イスラムアート紀行

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鷹匠のいる草原

◆◆ ミナレットとサマルカンドペーパー ◆◆
前回11世紀〜12世紀頃の事例をいくつかご紹介した「ミナレット」は、モスクに付随して立つ塔であり、礼拝の呼びかけをおこなうために使われます。ミナレットから聞こえてくる呼びかけの声「アザーン」は、旅行者にイスラム圏に来たなあ、という感慨を起こさせます。そんなミナレットの歴史や形状、装飾などについて調べ始めています。が、ちょっと時間がかかりそうです。

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もうひとつ、「サマルカンド・ペーパー」についても、少しずつ調べています。こちらは、唐が現在のカザフスタンにあるタラスでアラブ軍との戦いに敗れたときに、捕虜となった中国人が伝えた紙漉きの製法から作られたもの。

これがヨーロッパに伝わり、紙を通して東西文化が接触するのですが、その舞台となったところがフェルガナである点に興味を持っています。また写本や細密画(ミニアチュール)に使われただろうことを想像すると、ちょっとドキドキ。そんなわけで、『紙の道』(陳舜臣/集英社文庫)を手に入れたくて、amazonのユーズドで購入したのですが、本の値段がなんと1円(郵送代は別)。これってなんなんでしょう。封筒代にもならないと思うのですが、、。

以前、70ドルくらいで買った本が12万数千円で売られているのを発見して驚きましたが、最近、「値段」って、一筋縄ではいかなくなっていますね〜。でも、1円で入手できたのは、とにかくラッキーでした。私の知りたいティムール時代までの、かの地の歴史も満載で、うれしい!

長々書きましたが、つまり、書きたいテーマについて書けるところまで至っていないんです(悲)。

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◆◆ キルギス、鷹狩りと天幕 ◆◆
そんなときは、鷹の手も借りたい!ものですよね。キルギスのジェティ・オグスで見たイヌワシ(ゴールデン・イーグル)を使った伝統的な狩りのパフォーマンス。鷹匠と鷹、息があってました。鷹匠の衣装もシブイですよね。かわいそうなのはウサギです、、。1キロほども離れたところから流れ星的速さで飛んできた鷹に喉を直撃され、、ゴメンね。ホントに電光石火の技でした。

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観光ならではで、鷹を腕にのせないか、という次の段階へ。腕力に優れた人たちはサマになります。でも、私は当時まだ右腕の腱鞘炎が完治しておらず、左腕でトライすることに。最初は「鷹は左腕に慣れていないからダメ」と言っていた鷹匠も、結局は「いいよ」ということに(経済原理か?)。

でも、左手って右手よりヨワイものですね。鷹の重さにちょっとブルブルき始めた左腕の上を見れば、「しっかり乗せんかい〜!!」と怒りをあらわにし、今にも飛びかからんばかりの鷹が、、。キルギスの神様のおかげで、今も元気にしている私です。

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狩りパフォーマンスの向こうの山裾野を見てみると、なぜかアヒルがいて、、その向こうでは、なんと「ボウズイ」(キルギスの天幕)を使って夏の茶屋を開く準備をしていました。天幕と彼らの持ち物、しっかり撮ってきました。素敵でした!
by orientlibrary | 2007-08-27 19:10 | 中央アジア5カ国

ブラナからデリーまで。ミナレットを巡る旅

●前々回、現在のカザフスタンにある「アイシャ・ビビ廟」(12世紀)について書きました。カラ・ハーン朝特有の浮彫が施されたテラコッタがレースのように軽やかで、女性的なやさしい感じのする廟です。

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(アイシャ・ビビ廟・12世紀、テラコッタ装飾)


◆◆ブラナのミナレット◆◆
10〜13世紀に栄えたカラ・ハーン朝は、一時はカシュガルからブハラあたりまでの広大な地域を治め、その繁栄により交易や工芸、建築、町作りが盛んにおこなわれました。「バラサグン」は当時の首都のひとつと言われており、そのなかのブラナ地区には、現在「ブラナのミナレット」と呼ばれている塔が建てられました。塔は草原にどっしりとした建っており、こちらは男性的な力強い感じがします。

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(ブラナのミナレット・11世紀)

●「ブラナのミナレット」の建造は11世紀。タイル(〜煉瓦)好きの私にとって、この前後、9世紀頃から13、14世紀にかけては、もっともドキドキする興味のつきない時代です。

●11世紀には浮き彫りや、文様積み一度焼成したレンガを切り刻んで並べるなど、煉瓦で多様な表現がされるようになりました。色はまだありませんが、だからこそ壁面を彩るべく工夫された積み方や簡素な幾何学文様などに、当時の人びとの熱い美への思いを感じるのです。

