりにしようと思います。

*「染織に関連するサンスクリット語の言葉が、インド哲学の専門用語とつながりがあるのは、きわめて興味深い。たとえば、「スートラ(経典)」は仏陀の教えを「(糸を通して)つなぐ」という言葉からきている。タントラ教の行者が瞑想の行で精神を集中するために用いる図形「ヤントラ」は、今日でもゾロアスター教の「クシュティ」を織るのに使われる装置を指すが、もともと織機を意味するサンスクリット語である」

*「織機の経(たて)糸を巻く織巻(おまき)「スタンバ」は、聖なる柱「世界の柱」を指すサンスクリット語と関係があるとされる。ヨガや瞑想の奥義である「タントラ」は、経糸を指す「タントゥー」というサンスクリット語からきている。時を意味する「カラ」の概念は、経糸と緯(よこ)糸—昼と夜—を織り上げる、と表現される」

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(ブハラのマゴキ・アッタリ・モスク。イスラムタイル装飾初期(12世紀頃)より見られる複雑な多角星模様。連続しつながり合う模様、その凝縮力と広がり、趣きとしての典雅さ。イスラムの美の結晶というほど素晴らしいです。布を見た後では織物のように見えてきます/orientlibrary)

スーフィーの導師が織りなすブロケードといい、、織るという行為は神との合一への道筋に近いものなのでは、という思いがわいてきているこの頃です。
by orientlibrary | 2009-02-28 00:14 | 絨緞/天幕/布/衣装

幾何学模様に息づくイスラムの美意識。木版捺染布アジュラック

前々回書いていた「anokhi museum」の本が届きました。(日本のサイトから購入できました。「いんどもよう」さんです)。今回は、インド西部のグジャラート、ラジャスターン、シンド(パキスタン)地方の木版捺染布「アジュラック」を見てみたいと思います。

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(藍と茜の染色アジュラック/『世界の染め・織りの見方』(道明三保子/東京美術)より引用)

インドは染織の国。その歴史は5000年に及びます。紀元前3000年から2000年頃のインダス文明の遺跡であるモヘンジョダロから、染色をほどこした布の断片が出土しました。その頃にはすでに木綿が栽培され、染めの技術があったんですね。模様は幾何学模様でした。分析の結果、染色には媒染剤が使われたこともわかりました。スピンドル(手紡ぎをする道具)や裁縫針も出土しています。

もう10年くらい前だったと思いますが、「4大文明展」が同時開催されたとき、「インダス文明展」を見に行きました。たしか展示の目玉が神官王像でした。予想より小さなもので、当時は何が見所なのかわかりませんでした。

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(インダス文明の頃、すでにアジュラックが?/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

「神官王像の上半身彫像は模様のついた布を肩に纏っている。ajrakh=アジュラックの誕生と関連するものだ」と『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)は記します。「このシロツメクサの模様は、長い歴史を持ち今日なお使われている模様である「kakkar」、または「clouds」として知られる模様と似ていることが注目される」。う〜ん、二つの模様、似てますか?

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(フスタート出土の布/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

きれいな茜色の布、素朴な幾何学模様。「現存するインド染織布の最も有名な例は、エジプトのカイロ近郊にあるフスタート遺跡から発掘されたものだ。フスタートでは数百もの布の断片が発掘された。およそ8〜13世紀のもの。様々な色や模様、多彩な技術で制作された木綿の木版捺染は今もグジャラート、シンド、ラジャスターンで生産されている」。歴史は連綿と続いています。

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(アジュラックの模様。イチジク、石臼、アーモンド、揚げ菓子、孔雀、コインなどがモチーフに。楽しい幾何学模様/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

アジュラックがどのように使われるか。Anokhi本は楽しく紹介しています。「アジュラックは男性だけが着用するものだ。ルンギの上に着用したり、ターバンとして頭を包む。シンプルに肩にかけたりもする。多目的で美しいテキスタイルは着る人によっても様々に着こなすことになる」。布一枚で本当にお洒落ですよね〜!

