イスラムアート紀行

orientlib.exblog.jp

<   2006年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

染織に息づく 中央アジアの鮮烈な造形センス

先日、あるギャラリーのオーナー+遊牧民の織物の専門家と、中央アジア、西アジア、スペインなどの織物やタイルについて語り合う機会があり、触発されました。そのなかで染織に詳しいオーナーさんが、「中央アジアの染織は染織のオリジンであり、様々な文化が融合して美しく、大変興味を持っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。

e0063212_3122224.gif


また先週は、紡ぎ、染め、織り、編みなど糸系愛好家の年に一度の交流&発表会で、その熱気に圧倒されました。日本にも手紡ぎをする人がたくさんいることにびっくり。原毛からの買い物、、いいですねえ。カッコイイ。手紡ぎのものは、暖かさ、軽さ、肌触りが違います。ちょっと高くなるけど、こういう贅沢、いいじゃないですか。

e0063212_3124734.gif

そんなこんなで染織に気持ちが傾いていたところに、中央アジアの染織の話も出て、久々に以前見た展覧会の図録などを見てみました。『シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの美術』、なつかしいなあ。

これは98年の秋に千葉市美術館で開催されたものです。8年前ですが、その頃はまだまだ中央アジアの情報が少なかったので、ドキドキの展覧会でした。
実際、「この地域の美術の統括的な展覧会は日本で初めて」だったのです。初めて見るスザニや衣装の華やかさ、大胆な造形感覚に驚きました。

e0063212_3131490.gif

『シルクロードの装い パリコレに花咲いた遊牧の民の美』は、東京都庭園美術館で04年春の開催。民族衣装だけでなく現代の人気デザイナーの作品もあったせいか、オシャレな若い来場者が多く、賑わっていました。

創造の源をエスニックファッションに求めることの多いファッションデザイナーたちは、91年のソ連崩壊以降、シルクロードの伝統的な染織や衣装に触れることができるようになり、おおいに触発されて、彼らの最新モードに取り入れています。グローバル化が進展し、固有文化の見直しや癒しの希求などの時代の気分のなかで、ファッションにおいても新しいタイプのフォークロアが時代の気分にマッチしていたのかもしれません。

96年にジョン・ガリアーノがノマドをテーマにした作品をパリコレで発表。2000年にはロシアのデザイナーがスザニを使ったドレスを発表しています。ドリス・ヴァン・ノッテンやアンダーカバーの高橋盾さんもこの地域の衣装に触発されたコレクションを02〜03年に展開。思い返せば、高田賢三さんのデザインや柄の中には中央アジア的な香りがあります。

e0063212_3134622.gif

展覧会図録に、「中央アジアの染織技術」(中上正美子さん)という原稿がありました。そのなかで、ソ連時代には代々受け継がれた伝統産業を続けることができなかったこと、しかし政府に見つからないようにこっそりと手織りや染色の秘伝が伝承されてきたこと、その結果細々ではあるが染織の伝統技術が継承されてきたこと、独立後は伝統技術を復興しつつ生計をたてていくことの難しさに直面している現実、などが紹介されています。

e0063212_314730.gif

困難な時代を乗り越えてきた染織、そんな苦難の歴史をも織り込んで、中央アジアの染織は鮮やかで大胆で力強い。しかし仕事は丹念で繊細なのです。正直、最初は見慣れないので違和感がありましたが、だんだんと独特の造形世界、質感の高さに惹かれていきました。色使いは鮮烈ですが、なぜか落ち着く感じもあるのです。どこか日本の染織のセンスと似ている気がするのが不思議です。

中央アジアは、気候風土も社会も日本とずいぶん異なるのに、なにか懐かしいような気がします。それがいつもふしぎです。
by orientlibrary | 2006-09-28 03:26 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