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(ブラナのミナレット、焼成煉瓦の装飾)

●「ブラナのミナレット」は、現在は高さが24.6メートルですが、オリジナルは40メートルだったと言われています。カラ・ハーン朝の先進的な建築技術を駆使して作られた、中央アジアで最も早い時期の塔建築です。祈りを呼びかけるため、また町の見張り塔として使われました。

●地震で崩壊したため、現在の塔は修復再建されたものです。また、当時はモスクやマドラサもあったのですが、現在残っているのはミナレットだけです。


◆◆ウズゲンのミナレット◆◆
●そして、このブラナからしばらく後、12世紀に建造されたと言われているのが、「ウズゲンのミナレット」です。私がキルギスの国立博物館で写真を見て、ものすごく惹かれたウズゲンのイスラム建築=廟とミナレット。フェルガナ盆地の山あいにあるウズゲンは、その狭隘な地形からカラ・ハーン朝の重要な地のひとつでした。

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(ウズゲンのミナレット・12世紀、復元模型/キルギス国立博物館)

●今回は、ブラナのミナレットからの流れを見るために、ミナレットに絞って見ていきたいと思います。『MONUMENTS OF CENTRAL ASIA ~ a guide to the archaeology,art and architecture of turkestan ~ 』(EDGER KNOBLOCH/IB TAURIS)によると、「基礎の直径は30フィート、高さは約65フィート」となっています。

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(ウズゲンのミナレット、写真を撮影/キルギス国立博物館)

●注目は、「幾何学的な装飾は小さいものから大きいものまで、連続した煉瓦でできている」「これはカラ・ハーン朝に作られたブハラとヴァブケント(VABKENT)のミナレットのモデルとなったと考えられる」という記述。


◆◆カラーン・ミナール◆◆
●ブハラのミナレットといえば、、あの「カラーン・ミナール」!!ブハラのシンボルである1121年建造のミナレットですよね!あのモデルが、フェルガナの山中のミナレットだったとは、、。

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(カラーン・ミナール・1121年/『SAMARUKANDO,BUKHARA,KHIVA』より引用)

●「カラーン・ミナール」は、基部の直径29メートル、高さ45.6メートル。地中に埋め込まれた石造の基礎に八角形の台座を載せ、その上に円筒状に煉瓦を積み重ねて作られています。壁面は多様な幾何学模様が施され、一部ですが青い釉薬がかかった煉瓦があり、アクセントになっています。

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(カラーン・ミナール細部/『SAMARUKANDO,BUKHARA,KHIVA』より引用)


◆◆ジャームのミナレット◆◆
●このようなミナレットは、現在のアフガニスタンに建国されたゴール朝でも建てられます。アフガニスタン初の世界遺産になった「ジャームのミナレット」(1179年)。山岳地帯の谷間にそびえる高さ約60mの塔。壁面に刻まれているのは、クルアーン第一章の全文。さらに輝くような蒼いタイルの装飾があり、私の憧れです。

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(ジャームのミナレット・1179年/『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』より引用)


◆◆クトゥブ・ミナール◆◆
●この「ジャームのミナレット」を手本に建てられたのが、インド・デリーの観光で必ず訪れる「クトゥブ・ミナール」。ゴール朝君主の臣下であり宮廷奴隷であったクトゥブッディーン・アイバクが建国した奴隷王朝(デリー・スルタン朝最初の王朝)のものです。

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(左奥の塔がクトゥブ・ミナール・1199年建造開始)

●1199年建造開始。基部の直径約15メートル、高さ72.5メートル。5層のメリハリある構成や砂岩の赤のグラデーションが遠目にも近くでも美しい。また、ジャームのミナレットと同じように、クルアーンの章句が刻まれています。その繊細な美しさは、インドの石造技術の高さを見せつけます。

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(クトゥブ・ミナール、細部)


◆◆ミナレットを巡る小さな旅から◆◆
●ミナレットを軸に、現在の国でいえば、キルギスからウズベキスタン、アフガニスタン、インド。王朝では、カラ・ハーン朝、ゴール朝、奴隷王朝(デリー・スルタン朝)を、巡ってきました。有名な美しい建造物も、突然そこにできたのではなく、政治や経済や美意識の移り変わりの中にあり、共通する基本と各地や各時代の個性がある、、それを今回、あらためて感じました。
by orientlibrary | 2007-08-19 00:17 | タイルのデザインと技法

杏の林でお茶を

残暑お見舞い申し上げます。


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風に誘われて
杏の林に迷い込む
丹精された杏の樹々は
蒼い空を隠すほどに
みっしりと枝を広げ


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木陰では
火の爆ぜる音がして
黒く煤けた薬缶が
シュンシュンと音をたてていた

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お茶を飲んでいかないか

杏の林の午後のチャイは
ふくよかな木陰の匂いがした

(ウズベキスタン・フェルガナにて)
by orientlibrary | 2007-08-13 06:41 | 中央アジア5カ国

土族の思い、「アイシャ・ビビ」から「ウズゲン」へ 

●装飾タイルのなかでも、土味を感じるのがティムール期のタイル。イスファハーンのタイルの華麗さ、イスタンブールのタイルの可憐さ、その素晴らしさや洗練度はわかっていても、惹かれるのは、より土の味わいを感じるもの。だって「土族(つちぞく)」なんだもん!

