イスラムアート紀行

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世界4大料理!? レバノン料理はヘルシー&洗練

誰が言ったか謎ですが、、<世界3大料理>とは、中国、フランス、トルコだそうですね。日本が入っていないという何とも怪しい定義で、とても納得できるものではありません。トルコが入るのも少し意外な感じ。地域的なバランス配慮!?

e0063212_259522.gif●そして今回知ったのです。<世界4大料理>という言われ方があることを。で、どこが加わるの?これがレバノンなんだそうです。(*以下の写真は、レバノンのメニューや文章と合致してはいません。雰囲気ということで、、) (→揚げパン入りボリュームたっぷりサラダ)


e0063212_2321346.gifレバノンを食から見てみたいと思います。レバノンに行った人は皆「食事が美味しかった!」といいます。私は観光でちょっと寄っただけですが、その限りでも美味しかったし、ワインもイケました。 (←ひよこ豆やなすのペーストなど前菜系が充実。右の緑のロールは葡萄の葉利用)


●シリアやヨルダンなど、あのあたり、食事がおいしい!なかでも、ヨーロッパなどでは「アラブ料理の代表はレバノン料理」という認知が高く、世界的にも人気がある料理なんだそうです。レバノンは地中海に面しており、気候は地中海気候。レモンの人口1人当たりの消費量は世界一!柑橘系の国ですね。

e0063212_2371784.gifレモン、オリーブ油、トマトソース、ゴマ、豆などをたっぷり使い、それらにアラブのスパイスをプラス。油っこくなく野菜をたくさん使ってヘルシー。洗練された食の体系があると思います。


e0063212_2353126.gif●良質な葡萄の産地・レバノンはワインでも有名。世界で初めてワインを作ったのは、レバノン人の先祖であるフェニキア人。「フルーティでありながらコクがあり、まさに地中海の香りといったワイン」と言われます。「アラック」(アニス入りの葡萄の蒸留酒)も強いけど、地元の人は好きみたいです。(←アラブの名物!シャワルマ)


e0063212_2342627.gif●イスラム教徒の多いすべての国が禁酒、ということはなく、私もトルコでもウズベキスタンでもインドネシアでも毎日ワインやビールを飲んでいました。クルアーンが教えるのは、酔って人前で恥ずべきおこないをしてはいけないということ。基本的な道徳です。イスラム圏と言われる地域には「皆で飲んで歌って踊って」が好きな、陽気で親しみやすい人たちが多いと感じます。 (→パレスチナにも美味しいビール有ります)


e0063212_2361637.gif●そこで、レバノン料理の代表的なメニューをご紹介(レバノンだけでなく地中海料理ですが)。味わい深いディップ類が多くて、これがまたワインに合うんですよね! (←は、炭水化物ダブルだ!神戸そばめし風マカロニ入りプラフ)

* ホンムス HUMMUS(ひよこ豆のペースト) * ババガノーシュ BABAGANOUGE(なすとすりゴマのペースト) * タブーリ TABOULI (レバノンの代表的なサラダ) * ピタパン BREAD * ほうれん草のパイ FATAYER SPINACH * チーズロール RKAKAT CHEESE(白チーズの揚げ春巻) * キベ KIBBE (ビーフ挽肉入りのパイ) * ファラフェルとゴマソース FALAFEL WITH TAHANI SAUCE * シャワルマ SHAWARMA(ハーブで味付けした焼肉。チキンまたはビーフ)

*写真は、アラブ・トルコ・地中海料理店「カルタゴ」(東京・中野)にて撮ったものです。
by orientlibrary | 2006-07-31 03:05 | 中東/西アジア

さらりと さらさ ふわりと かぜと あいさつしてる

暑中お見舞い申し上げます。

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長い間探していた『モスクが語るイスラム史』・・ユーズドにてGET。また『中央アジアのイスラーム陶器と中国陶磁』(シルクロード学研究)も入手。トルクメニスタンの建築の本などを楽しみに待っているところです。

イスラムタイル、イスラム建築、イスラムの国々に住む人々の暮らし、など、これからも少しずつ書いていきます。気が向いたときに、ふらりと、お立ち寄りください。

*写真は、中部ジャワにて。暮らしのなかの更紗の景。使い込まれたやわらかそうな更紗。
by orientlibrary | 2006-07-28 14:33 | 中央アジア5カ国

orient的職人礼賛(1) 左官〜木版捺染

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派手な動きではありませんが、数年前から関心が高まっている職業があります。左官屋さんです。創刊50年の『月刊 左官教室』(黒潮社)という専門誌は、土関連のコアなレポートや編集長・小林澄夫さんの静かで深い文章で人気があります。私も以前、定期購読していましたが、左官屋さん以外の読者も多いようです。