細密画師の幸福の闇 無限の空白の頁

前回に続き、16世紀末イスタンブールの細密画(ミニアチュール)を巡る状況をミステリアスに描いた小説『わたしの名は紅(あか)』(オルハン・パムク)の、「盲目と記憶」の部分より、本文をベースにorientlibrary風に書いてみました

e0063212_2020872.jpg


<名人ミレキの考え>
「当時、細密画師がいちばん恐れていたのは、盲目になることでした。アラブの絵師は日出の時間に西に向かって地平線を眺めました。シーラーズの絵師は、朝食の前にクルミの実とバラの花びらをつぶしたものを食べたことが知られています。イスファハーンの絵師は、日の光がじかに工房の机にこないように、薄暗いところやろうそくの光のなかで仕事をしました。ブハラのウズベク人の絵師は、一日の仕事の終わりに祈って浄めた水で目を洗いました」

「一方で、ヘラトの名人ミレキは“盲目は悪いことではない”と言いました。“盲目は全生涯を美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜(たまわ)る最後の幸せである” と」

「なぜならば、“細密画とはアラーの神が世界をどのようにごらんになるかを絵の中で探し求めることだから”であるといいます。“画師は厳しい研鑽の果てに、精根尽きて盲目になる。そして、盲目の暗闇の中、記憶の底から眼前にアラーの光景〜アラーがこの世をどうごらんになるか〜があらわれる。その光景を紙の上にとどめるために、画師はその後の全生涯を手を慣らすことについやす”のだと」

「当時のヘラトの名人たちは、写本を愛するシャーのために描く絵を、いつかやってくる至福の盲目への準備とみなし、手の訓練と考えました。絶えず描き続け、毎日ろうそくの光の中で写本の絵を見続けました。名人ミレキは、苦労して髪や米粒の上に植物を描き、盲目に近づこうとしました。そして、彼はスルタンに見ることを許された写本の傑作を三日三晩見続けた後、盲目になりました」

「アラーの神の不死の世界に到達したミレキは、“死なねばならない人間のために作られた写本には戻らない”と、そのあと二度と絵を描きませんでした。そしてこう言いました。“盲目の細密画師の記憶がアラーの神に到達したところには、絶対的な沈黙、幸福な闇、そして空白のページの無限がある”と」

「名人ミレキの影響で、タブリーズの古いタイプの名人たちの中には、年をとっても盲にならないのを恥じ、才能や技術が十分でないと思われるのを恐れて、盲人のまねをする人もあります。ある画師は、暗闇の中で鏡の前に座ってランプの薄明かりの光でヘラト派の昔の名人たちのページを何週間も飲み食いもせずに眺めるのです」

「(名人オスマンが言うには)”勝利者の様式を使うようにと、その模倣をするようにと強制されたとき、昔の偉大な名人たちは名誉を守るために、自ら針を刺して盲目となり、その褒美としての純粋な闇が降りてくるまでの間、顔も上げずに傑作を何日も眺め続けた。盲目に向かう甘美のなかで、それまで持っていた邪悪が消えていく。なんという幸福だろう!”」

e0063212_209231.gif


これは小説ですが、著者は建築を学んだイスタンブル生まれの作家であり、執筆にあたっては相当資料を読み込んだと思われます。名人たちの生涯が誇張されて語られる面はあったにしても、当時のイスラム世界の美意識や職人の考えの一端を垣間見ることができるのではないでしょうか。

『わたしの名は紅(あか)』の読みどころは、スタイルと個人、伝統の伝承、新しい様式の形成、東洋と西洋など、また違うところにあると思いますが、盲目になることの至福、美の極地は、私にイスラムの高度な象徴性や凝縮性を思い起こさせます。

そして、この本は細密画のように、部分で見ても全体で見ても、読めば読むほど深みがあって引き込まれます。細密画を見続けているうちに、画師の魂が乗り移ったのではないかと思うほどです。そんな不思議な、リアルと幻想の間のような世界、これこそが細密画なのかもしれません。

e0063212_20121915.jpg

by orientlibrary | 2006-09-24 13:48 | 中東/西アジア

手が記憶だけで描く。黒羊朝細密画師アリの物語

16世紀末イスタンブールの細密画(ミニアチュール)を巡る状況をミステリアスに描いた小説『わたしの名は紅(あか)』(オルハン・パムク)。オスマン朝スルタンの栄華の時代、イスラムの街の暮らしや美、とくに細密画や細密画師についての凝った描写が読み応えたっぷりの佳作です。

e0063212_1151967.gif


細密画を見るときの印象も変わってきます。細密画ってすごい世界だなあ。濃い本で、まだまだ読めていないのですが、「盲目と記憶」という部分が細密画の核心を語っているようで惹かれました。タイル装飾の傑作・タブリーズのブルーモスクを作った王朝・黒羊(カラコユンル)朝の話であることも気になります。

