イスラムアート紀行

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ペルセポリスから考えた タイルってなに!?

「ペルシア文明展」(東京都美術館)、見ました。アケメネス朝を中心に先史時代からササン朝までの文明史を、イラン国立博物館が所蔵する美術・工芸品200点を通して紹介するもの。紀元前5千年紀の土器や金属器から、世界帝国アケメネス朝の豪華な宮殿の装飾品、シルクロードを通して日本とつながるササン朝のガラス器など、やはり文化の厚みがすごいなあ。

●とりわけ、展覧会のシンボル「黄金のリュトン(酒器)」などアケメネス朝の工芸品は、広大な帝国の勢いを映し出すようにイキイキと輝いていました。が、土族(つちぞく)を自認する私が見入ったのは、もちろん土もの。2点、タイル関係と思われるペルセポリス出土の展示物があったのです。「思われる」というのはあいまいな表現ですが、図録を見ても「思われる」としか言いようがなく、少々混乱しています。

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●まず、「ホルス神の飾り板 Square Plaque of Egyptian God Horus 」(↑)というブルーの陶板に注目しました。図録の説明では「青い釉薬を施した方形のタイルに古代エジプトの神ホルスを線刻画で表したもの」となっています。確かにタイルなのですが、、「タイル」と「飾り板」、その定義がよくわからず。使われた場面がピンときませんでした。

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●次に、「ロゼット文の装飾タイル Square Slab」(↑)がありました。これはタイトルは「タイル」ですが、英語(オリジナルのタイトル?)では「方形の厚板」です。「石灰岩を方形に成形し浮彫で中央にロゼット文を廃し、周縁部に蓮珠文を巡らせている」という説明がありますが、石灰岩をタイルとして扱っていいのかなあ?「ロゼット文は連続的に配置された壁面装飾の単位」とあるので、連続して全体を構成する装飾ということで、タイルになっているのかな?

●イスラム建築〜タイルに詳しい深見奈緒子さんは「イスラーム建築とタイル」(『砂漠に燃え立つ色彩 中近東5000年のタイルデザイン』)のなかで、次のように書いています。
・ 「狭義のタイルとは、釉薬がかかっていることが大前提」
・「形や大きさはともかくとして、比較的薄手の被膜材をさし、煉瓦とは区別される」
・ 「中東では、煉瓦のように比較的厚手の部材に釉薬をかけることが多々ある」
・ 「タイルを釉薬のかかった焼成建材という広義の意味でとらえていきたい」

●前提として「土もの」であることは明記されずとも明らか。要件として「釉薬がかかっていること」「焼成されていること」「建材であること」が定義のポイントになっていると思います。

●廃刊になってしまった素晴らしい専門誌『装飾タイル研究』の鼎談では、次のように語られています。
・ 「“タイル”ということばはイギリスから来ているが、イギリスでは瓦のことを言う」
・ 「もともとはラテン語の“tegulaテグラ” から。“覆う、カバーする”という意味」
・ 「屋根でも壁でも構造体を作るのではなく表面を覆っているもの=共通概念の基礎」
・ 「つまり<薄板状の焼き物で仕上げ材である>と定義する」

●ここでも明記していませんが、前提は「土もの」。そして「焼き物である」「仕上げ材である」が定義のポイントです。

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●私はこれまで、上の定義でタイルや煉瓦を見てきました。だから、「ホルスの飾り板」は、素材のクレジットが「タイル」になるのではないかと思います。ロゼッタ文のものは、やはり素材的にタイルと言えないのでは??

●しかし、「世界のタイル博物館」のサイトでは、より広義に説明されています。
・ 「タイルは、建物の壁や床を覆う陶磁器製の建築材料のことを指す(業界用語)」
・ 「広辞苑では「壁または床にはる小片状の薄板」。広い意味では材質は不問
・ 「タイルカーペット、Pタイルなどやきもの以外で正方形をした壁または床にはる小片状の薄板のものを、○○○タイルと呼ぶことがある」

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●ふ〜む、、じゃあ、石灰岩でもいいわけですか。でも、なんかそうしたくないのは「土族」だからかなあ・・・ということで、あいまいではありますが、今回はこのへんで「強制終了」!?