小林澄夫さんのエッセイをまとめた『左官礼賛』(石風社)からは、職人とその仕事への敬意と愛情に満ちた眼差しが伝わってきます。また建築雑誌『コンフォルト』の別冊『土と左官の本』(建築資料研究社)も好評で、すでに3号が発売されています。

岐阜県高山の挟土秀平さんは、ジーンズに皮ジャンの“カリスマ左官”。NHKのドキュメンタリーでも特集されました。仕事や幅広い活動の様子はこちら=「飛騨人 伝統を辿りつつ新しい表現に挑む 左技士」。ここで紹介されている「八ヶ岳の野菜蔵」、私もちょっとだけ参加して土を塗りました。真夏の楽しいイベントでした。

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先日ある会議で、オーダーメードの話から「“職人”がきてるよね」という話題になりました。そういえば、文房具や住宅、飲食店などを特集することの多い男性誌『pen』が、今月号で「職人という仕事」という特集をしています。身の回りのものや行くお店などをデザインで選びたい(〜デザインものを持つことで“自分は違う”と思われたい)人向けの雑誌ですから、行き着くところは個人仕様でしょう。

でも、これまでならば「作家」「アーティスト」「デザイン」という切り口にしていたはず。それを「職人」としたところが雑誌的な時代感覚です。といっても、「21世紀の新しいマイスター像を世界8カ国から紹介」といいつつ、ほとんどヨーロッパの靴や傘で、いわゆる高級品。つまりは、これまで「ブランド」「デザイン」と言っていたものの言葉の焼き直しでした。少しくらい別の視点も欲しいものです。

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職人といえば、インドやイランははずせないだろう!と思ってしまいます。(あ、これは多分に好みも入ってます。どの国も素晴らしいです!!)。インドの職人については、ラジャスターン地方の町サンガネールのブロックプリント(木版捺染)に強い思い入れがあります。透けるように薄い木綿に繊細な花模様を施した「マハラジャの布」の美しさは、私のイスラム工芸好きを決定的にしました。

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夏にふさわしい涼やかな質感なのでブログ掲載したいのですが、朝の光で、と思っているうちに雨続きとなり写真が撮れず、今回は制作光景の一部と代表的文様のご紹介にとどめます。木版の細かさを見て下さい。この道具で、、。これを一色ずつ押していくのですが、ピタリピタリと決まっていきます。

日本の職人や日本人の職人観もとてもいい感じだと思います。だとえば、インターネット上の百科事典「Wikipedia」の「職人」には、こう書かれています。いい文章です。

---「職人(しょくにん)とは、自らに身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のことである。産業革命以前には、職人が生産活動の中心となっていた。現在では、工芸品(特に伝統工芸品)を作る人や大工・左官・植木屋などが職人と呼ばれる。歴史的に日本では職人を尊ぶ伝統があり、朝鮮より渡来の陶芸工や刀鍛治は士分として遇された。職人の持つ技術は職人芸とも呼ばれる。職人気質(しょくにんかたぎ)と言う言葉がある。これは自分の技術に自信を持ち、金銭や時間的制約などのために自分の意志を曲げたり妥協したりすることを嫌い、納得の行く仕事だけをする傾向、またいったん引き受けた仕事は利益を度外視してでも技術を尽くして仕上げる傾向などを指す」---

また現代のもの作り、手仕事と、それを求める人をつなぐ「職人COM」というサイトが面白い。このような購買は確実に増えていくと思います。これも以前は「インディーズ」などど言われていたジャンルと重なります。和を現代風にアレンジしたものがメインなのも、とても納得です。いい感じ。

*写真は、上から順に、マニアで楽しい『左官教室』/グジャラート地方で17世紀から用いられてきた花模様「phul buta」。ひとつの花のモチーフでつぼみ、満開の花、結実までを表している(『インド染織資料集成』より)/2点はサンガネールの工房にて

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1:前回掲載レバノンワークショップ、ダーヘル教授講演要旨が『日刊ベリタ』に掲載されています。より詳細な内容がわかります。また「今ほどレバノン国民が決意を固めたときはない。独立国家を守るのだと考えている」という思いが強く伝わります。こちらをクリック!

