イスラムアート紀行

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イスラムのきれいなもの、花の美、花の力

●今年後半は、タイルのスタディをほとんどしないまま、日々がすぎてしまいました。時間をうまく使わないとダメだなあと思いながらタイルの写真を見ていたら、、やはりキレイですね〜!「土族」魂がフツフツとしてきました。

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(ブルーモスク・内部壁面タイル装飾・モザイクタイル/タブリーズ/15世紀/キリリとした茎、シンメトリーなのに躍動感あふれる花)

●このところ、「写真でイスラーム」のmiriyunさんが色と花模様に注目しながらトプカプ宮殿のタイルをシリーズで紹介されていました。オスマン朝トルコは、サファビー朝イランと並び、タイル装飾の雄。チューリップやカーネーションなどの愛らしい花模様に特徴があります。

●トルコの花といえば、細密画でも勇壮なスルタンが可憐な花を持っています。同時代のインド、ムガルの細密画では、髭をたくわえた皇帝がなんとも優美な花模様の衣装を纏っています。中央アジアの雄・ティムールも武勇で名を馳せましたが、ティムール期の建築物は花模様のモザイクタイルがなんとも可愛らしいのです。

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(ムガル・インド/ジャハンギールの肖像細密画/『mughal India』 より引用/木版捺染の衣装が優雅!花も持っています。細密画はオスマントルコ、サファヴィー朝の影響を受けています)

●『もうひとつのアフガニスタン・カブール日記』などを撮った土本典昭監督がアフガンに関わるようになったきっかけは、「兵士が銃口を花束で飾っていることを知り、アフガンに惹きつけられた」のだそうです。

●花と武器は一般的には相反するものというイメージがあると思うのですが、イラン、トルコや中央ユーラシアあたりでは、花はなんの違和感もなく勇壮なシーンに溶け込んでいます。細密画や建造物は権力者の力を示し、また何らかの意志を表すものだと思うのですが、花にはどのような「力」があったのでしょうか。

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(サマルカンド/シェルダリマドラサ・モザイクタイル/ティムール期からのウズベキスタンの花模様は愛らしい。ペルシアの職人の影響あり?)

●古代より古今東西、植物は装飾のモチーフになってきました。イスラム以前の中東、ローマ時代、ササン朝、ビザンチンなどでは、アカンサスの葉、蔓、葡萄の房、ロゼッタ、パルメットなどが、デザイン化されました。ガッチリと力強い感じがします。花もキリリとして葉の延長のような印象を受けます。

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(サマルカンド/ティッラカッリマドラサ・モザイクタイル/構成、色、デザイン、、素晴らしい!)

●イスラム美術では、ほとばしるような連続模様を描くなかで、植物文様がより流麗化、魅力化していったように思えます。13世紀、イルハーン朝あたりから、生命感あふれる美しい花が、ラスター彩やモザイクタイル(ヤズドの金曜モスクなど)で表現されています。陶芸やタイル製作の画期的な進歩を感じます。素晴らしい。イルハーン朝からティムール朝あたりのタイルには、本当に惚れ惚れします。

●でも、たとえば同時代のマグレブ、モロッコなどは、幾何学模様が主。植物もデザイン化されたものが幾何学的に構成されていますから、花を花として愛らしく美しく表すのは、時代という要因ではなさそう。イランや中央アジア世界が、花をこよなく愛し、さらに権力者みずからが身に纏うのはなぜなんでしょう。気になる〜!

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(パキスタン・ウッチュ/聖者廟/15世紀頃/この時代のムルターン周辺のタイルは青が鮮烈、かつ花模様がシンプルでとても可愛い。細密なモザイクにはならなかったけど、タイルに込めた思いを感じます。大好きです)

●本を読み始めていたんですが、まだわかりません。ただ、思うのは、花には力があったんだ、ということです。美しいもので他を圧倒するというのもひとつの戦略かもしれないし、何らかの作法や教養だったのかもしれないし、日本の武将が茶室で心を静めたような精神的なものがあるのかもしれない、なんて、思いは広がります。

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(遊牧民のキリムの花模様/orientlibrary所有。見ていると元気になってくる。遊牧民の織物にはそんな力があります/ホラサーンクルドだった?)