これを引用してご紹介したいと思ったのですが、この本、文章がかなり読みづらい。原文を生かしたものなのでしょうけれど、、。そこで本文をベースにorientlibrary風に再訳(?)してみました。細密画は専門書等より引用。

【名人アリの物語】  
「ペルシアの詩人ジャーミの『悪意の贈り物』をトルコ語に訳したもののなかに、黒羊朝のジハン・シャーの写本工房にいた高名な細密画名人、タブリーズのシェイク・アリが、写本のヒュスレヴとシリンの壮麗な版に挿絵を描いたときの話があります」

「アリの描く写本の挿絵がまだ制作途中のうちに、ジハン・シャーにはその本がこの世で比較するものもないくらいに壮麗な本に仕上がることがわかりました。けれどもひとつ気になることがありました。それは、この名人アリがジハン・シャーの宿敵である白羊朝の若き支配者ハッサンのために、さらに良い本を作るかもしれないということでした」

e0063212_2071651.gif


「ジハン・シャーは、この壮麗な写本を自分以外の誰も持つべきではないと考えました。そこで写本が完成したときにアリを殺すことに決めました。しかし心のやさしい後宮の美女が、盲目にするだけで十分ではないですかと説得したので、これを受け入れることにしました」

「恐ろしいシャーの考えは、アリの耳にも入りました。けれどもアリは、制作をやめることも、のろのろと描いて完成を送らせることもなく、またわざと下手に描いたりもせず、むしろ通常よりも熱心に働きました。早朝の礼拝の後、仕事を始めて、ろうそくの光で疲れた目から苦い涙があふれるまで、馬や糸杉や恋人たちや龍などを描きました」

「名人アリは、たいていの場合、ヘラトの昔の名人たちが描いたページを何日も眺めて、その絵を別の紙にまったくその通りに描きます。まったく同じ馬、糸杉、恋人たち、龍を。そして、ついに黒羊朝のジハン・シャーのために作成した写本が完成しました。シャーはまずほめました。次に金貨を浴びせました。そして先のとがった羽根飾り用の針でアリを盲にしました」

e0063212_2073153.gif


「名人アリは、その痛みが癒えるのも待たずにヘラトを去りました。そして白羊朝の王様ハッサンのところに行ってこう言いました。『私は盲目です。しかし私は写本の美しさのすべてを、すべての線、すべての筆運びを記憶しています。見ないでも手がすべてを描くことができます。そして、あなた様にこの世でいちばん美しい写本を描くことができます。なぜならば、目がもうこの世の穢れに惑わされることがないのですから』」

「ハッサンはアリの言うことを信じました。そしてアリもまた言にたがわず、この世に比類なき傑作を描きました。ハッサンはその後、戦いでジハン・シャーを打ち破りました。アリの写本がハッサンに精神的な力を与えたことを皆知っていました」

当時の細密画師は盲目になることを最も恐れていたといいます。しかし盲目は、全生涯をその美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜る最後の幸せという考えも。これについては次回に。
by orientlibrary | 2006-09-21 01:39 | 中東/西アジア

時空を超えて、パルメット文様、大集合!