2:前々回紹介の田中宇さんの「右派クーデター説」に対する見解の相違、批判がいくつかのサイトでなされています。・・・パレスチナ情報センターの記事より一部抜粋します・・・ 「占領政策に関しては、「現実派(撤退派)対右派(反撤退派)」などという対立構図は存在していません。占領・支配を継続することは各派に共通していて、ありうる違いとしては、国境線を名目上は画定させて大部分の入植地をイスラエルの領土に併合し、残りの部分は厳密な監視下に置き、そこに従順な代理政権を置くことか、あるいは、全土を恒久的に軍事占領を継続させる形でコントロールすることか。あるのは「占領の仕方」の違いであって、「撤退」(=「占領の終結」)など微塵もありません」。全文はこちら
by orientlibrary | 2006-07-25 23:09 | 日本のいいもの・光景

レバノン「NEW WAR」と日本の私たち

●正直言って、私はレバノンのこと、あまり知りません。知っていることも断片的です。少し調べてみました。まず基本情報の一部。外務省の各国・地域情勢から基本情報(2006.02)抜粋です。全体詳細はこちら

・ 面積:10,452km2(岐阜県程度)
・ 人口:460万人
・ 首都:ベイルート
・ 人種・民族:アラブ人
・ 言語:アラビア語(フランス語及び英語が通用)
・ 宗教:キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗教
・ 歴史:  
16世紀  オスマン・トルコの支配下に入る
1920年 仏の委託統治領となる
1943年 仏より独立
1975年 レバノン内戦始まる
1978年 イスラエルのレバノン侵攻
1989年 ターイフ合意(国民和解憲章)成立
1991年 内戦終結
2000年 イスラエル軍南レバノンから撤退
2005年 シリア軍レバノンから撤退
(インターネット上の百科事典「Wikipedia」では、すでに今回の空爆が掲載されています。)

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●7月21日現在の攻撃及び被害の状況は、「レバノン国連人道問題調整事務所(OCHA)は21日、イスラエル軍による攻撃が続くレバノンで、家屋を失うなどした被災者が計約50万人に上る可能性があるとの推計を発表した。このうち、学校などに設けられた仮設避難所で避難生活を送る人は約6万6500人。シリア国境のベカー高原では約3万人が家を追われ、多くは親類宅に身を寄せている。また、国境を越えてシリアに逃れたレバノン人は約14万人。うち約10万人が、食料や住居などの支援を必要としていると見られている」(読売新聞)等の報道がされています。

●7月21日おこなわれた緊急ワークショップ「中東戦争の深淵--イスラエルの対レバノン攻撃をめぐって」では、攻撃の2日前に国際交流基金フェローとして来日したレバノン大学教授のマスウード・ダーヘル氏のレクチャー、中東専門家によるコメントがあり、さらに来場した研究者からも多くのコメントが発表されました。そのなかで上にあるシリアへの脱出について、通常はタクシー料金が50ドルほどであるのに、すでに1000ドルと20倍にもなっており、資金力のない人たちは脱出もできない状況にあることが語られました。

●このワークショップは、主催者が準備を始めたのが今週の火曜。その後わずか3日間の告知期間、しかもインターネットと口コミのみでしたが、広いホールは満員。この問題への関心の高さ、逆に言えば、いかに深刻であるかが感じられました。中身が濃く、ブログですべてをご紹介できないのが残念です。要旨のみ、一部ご紹介します。

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●ダーヘル教授はレクチャーのなかで、イスラエルが兵士の誘拐を理由としつつ一般市民を巻き込む “NEW ISRAELI WAR AGAINEST LEBANON”=「新たな戦争」を引き起こした理由として次の5点をあげました。
1:ヒズボラを軍事力で壊滅させる計画を以前から持っていた
2:イスラエルの人々から、ガザからの撤退(2005)をもたらしたレバノンからの撤退(2000)という敗北の記憶をなくす
3:2010年以前に最終的なイスラエルの国境を宣言するというオルメルト首相の計画
4:イラクにおけるアメリカの政策のインパクト、広域中東地域策定を仕向けていくというアメリカ・イスラエル同盟
5:「軍事力だけが中東における闘争の解決方法である」というイスラエルの信念

●ダーヘル教授はまた、多くの一般市民の死傷者や難民、家屋の破壊、空港や発電所・橋梁など社会基盤の大規模な破壊、村落、学校、車両の破壊などの状況、わずか1週間の間に2800機もの戦闘機が襲来したこと等から、今回の攻撃はヒズボラによるイスラエル兵士の誘拐以前から準備されていたものという認識を示しました。実際に、兵士の誘拐に関しても外交的、政治的な努力は一切せずに攻撃を開始しています。

●どんな停戦要請をも拒否しているイスラエル首脳は、彼らの目標を達成するためには時間が必要であると語っていますが、それは「レバノンの完全な破壊」を意味するとダーヘル氏は危惧しています。さらにイスラエルによる軍事的占領、領土併合の可能性を示唆。いつ、どうやって終わるとも知れないこの戦争が、中東の和平プロセスを大きく阻害するものであると結論づけました。(以上、ダーヘル教授レクチャーについては頂いたレジュメをorientlibraryが訳したものです。100%正確ではないかもしれません。恐縮ですがご了解ください)

