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カテゴリ:中央アジア人( 3 )

<中央アジア人・3>トゥバ音楽演奏家・寺田亮平さん「トゥバと出会い人生がゆたかになった」

中央アジア人シリーズ、1回め=ウズベキスタンの絹織物アトラスのプロジェクトに取組む川端良子さん、2回め=カザフ遊牧民の刺繍布に魅せられた廣田千恵子さん、中央アジアの伝統的な手工芸に関わる、パワー全開のお二人をご紹介しました。

今回は音楽。ロシア連邦を構成する共和国の一つであるトゥバ共和国の伝統音楽演奏家である寺田亮平さんにお話を聞きました。「中央アジア出身の留学生」と言われても自然な感じの大陸系容貌&おおらかな人柄。トゥバ音楽への熱い思いあふれるインタビューは2時間半。「中央アジア人」の皆さん、のびのびとおおらかで、そしてホントに熱いです! (*今回も長文です。皆さん、よろしく☆*)

 写真は特記したもの以外は寺田さんに提供頂いたものです。ご協力に感謝します。

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<中央アジア人・3 >
大自然と遊牧文化が、育み織りなす、ゆたかな詩情と旋律
「トゥバの音楽の素晴らしさを知ってほしい」寺田亮平さん(トゥバ音楽演奏家)


■ ■ ■ トゥバで音楽修行 ■ ■ ■

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(地図はGoogle mapからクリップ/トゥバの切手は有名だそうです=写真はwikipediaから)

--- 寺田さんのライブや報告会に参加するたびに、トゥバ音楽への強い思いが伝わります。日本では情報が少なく触れる機会があまりないトゥバ共和国。トゥバの音楽と関わるようになったきっかけから教えてください。
1999年、山梨県白州町で開催されたアートフェスティバルに参加したのがきっかけです。ここで基本的な発声を習いました。まだ20歳くらい、大学生でした。喉歌というものは知っていましたし、喉歌独特の声や発声に興味があり、まねごとでやってみてもいましたが、ちゃんと発声を習ったのはこのときが最初です。独特の発声だけでなく、トゥバの音楽には、何かとても琴線に触れるものがありました。その後も、CDを聴いたりライブに行ったり、日本人の先生に習ったりしながら喉歌の練習を続けていました。「病気」になったのは2010年、初めて3ヶ月間トゥバに行ってからです。

--- 「病気になる」、熱中感、わかります。それまでは、どのような音楽生活を送っていましたか。元々音楽少年だったのですか。
音楽はずっと好きでした。子どものころから音楽オタク。家はCDやレコードで埋め尽くされていました。小学2、3年からラジオ番組をエアチェック。中学からバンドを始めました。高校時代は、地元の長崎でメタルやハードコアのようなバンドをやっていました。大学入学で長崎から上京。大学には音楽に詳しい人たちがたくさんいて刺激を受けました。2000年前後はクラブ音楽シーンに勢いがあり、僕もダンスミュージックに面白さを感じていました。野外パーティに行ったり、自分でイベントをオーガナイズすることも多かった。就職してからも、打ち込みでダンスミュージックを作ったりDJしたり。海外から12インチのレコードをリリースしたこともあるんです。音楽での収入はあまりなかったけど、けっこう本気でやっていました。そして並行して喉歌も続けてました。

--- ロック少年が大人になりダンス音楽も作っていた。そしてトゥバに行く。背中を押したものは何?
会社員しながらお金を貯めて、喉歌を通してずっと興味のあったトゥバに行きました。2010年の夏、会社を辞めて行った。30歳でした。音楽制作にちょっと疲れていて、最初は半分くらいバカンスのつもりでした。それから毎年、夏の3ヶ月間、トゥバ共和国の首都クズルに滞在し音楽修行する生活を続けています。

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(トゥバには美しい湖がたくさんある)


■ ■ ■ 神様みたいな人たちがそこにいることに感動 ■ ■ ■

--- 空港に降り立って最初の印象は?音楽の先生とはすぐに出会えましたか。
一年めはアバカンという街から車で5〜6時間かけてトゥバの首都クズルに降り立ちました。トゥバの空港は小さくて不安定なので、利用したことはありません。トゥバがどういうところか、行ってみるまで想像できませんでした。大草原なのかな、とか思っていた。クズルは小さいけれど街でした。最初は、CDの中で知っていた神様みたいな人たちがそこにいることに感動。その人たちに楽器や歌を教えてもらえることに感動。でも、コミュニケーションはけっこう大変でした。先生の携帯の番号を聞き出して、謝礼金の交渉もして。習えない人もいるし、恐れ多くて頼めない人もいる。正直、苦労しました。いろんな人に助けてもらいました。