探していたものが見つかりました。ムルタン(〜ウッチュ)の気になる文様、その解説があったのですが、、まだストンとこないなあ。

e0063212_9521318.gif


解説いわく、「the traditional fleuron frieze has lotus flowers in reserve on a cobalt ground 」、う〜ん、蓮華文様?なんですか?パルメットは「椰子説」「蓮説」、どっち? タイルデザインのなかで「パルメット」が何を指すのか、例題の多い『THE ART OF THE ISLAMIC TILE』でチェックしてみました。以下に、各地のタイル文様でパルメットと表現されたもののいくつかを掲載してみます。なお、この本は文様についての本ではないので、かなりざっくりとした分類だと思います。

e0063212_9541418.gif

◆ 渦を巻く“パルメット”とからみ合うカリグラフィーの装飾帯。これはタイルではなく漆喰。
◆ Al-attarin medresa/fez/completed1325
◆これもパルメット?なんだか流麗な植物文様全体をパルメットと言ってる気も、、。モロッコの本では葉だけでも相当な数あり。モザイクの片だけでも400種類名前付きだからすごい。


e0063212_955064.gif
◆ “パルメット”と花のモチーフが嵌め込まれたボーダーが組み合わさった格子状のモザイク
◆ Tuman Aqa funeray complex in Shah-iーzinda /Samarkand/completed1405
◆モザイクが元気でティムール期らしい。勢いがあります。


e0063212_9553550.gif
◆ “パルメット”をモチーフとしたボーダー部分のタイル
◆ Tash-Havli palace/Khiva/1831-41
◆ヒワのタイルはこのようなコバルト地に白抜きの絵付けです。伸びやかで流れるような線が特徴。これもパルメット。ヒワのタイルにこのパターン多いです。


e0063212_9555719.gif
◆ 花が敷き詰められた “パルメット”を組み合わせた形のモザイク装飾
◆ Masjid-i Kabud or blue mosque/Tabriz/1465
◆ロゴのタイル、西イランのタブリーズにあるブルーモスクのディテールです。トルクメン系のカラコユンル朝期のもの。これ以上のものはないと言われるほどのファサードのタイル装飾が圧倒的に見事で本当に美しい。最高です。←のタイルは内部装飾のもの。パルメットを五角形にしたものってこと?発見です。うれしいな。

e0063212_9562050.gif
◆ 回転する“パルメット”模様が ロゼット(葉が放射状に広がったもの)を取り囲む
◆ Rustem Pasha mosque/Istanbul/1561
◆ちょうどトルコタイルのコメントで mayumiishさんからご紹介頂いたモスクです。ナイスタイミング〜! 行ってみたいなあ。イズニック赤が効いてますね。

というところまでで、仮説。タイルデザインのなかで「パルメット」は何を指すの?椰子、蓮、いずれも含む植物をベースとした文様、唐草的な動きのある場合もあり、図像的な場合もある、といったところでしょうか。ムルタンは現地では椰子の雰囲気でしたが、インドとの関連では蓮華文様もありなのかも? タイル発展途上人、ここまでが現在の限界〜!
by orientlibrary | 2006-09-18 10:32 | タイルのデザインと技法

ムルタンとモロッコをつなぐか!?パルメットふう文様

●急な寒さで不覚にも数日前から風邪に。モコモコに着込みながらの更新です。さて、パキスタン・ムルタン地方のタイルが気になっていることは、これまでも何度か書いてきました。気になるポイントはいくつかあります。

e0063212_20475899.gif●廟建築の八角の形や小塔のデザイン、レンガに青と白のタイルの組み合わせという色使い、そしてシンプルで力強い文様。これらがどこからもたらされ、またムルタンの独自性はどこにあるのか

●建築デザインについては、イランや中央アジアとの関連が何となくわかってきました。先進的なイスラム世界からの職人の移動もあったことでしょう。

●タイルの色は、青と白の施釉タイルと焼成レンガを組み合わせた「バンナーイ」技法が、ティムール朝などで盛んだったことと関連があるかもしれません。レンガ部分が多くてタイル比率が他の地域よりも少ないのは、やはりタイル製作というのが大変な手間と費用のかかるものだったからではないかと思います。



e0063212_20265046.gif●一方、まったくわからないのが文様です。全体に幾何学紋様が多いのですが、そのなかに特徴的な「かたち」が混じっているのです。

●キノコのような傘のような、左右対称のかたち。これが様々に変形したり上下逆になったり、中に文字や模様が描かれたりしながら、印象的な部分に配されているのです。これって何!?