●ブログ更新がなかなかできず、タイルスタディも中途半端なまま。こんなブログですが、ゆっくりでも少しずつ続けていきたいと願っています。今年一年、訪問して下さった皆様に感謝いたします。いつも励まされています。どうもありがとうございました。そして、、♪♪来年も、どうぞよろしくお願いいたします♪♪

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by orientlibrary | 2007-12-28 18:06 | タイルのデザインと技法

中央ユーラシアは今、「タジキスタンの光と陰」

中央アジアのこと、もっと知りたい、といつも思っている私ですが、もっともイメージがわかないのが「タジキスタン」です。タジクという民族名には、多少の聞き覚えもあるのですが、国になるとさっぱりわかりません。

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(鍛冶やの職人)

この間、ご紹介しているシンポジウム「『シルクロード』は、いま 〜中央ユーラシアの現在をさぐる〜」@和光大学から、今回はタジキスタンの現在についてのレクチャーを。「タジキスタンの光と陰」(講師:島田志津夫さん)です。

掲載写真ですが、私はタジクに行ったことがないので写真もなし。そこでひらめいたのが、「Y.Sさん」。いつもうっとりするようなステキな写真を見せてくれるんですが、以前タジクの写真を見せてもらったことを思い出し、掲載の了解を頂きました。キャプションもそのまま使わせて頂きました。「Y.Sさん」、ありがとう〜!

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(ワハーン渓谷)


◆ タジキスタンのプロフィール ◆
さて、まずは、タジキスタンってどんな国?をちょっと整理したみたいと思います。出典は、外務省データ、『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社)です。

* 小さな国っていうけど、どのくらいの面積なの?  14万3100平方キロで日本の4割ほど。しかも国土の9割が山岳地帯。耕作可能なのは5.4%。
* 人口は?民族は多様? 06年で690万人。民族はタジク人が約65%、ウズベク人25%。その他ロシア人が3.5%・・・ タジクが多数派。中央アジアで唯一、イラン系民族を主体とする国家ですね。

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(農作業中の女性たち)

* 言葉はどうなってるの?  公用語はタジク語(イラン系言語。イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語などとともにイラン語派の西方方言群に属する。現在タジクで使用されている言葉は、テュルク諸語との接触により文法や語彙の面で大きな影響を受けている)。ロシア語も広く使われている・・・ イラン系の言葉を話す国っていうのがポイント。
* イスラム教ですよね? スンニ派が85%。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い・・・ パキスタン・フンザの記事で書いたイスマーイール派。パミールつながり。

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(ヒッサールの城砦からの眺め)

* 長い歴史を思いっきり短く! アレクサンドロス大王により制圧。クシャーン朝による支配。6世紀〜テュルク系遊牧民侵入、住民のテュルク化始まる。7世紀ソグド人の活動が最盛期に。8世紀以降アラブ勢力の侵入。土着のイラン系住民がイスラム教受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる。イラン系のサーマーン朝成立。13世紀モンゴル帝国の支配。14世紀後半-15世紀ティムール帝国の支配。16世紀シャイバーン朝の支配。18-19世紀ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配。1860年代〜大部分がロシア帝国に併合。1924年タジク自治ソヴィエト社会主義共和国。1991年9月「タジキスタン共和国」独立宣言。
* 産業は? 農業従事者が労働人口の約67%。綿花生産、アルミニウム精錬、水力発電・・・ 農業とアルミ、水力。このあたりが現在を知るカギみたいです。


◆ タジキスタンの経済開発プロジェクト ◆
復興後の産業にいってみましょう。(内戦、復興については、前回の「イスラム復興」をご参照ください)。内戦の教訓から政治的な安定を求めたタジキスタンは、ラフモノフ(現在はタジク風に改名してラフモン)政権のもと、復興の道を探り、経済開発に向かいます。

といっても、資源がない、産業もない。となると、経済援助が重要になります。そこで「地政学的な重要性を意識した多面的外交」(島田先生)へ。タジクは中国、アフガニスタンと国境を接しており、また旧ソ連時代には南の前線だったという微妙な位置。911以後の国際情勢も、複雑さに拍車をかけているようです。