--- コミュニケーションは現地の言葉でおこなうのですか。
行く前にトゥバ語を1年くらい勉強しました。現地に行った人にレッスンを受けたり、教材をアメリカから取り寄せて勉強したり。それでも、一年めはほとんど歯が立たなかった。英語がほぼ通じないことも知りませんでした。向うでは買物は対面式が多くて、欲しいものを言う。でも「オレンジジュースください」さえ通じなかった。もう必死です。トゥバでも毎日夜まで勉強。最初のトゥバ行きからの帰国後は、当時は時間があったこともあり、毎日10時間くらいロシア語とトゥバ語を勉強しました。それから今に至るまで、あいている時間があれば語学の勉強をしています。

--- 音楽修行はどのような感じでおこなうのですか。修行に来ている外国人は他にもいるの?
トゥバの伝統楽器・イギルとドシュプール、そして喉歌を習っています。ショールという笛とブザンチュという弦楽器も少し。基本的に先生と対面し、先生が楽器を弾いて、自分がそれを真似する。先生の歌を聴いて、自分が真似する。一回2時間ほどですが、集中力がもうパンパン。歌詞の意味がわからないときは、書いてもらって、クズルの図書館に行って辞書で調べる。歌詞は古い言葉が多いし、地名とか人名も多く、辞書に載っていない単語もたくさんありますから、また先生に聞く。現地に習いに来る外国人はけっこういますよ。アメリカ人がいちばん多く、フィンランド、ドイツ、ノルウエー、スペイン、日本人もいるし、世界中から来ています。トゥバの音楽は欧米では知名度が高いのです。

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(トゥバの女性たち)


■ ■ ■ 遊牧生活に根ざした豊穣な音楽世界 ■ ■ ■

--- トゥバの音楽について基礎的なことを教えてください。
トゥバの音楽世界は多様です。なかでも喉歌ホーメイ(フーメイ)が有名。元々はソロパフォーマンスが主体でしたが、1980年代以降は舞台化が進み、多くのアンサンブルが生まれました。伝統的な民族楽器としては、擦弦楽器の「イギル」と撥弦楽器「ドシュプール」などが知られています。口琴も盛んです。

--- イギルの音を聴き、喉歌を聴いていると、草原の風、空、空気を感じます。そして馬が駆け抜けていく。なんとも雄大で骨太で颯爽とした印象を受けます。遊牧文化の影響は大きいのでしょうか。
遊牧文化と音楽は密接だと思います。遊牧民の土地は基本的に農業に適していない。遊牧民は麦くらいは作ってきましたが、土の表皮が薄いため耕すと土地が消耗してしまう。現在トゥバでは農業も行っていますが、近年ロシア人が伝えたものです。それに比して、トゥバの遊牧形態は多様です。気候風土が変化に富んでいるので、北のトナカイ遊牧から南のラクダ遊牧まで、家畜の種類が多いのが特徴です。変化に富む気候風土、遊牧生活の歴史は、音楽に影響を与えていると思います。小さな共和国で、あれだけ豊穣な音楽世界がある土地はそんなにないと思います。推測ですが、トゥバは山脈に囲まれた盆地で不便な地ではあったが、盆地の中は遊牧には適していた。そこに遊牧民族が入れかわり立ち代わり入ってきた。ある種閉ざされた地域の中に遊牧文化が濃厚に残り、音楽にも影響を与えたのではないでしょうか。