*写真上2点は、展覧会図録より引用。3番目は、イラン国立博物館にてorientlibrary撮影。「施釉のドアノブ?」。4番目は、同じく「スーサ(アケメネス朝の冬の都)の施釉レンガ・レリーフ」(=有名なもの。今回は来ませんでした)
by orientlibrary | 2006-08-29 16:23 | 至高の美イランのタイル

ブハラの大学で結婚式パーティ&55歳のお祝い

●海外に行って結婚式に出会うと、新郎新婦の衣装やお祝いの様子など好奇心全開で見てしまいますよね。最近、「アフガニスタン駐在日記」のkentaさんの「花婿すらいない結婚式」、「写真でイスラーム」のmiriyunさんのシリアの「村の結婚式」と結婚式の話題が続き、男女別々の結婚式の様子を興味深く読みました。

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●私も5月のウズベキスタンで結婚披露パーティに参加させてもらいました。ところは中世の雰囲気が漂う古都ブハラ。大学で工芸史を教える先生にお会いしたところ、その日の夜に息子さんの結婚パーティがあるということで、向かった先はなんと大学。その中のレストランのような場所に親族が大勢集まり、楽団が賑やかな音楽を奏でていました。

●通訳のSちゃんが「お嫁さんはパーティのあいだ中、おじぎをし続けるんだよ」と教えてくれていたので、「?」と思っていましたが、それは本当でした。主役のお嫁さんは、ベールをまとい、ずっとおじぎしています。いろんな人にお世話になるからだと聞いた気が(曖昧です)。あ、隣にいるのは親戚の赤ちゃんだそう(まぎらわしい?)。


e0063212_23172046.gif●テーブルにはナッツやお菓子、果物、たくさんの料理や飲み物。私たちは男女ミックスで座りましたが、男性は男性で、女性は女性で、まとまって座っていました。子どもたちは大学の庭を駆け回っています。でもアフガニスタンなどのように会場ごと男女別々ではありません。


●ちなみにこのお嫁さんは18歳の大学生。お婿さんはたしか27歳。地域差もあると思いますが、サマルカンドやブハラやフェルガナでは女性は20歳くらいまでに結婚すると聞きました。親同士が決めることが多いとも聞きました。タシケントなどの都会はまた違うのでしょうけれど。

●そして、結婚式と言えばダ〜ンス!とにかく皆さん、よく踊ります。プロの踊り子さんも来ていて、ちょっと道化っぽい感じも振りまきながらご祝儀をもらっていました。こういう席の常で、私も踊れと言われ、楽しんだ方が勝ちとばかりに運動を兼ねて、皆さんをまねてダンス&ダンス!

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●踊り疲れた頃に、今度は新郎の叔父さんの「55歳の祝い」。日本でいう還暦のようなものでしょうか。祝いごとなので一緒におこなわれたようです。主役の叔父さんはブハラ名産の金糸刺繍の豪華な服を身にまとい、家族や親族から電化製品や食器セットなどいろいろなものを贈呈されていました。ウズベキスタンでは、60歳を超えると「長老」的な高齢者と考えられているそうです。55歳はそのちょっと手前?

●それから出席者から結婚のお祝いが続きます。こういう席の常で、私も「日本からのお客」ということでお祝いのご挨拶。もうちょっとマシな服を着てくればよかった、と少し焦りました。ビデオ撮影もされていたし、、。

e0063212_23192244.gif●結婚式ではありませんが、5月はなぜかウズベキスタンでは誕生パーティが多いようです。5月生まれの比率が高いようなのです。

●連日のように、どこかでパーティがあり、お祝いを持参しダンスしたりおしゃべりしたり。ウズベキスタンの人たちは、踊ることが本当に好きなんですね。こういうのは嫌がっているより「ノッた方がラク」なので、私はダンス!路線。だんだんハマってきたりして。


●ブハラの結婚式の写真が少ないので、シャフリサブス(ウズベキスタン)の公園で以前であった結婚式(→)から。民族の坩堝だなあ。赤ちゃんはどっち似かな。


e0063212_23221271.gif●追記:この2ヶ月くらい、アクセスとページビューが増えていて、こんなマイナーなブログへのアクセスを、大変ありがたく思っています。