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●コメントで、イラクの専門家である酒井啓子さんは、今回の攻撃に対する国際社会のクールな反応、その背景にある「イスラエルVS周辺ゲリラ」という見方の危うさを指摘しました。マスメディアは常にヒズボラを「イスラム過激派集団」「ゲリラ」として描きますが、ヒズボラは「レバノンで民主的に選ばれ議会で2割弱の議席を持つ政党」です。

●アフガニスタンやイラクに見られるように、戦争や内戦の末に破綻した国家ではイスラム政権が伸びるという現状があります。酒井さんは、民兵を掲げた政治勢力も「政治参加していく。そのなかで武装解除していく」という根づきつつあった意識が、今回の攻撃で「合法的に選ばれたイスラム政党であるヒズボラが武力によってたたかれるのであれば、議会に参加しても何のメリットもない」という強烈なメッセージとして受け止められるであろうことへの強い懸念を示しました。

●また、常にイラン、シリアとの関係で語られるヒズボラですが、「シーア派のネットワークは国家間のものではなく住民間のもの。社会的共鳴性が大きい。シリアやイランは国家がその動きをコントロールできるが、問題は国家の体をなしていないイラクだ。イラクからレバノンに合流してもおかしくない」とイラク内シーア派の動きを警戒しています。

●視点を日本へ向けてみます。日本はレバノンで何が起きていようが、対岸の火事なのでしょうか。酒井さんは、日本からレバノンへの数多くのODAを紹介し、「現在壊されている橋も私たちの税金から出ているかもしれない」という面からも「無関係ではない」ことを紹介。さらに北朝鮮問題のある日本〜東アジアも「座して語り、武装解除をうながす」ことが必要な点では同じであることも強調しました。

●この他、シリア、イランへのアメリカの戦略、スンニ派が多いアラブ諸国の今回の攻撃への対応のクールさなどについても、多くのコメントがありましたが、ブログでのご紹介は上記までとします。

●所用で滞日中に攻撃が始まり帰国できなくなったSさんの財布の中には、あどけない子どもたちの写真がありました。国内のすべての空港を破壊されたレバノンに、彼がいつ帰れるかわかりません。ようやく安定してきた暮らしを根本から破壊するイスラエルの暴挙に怒りをおぼえます

*写真は、レバノンにあるローマ時代の神殿バールベックのレリーフ/周辺の光景/わずかな隙間に見事な花を咲かせる。バールベックにて
by orientlibrary | 2006-07-22 14:52 | 社会/文化/人

レバノン 緊急ワークショップ

●緊急ワークショップ「中東戦争の深淵--イスラエルの対レバノン攻撃をめぐって」が、7月21日午後6時よりおこなわれます。本日案内を頂きました。急ではありますが、ご関心のある方々にご案内致します。またご報告します。取り急ぎ。

◆日時:7月21日(金)18.00〜20.00
◆場所:明治大学リバティタワー1階リバティホール
◆内容:
・趣旨説明:黒木英充(東京外大AA研教授)
・講演:マスウード・ダーヘル(レバノン大学教授/東京外大AA研フェロー)
  「イスラエルによる対レバノン戦争の真の動機」(英語・日本語通訳付き)
・コメント:酒井啓子(東京外大大学院教授)、臼杵陽(日本女子大学文学部教授)
・司会:佐原徹哉(明治大学政治経済学部助教授)
・入場無料、参加自由、事前登録不要

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◆趣旨
7月12日から開始されたイスラエル軍によるレバノン攻撃は、ヒズブッラーによる人質作戦への反撃をきっかけとしつつ、猛烈な速さで展開してレバノンに対する一方的かつ全面的な武力行使の姿を見せています。これにより、多くの市民が殺傷されるのみならず、内戦後15年にわたって築き上げられたレバノンの社会基盤が根底から破壊されようとしています。一方で、イスラエルはガザのパレスチナ政府に対してもハマース打倒のために猛攻を加えています。これらはアメリカの「対テロ戦争」をイスラエルが下請けしているものといえますが、果たして今後の中東に安定した秩序をもたらすでしょうか。むしろシリアからイランまでを含めた地域全体が大混乱の崖っぷちに立っているのではないでしょうか。こうして中東のみならず地球全体に深刻な影響を及ぼしつつある今回の軍事行動について、滞日中のレバノン人研究者による分析を中心に、中東全体と欧米・日本を視野に入れながら総合的に考える機会を提供します。

◆上記ワークショップ内容等の詳細はこちら

◆田中宇さんの国際ニュース解説:「イスラエルの逆上」〜戦争はイスラエル右派のクーデター
◆エキサイトブログ『脳内ラテン革命』:「レバノン空爆に見るイスラエルが抱えるジレンマ」