●以前何かで読んだ記憶があるのは「パルメット」文様だということ。でも出典が思い出せません。そこでパルメットについて調べてみると、これまた複雑、、。


●まず多いのは、<シュロ (ヤシ科の常緑高木)の葉をかたどった先端が扇形に開いた文様><椰子の葉をベースにした植物性文様の一つ。2本に分かれた渦巻きの分岐点を中心に扇形に開いた形を言う。エジプトや古代ギリシアの文様によく見られる>などの「椰子説」

●ところが、<ロゼットは蓮の断面でパルメットは蓮の正面>という「蓮正面説」があったかと思うと、<パルメットの起源は蓮の花の側面形といわれ、古代エジプトやペルシアのスーサ出土の遺物にパルメットの原形らしき装飾が用いられている>というような「蓮側面説」ありで、素人は大混乱!


e0063212_20292239.gif●う〜ん、、と、この文様をよく見てみると、あれ?どこかで見た記憶、、それも結構好きだったはず。ということで思い出したのが、モロッコのタイルです。

●いいでしょう!この文様。いろんな建造物にありました。とても好きでたくさん写真を撮りました。新しいカラフルなのもいいけれど、古いナスル期やマリーン朝あたりのものが、いちばん味わいがあってすてきでした。
e0063212_2046860.gif

●そこで本棚から取り出したのが、普段は重くて開くことのない(!?)『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE』(モロッコ建築における伝統的イスラム工芸)。片手で持てません。しかも2冊セット。

e0063212_20312156.gif●とにかく中身が濃く、タイルの製作過程も丹念に紹介されています。すごいのは、モロッコで見られる代表的な文様すべてについて、詳細な幾何学の図解説明と具体的な写真例があること。

e0063212_20323043.gif●そのなかに、もちろん上の「パルメット(仮)」もありました。しかし葉の文様群ではなく幾何学紋様群に入っており、名前は「SHOULDER AND STEP」(肩と踏み段?)。

●「花模様の骨格(スケルトン)として、またムカルナスの基本的な構成要素として、頻繁に使われてきたもの」「大理石、タイル、木、漆喰など、すべての工芸技法に用いられてきた」という、とてもポピュラーな文様のようです。

●名前は想像を広げるものではありませんでしたが、このかたち、似てませんか?ムルタンのタイルに、、。そして文様、私は、「椰子説」です。理由は、モロッコでもムルタンでも椰子の木が多かったから。蓮は結びつきません。

●それにしても、イスラム世界の西端と東端、タイル界でもマイナーな地域で目立つこの文様、他ではどうなっているのか、と見てみたら、近いものがありました。でも、、すごすぎる、王のモスク(イスファハーン)礼拝室丸天井のモザイク(↓)。これがモザイクだなんて、、。こんなにも細密な世界。文様はそのいち構成要素になっていました。

e0063212_20325998.gif


e0063212_205096.gif●で、またムルタンの青のタイルを見てみると、、マイナー好みの私としては、イスラム世界の末端で、一生懸命作られた素朴なパルメット風の文様が、とても愛おしく見えてくるのでした

*写真は、orientlibrary+『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE』+『THE ART OF THE ISLAMIC TILE』『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』より引用
by orientlibrary | 2006-09-15 21:04 | タイルのデザインと技法

ブログ1年、タイル旅は続く(けれど、、)

●日本で「イスラムのタイル」というと、もっとも知名度が高いのは「アルハンブラ宮殿」かもしれません。その次はブルーモスクなどが印象深い「イスタンブール」か、あるいは王の広場が圧倒的に美しい「イスファハーン」か。イスラムタイル見て歩記といいながら、そのあたり全然出てこない、とお思いの方もあるかも、、。

e0063212_161471.gif

●タイル界というものがあるとすると、イランとトルコは両横綱という感じです。ここに中央アジア、マグレブ、スペイン、ヒンドゥスタンが、からみあいながら紹介されます。海外の専門書では、思い入れのせいかもしれないけれど中央アジアのポジションが大きいような気もします。