●でも、どんな方が読んでくださっているのか、よくわかりません。イスラム関連での検索でアクセスして頂いていると思うのですが、よろしければ関心事等々、コメントで教えて頂ければ嬉しいです。「書き甲斐」「調べ甲斐」も強まってモチベートできますので。どうぞよろしく!
by orientlibrary | 2006-08-26 23:35 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

ティムール朝タイル装飾 土の味わいの"バンナーイ”

中央アジアの陶器を調べていたときに、『シルクロード学研究 中央アジアのイスラーム陶器と中国陶磁』(シルクロード学研究センター/1999)を発見して入手したのですが、その中にあった「中央アジアにおけるティームール時代の建築遺構と装飾タイル」(杉村棟さん)は、タイル発展途上人の私には、そして中央アジアのタイルをもっと知りたかった私には、とても嬉しい原稿でした。

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本や資料探し自体が手探りですが、時々ご褒美のように求めたいたものに出会うことができます。杉村棟先生は絨毯のほうでお名前を知っていたのですが、建築やタイルもこんなに造詣が深いとは・・。ティムール期のタイルについて技法や作例を具体的に紹介されていて、大助かりです。

いろいろわかった記念として、しばらく続いたインド・ムガル朝から、ムガルの故郷でもあるティムール朝に移りたいと思います。ティムール期はタイル装飾の様々な技法が試みられた時代ですが、杉村さんは、大きく5つに分類しています。(1)施釉タイル (2)モザイクタイルとクエルダ・セカ (3)上絵付け (4)釉下彩画(浮彫)タイル (5)ラスター彩 です。

ティムール期には、タイルだけでなく大きな壁面を覆う施釉レンガなど、同じ建物でも様々な装飾技法を用います。その施釉レンガ、じつは、これまで「バンナーイ」というのが英語の本に出てきても、よくわからなかったのですが、今回は詳しく説明されていました。

「バンナーイという技法は幾何文様や銘文を形成するために施釉と無釉煉瓦を組み合わせることで、とくに遠く離れて見ると煉瓦の地の黄褐色と青のコントラストによって効果を出せる手法である」。装飾的な煉瓦積みの技法は、ペルシア語で「ハザルバフ(千織り)」としても知られます。バンナーイの製作方法は、「表面を滑らかに研磨した生のレンガに薄く釉薬をかけて焼成し、これを各層ごとにガチと呼ばれるモルタルでつなぎとめ、正確に組積みをおこなう」そうです。

私が中央アジア、 ティムール朝タイルが好きなのも、このバンナーイの土味みたいなものが大きかったのです。でもこれまでは、そのことを説明する言葉を知りませんでした。「もっと”土”なんですよ」とか「おおらかで強いんです」と言っていたのは、このバンナーイのことでした。

文様は幾何文様が多く、色は青の濃淡と白に限られていることが多いようです。また、アラビア語の銘文のパターンを反復させ、無釉煉瓦と組み合わせて壁面を網の目のように覆い尽くすものもあります。ミナレットやドームの下のドラムのような曲面にも盛んに用いられています。代表的なのは、ティムール朝初期のサマルカンドのモスクや現在のカザフスタンにある「アフマド・ヤサヴィー廟」だそうです。

施釉煉瓦はイスラム以前から用いられており、イランのスーサやバビロンのイシュタル門などが有名です(「イラン・チョガザンビル」の記事)。釉薬を施したタイルや煉瓦は、11世紀頃から徐々にイスラムの建築に使用されてきましたが、爆発的に開花するティムール時代までの歩みの中では、「頂点にあるのがイルハーン国第8代のウルジャーイトゥーの墓廟である。この墓廟にはバンナーイがすでに使用されている」。

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ソルタニエですね!ソルタニエのタイルについては、現地の本や英語の本には詳しい説明がなかったのでがっかりしていたんですが、古雅の趣きがとてもいいのです。この「土味」は日本人好みかも。そして、ソルタニエのバンナーイは、多分このこと(↑)かと思います。内壁です。杉村先生も絶賛の素晴らしいファサードは、「ソルタニエ」の記事に写真があります。

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また、ティムールの孫のウルグ・ベクはこのバンナーイを好んで使ったそうです。サマルカンドのレギスタン広場、向かって左側にある「ウルグ・ベクのマドラサ」(↑)(1417-20)では、アッラー、ムハンマド、アリーという文字を方形にまとめたクーフィー体のカリグラフィーがミナレットなどを覆います。&ディテールの例として(↓)レギスタン広場のティッラカッリマドラサを。

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でもバンナーイ、私、まだまだ曖昧。どこからどこまでをバンナーイというのか、まだ腑に落ちていません。発展途上人だから〜! 