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(アイシャ・ビビ廟)

●そんな「開き直り系・土族」の私が、歓声をあげたのが、「アイシャ・ビビ廟」。現在のカザフスタン、タラズの近くにあるカラ・ハーン朝時代の廟です。アイシャ・ビビは、カラ・ハーンの后だそうです(悲恋の伝説があるようですが、省略します)。

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(アイシャ・ビビ廟、テラコッタのディテール)

●12世紀建造。小さな四角形の建物で、さまざまなデザインに浮彫されたテラコッタだけで作られています。壁面も、柱も、アーチの装飾も、凝っていて、美しい。小さな方形の煉瓦の建物、ということで思い起こすのは、ブハラの宝石箱、9世紀の「サーマーン廟」(サーマーン廟についてのブログ内記事は、こちらこちら)ですよね。

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(サーマーン廟)

●アイシャ・ビビ廟も同様に正方形の小さな廟ですが、浮彫が施されたテラコッタを用いる点がカラ・ハーン・スタイルの特徴のようです。サーマーン廟では、煉瓦でこれほどの美が可能なのか、と感動しますが、アイシャ・ビビ廟はもう少し軽やかな印象を持ちました。浮彫や、その繰り返しが軽快さを醸し出しているのかもしれません。

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(アイシャ・ビビ廟、テラコッタのディテール、アーチ部分)

●アイシャ・ビビ廟のすぐ横にアイシャ・ビビの乳母の廟、「ババジ・カトゥン廟」があります。二つ並んだ廟には、女子学生がたくさん見学に来ていました。悲恋伝説が、お年頃の女の子の心をつかむのかな?!

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●また、11世紀のカラハーン朝の統治者、アブドゥウ・カリム・カラハーンの廟、「カラハーン廟」も近くにありましたが、こちらは何だか地味。13世紀の「ダウトベク廟」もあり、廟がまとまって見られます。

●これらのテラコッタの廟群や、キルギスの観光スポットになっている「バラサグン遺跡とブラナの塔(焼成煉瓦のミナレット)」について書こうかな、と、先ほどから調べているうちに、う〜〜〜、、久々に土族の血がフツフツとしてきました。テンション高いです、今。すごいぞ、カラ・ハーン朝!

●フツフツの元は、「ウズゲン(UZKEND)の廟群とミナレット」。でも、でも、残念ながら、ここは現地に行けていないんです。キルギスの国立博物館でその写真を見て(写真自体を撮影してきました)、なんだ、これは〜!?と驚きました。すごく惹かれました。でも。なにしろ行っていないので、ブログで盛り上がろうにも盛り上がれなかった建造物なんです(悲)。

●このウズゲンを詳しく説明しているのが、『MONUMENTS OF CENTRAL ASIA ~ a guide to the archaeology,art and architecture of turkestan ~ 』(EDGER KNOBLOCH/IB TAURIS)という本。先刻、読んでみて、ウズゲンすごい、カラ・ハーン朝すごい、と、クラクラしています。

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(ババジ・カトゥン廟にて。カザフの若い女性は、皆、脚が長くてジーンズがよく似合う)

●興味を持って下さる方も少ないかと思うんですが、そうわかっていつつ、次回書いてみたいと思います。その前に、カラ・ハーン朝について、『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社)から、ご紹介!

* カラ・ハーン朝*
チュルク族のうちで最初にイスラーム化した中央アジアの王朝
・ 840年にモンゴル高原のウイグル国家が崩壊した後に台頭した
・ 王家の起源は不明
・ カラハーン朝という名称は近代の歴史家の命名によるもので、イスラーム史料ではハーカーニーヤ朝もしくはアフラースィヤーブ朝と呼ばれている
・ イスラーム化後も匈奴以来の遊牧国家の構造を維持し、東西に2人のハンがあり、東方のアルスラン(獅子の意味)・カラ・ハンが大ハン、西方のボグラ(駱駝の意味)・カラ・ハンが小ハンであった
・ 999年にはブハラを最終的に占領し、サーマーン朝を滅亡させた
・ 11世紀に後半には完全に東西に分裂した
・ 1132年のカラキタイの建国後、カラハーン朝の東半はカラキタイの直接統治におかれたが、マーワラー・アンナフルのカラハーン朝は13世紀の初頭まで存在した