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(パンジ川。対岸はアフガニスタン)

そんななか、経済発展の柱として期待されているのが「水力エネルギー資源開発」。なにしろ国土の9割が山。パミール高原は4000メートル級の高地。雪解け水による水資源は豊富。これですね!「ヌレク水力発電所」は1980年竣工、世界一高いところにあるダムなんだそうです。現在、さらにいくつかのダムを建設中。「高圧送電線を整備して電力輸出国へ」。水から電力、なるほどこれも資源利用のありかたですね。

アルミニウム精錬も主要産業。たとえば、「タジク・アルミ工場」は1975年生産開始。アルミ精錬というのは電力を消費するものらしく、ここだけでタジキスタン全土の4割の電力を消費してしまうのだとか。え〜!それは大変。新しいダム、考えますよね。

経済開発第2の柱は、道路整備。「2007年夏にアメリカの援助によりアフガニスタンとの国境のアム河に橋が完成」、「南アジアから中央アジア、ロシア方面を結ぶ南北交通路の整備計画」(アラビア海に通じることが可能)、「国内の南北交通の障害となっている二つの峠にトンネルを建設中」(イランと中国の援助)などが進んでいるとのことです。

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(タジキスタンとキルギスの国境付近)


◆ タジキスタンの外交 ◆
もその資金は?外交での援助取り付けも大事ですね。ロシアとの関係は今も重要。ダム建設への投資もしているとか。でも驚いた数字もありました。ロシアへの出稼ぎは毎年延べ100万人(人口は700万人弱)。送金額約10億ドル(06年)。同年のGDPが28億ドルですから、なんと3分の1以上がロシアへの出稼ぎによるもの。中国は借款を中心に、道路建設などインフラ整備を支援。イランもダム建設など支援。アメリカ、EU、日本も支援しています。

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(道で絨毯を洗う女性たち)

◆ タジクとウズベク ◆
タジク、、、ウズベキスタンではちょっと微妙なニュアンスを感じます。「ロシア革命後の民族共和国境界策定の結果、その領土は東ブハラの山岳地帯周辺に限定された。タジク人が数多く居住するブハラ、サマルカンドはウズベキスタンとなり、タジク人はいわば歴史的領域の重要部分を失った」(『中央ユーラシアを知る事典』)。一方、「1929年にウズベキスタンからホージェンド一帯を編入」。入り組んでますよね。

サマルカンドなどにはタジク人が多いし、フェルガナも共通の文化基盤があるし、「タジク」には親しみがあるんですが、「タジキスタン」はまだまだ未知の国。小さな国がどうやって市場経済化の波のなかで生きていくのか。これからも関心を持っていきたいと思いました。

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(リンゴを売る少女)
by orientlibrary | 2007-12-22 13:37 | 中央アジア5カ国

中央ユーラシアの現在、「イスラム復興の潮流」

「イスラムアート紀行」というタイトルをつけるとき、「イスラム」ではなく「イスラーム」にすべきなのか、ちょっと迷いました。でも、「イスラームアート紀行」と「—」がふたつ続くと、泰然悠々としたイメージになり、自分とは違う気が、、。キレ感のある方にしました。

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◆ 「イスラム」と「イスラーム」 ◆
が、いつかは文章の中だけでも、「イスラーム」にすべきなのか、とときどき迷います。というのも、イスラム関係のセミナーを受講したり、本から文章を引用すると、そこでは「イスラーム」になっていることが多いので、地の文と引用文で言葉が違い、全体が混乱してしまうからです。

前回ご紹介したシンポジウム@和光大学、「『シルクロード』は、いま 〜中央ユーラシアの現在をさぐる〜」、今回は「イスラーム復興の潮流とその行方」(講師:小松久男さん)にチャレンジしようと思うのですが、レジュメにはたくさんの「イスラーム」があります。

ブログでは「イスラム」と書かせて頂きたいと思います。先生の元々のレジュメやお話は「イスラーム」です。ご了解ください。また、『中央ユーラシアを知る事典』/平凡社/「イスラーム復興」の稿は小松先生担当)より引用する場合も、同様とします。こちらもどうぞご了解ください。もし今後、「イスラーム」に変えても、「イスラム金融」など一般化している言葉もあり、同じ問題が出てきそう。あ〜〜〜、、外国語の表記って難しいよ〜!これから、どうしたら(悩)??