暮らしの道具でもあります。「紅茶やスパイスのような小さな買い物は、アジュラックの四隅に結びつける。もう少し大きな買い物、野菜や穀物は端の方に入れる。このやり方で6つの品物をちゃんと区切って安全に運ぶことができる」。「ときには小さくて弱い動物も運ぶ」。なんでも入れてしまうんですね。

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(アジュラックをまとう男たち。便利で伊達!/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

疲れたときにも便利。「歩き疲れた時、足を休ませるために膝に木の板を当てて固定するのに使う。腰を堅く巻くこともある」。「毎日の礼拝のときの敷物にする。礼拝を清潔に快適にする」。暮らしに欠かせない多目的布です。

礼拝という言葉が出てきましたね。ということは、、、「アジュラックは、ムスリムだけ(=exclusivelyをどう訳すかでニュアンスが変わりますが、判断できません)が着用してきた。それは重要なポイントである」。「アジュラックはイスラムのデザインの原理に従わなくてはならない。人物や動物を描いてはならない。対称性がデザインの核であり、複雑な繰り返しは完璧に調和していなくてはならない。しばしば中央の星のモチーフからから放射状に模様が広がる」。

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(ラジャスターンの石のスクリーン/orientlibrary)

「アジュラックの模様は、イスラム世界中の傑出した素晴らしいデザインや建築と反響する。陶芸、施釉タイル、建築装飾、装飾的に掘り抜いた石造の窓、、」。素晴らしい。藍と茜が基調なことから、カジュアルで軽快なアジュラックですが、模様としてはイスラミックデザインそのものです。

幾何学模様、多彩な模様が組み合わされています。「アジュラックの職人は、一般的なレベルをはるかに超えた数学的な能力が必要である。アジュラックのデザインや版木作りは、工芸の匠にしか扱えない。コンパスや定規を使用し、平らにした版木にデザインを描き入れる」。めくるめく幾何学世界。

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(版木制作過程。卓越した数学の能力、デザイン力、そして集中力と根気が必要。イスラムの美意識が脈々と息づいているのを感じます。きれい!/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

生産地や生産集団はどのように?「アジュラックの生産は、世界のなかでも少ない地域に限定されていた。シンド、カッチ(グジャラート)、bermer(ラジャスターン)、khatriでは染色とプリント専門のコミュニティが生産していた」。「アジュラックは彼らが作る布の中で最も複雑なものである」。工程は全部で21に及び、多くの職人が携わるそうです。

さすがブロックプリントのanokhiの本。さらに詳しく書いてあります。「カッチのbanni地方という鄙びた土地では、伝統的には牛飼いのムスリム男性(maldariコミュニティ)が着用した」。「ラジャスターンに接する最西端では、放浪する楽士のコミュニティであるlanghas mangnyarsが、アジュラックを採用した」。牛飼い、楽士、、沙漠の男たちを凛々しく彩ります。

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(アジュラック。藍と茜のコントラスト、クリアな白もアクセントに。模様の組み合わせや配置が軽快!/『世界の染め・織りの見方』(道明三保子/東京美術)より引用)

今回、他の本などを見ているうちに、「インド哲学と染織」、そして「ブハラのスーフィー教団とアジュラック」という何とも興味深い文章を見つけたました。びっくりです。続編として、書いてみたいと思います。

 「anokhi museum」の本をインドで見つけてイスラム模様好きの私に貸してくださったMKさん、日本で買えるチャネルがあることを教えてくださったkazukoさん、そして迅速にご対応くださった「いんどもよう」さん、皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
by orientlibrary | 2009-02-20 00:53 | 絨緞/天幕/布/衣装

文字は奏でる、文字は踊る、書は語る、書は伝える

◆ 手書きとキーボード ◆
新聞の投書欄に目がとまりました。「手紙に対してメールは失礼」。ちょっとドキッとします。内容は、「心をこめて書いた手紙に対しては手紙で返すのがマナー。それなのに仕事でもプライベートでも、メールで返事がくることが多い」というものでした。