●けれども、素人の私が見た限りですが、種類も多く入手しやすいのはトルコ関連の本です。さらに現地では街角でもタイルのポストカードが山のように売られているし、タイルをモチーフにしたペンダントなど、おみやげ物も種類があります。トルコではタイルが工芸を代表するものとして一定の地位を確立していると同時にマーチャンダイジング力も高い印象を受けます。

e0063212_16212.gif

●そんなトルコのタイルなのですが、タイル発展途上人の哀しさ、そこまでたどり着けません。ブログを初めて1年が経過しました。けっこうがんばっているのですが、タイルスタディの進行は遅々としたものです。本が目の前にあるのに、なかなか読めません。

●トルコでは、セルジューク朝(1038〜1157)、ルーム・セルジューク朝(1077〜1308)のタイルやレンガをもっと見ていきたい。素朴で、土味があって、とてもいいのです。

●また、タイルの代名詞のようなオスマン朝のタイル、見とれます。陶然とします。タイルに囲まれる幸福に浸ります。でも、、何というか私には綺麗すぎる感じがします。華麗で繊細で豪華で、、。また本でも「タイルと陶器」となっているように、陶器とあまりに近くてタイルらしさがないというか、、。なんか陶皿を見ているような気もしてきて、、。

e0063212_15506.gif

●遅まきながら、16世紀末イスタンブールの細密画をめぐる小説『わたしの名は紅(あか)』をチラッと読み始めているのですが、遠近法など西洋画の技法を細密画に取り入れることを巡って事件が。同時代のイスラム王朝であるサファビー朝、ムガル朝も17世紀頃からヨーロッパの影響を次第に受けていきますが、オスマン朝はヨーロッパに近い分、早いのかな。

1年たってもトルコにたどり着けない当ブログ、せめてもの気持ちとして、きれいなトルコのタイルが表紙の本(写真)をご紹介します。チューリップの絵が可憐、そしてイズニック赤も見事です。

●いつかコンヤブルサ、しっかり見てきてレポートしたいです。あ、アルハンブラ宮殿、これは行ってないんですよね。憧れのアンダルシアですが、未踏の地です。私って、やっぱ超マイナーなのね・・・。
by orientlibrary | 2006-09-12 01:24 | タイルのデザインと技法

地平線から今日も日が昇る ただそれだけのことなのに

e0063212_2336736.gif

        巡礼地 カーニャクマリの 暁に 神の花咲く マリーゴールド


e0063212_23362710.gif

        クメールの 紅き記憶の 密林を 染めあげていく おほき日輪


e0063212_23364222.gif

           朝日さす サハラ幻影 豊穣の 山の姿に 海の姿に
by orientlibrary | 2006-09-07 23:50 | 中央ユーラシア暮らしと工芸

陰影の美から色彩の美へ イスラムの墓廟建築

イスラムの建築というと、モスクやマドラサ(神学校)などの宗教建築物、または宮殿が思い浮かびますが、タイルや壁面を見ていると気になるのが墓廟建築です。“タイル装飾の博物館”とも称されるサマルカンドの「シャーヒ・ズインダ墓廟群」、マイナーだけど個人的に好きなパキスタン・ウッチュの「ビービー・シャビンディ」、優雅なインド・イスラムの「タージ・マハル」等々、あげればきりがありません。

e0063212_139178.gif
(サーマーン廟)

『イスラーム美術』(岩波書店)によると、ムハンマドは入念に作られた墓で死者を記念することに反対し、自らも簡素な墓で直接地面に埋葬されることを望んだそうです。しかし権力者がそれで満足しないのは世の常でしょうか、初期イスラムの時代にはすでに墓石や印をつけた墓が登場し、ムハンマドの墓も最終的にはドームがかけられたといいます。