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◆ イスラム文明に貢献してきた中央アジア  ◆
本題に入ります。「イスラーム復興の潮流とその行方」、気になりますよね。「ソ連時代、中央アジアのイスラムは長く停滞を強いられた。しかしペレストロイカ期に宗教の自由化が進むと、イスラム復興が政治と社会、文化など幅広い領域で見られるようになった。それは現代中央ユーラシアの動態の中でもひときわ顕著な動向の一つである」(『中央ユーラシアを知る事典』)。なるほど、やはり大きな動きなんですね。

でも、中央アジアって、中東などのイスラムの「本場」と比べると、アジア的というか、どこかライトな印象もあるんですが、、。「中央アジアのイスラーム化は8世紀以降徐々に進行」 「イスラム教は中央アジアの文化の基層に大きな役割を果たしてきた」。そして、「イスラムの辺境のようなイメージがあるが、イスラム文明に大きな貢献をしている」。

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(ブハラ/サーマーン廟)

「たとえば9世紀の学者ブハーリーによるハディース(予言者ムハンマドの言行録)の集成」「それまでは口承だったが、話が変わっていきがち。ブハーリーは各地を巡り歩き100万とも言われる中から正しいものを厳選。もっとも信頼できるものとして今もスンニ派に受け継がれている」。ブハーリーはブハラ生まれ。9世紀のブハラは、西のイスラム世界と活発な交流のあったサーマーン朝時代。人も知識もダイナミックに動いてたんですね!

◆ ソ連時代 イスラムへの抑圧 ◆
それから1000年もの間、王朝は興亡しましたが、イスラムは中央アジアにしっかりと根を張っていきます。「帝政ロシアの植民地だった時代でも、活力を持って維持されていた」そうです。それがガラッと変わるのがロシア革命。

「中央アジアで民族共和国が成立(1924年)し、民族への帰属意識が成長」「イスラムの地位や役割が奪われていった」「イスラムに対する抑圧と統制。ムスリム聖職者に対する攻撃と無神論宣伝。イスラム的伝統の除去とソビエト文明の扶植。中央アジア・カザフスタン・ムスリム宗務局の創設(1943年)」などが進行し、「民族的な伝統・慣行として」冠婚葬祭の中に受け継がれ、生き残っていったそうです。このあたりは、私の好きな陶芸の分野でも話を聞きます。ソ連時代は伝統が否定され、職人も工場に動員されて大量生産の商品を作ったそうです。

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(ウズ独立以前のものと思われるパンフレットより)

◆ ペレストロイカ期 信仰や伝統回帰の動き ◆
近年の変化は急です。「1970年代、革新派(ムジャッディーヤ)の出現」「疎外、閉塞感からの解放、体制批判」「外からの衝撃(イラン・アフガニスタン)」「『真のイスラーム』への回帰とその実現へ」。グローバルなイスラム復興の潮流が、中央アジアにも流れ込んできました。イランとアフガニスタンに囲まれた地域である、というのは大きいですよね。

このような動きにたいして、柔軟なハナフィー派のヒンドゥスターニーという人は伝統的な中央アジアのイスラムを守ろうとして、「聖戦」を戒めたそうです。イスラムの中でも対立や分裂が深まっていきました。こうした中で、ヒンドゥスターニーが「厳格な復古主義で知られるサウジアラビアのワッハーブ派にちなんで革新派に与えた<ワッハービー>という呼び名は、中央アジアのイスラム復興主義者、過激派の通称となっている」(『中央ユーラシアを知る事典』)。ワッハービーって、中央アジア生まれの言葉だったんですか!