*写真一番上は、サマルカンド・レギスタン広場のティッラカッリマドラサ・ドーム&ミナレット。その左手にウルグベクマドラサのミナレット。クーフィー体のバンナーイ。
by orientlibrary | 2006-08-23 01:11 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

「職人とは、建造神ヴィシュヴァカルマーの継承者である」

●・・・「職人階層の崩壊は膨大な数の失業を生み出した。これまで製造業に従事してきたこれら何千万人もの人々は、いったいどうしたというのか?どこに行ったというのか?もちろん死んだのであろう。数千万人が死んだのだ。英国インド総督府は1834年に次のように報告した。『通商史上このような惨劇は類を見ない。木綿織工らの骨がインドの平原を白く染めつつある』」・・・

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●インド手工芸の復興を願うブリジ・ブーシャン・バシン氏は、『インド染織資料集成』(岩崎美術社/1997年)の序文「インドの職人」で、ネルー首相の上の言葉を引用し、「英国の工場を成長させるべく、多くのインドの手工芸が組織的に破壊され、何百万人もの職人が飢え死にした」凄惨な歴史を語ります。「ネルー首相は、『伝統的職人経済の意図的で計画的な破壊の結果こそがインドの人々の戦慄すべき貧困の真の根本的な理由』なのだと結論づけている」・・・

e0063212_0375576.gif●長く国家の手工芸振興のトップとして働いてきたバシン氏、多くの経験の中から絞り出すようにこう書きます。

●・・・「現代インドの指導者たちはガーンディーの経済理論を正しい試みだとは決して認めていない。(略)政府は手工芸品の生産や振興に多くのリップサービスをしているが、実際の政策は、その基礎を壊すのに熱心だ」・・・

●バシン氏は政府の立場を離れ94年にNGOを設立し、インドの職人が過去のものにならないように奮闘を始めました。

●・・・「インドにおける手工芸産業振興は製品に重点を置いている。しかしモノよりも職人なのだ。なんといってもまずは人間ではないか。職人は、熟練工であり、クリエーターであり、文化遺産の支持者であり、建造神ヴィシュヴァカルマーの継承者である」・・・

●・・・「モノは、それがどんなに美しかろうが、どんなに魂を揺さぶるものであろうが、あくまでモノであり続け、命を宿すことはできない。命を持つのは、これらのモノを作った人間の技術である」・・・

e0063212_0381885.gif●・・・しかし「どんな技術も使われなければ生き残ることはできない。芸術的な技術を生活の糧とする人々にとって、マーケットは不可欠だ。言い換えれば、技術には顧客やパトロンが必要なのだ」「手工芸の振興とは職人たちに新たなパトロンと市場を提供することだ」・・・

●職人たちの雇用と安全が保証された伝統的な制度の崩壊という現実を受け入れつつ、新たな市場形成に注力するバシン氏。

●それから十年余、インドの社会と経済は大きく変化発展し、新富裕層や広範な中間層も生まれていると聞きます。購買力を持ったそのような層が「最高峰のインド手工芸」の顧客やパトロンとなっているか、私にはわからないのですが、素晴らしい技術と伝統がこれからも維持されていくことを願っています。

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●上は私愛用のスカーフ(↑)です。サンガネールのもので、作者は当時70代だったキティさんという女性。自然をモチーフとした、おおらかで突き抜けた、粋な明るさ。白の地色に直接捺印するため柄とのコントラストが鮮やかで印象的です。

e0063212_039351.gif●まずアウトラインを捺印し、花部分、茎部分、陰影を表す色彩の部分というように版を捺印していきます。一枚の布を仕上げるのに5〜20版以上も用いて捺印します。

●おおらかな柄の中にも陰影が細かく表現され、イキイキした立体感を表しています。

●版木はチークなどの堅い木を彫りますが、色の分だけ必要なので製作も大変です。スカーフは十年以上愛用していて飽きることがありません。
by orientlibrary | 2006-08-19 00:49 | インド/パキスタン