*写真はバールベックと花(レバノン)
by orientlibrary | 2006-07-20 15:15 | 社会/文化/人

おおらか、爽やか、ウズベクブルーのイスリミ

●ブログをスタートしたのが去年の9月。イスラムタイルについて本を読んだり調べたりし始めたのも、それからです。(それまでは好き!と言っているだけだったので・・)。10ヶ月半たった今、ますます魅力を感じ、のめり込みつつあるのも事実ですが、ユーラシアの大草原を前に呆然としているような「果てしなさ」を感じています。

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(ブハラにある「ホテルアジア」壁面装飾)

●私の唯一とも言える特技は「資料の速読」でしたが、タイルには通じません。タイルの歴史だけでも、何度同じものを読んだかわかりません。それでも頭に入っていかないのは、歴史に疎いから・・。タイルは古代オリエントからオスマン帝国あたりまでで長い、、、地域もユーラシア全般に関わり広い、、、さらにタイルの場合、建築、陶芸も重なりあい、ますます呆然・・。

●タイルと陶芸の関係についても、「西アジア世界の装飾タイルは装飾陶器と近い関係がある」「材料や焼成、釉薬、そして装飾技法や描いた文様など、基本的な作り方は同じである」(「イスラームの陶器と彩釉タイル」佐々木達夫)ということは、読んではいました。しかしこれを実感できたのは、5月に訪問したウズベキスタンでした。

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(「ホテルアジア」。陶芸産地であるリシタンの青の魅力が生きる)

●ウズベキスタンでは歴史的建造物の修復に多くの陶工が従事しています。今回お世話になったリシタンの陶芸家アリシェル・ナジロフさんは優れた絵付けの技術を持つ陶芸家で、工房では皿や壷を作っています。そして並行してモスクやマドラサなどを飾る新しい陶板の製作にも取り組んでいました。

●巨大な建造物の壁面すべてをタイルで覆ったティムール時代にはタイル専門の職人がいたのでしょう。現在は単独のタイル職人がいるのかな?イランでも、『ペルシアの伝統技術』という本には専門の「タイル職人」の仕事が詳しく紹介されているのですが(調査時期は1930年代)、現在はどうなのか、気になるところです。


e0063212_1335760.gif●アリシェルさんの工房では、修復だけではなく、新しい建築物、たとえばホテルの外壁なども手がけています。(→ 写真右は、ホテルアジア外観)

●世界遺産でもあるブハラ旧市街、タキと呼ばれるバザールの手前に昨年オープンした「ホテル・アジア」(→)は、レンガと陶板の歴史的なスタイルの外観で、中世からの街並みにしっくりと馴染んでいます。このタイル装飾をおこなったのがアリシェル氏の工房です。


e0063212_133399.gif●ホテルのオーナーは、中世ブハラ風の外壁を作ろうと、最初にイランに行ったそうです。でもウズベキスタンの色=青がなかった。イランの青は強くて目立つ青なのです。黄色が入るのも特徴です。(← 写真左は、例として:イスファハーンの王のモスクのタイル)

●ウズベクの青はもっとクリアで爽やかです。オーナーはブハラやサマルカンドの工房も訪ねたけれど納得できなかった。リシタンまで来て、ようやく「これだ」と思ったのだそうです。

●ホテルアジアの壁面は、明るいウズベクブルーの陶板で彩られています。のびのびした植物文様にはモダンな味わいがあります。わかりやすい場所なので、ブハラ訪問の際には、ぜひご覧下さい。現代のウズベキスタンの陶芸の一端に触れられると思います。


連続した植物文様は「イスリミ」と呼ばれます。アリシェルさんは、このイスリミが一番好きなのだと言います。リシタンにある専門学校の内部壁面もアリシェルさんの仕事です。イキイキしていて、とても好きな陶板です。

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(リシタンのある建物内部の壁面。大胆な植物文様イスリミが印象強い)

●現在、コーカンドの建造物の修復も手がけているアリシェル工房では、職人さんたちが炎暑のなか、一途に製作をおこなっていました。私も現地を訪問するなどの体験を重ねながら、タイル修行を続けていきたいと思います。
by orientlibrary | 2006-07-17 01:35 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

遠い世界へ

イスラマバードのシャーファイサルモスク、国家の偉容を誇るタイプの大規模モスクで興味が持てず、併設のイスラムグッズショップをブラブラ。「コーラン目覚まし時計」をゲット(アッラーアクバル、で目覚めようと思ったけど、、あまりの大音量で結局使えなかった・・)。イスラム専門書店も充実。そこで買ったのが『ISLAMIC ARCHITECTURE OF PAKISTAN』。この本に導かれ、2度目のパキスタンはレンガの墓廟やタイル建築をメインに南部に旅行することにしました。