●マニアックな話になっていますが、ま、お盆ということで、、。
by orientlibrary | 2007-08-10 23:42 | タイルのデザインと技法

アラスカ、東シベリア、キルギス、日本〜生命の風

アラスカからアジアへ

「大地はそれが育むあらゆる生命とその霊を共有していることを忘れないで欲しい。我々の祖父たちの最初の息を与えた風はまた彼の最期の息を受け取る〜シアトルの酋長〜」(『森と氷河と鯨』・星野道夫・世界文化社)。

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(極東シベリア・ナナイの村にて。ロシア化も進み、少女たちの顔立ちはさまざま)

一枚の写真が持つ世界の大きさに、圧倒されるときがあります。写真の世界、まったく詳しくない私ですが、写真集や展覧会など、ときどき見ます。そんななかでとくに、心の奥の方に何かが届き、影響を受けた二人の写真家がいます。

一人はシルクロードの写真で有名な並河萬里さん。装飾タイルにも詳しい並河さんの写真を通して、中央ユーラシアという地は私のなかに強く印象づけられました。

もう一人は、アラスカの写真で名高い星野道夫さん。星野さんは写真はもちろんですが、骨太でありつつ透明な、リアルでありつつ詩的な、端正でありつつ温かい文章がとても好きです。『旅をする木』(文春文庫)は、旅行のとき飛行機で読む一冊です。日本語を学ぶ現地ガイドさんにあげることがあるので、もう何冊かめになっています。

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(極東シベリア・ナナイの村の女性と住まい)

先日、久しぶりに星野さんの世界に浸りたくなり、『森と氷河と鯨』を手に取りました。このエッセイの連載をおこなうなかで、星野さんはアラスカを北上し、さらにアジアに渡りました。

「もともと彼には遡行的な性格がある。アラスカに渡ってからの長い年月をかけてインディアンやエスキモーのことを聞いてまわっているうちに、彼らが遠い昔にアジアに住んでいた民であって、今はベーリング海峡になっている海がまだ陸地だった頃にアメリカ大陸に渡ってきたという話に強く引きつけられた」。(『森と氷河と鯨』、池澤夏樹氏による後書きより)

星野さんはシベリアに渡り、トナカイ遊牧民などの取材をおこないます。そして、他の仕事の取材もあって訪れたカムチャッカが、星野さんの最期の地となりました。もう星野さんの新たなテーマの著作や写真を、目にすることはできません。

ずいぶん昔、帰国していた星野さんを、仕事の関係でご自宅に訪ね、お話を聞いたことがあります。とても穏やかで、にこにことして、飾ることなく率直に話してくださる方でした。真摯であたたかく、年齢性別国籍などすべてを超えて愛される人だと思いました。

東シベリアとキルギス

星野さんが遡行するようにして訪れた東シベリア、私も1995年に極東シベリアの少数民族と交流しているNPO主催のツアーに参加して、村を訪ねたことがあります。このシベリア行きは、私のもっとも印象に残る旅となってきます。

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(極東シベリア・ウデゲの猟師さん。黒澤明が描いた「デルス・ウザーラ」=ウデゲの猟師の世界を思い出して、感慨!)

ナナイ、ウデゲといった少数民族は、アイヌと生活文化に共通項があり、容姿は日本人にそっくりです。極東シベリアの夏は、花が咲き乱れて最高に美しく、空気も水も澄んでいました。

今年の5月、キルギスに行ったとき、なにか既視感を感じました。思い返せば、それはこのシベリアでした。光景や人に共通する何かを感じたのです。

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(極東シベリア・ウデゲの漁師たち)

キルギスから日本へ?

このNPO(ユーラシアンクラブ)のニュースレターをネットで見ていたら、興味深い記事がありました。現在、キルギスの首都ビシュケクに住む栗本慎一郎氏(元明治大学教授)の『シルクロードの経済人類学 日本とキルギスを繋ぐ文化の謎』という著書を紹介したものです。

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(キルギスの家族)

その本の中には、次の口承を紹介したくだりがあるそうです。「昔、キルギス人と日本人は一緒に住んでいたが、どうしても羊の肉が口に合わない集団が出来た。それが日本人の祖先となって、彼らは海と魚を求めて東へ去って行った。そして帰ってこなかった」。

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(キルギスの青年)

キルギスは、世界のどこの国よりも日本人の顔に似ているとも言われます。日本人の先祖、ホントに魚好きが高じてユーラシアから渡って来たのかもしれませんね!
by orientlibrary | 2007-08-03 18:34 | 中央アジア5カ国