手工芸への熱き思い 「インドの職人」

「私にとってインドの伝統的手工芸技術とは何だろう」。長年インドの手工芸振興に貢献してきたブリジ・ブーシャン・バシン氏は、『インド染織資料集成』(岩崎美術社/1997年)の序文「インドの職人」で語り始めます。

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●・・・「それは農業を基本とした生活形態の中で代々受け継がれてきた職人たちの技術であり、同様の文化を持つ共同体内で活用されるものである。そして何よりも人間の手を動かすことで表現される創造活動であり、伝統的な共同体における重要な暮らしの糧である」「伝統的手工芸を考えるにあたって、重要なのは手工芸品そのものではなく、それを作り出す伝統職人の技術のほうなのだ」・・・

●この熱い序文を久々に読み返しました。バシン氏とインド・サンガネールの布に最初に出会った十年前の私は、いったい何を見ていたんだろう。本当に表層的にしか、そして自分勝手にしか、ものごとを見ていなかった。サンガネールの布復興の意味を、あと少しでも大きな視点から見ることができていたら、、。静かなお盆の休日です。しばらくバシンさんの文章を引用させて頂き、ご紹介していきたいと思います。

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●・・・「欧米世界が産業革命を迎える以前、庶民に生活必需品を供給したのは職人たちだった。手工芸品と日常生活は、機の折り目のように密接な関わりを持っていた。(略)・・しかし産業革命が到来し、いわゆる“産業国家”が世界の多くの国々を植民地化していった。それらの国々の手工業をつぶしていったのだった。(略)・・インドもそうだった」

●・・・「工業化された世界においても、手工芸品は暮らしの手段とはなりえるだろう。全体から見ればごくわずかなものにすぎないとしても。しかしインドでは、手工芸品は何百万もの庶民の生計手段となっている。伝統的なインドのライフスタイルでは、手工芸品の清算はジャジマーニー制度すなわちパトロン-クライアント関係から始まった、だが、工業化された現代のライフスタイルにおける市場は、ますます欧米化され都市化され、消費者の顔は見えない。生産者と消費者は、別々の世界に属している。インドから輸出される手工芸品もそうであり、インド国内の市場もそうなりつつある」

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●・・・「工業化によって伝統的手工芸が没落するのは歴史的必然だ。欧米及びインド両方での経験から私はそう思い知らされた。プラスティックのポットが素焼きの水瓶にとって変わった。欧米では、伝統的手工芸の技法は、ここのアーティストの工房でしか存続していない。インドでは、統計によれば10年あたり約10%もの職人が減っている

●・・・「こうした衰退は、英国支配時代に始まったものだ。それ以前は、ムガル朝の頃をピークとして手工芸はインド人の暮らしの根幹だった。インドは史上最も偉大な染織品輸出国であり、文明世界のほとんどすべての市場に浸透した、などと伝えられたものだ。事実、手作りの染織品は経済の根幹であり、ムガルインドは18世紀に至るまで、この優れた産業によって最も裕福な世界の大国となったのだ」(続く)
by orientlibrary | 2006-08-13 13:27 | インド/パキスタン

フェルガナ、カーブル、ヒンドゥスターン ムガル花模様の旅

e0063212_23453757.gif「更紗」はサンスクリット語で「色とりどりの」を意味するとも言われる木綿布。なかでも木版捺染(ブロックプリント)は、手描きとは異なり木版を押して文様を施すものです。

●インド・ラジャスターン地方サンガネールの木版捺染は端麗な地色の極上の木綿に木版を直接捺印していきます。ムガルやラージプートの細密画に描かれたマハラジャたちの衣装(←)は、サンガネールの布だと言われています。


日本では、このような繊細なタイプの木版捺染が紹介されることはまれです。ブロックプリントと言えば、サンガネールと近接した産地であるバグルーの厚地の木綿に素朴な文様のものがほとんど。バグルーの藍染めや味のある更紗も魅力的ですが、前回あたりからご紹介しているのは、より洗練されたサンガネールのもの。地元インドでも、マハラジャというパトロンを失って以降衰退がいちじるしく、技術の継承が危ぶまれていた布です。