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(装飾タイルのカリグラフィー/ウズベキスタン・ブハラ)

気持ちはわかります。たしかにマナーかもしれません。でも正直なところ、最近私も、手書きや手紙に対して、気が重くなってきています。理由のひとつは、長年の腱鞘炎傾向。手書きは確実に腕にきます。重痛く張ってきて冷たくなるなど違和感が出てくるのです。ひどくなると接骨院さんに走ります。もうひとつは、やはりメールの方が書きやすいから。即お返事できるし、内容も修正しつつ自由にのびのびと書けます。

趣味のいい便箋と封筒で、達筆な万年筆や毛筆の手紙をいただくと、やはりうれしいものです。でも、お返事の封筒をどれにしよう、ボールペンじゃ失礼かな、ワープロで印刷してもいいかな、等々、何か緊張してしまい、出し終わるとホッ、、。

そんな私も、昔は完全な文字人間、手書き人間でした。ワープロがない時代は、毎日毎日大量の文字を書いていました。筆圧が高くHBでも折るくらい。しかも字が大きい。腱鞘炎にもなるわけです。書道も好きで、唯一長く続いた習い事でした。

でも、ールがそんなにいけないんだろうか、という気持ちもあります。手書きの文字は心がこもっていて、キーボードの文字には心がこもっていない。そうでしょうか。私、メールも、ワープロで書く手紙も、その人のことを考え、気持ちが伝わる表現になるよう修正を重ねます。精一杯、心をこめて書いています。

大事なのは、内容、気持ちの表現なのではないでしょうか。手段は、手紙も良し、メールも良し、手書きも良し、ワープロも良しなのでは?その人が手書き手紙派でも、相手にも自分と同じ手段を求めなくてもいいのでは?「失礼な」相手も、メールの方が読みやすいのに、と思っているかもしれません。もちろん、正式な文書、お礼状などもあり、状況に応じて臨機応変でしょうか。


◆ 日本の書、世界の文字 ◆
と言いつつ書って好きなんです。見るのが好きなんです。展覧会「文字の力、書のチカラ」(出光美術館)、楽しみました。

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(展覧会チラシより。上の文字「選佛場」=禅院額字、中国南宋時代/下=「伊勢集」より、平安時代)

「パソコンの普及によって、文字は書くものから打つものへと変わりつつある中、書の世界は、いま静かなブームを迎えています」(美術館ホームページより)。

「
古来わが国では、漢字と仮名の両方を用いながら、独自の世界観を形成してきました。漢詩文や和歌など貴族社会の文芸を中心に発展してきた中、江戸期には町衆や庶民層に至るまで、文字を書くことが浸透してゆきました。今なお、わたしたちは日々の暮らしの中で文字に親しみ、書くこと、綴ることによって、自らの意志をどのように表現し、伝えようかと工夫しつづけています」。漢字と仮名、これが宝ですね。両方あるから、いいんです。


私はやはり仮名が入ったものが好き。藤原定家、西行、綺麗!空海、巧い!本阿弥光悦、平櫛田中、棟方志功、芸術家の文字は味があるな〜!プラス、アラビア文字のカリグラフィーや「銘文付粘土釘」(イラク、前20世紀)、「白地多彩文字文鉢」(中央アジア、10世紀)など、私好みの世界も展開されていました。

展示されているカリグラフィーを見ながら、日本とアラブ世界って近いのでは?と思っていました。書道を愛好する心性、文字を美しくすることにかける思い。彫刻など立体的なものにはあまり行かずに、植物模様や文字に精魂を傾けているような気がします。文字がおもしろい写真を、少し選んでみました

古代アラム文字は、BC600-AD600年頃、中東の国際語だった古代アラム語の文字。今でもアラム語を話すマルーラ村(ヨルダン)。美しくのどかな村の中に、世界で最も古い教会のひとつ、聖サルキス教会があります。古代を思わせる風景・・古い言葉が残るのもわかるような気がしました。