さて、ペレストロイカ期です。89年、「イスラムの信仰と慣習は自由にして不可侵」とされ、宗教の自由が保障されます。中央アジアのイスラムは覚醒し、信仰や伝統を回帰しようという動きが高まります。全連邦イスラム復興党も結成(1990年)されます。

そして91年、中央アジア諸国は独立。指導者たちは、「世俗主義の原則は堅持しながら、イスラムは民族文化の重要な要素であり、国民統合の要因になりうることを理解」(『中央ユーラシアを知る事典』)していました。たくさんのモスクやマドラサなどが建設され、街にはイスラムの教義を解説した冊子があふれます。指導者たちもメッカ巡礼など、競ってイスラム信仰をアピールしたそうです。

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◆ 政治化するイスラーム ◆
ところが、次第にイスラムの政治化が進展。とくにウズベキスタンとタジキスタンで顕著になります。ウズベキスタンでは、フェルガナ地方のムスリム組織が活性化。原理主義の脅威を認めた政権は抑圧を強め、その結果、組織の地下潜行と流亡化(タジキスタン、アフガニスタンへ)が進みます。

タジキスタンでは内戦(1992-97年)に。タジキスタン・イスラム復興党と旧共産党政党の武力抗争、そしてソ連時代に形成された地域間の権力闘争などがからみ、アフガニスタン内戦との連動など危機が拡大します。国民和解が成立したのは1997年。イスラム復興党は政治参加(イスラムを基盤とする党が認められている中央アジア唯一の国)しています。

「1990年代半ば、ちょうどタリバーンがアフガニスタンで勢力を確立する頃から、中央アジアの南部でイスラム武装勢力(タリバーンの支援を得た「ウズベキスタン・イスラム運動」)とグローバルなイスラム復興組織(49年にヨルダンで結成された「イスラム解放党」)の活動が顕著となった」(『中央ユーラシアを知る事典』)。1999年2月にタシケント爆弾テロ事件、8月にはキルギスでの拉致事件が起き、日本でも関心が高まりました。

その後、911以後の中央アジアへのアメリカ軍の配置、上海協力機構(2001設立・中央アジア4カ国+中国、ロシア)など、中央アジアの政治と社会は、政治の民主化、社会経済的な諸問題解決を模索し続けます。

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(モノカルチャーの名残、ウズベキスタン綿花畑)

◆ イスラム復興 その現在と未来 ◆
そんな中で起きたのが、05年5月の「アンディジャン事件」(ウズベキスタン東部アンディジャン市において武装勢力が刑務所等を襲撃し、同市で政権の退陣を求める住民デモが発生。治安部隊が武装勢力を鎮圧した際、一般市民に数百人の死者が生じたとされる/外務省HPより)。これを契機にウズベキスタンとアメリカとの関係が悪化。ウズベキスタンはロシアと関係を強めていくことになります。

「中央アジアのイスラム復興は、ソ連崩壊という巨大な渦から発したともいえる」「この大渦から生まれたイスラム復興の波は、程度の差こそあれ、ヴォルガ・ウラル地方、北カフカース、中国新彊など、中央ユーラシアのほぼ全域に及んでいる」「イスラムをどこに、どのように位置づけるのか、イスラムは個々人の信仰の中におさまりきるのか、それとも広く社会と政治の領域においても積極的な意味を持つべきなのか。これは現代の中央アジアが直面している重要な課題なのである」(『中央ユーラシアを知る事典』)。

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ソビエトという時代の経験、世界的なイスラム復興気運、911以後の地政学的な影響、拡大する地域内格差、、、そうか、、個々に見ていたこの地域の事象、「中央ユーラシア」という地域概念で見直してみると、その底流にあるものが、見えてきたような気がします。以前より大きな視点で見られるようになり、勉強になりました。

最後に、旅行者の私の印象でしかないのですが、中央アジアのイスラムは柔らかで、日々の暮らしの中で息づいている感じがします。それが好きです。フェルガナでも、穏健で謙虚で信心深い人たちに多く会いました。それがフェルガナファンになった理由のひとつです。フェルガナ=過激派では、残念です。報道される「過激派」の後ろに、大多数の穏健な人たちがいること、ニュースなどを見られたときなどに思い出して頂ければ、とても有り難いです。


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 「コーランは心のなかにある(マルク・ヴァイル監督)」 
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by orientlibrary | 2007-12-16 14:25 | 中央アジア5カ国