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(鳥、植物、清楚なデザインセンス、シックな色合い、、「ムガル」を感じた景/ラジャスターンにある建築物の中庭にて/orientlibrary)

●1994年頃よりインドの手工芸専門家の熱意により、それを復元、再興する試みがなされ、日本の出版社が資料集成を制作・出版(『インド染織資料集成』/岩崎美術社/1997年/限定300部)しました。私はたまたまその周辺におり、工房や産地を訪れる機会を得て、次第にその繊細な魅力に引き込まれていきました。

●サンガネールの木版捺染は、私にとってのムガルインドの美の象徴です。イスラムタイルに熱中している自分が、どうしてこの布にこんなに惹かれるのかと我ながら疑問に思っていましたが、多分中央アジアとペルシアとインドの魅力を合わせ持つ「ムガル」が好きなのです。(もちろんヨーロッパの影響を受ける以前までのムガルです)。布の特徴や技法、文様について書いていく前に、ムガルインドについて少し書きたいと思います。


e0063212_23551224.gif●装飾タイルやウズベキスタンの記事で何度も登場している「ティムール朝」。ムガル朝の創始者バーブルは、ティムールの直系子孫であり、ティムール朝フェルガナ領国君主の息子として、現在のウズベキスタン・フェルガナに生まれます

●父の死後11歳でフェルガナの君主となったバーブルは、ティムール朝の栄光を取り戻すべく奮闘しますが、サマルカンド奪還は果たせず、インドに舞台を移してアーグラーを拠点とするムガル朝を建国しました。(* 地図→参照)



e0063212_23555197.gif●バーブルは優れた軍人であっただけでなく、同時に優れた文人、詩人でした。バーブルが記した回想録『バーブル・ナーマ』はチャガタイ・トルコ語で書かれた「トルコ文学史土の傑作」と言われています。内容は、「1章:フェルガナ(中央アジア)」「2章:力ーブル(アフガニスタン)」「3章:ヒンドゥスターン(インド)」と、私の好きなエリアが目白押し!(* ←文人バーブル。華麗な花模様の衣装!緑のブーツもイケてます)

サンガネールの布の可憐な花模様、繊細な植物模様の背景にあるのが、ムガルの植物愛好、自然愛好の美的感性ではないかと思います。『MUGHAL INDIA splendours of the peacock throne』 よりそのあたりを見てみましょう。

◆「オリエントではイスラム以前より、不毛な世界の中の幸福な場所の象徴としての庭園の重要性に気づいていた。「パラダイス」という言葉はペルシア語で“囲われた閉じた庭”を意味する「パイリダエーサ」から派生したものである。ティムールは、彼の遊牧民的な出自から屋内で居住することはめったになく、果樹園の中に広大な野営の庭を設営することを好んだ」

◆「これらの庭はいわゆる”チャハルバーグ”(四分庭園)であり、四辺形に囲われた中庭の中に、中央で交差する二つの水の流れがあり、全体を4つに分割した。そのひとつがさらに四分されることもあった。花壇には果樹や薔薇を主とした多彩な植物が植えられた。このプランは伝統的なものとなり、イスラム教徒、ラージプート両方の間に広がる。バーブルは中央アジアとインドにたくさんの素敵な庭を持っていた

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●ミニアチュール(↑)は、庭園作りを指揮するバーブルです。ムガルの植物デザインは、バーブルの生まれた中央アジアと比して、極暑でカオス的なインドという風土にあって、清楚な自然や秩序だった整然さへの希求から生まれたものではないかという思いを強くします。

*ミニアチュールと図版は『MUGHAL INDIA splendours of the peacock throne』(NEW HORIZONS)より引用。
by orientlibrary | 2006-08-10 00:12 | インド/パキスタン

草原や砂漠に適応した血液型は? 世界血液型マップ

●先日ある場所に、私を含めて4人がいました。たまたま血液型の話になり、B型3人、O型1人(私)と判明。「またか、、、」というのが感想です。私、「BとABの中に1人」ということが、よくあるのです。私以外の3人は皆、建築関係。そのなかの一人が「建築設計の人間が集まると、たとえば6人いた場合、B型3人、AB型2人、あとはOかAが1人ということが多い」と言っていました。

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(B型の多いインド。南インドの結婚式。この中にBは何人?)