また墓参りの慣習は正式には否定されていたのですが、多くの人が墓参りをおこない、埋葬も敬意を表すために次第に柵や覆いがなされ、建物で装飾されるまでに。しかしながら、宗教的な見地からまだ躊躇があり、カリフでさえも簡素に埋葬されていたそうです。変化するのはアッバース朝カリフ時代、9世紀末頃までに墓廟への埋葬をおこなうようになり、他の王朝もすぐにこれにならいました。

イスラム地域全域で現存するそのような墓のなかの、もっとも早い例のひとつが、ウズベキスタン・ブハラにある「サーマーン朝墓廟」です。サーマーン朝(873年- 999年)は、中央アジア西南部のトランスオクシアナとイラン東部のホラーサーンを支配したペルシア系のイスラム王朝。その家族墓とされるサーマーン廟は9世紀の建造。19世紀末まで廟の半分ほどが地中に埋まっていたおかげで、千百年以上経った今でも当初の姿を見ることができます。

e0063212_1395818.gif


サーマーン廟は焼成レンガでできており、一辺が10メートルの立方体の壁に内径8メートルのドームが載っています。土色のこじんまりとした地味な建物ですが、レンガだけでここまで表現できるのかと感嘆する多彩なレンガ積み、積み方による陰影が作り出す繊細で味わい深い表現が大きな魅力です。

e0063212_1485692.gif


「建設と装飾の品質の高さと見事な調和は、この建物がこの種の建物では現存最古ではあっても、最初に建てられたものではなかったことを示している。10世紀初頭までにはすでに大イラン圏においてドーム構造で建物を装飾する長い伝統が存在していたはずである」(『イスラーム美術』)。ペルシアの土の建築技術と装飾の美は本当にすごい!

このようなドームを載せた立方体は、墓廟建築でもっとも一般的な形のようです。また、墓によって自分の名前を残そうとした権力者が増えた結果、次第に墓は大きくなっていきます。

e0063212_1402393.gif


その最たるものが、これまで何度か登場しているイラン北西部にあるイルハーン朝の墓廟「ソルタニエドーム」(1307〜13)です。八角形の広壮な建物で、高さは50メートル。ドームの直径は25.5メートルもあり、回りには8本のミナレットがあります。

壁面装飾におけるソルタニエドームとサーマーン廟との違いは「色」。「(レンガの陰影が装飾的美を生み出す)手法は11世紀以後変化し、壁を活性化するためにレンガの間に施釉された陶器片を挿入することによって色彩が導入された」「14世紀までには、施釉・無釉の割合が入れ代わり、表面全体が施釉陶器片のモザイクで覆われた」(『イスラーム美術』)。

ソルタニエには、外壁や内壁に青の施釉レンガや施釉タイルが使われています。世界遺産になり修復が始まっていますが、わずかながら残存している当初のタイルからも、往事の輝きを想像することができます。

権力者は自らの、また他の優れた人々のために意匠をこらした墓作りに熱中。その後の墓廟建築では、14世紀後半からのティムール朝期の「シャーヒズインダ墓廟群」「ホジェ・アフマド・ヤサヴィー廟」などが有名です。

e0063212_1404118.gif


そして私がずっと気になっていたパキスタンの「シャー・ルクネ・アーラム」(ムルタン/1320〜24)や「ビービー・シャヴィンデイ」(ウッチュ/1493)も、サーマーン朝、セルジューク朝、イルハーン朝、ティムール朝などからの影響を受けたダルガー(聖者廟)なのだと思います。装飾タイルに覆われた壁面の輝きが、強烈な印象です。このあたりの伝搬、影響は、もっと深めたいところです。
by orientlibrary | 2006-09-05 01:54 | タイルのデザインと技法

ウズベキスタン すっきり「白丸」&しっかり「マハラ」

e0063212_034585.gif●この白くて丸いお菓子のようなもの(←)は何?食べてみると、、予想に反してかなり塩辛い。酸味もあって不思議な味。でもチーズみたいなコクがあってお酒にも合いそう。