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(灼熱のチョリスターン砂漠・デラワールフォート)

そんなところに行く人間、ましてや崩れかけた建築物を見に行くような人間は一人だろうと個人で計画を進めていましたが、頼んだ旅行社がいつの間にか人をまとめて成田では混成の女性4人になっていました。

5月のムルターン、このくらいの暑さは平気!と外へ出た途端にクラッときました。パンジャーブからインドにかけて広がるチョリスターン砂漠に行ったときは50度を超え何度かもわからず、車のエアコンも効かず窓も開けられないので氷を首筋に当てていましたが、溶ける間もなく蒸発してしまうくらい乾燥も強烈。さえぎるものもないデラワールフォートでは一人倒れてしまいました。それでも、暑いパキスタンを皆存分に楽しみました。

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(陽炎のようにふいにあらわれた山羊飼いの青年@ハラッバ)

そんな旅行ですから、かなり性格の違う4人にも何か一体感のようなものが生まれ、その後も旅行の情報交換&食事会などをしていたのですが、、。Eさん、あまりに突然に遠いところに行ってしまいました。まだ30代なのに。あなたのおっとりした雰囲気が、いつもやわらかい空気を作っていました。

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(43度ほどが涼しく感じられたラホール)

本当に旅行が好きだったよね。ずいぶん遠くに旅だってしまったんだね。なんでもなくすぎていく一日一日がかけがえのない日々であること、それがあなたからのメッセージなのかもしれない。また会おうね。それまでにたくさん旅行して、おみやげ話を持っていくから。パキスタンの写真、ブログに載せます。どこかで見ていてくれるよね。合掌。
by orientlibrary | 2006-07-13 00:31 | インド/パキスタン

日差しを遮り風を通す 実用と装飾の美 ムガルの透かし彫り

スティーヴン・ホールというアメリカの建築家を特集した「Luminosity/Porosity」(光/孔=あな)という展覧会(ギャラリー間)をチラッと見てきました。個人的な感想ですが、素晴らしいかもしれないけどワクワクしない。どこかで見た感じ、それももっとすごいものを見たはず、、というような、何かもどかしい気持ちになりました。

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(「MITシモンズホール」/スティーヴン・ホール/展覧会チラシより引用)

光と影の建築は、イスラム圏でしばしば見ることができます。イランなどの計算されたレンガ積みの陰影やレンガの隙間。あるいは石や大理石で細工された幾何学模様の透かし彫り。隙間から透過する光、隙間から透視する外部の光景の美しさ。

しかし、じつは私にとって、そんなイスラム建築愛好への橋渡しとなった建物は、パリにある「アラブ世界研究所」でした。1991年、バブル崩壊の兆しもほのかに見えていた頃、私は建築についてもっと知りたいと、ヨーロッパの建築をひたすら見る3週間のスタディツアーに参加しました。

結果的には、威圧的なゴシックや装飾過多のバロック、ロココに辟易。私はこの系統が苦手なんだ、と気づいたのです。そして、その前後から次第にイスラムに惹かれていったのですが、ヨーロッパでも好きなものもありました。そのひとつがジャン・ヌーヴェルのアラブ世界研究所でした。

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(「アラブ世界研究所」/発行所フランス語のため不明、より引用)

写真1点くらいでは、まったく伝わらないと思うのですが、この建物は壁面に設置された大中小3種類、1600枚もの幾何学模様のダイヤグラムが、外光によって動き絞られたり解放されたりするのです。光と影が映像のように変化して、とてもきれいでした。またダイヤグラム自体の幾何学模様が神秘的で美しい。まだ知らぬアラブ文化の奥行きを、そのときどこかで感じていたと思います。アラブって美しい、、イスラム建築に興味を持つきっかけのひとつであったことは確かです。

光と影が幻想的な透かし彫り。これはインド・イスラム、ムガル時代のものが素晴らしいと思います。インドの石造技術の高さには驚くばかりです。石がまるでレースか紙のようです。

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(『Mughal India』 より引用)

神谷武夫さんの『インド建築案内』の用語解説には、「ジャーリー jali/石の格子細工の壁面や開口部。外部からの視線や日差しを遮りながら風を通す。石の厚さは3〜5cmあり、格子はアラベスクや幾何学的なパターンを描く」と、あります。

ムガル帝国といえば、初代バーブルは、ウズベキスタンのタイルで何度も登場しているティムールの5代目の直系子孫。何度もサマルカンドを奪回しようとして失敗し、インドでムガル朝を築きます。ムガル帝国は300年以上続いた「インドのティムール朝」でもあります。私にはとても気になる時代であり、木版捺染や細密画など好きなものがたくさんあります。