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イランのチョガ・ザンビール(BC1250年頃)。楔形文字の粘土板を発見して、土族、大喜びしました。

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看板。モロッコの街角で。アラビア文字がかわいい。モロッコって、全体にお洒落系。最近は、サンダルやタジン鍋が日本でも人気あるみたいです。

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カリグラフィー。イスラムの華。各地の建造物を高雅に彩ります。イスラムの幾何学嗜好が書道にも息づいているような感じがします。

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モロッコの建造物のカリグラフィーのデザイン。(上)=BAB AGNAOU、マラケシュ、11世紀、クーフィー体のカリグラフィーの模写/(中)=UDAYAの門、ラバト、12世紀/(下)=CHELLAH /いずれも同じ文章。意味は「I RELY ON GOD」/『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE』より引用)


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◆ 日本からガザへ ◆
●外務省1月23日付け「ガザ地区に対する人道支援
(ファクト・シート)」より。「2008年12月19日のガザ地区での停戦終了に始まった一連の事態は、1月18日までにイスラエル・パレスチナ武装勢力双方がそれぞれ停戦を表明し、平穏を取り戻したが、パレスチナ人1314名が死亡、5300名以上が負傷する1967年戦争以来の惨事となった」。

●「一連の事態」(空爆、侵攻ではなく事態?)、「双方それぞれ停戦を表明し」(双方って五分五分的なイメージ狙い?)、などの表現は、アメリカの同盟国・日本の文書としては仕方のないものかもしれません。けれども「1967年戦争以来の惨事」という現実が伝えるものが大きいのかもしれません。

●「ガザ地区に対する人道支援として」、日本政府は総額1000万ドルの緊急無償資金協力や、国際機関を通じた食料援助、物資協力などを決定。「今後も中立の立場を守りつつ、一般市民の救済や平和構築への支援を行っていきたいと思います」(JICA)

JICAは「パレスチナ自治区ガザの病院へ医療機材を供与」しています。「JICAはこれまでもシーファー病院(ガザ地区最大の病院)に対して医療機材の供与や医療従事者への研修を行っており、そのフォローアップとして、同病院に血液遠心分離機を供与することを、今般の紛争以前から予定していました。

そしてこのたび、(略)激しい戦火の中、人道的配慮から行われた3時間程度の休戦時間を利用して、血液遠心分離機1台と関連資材の血小板分離キット70セットを納入することに成功しました」とのことです。記事はこちら

●このような救援物資を輸送する船もイスラエル海軍によって阻止されています。 == 「イスラエル海軍は、(2月)5日、ガザ地区へ救援物資を運ぼうとした “ブラザーフッド号”をガザ沖で拿捕、アシュドッド港へ強制着岸させ、乗員や船客のジャーナリストら20人を拘束、尋問した」  「この船は、「ガザ封鎖に反対するパレスチナ国民委員会」が「自由ガザ運動」(本部=アメリカ)の協力で仕立てたもので、トーゴ船籍の貨物船。キプロスからレバノンのトリポリ経由でガザに向かい、4日、イスラエル艦艇に阻止された。“ブラザーフッド”には、ギリシア・カトリックの聖職者モンシニョール・ヒラリオン師らが乗り組み、医薬品、食糧、衣類、子供のおもちゃのほか1万袋の血漿、計約60トンの救援物資を積み込んでいた」  「救援船に乗っていたアル・ジャジーラの記者によると、海軍はまず同船に発砲して横付け、5人の兵士が乗り込んできて乗船者に銃をつきつけ殴打した。船主は、イスラエル兵が船の通信機器を壊し持ち去ったという。イスラエル軍は、上空に威嚇射撃しただけだとしている」  「レバノンのシンヨーラ首相は、『レバノンとガザで罪のない市民を殺した連中は、世界の目の前で、人道物資を運ぶ船を攻撃した。私は、最大級のことばでこの蛮行を非難する』と語った。ラバノンの国連代表カロライン・ジアーデ氏は、イスラエルがただちに船を返すよう、安保理が圧力をかけて欲しいと要請した」 (2/5 Reuters, 2/6 Al-Jazeera) 
by orientlibrary | 2009-02-11 00:15 | 美術/音楽/映画

手仕事木版捺染(ブロックプリント)JAIPUR , INDIA

MKさんにお借りしている、メチャカッコいい本3冊、インド・ジャイプールを本拠とする有名なブロックプリントショップ「anokhi」の本、昨年末からうっとりと眺めていました。

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(「anokhi museum of hand printing」より。工芸の中の幾何学模様。イスラムの美、最高!)