●そう、これは「ヨーグルトを固めて干したもの」だそうです。ウズベキスタンから来日したZさんから少しわけてもらいました。

●飛行機にひどく酔ってしまったZさん、半日以上休養しても好転せず、私も少し焦っていましたが、到着したスーツケースからこの「白丸」(名前聞いたけど忘れた)を出して食べ、しばらくすると、真っ青だった顔に赤みがさしてきて元気に、、。安心すると同時に、白丸の威力にびっくり。

味といい効能といい、日本の梅干しみたい、と思いました。梅干しも不快なときなどスッキリするし、、。生まれ育ったところのものが効くんですね。

●留学などで滞日中のZさんのいとこたちも、白丸が懐かしそうで、競って食べていました。なんか小さな子たちがじゃれあって遊んでいるみたい。生まれた時からずっと近所の親戚同士で、いつも一緒に遊んで大きくなった。大人になっても邪気ない表情で話の尽きることがない。困ったときは親身に助け合う。そんないとこや親戚がた〜くさんのウズベキスタン

e0063212_042373.gif

●5月にウズベキスタンに行ったとき運転をしてくれたNさんは、外人と話をするのが初めてでした。「日本に砂漠はあるか」が最初の質問。そして次が「親戚はたくさんいるか。仲良くつきあっているか」でした。私はいとこも二人だけだし、冠婚葬祭以外会うことも少ない。「あまりたくさんいません」としか答えられませんでした。


e0063212_051459.gif●某国の拉致問題、おっとりした口調ながら毅然とした仕事ぶりが印象に残った中山恭子さんは元ウズベキスタン大使。着任まもなくキルギスでの日本人鉱山技師拉致事件が起こり、解決に奔走されました。

●その中山さんが『ウズベキスタンの桜』という本(→)を書いていらっしゃいます。あの語り口を彷彿とさせるふんわりした文章、でもキリッとした外交官らしい姿勢が垣間見えます。そしてウズベキスタンへの親愛の情が伝わってくる本です。

●馴染みのない大変な国への赴任を心配している人たち。「慰めを言うのも不適切だと少し戸惑いながら」見送ってくれたそうです。でも到着してまもなく「日本から遠く離れた中央アジアに、こんなに日本人とよく似た人々が住んでいると知って嬉しくなってしまいました」。

●さらにそれまで欧米でもアジアでも出会わなかったある態度に感動します。「外国に出て、遠慮することを身につけている人々に初めて出会いました。どんなにびっくりし嬉しかったことか」。


e0063212_054649.gif●そんなウズベキスタンの遠慮するという心性や相手を気遣うこころを、中山さんは伝統的な地域社会「マハラ」を通しても紹介しています。

●マハラは、日本の町内会のようなものですが、行政の単位ではなく昔からある地域の共同体。マハラのことをすべて知っている世話役の長老の中心に、マハラ全体で助け合って暮らしているといいます。

●たとえば、「誰かが職を失うと仕事が見つかるまでその人はマハラの中の仕事をします」。ちょっと畑仕事を手伝ってくれとか、奥さんが働きに出るから家の中のことを手伝ってくれ、などです。また一軒の家の塀の中に親族が一緒に住んでいるので、子どもたちは大勢の大人やマハラ全体に見守られて育ちます。



e0063212_061179.gif●タシケントのような都会にもマハラはあり、ある日、マハラの長老が大使館にバラの花を一輪持って訪れ、「マハラのお祝いの日で女性に一輪ずつバラの花を贈っています」と届けて行ったそうです。形式的な記念品ではなく、“バラ一輪”というのがいいですよね〜!かなりイケてますね。

●関係性の濃い社会には、いいことばかりではなく窮屈な点もあるでしょう。また、今からマハラ的社会で暮らせるかというと、正直、自信もありません。でもウズベキスタンの人たちの親密で思いやりのあるつきあい方を見ていると、私は何か大事なものをどこかに置いてきたのだというキュッとするような思いに駆られることも事実です。

●仲良くじゃれあっているいとこ同士の若い子たちを見ながら、いいなあと思った晩夏の一日でした。
by orientlibrary | 2006-09-02 00:08 | ウズベキスタンのタイルと陶芸