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(多分「サマードパレス」/orientlibrary)

ムガル時代の建築は、ティムール朝の影響を受けながらインドの地方様式を融合させています。土の建築の伝統のないインドでは、タイル装飾はパッとしませんが、タージマハルに見られるような貴石の象嵌や、透かし彫りの繊細さにイスラムの美を感じます

アメリカの建築から、パリへ、そしてムガル・インドへ飛び、ようやく「これが好き」と気分が落ち着いた週末でした。
by orientlibrary | 2006-07-10 00:25 | インド/パキスタン

フェルガナ陶芸の故郷 リシタン・伝統の青

先日、フランスから帰国した日本の陶芸家の話を聞く会がありました。フランスにもリモージュなどの産地がありますが、ヨーロッパではセットの食器が一般的なため、作家ものはあまり売れず、彫刻的な置物などに活路を見いだしているというお話でした。

日本では、日々の食卓で焼き物がおおいに活躍します。お金持ちだけ、ハレの場面だけでなく、焼き物が普段の生活に彩りを添えています。フランスの陶芸家は「日本はいいなあ」とうらやましがったそうです。こと焼き物に関しては、私はけっこう日本贔屓です。ウズベキスタンの陶芸についても、あまり意識したことがありませんでした。

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(白地緑彩深皿(9世紀・サマルカンド/『偉大なるシルクロードの遺産』より引用)

しかし陶芸とタイルは影響しあっています。中世、世界的に見ても突出した装飾タイルが展開した地・ウズベキスタン。8〜9世紀にはすでに、マーワラーアンナフル(中央アジア南部のオアシス地域を指す。アラビア語で“河の彼方の地”の意味)に釉薬を施した陶器が登場し、広く用いられていたといいます。

11〜12世紀には高度な技術を確立。陶器文化の中心地が各地に形成されたました。最大の中心地はサマルカンド(当時はアフラシャブ)。シャシ、フェルガナ、チャガニアなどの陶器も有名だったそうです。このあたりは書き出すと長くなってしまいそう。今回は一気に青い陶器で名高いリシタンに飛びます。

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(カップと大皿。カップは19世紀末・フェルガナ。大皿は1908年・リシタン/『シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの美術』より引用)

フェルガナ盆地にあるリシタンは「フェルガナの陶芸芸術のふるさと」と言われています。良質の陶土に恵まれ、千年以上前から陶芸がおこなわれていました。中世にはシルクロード沿いの町々で人気を博しました。

14世紀末、ティムールがサマルカンドからリシタンに数名の陶工を送ったのは、有名な話です。その狙いは、当時の中国の磁器製造の秘密を明らかにすることだったと考えられています。しかしこの試みは失敗しました。フェルガナ盆地には良質のカオリンが産出されなかった>からです。

しかしリシタンでは、地元の土を使いファイアンス(堅く焼かれた彩色陶器)を作る技術を生み出しました。白い地に青で絵付けしたこの陶器は「チーニー」(中国)と呼ばれ、19世紀に盛んに作られました。古代の太陽や月、宇宙の象徴である円や螺旋、ザクロや鳥などの美しい絵が職人によって描かれました。絵付けのスタイルは、むしろウズベキスタンのオリジナルといえるようです。

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(古リシタン陶器。リシタンの工房にて) 

しかし20世紀初頭には安価なロシア製品に市場を奪われ、ソ連時代には工場の労働者となるなど、生産と市場も大きく変容。けれども陶工たちは、この間も技術の伝承を維持してきたといいます。独立後は伝統が再評価されるなか、陶器製作も活性化しているようです。

またリシタンでは、他の産地が工業製品の釉薬を使うことが多くなるなかで、ウズベキスタン伝統の天然釉「イシクール」を上薬に使っていることも大きな特徴です。イシクールは彼らだけが知る砂漠に咲く灌木の灰から作られるもの。今回はその写真も撮ることができましたが、詳細は次の機会にしたいと思います。

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(大皿=アリシェル・ナジロフ氏作品、ウズベキスタン国立工芸博物館所蔵。アリシェル氏は日本の九谷と交流があり、九谷の繊細な画風が反映された作品も多い)

リシタン陶器は形状も多彩。大皿からボウル、ジャー、ピッチャー、ポット、保存容器、壷など商品開発にも熱心です。海外で個展を開催したり、日本の産地と交流して技術を高めるなど熱意あふれる陶芸家もいます。その筆頭がアリシェル・ナジロフさんです。アリシェルさんとリシタン、そしてウズベキスタン各地の個性的な陶芸産地については、これから少しずつ書いていきます。

*ウズベキスタンの陶芸についてはスタディの途中です。資料も豊富ではありません。可能な限り、修正等を加えていきます。ラフ段階の記事であることをご了承ください。
by orientlibrary | 2006-07-06 20:47 | ウズベキスタンのタイルと陶芸

UKからPKへ、音楽の旅。90年代初頭のパンジャーブ音楽を堪能!