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(うまく撮れませんでしたが、、3冊です。いちおうブロックプリントをバックに、、)

この本からは、70年代からの現代的なブロックプリントの発展をリードしてきた矜持を強く感じます。ショップだけでなくミュージアム設立や出版物などを通して、ブロックプリントの魅力を伝えようとしているように思えます。(Anokhi Museumのサイトはこちら。)

以前、「anokhi」の衣料やファブリックもかなり買い込みましたが、写真のベスト等は、anokhiのものではなく、より伝統的な工房のものです。(orientlibraryが持っているもの。着てないのですが、、)。

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(「anokhi museum of hand printing」より。版木を作る)

anokhiは「所有する」よりも「着られる」魅力が大きいブランドだと思います。伝統の模様や色、すぐれた技術も、今の時代に合わなければ、タンスの肥やし。数年に一度出して見るだけの美しい布や衣装をお持ちの方も多いでしょう。

伝統を今の暮らしの中で活かしていく。これって、簡単そうで、じつはなかなかにむつかしいことだと思います。好まれるデザインや暮らしに合うサイズも、時代によって違います。たとえば刺繍なども全面に施すのが一番かというと、そうでもない。もっとスキッとした感じが今風でしょう。

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(anokhi museumのリーフレット。商品の雰囲気を)

anokhiは、そのあたりが非常に巧み。あまりに巧みで、逆にちょっと引いてしまうくらいです。この本も、魅力的な写真を豊富に使いながら、模様や製法、道具、歴史、地域の個性などが紹介されており、抗しがたいものがあります。うまいなあと思います。コアをしっかり持ちつつ、だからこそ、それをマーケティングスキルを駆使してきちんと表現していく・・大事なことだと思います。

ちなみに、今回、anokhiのものも撮ってみたんですが、私が撮るのでは映えないんですよね。本物という意味では、版木、衣服ともに、今回写真掲載したものの方が上だと思います。でも、、、ベストって着ますか?それに肩が張っているなど、カッティングやデザインに違和感があるんです。持っていて楽しむ服、着て楽しむ服、、はあ〜〜。。(悲)

MKさんによると、繊細さで有名な産地・サンガネールはその面影がなかったとのこと。残念です。実際に、伝統的手仕事のブロックプリントの市場がどうなっているのか、職人さんたちがどのような暮らしをしているのかは、私にはわかりません。

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(版木。サンガネールの代表的な花文様、揺れている感じが清楚で優雅。*anokhiの商品ではありません。以下4点も同様)

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(版木。この細かさ!天地で約5センチです)

でも、マハラジャの衣装の繊細な模様として、また庶民の衣装の力強い模様として、多彩に発展してきたブロックプリントは、これまでも、今も、これからも、人を惹きつけるものを持っているのではと思います。

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(ベスト。模様は「nodana」)

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(ベスト。ボタンも凝っています)

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(ベスト。刺し子がリズミカル。赤の方が裏。でも両面着られます。写真掲載の3着いずれもリバーシブル)

コットンの素材感、モチーフとしての植物、手仕事ならではの洗練と素朴(ラスティック)のほどよい調和、全体としての温かいカジュアル感は、変化が早すぎる今の時代が求める何かを持っているように感じます。

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◆ブロックプリント・関連記事
 手工芸への熱き思い 「インドの職人」
 「職人とは、建造神ヴィシュヴァカルマーの継承者である」
by orientlibrary | 2009-02-03 18:05 | インド/パキスタン