●私は血液型や星座の信奉者ではありません。が、かなり長く生きてきた間に、「あれ?」「これは?」と思うことが何度となくありました。そんな経験の積み重ねから、血液型による気質の違いや、生まれた季節による相性など、ある程度の傾向はあるのでは、という思いを持っています。

●エピソードはいろいろありますが、「プロジェクトにはA型の人がいた方がいい」というのは教訓としてあります。OとBだけだと次から次へノリはいいのですが、拡散型で詰めが甘い感じが・・・。Aの人の慎重かつ現実的な別の視点からの意見は貴重です。

●ある旅行では、ゲストハウスに2つの部屋があり、14〜15人いた女性が何となく2つの部屋に分かれたのですが、入って左の部屋は1人のB型を除いて全員A型(一人のB型は娘さんと一緒だった)、右はA以外の雑多組。なんというか、ラフでやさぐれた感じ!?が漂っていました・・・

●左部屋のB型さんは、私の大好きな児童文学の作家の方ですが、「ホエールウオッチングに行ったとき船にいた全員がB型だった」とおっしゃっていました。こういうのは、ほんの一例ですが、多くの人が何らかのエピソードを持っていると思います。

●では世界ではどうなんだろう、私の好きなタイルのある中央ユーラシアあたりはどうなっているんだろう。何かの血液型が多くて、何か気質的な特徴があるのかな!?たしかインドにはB型が多い、だから数学に強いと聞いたことあるけど、、と思い、調べてみました。さすが情報化社会、あるんですね〜、、ネットで簡単に見つかりました。で、これがまた、おもしろい〜!

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モロッコの夕暮れストリート。モロッコはA37、O34、B23、AB6)

●有名な血液型研究者の方のサイトですが、「ABO式血液型の遺伝形式はメンデルの法則に従います」とまずは科学性を強調。そして世界の国々のO、A、B、AB型の人口比が載っていました。

●特徴をざっくり述べると、<南半球はO型><北半球の中でも北はA型><東アジアから中央アジアにかけてはB型><遊牧民やロマなど移動民族はB型>。移動の民はBですか、、感慨深いなあ。

●日本はA型が38%のAゾーンですが、世界で見るとO型が最も多く、グアテマラに至ってはOが95%!ボリビア=93%、メキシコ=84%。ほとんどOじゃないですか。南米やアフリカも4〜5割台でOがいます。Oの私って世界基準!?

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(モンゴルはA37、O22、B34、AB7。モンゴル相撲の時の写真なので大柄)

B型が多いのはインド西北部=41%、インド東北部=36%、アフガニスタン=36%、カンボジア=35%、パキスタン=34%、モンゴル=34%等々、日本以外のアジアってBなんですね。

●AB型もアジアが多く、世界でAB比率が最も高いのは、お隣韓国の11%でした。イラン、パキスタン、アフガニスタン、インド、チベット、ネパールあたりも1割弱で多め。日本も9%。

イランは地域によって違い、東南ではOが多く、中東部ではBが多いアジア型です。トルコはAが45%と多いA国。血液型的にはEU!?

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トルコのチャイハネでまったりするおじさんたち。この中でもAが多い?)

A型が多いのは、ノルウエー、スウエーデン、スイス、ポルトガルなどヨーロッパの国が5割弱くらいで、北半球のAゾーンを形成。ちなみにアメリカはOとAが4割台。中国華北はO,A,Bが3割くらいずつでした。

●サイトの解説いわく、「O型=血液型の基本形でバイタリティがある」「A型=森林や山岳地帯。見通しの悪い場所で暮らすのに必要な慎重さ」「B型=草原や砂漠。情報収集能力や機動力」「AB型=AとBが交差する場所で発生。違った文化を調和」。(このあたり、他の学問的にはどうなんでしょう)・・

●でも、残念なことに、、、私が最も知りたかった中央アジア各国、アラビア半島の国々はデータがありませんでした。知りたいよ〜!・・・・でも、冷静になってよく見れば、このデータ、出典や調査方法の記述がありません。日本だって血液型国勢調査するわけでもないし、、。ですので、まあ、余談ということで、、。このデータ全部見たい!という方はこちら(数値)こちら(まとめ)です。
by orientlibrary | 2006-08-02 01:20 | 中央ユーラシア暮らしと工芸