イギリスで生まれ育ったパキスタン系の人気ミュージシャンが自分の音楽のルーツを探る旅に出る。向かったのは父母の故郷であるパンジャーブの街ラホール。そこで伝統的な民族音楽や宗教音楽に触れた彼は、、、こんなドキュメンタリー映画があると聞けば、何をおいても出かけますよね!

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開催されたのは和光大学。昨年『西南アジア諸民族の音像と風土』という衝撃的な音像に出会った「アジアの芸能」の課題授業編(主催:村山和之さん)です。(昨年の様子はこちら。長い間求めていた音楽に浸れた至福の時間)。

今回もまた貴重な映像です。タイトルは『PARDESI』(1992年・フランス、撮影は91年)。村山先生の資料によると、「pardesi=パルデースイー」とは外国をあらわすPARDESと同様にペルシア語起源の言葉で、異邦人や異郷人を指すそうです。

最近の音楽動向にはまったく疎い私、、主人公のアキ・ナワーズという人も知りませんでした。参加されていた専門家の方の解説でサザン・デス・カルトというバンドのドラマーだった人(その後、ファン・ダ・メンタル)で、音楽のジャンルは「ポジティブ・パンク」。このようなパンクは、現在の「アジアン・アンダーグラウンド」の礎となったのだそうです。

映像は、イギリス・ヨークシャーのパキスタンコミュニティから始まります。コミュニティのパーティ(バングラビート!)、UKでのアジア系音楽シーンも興味深かったけど、やはり私はアキ・ナワーズがパンジャーブについてからの音楽体験に深く同調していきました。90年代初頭のパンジャーブ音楽が堪能できて最高でした。

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聖者廟でカッワーリーやただひたすら神の名を唱える声明のような音楽を聴き、収穫を祝う村の祭りの歌を聴き、伝統的なハヤールやタブラを聴き、高名な専門家に会って話を聞くアキ。しかし、「スピリチュアリティ」や「アイデンティティ」を希求して訪れた、みずからのルーツであるパンジャーブの音と出会い、浸りながらも、彼の表情には次第に混迷が現れてきました。

1回きりの早い英語のディクテーションなので怪しいのですが(字幕はフランス語)、パキスタンの専門家に自分の音楽が評価されないばかりか、「もっと古典を学べ」と言われたアキが、「ラーガ?それって誰のものだっていうんですか?自分はそういうものから自由でいたいんです」と抗弁するシーンが印象的でした。

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上映後は参加者によるディスカッション。これも面白かった。アジア音楽に詳しいUさんによると、「アキはこの後音楽を発表していない」とのこと。彼は「古典・伝統」とその後どう対峙したんでしょうか。気になります。彼は、故郷でPARDESIであることを感じただけなんでしょうか。

これは、いろんなジャンルでいえること。古典や伝統は、やはりきちんと学ぶべきなんでしょうか。でも数十年かかりますよね。いや、それでも学びきれないものかもしれない、、

「古典」と「現代」の間の厚い壁、音楽に携わる階層の地位と特性、沖縄音楽の状況との比較、音楽と宗教、90年代初頭のパキスタンの経済からの視点、コミュニティの問題、など、それぞれの専門の意見が刺激的でした。ひとつの映像を、ある種の共通項と、それぞれの専門性で話し合う。貴重な機会でした。村山先生、シュクラン!

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そして、自分がもしも日本の移民の2世、3世だとしたら、どんな音楽を自分のルーツだと思うだろうと考えてしまいました。民謡でもない、邦楽でもない、歌謡曲でもない。意外と津軽三味線なんかに反応したりして、、

また海外で「日本の歌を歌え」と言われた時何を歌った?という話にもなりました。出たのは『大きな栗の木の下で』(スコットランドかどこかの歌では!?)、『はとぽっぽ』(アフリカの歌だと言われたそうです)、『ゲゲゲの鬼太郎』(その線があった!)など。私は以前、『さくら』『うみ』で撃沈した経験があります。日本の歌って盛り下がり気味ですよね、、。

その後は、畳の部屋に場所を移して飲み会に突入。アジアや音楽の話をサカナに大量のアルコールが消えていったのでした。ほんと、皆さんコアです、、。

*写真は、上から順に、ムガルの都だったラホール、ウッチュの聖者廟で、若い女性たち、ラホールフォートの壁面(タイルが少し残っている)
by orientlibrary | 2006-07-04 01:20 | 美術/音楽/映画