多様な社会、奥深い文化。「中央ユーラシアの現在」を聞く

中央ユーラシア、、私の好きなタイルがある「中央アジア」も含む広い地域。けれども、日本ではあまり知られておらず関連情報も少ない地域。にもかかわらず、憧憬や旅情を強く感じる地域。そんな中央ユーラシアについてのシンポジウムが、先日、和光大学で開催されました。

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◆ 大きな変化の波の中にある 中央ユーラシア ◆
タイトルは「『シルクロード』は、いま 〜中央ユーラシアの現在をさぐる〜」。括弧付きのシルクロードが、ちょっと意味深です。私も、イスラムや中央アジアについて話すとき、つい「シルクロード」という言葉の“魔力” に頼ってしまいます。

けれども、浪漫な響きに満ちた「シルクロード」も、大きな社会変化の波の中にあります。豊富な天然資源、経済格差、イスラーム復興等、断片的に聞こえてくる当地域の現状。中央ユーラシアの今に焦点を当てたシンポジウムは、貴重な機会です。そして期待通り、第一線の研究者の方々のホットな報告を聞くことができました。中央アジアの写真とともに、ご紹介したいと思います。

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その前に、、「中央ユーラシア」とは、どの地域を指すのでしょうか。『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社)より引用させて頂きます。

** 「現代の地域区分に従っていえば、クリミア半島、ヴォルガ・ウラル地方、カフカース、中央アジア、アフガニスタン、中国新彊(東トルキスタン)、西シベリアなどの諸地域を含む地域概念として使用する」
** 「現在ここにはいくつもの国境線が走っているが、歴史を振り返ってみれば、そこに明確な境界線があったわけではない。中央ユーラシアの境域は歴史を通して拡大と縮小を繰り返してきたことに留意しておきたい」 

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◆ 中国の観光開発と「シルクロード」、新彊ウイグル自治区観光計画 ◆
シンポジウムは、東から西へというプログラムの流れで、「シルクロードと中国の観光開発」(小林正典さん)からスタートしました。

驚いたのは 、中国の観光客数が2006年には約1億2千万人へと急伸しており、うち外国人は2,221万人であること。レジャーや余暇は今後、中国経済の中で大きな位置を占めるようになり(観光業は国家の基幹産業と明言)、2015年には海外からの客は延べ1億人と世界一の海外観光客受入国になるとの予測があること(世界観光機関)。国内観光客28億人超と合わせ、観光客総数はなんと30億人前後になるとみられているというのです。

中央ユーラシアとの関連では、もちろん「西部大開発」ですよね。気になります。「経済的に劣後する西部地域の活性化を目的とする21世紀の最重要政策」とのことですが、私の好きな東トルキスタン(新彊)も含まれるこの地域。「西気東輸」「西電東送」「南水北調」って、、西部の豊かな天然資源を中心地へ動かすプロジェクトが多いんですね、、。

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最近は中国も環境保全には積極的になってきたようなんですが、国をあげてダイナミックに動く中国だけに、ウイグルなどの人びとの暮らしや文化がどう変化していくのか、気になってしまいます。ちなみに「新彊ウイグル自治区観光計画目標」では、「シルクロード」が文化旅行のブランドとしておおいに活用されているようです。

「1つのブランド(シルクロード)、2つの優れた商品、3本の環線、4つの育成、6大製品、11の都市」などが具体的に示されているのにびっくり。しっかりマーケティングです。でも、数字で目標を作って表現していくのは社会主義テイストかな。

小林先生は、このような観光地開発について、環境保全とのジレンマや民族言語の衰退などの影響を指摘。「民族自治地方の経済計画は、あくまで国家計画の指導の下に位置づけられており、住民の声は反映されにくい」ことを課題にあげられました。

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◆ 「中央アジアのイスラーム復興」は次回!? ◆
シンポジウムは、「イスラーム復興の潮流とその行方」、「タジキスタンの光と陰」、「アルメニアの内と外」続きます。興味深いお話が多いので、また書いてみたいと思います。
by orientlibrary | 2007-12-07 11:53 | 中央アジア5カ国