--- 気候風土や地形とも関わっているのですね。今でも遊牧に携わる人が多いのですか。遊牧とはトゥバの人たちにとってどのような存在なのでしょう。
現在は街に定住している人が多いですが、田舎で親戚が遊牧していたりする。週末や夏休みに田舎に行って仕事を手伝ったりしています。彼らには「自分は遊牧民である」という誇りがある。それはとても大きなことだと感じます。地方に住むホーメイジ(喉歌歌手)は「街に住んでる奴にホーメイはできない」と、しばしば言います。彼らの歌にトゥバの様々な文化が凝縮されているからだと思います。遊牧生活のことは歌の中にも入っています。例えば、国境ができたことで故郷に帰れなくなった人の歌があるけれど、歴史を理解していないと歌の意味がわからない。たくさんの地名が出てくるので、地理を知らなくてはらない。しかも古い言葉が多い。だから、勉強せざるを得ない。彼らの歌を理解するためには、彼らの民族文化や歴史を勉強し理解することが、とても重要だと思います。


■ ■ ■ 喉歌は心。トゥバを学び歌詞を大事にしたい ■ ■ ■

--- 喉歌というと発声法が注目されがちですが、歌はトゥバの歴史や文化を語るものなのですね。
当初、喉歌の発声の面白さに関心はありました。が、僕は歌に、より関心があった。喉歌はたしかにファーストインパクトとしてはすごいものがあります。トゥバの音楽世界ではもちろん重要な要素です。でも、やはり大切なのは歌だろうと思っていました。トゥバの歌詞世界、歌の内容をちゃんと理解しないといけない。彼らの精神世界の中に喉歌があるわけだから。行く前からそう思っていた。だからホーメイジたちに歌を教えてくれと頼んだ。テクニックも、もちろん重要なことだし、彼らの音楽の特徴でもあるのですが、大事なのは「心」じゃないですか。歌は彼らの気持ちを表現している。複雑な感情や文脈があって、それを表現している。だから自分のライブでは、トゥバの歌を日本語に訳してプリントアウトしてお客さんに渡す。それがないと伝わらないだろうなと思うから。

--- 遊牧の心を歌う伝統的なトゥバ音楽。現代の社会では海外からの情報もどんどん入ってきます。変化が見られますか。
外の世界の情報や影響は大きいと思います。すごく動いている。ポップスやロックも人気があり、トゥバ語のラップもあります。伝統音楽はソロからアンサンブルへ。フンフルトゥなど世界的なグループが活躍し、アラッシュなど若手グループは毎年アメリカツアーをしています。向うのミュージシャンと共演して、どんどん吸収している。外界の影響をあまり受けずに熟成されてきたものが変化していて、それが面白いともいえる。ただ、昔の音源を聴くと、本当にすごいんですよ。平均律とかじゃない。自分の先生は楽譜を読めない最後の世代ですが、僕はそこが面白いと思っている。謎なんですよね。先生の演奏を見ていると。なんでそんな動きするの?と思う。西洋音楽のロジックからいうとわけがわからない謎の動き。若い世代の楽譜を読めるミュージシャンのほうが、演奏がかっちりしている印象です。トゥバ語がもっとうまくなったら地方に調査に行きたい。失われかけている伝統的な歌を聴いてまわりたいと思っています。

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(トゥバの秘境 トジュ地方のタイガ)


■ ■ ■ おすすめ!トゥバ音楽 ■ ■ ■

--- トゥバ音楽で、まずはこの人(グループ)を聴いて欲しいというおすすめミュージシャンを教えてください。
やはり、フンフルトゥ(Huun- Huur-Tu)チルギルチン(Chirgilchin)、アラッシュ(Alash)あたりですね。もちろん他にもたくさんのおすすめはありますが。フンフルトゥはロックの影響を受けていると思います。その前の世代の歌とは結構違います。それでもトゥバの音楽の基礎と言えるものが詰まっています。

寺田さんおすすめはこちら!
huun-huur-tu




Chirgilchin




Alash




--- この一曲は絶対聴いて欲しい!というトゥバの歌をあげるとしたら何ですか。
「チュラー・ホール」でしょうか。自分の友人のような馬、チュラー・ホールとの思い出を歌った曲。曲自体も美しいけれど、歌詞が本当に好き。トゥバの若手ミュージシャンと一緒に酒を飲むと、多くの人がこの歌をうたう。若者に影響を与えた、切ない曲。淋しさとか人生の喜びとかが凝縮されていて、本当にいい歌です。翻訳してみて泣きました。「ある男が風に吹かれながら馬と一緒に旅し、ある土地で暮らし始めた。その美しい土地で相棒のチュラー・ホールと競馬に勝ち、美しい恋人から隠れて泣いた」。自分がトゥバに行ってトゥバの文化を理解することによって、その感動が初めてわかりました。トゥバの心、いつか自分も歌えるようになりたい。

Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor





■ ■ ■ テレビも捨てた、デジタル音は要らなくなった ■ ■ ■

--- トゥバの心を理解し、自分の音楽として歌いたい。本当にトゥバから学んだものが多いのですね。
トゥバで、いろんなことをすごく考えさせられた。本当に勉強しなければいけないと思った。知的な刺激を強く受けました。だから余計なことをするヒマがなくなりました。トゥバから帰って来て、テレビとか全部捨てて、DJみたいなレコードも聴かなくなった。そして、勉強すればするほど、どんどん面白くなった。いろんな人に会いに行って、研究者などの知り合いも増えた。本当はもっと勉強したい。もっと書かなきゃいけないしライブもしなきゃいけない。日本ではトゥバの情報がほとんどないから、とりあえず地道に継続してやっていこうと思っています。納得できることを一つずつ積み上げて、理解してくれる人を増やしたい。

--- 全部要らなくなった、それってすごい。出会っちゃったんですね。
音楽オタクだった自分が、今では全然音楽を聴かなくなった。毎日練習している自分の演奏で満たされるんです。聴く音楽もガラッと変わった。デジタル音が要らなくなりました。今から考えると、以前の自分は音楽を消費していたんだなと思います。毎週、渋谷のレコード店に新譜チェックに行き、ホクホク顔で何枚か買って家に帰って針を落とす、それが楽しかった。膨大な音楽を浴びるように聴いていた。けれど、もうトゥバ音楽だけでいい。自分と音楽の関わり方自体が完全に変わったし、人間と音楽のあり方というものを考えさせられることになった。トゥバに行ってから人生観が変わりました。

--- 出会った年齢もあったのかも?
自分が行った時は30歳すぎていた。20代前半くらいで行っていても、あの面白さに気づけなかったと思う。社会に出て働いて、本読んだり社会事象とか自分なりに考えたり経験したりたからこそ、いろんなことが見えた。それで自分の中で好きだったものが引き出された。トゥバには自分の好きなものが全部あったんです。

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(トゥバのシャマン)


■ ■ ■ トゥバが自分の人生をゆたかにしてくれた ■ ■ ■

--- それにしても2010年からの熱中がすごい。今後どうなっていくのか、とても楽しみです。
ここ4年くらいですよ。今はまだ基礎をやっていると思っています。これからです。音楽家としてやりたいこともあるし、書かなきゃいけないし。熱中から、だんだん落ち着いてくる。たしかに今までの多くの情報がいらなくなるんだけど、今まで好きだったものと今の自分とだんだん混ざってきている感じです。それを少しずつ形にしていきたい。今は自分で考えた事をちょっとずつ達成している感じで、毎日が面白いですね。

--- トゥバに出会って、自分自身でいちばん変わったと思うのはどんなところですか。
ネガティブなところが、あまりなくなった。面白くなった、人生が。自分の人生がゆたかになりました。トゥバの人たちにいろいろなことを教えてもらった。トゥバやトゥバの人たちが、自分の人生をすごくゆたかにしてくれた。だから恩返しがしたいんです。「中央アジアの音楽」などのイベントもそういう気持ちでやっています。返さなきゃいけない。ただもらっているだけじゃダメなんですよ。そういう役割があると思っています。

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(2013年トゥバ共和国滞在報告&ミニライブより)


■ ■ ■ 「中央アジアの音楽2」、2月16日開催 ■ ■ ■

--- 寺田さんの企画で実現した昨年1月開催の「中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」、とても盛り上がりましたね。出演者の演奏の素晴らしさはもちろんのこと、雰囲気がとても暖かかった。良いイベントでした。
「テュルク・ミュージック・イン・トーキョー」は、盛り上がりがすごくて、予約申込みを何十人もお断りしなくてはならないほどでした。“チュルクでまとめたコンサート”は珍しく、インパクトがあった。けっこう成功したと思うし、あのようなコンサートの必要性を感じました。これまで中央アジアの音楽に触れる機会がなかっただけで需要はあった。留学生などからは「またやってくれ」という声が多かった。そして自分が心から信頼しているとあるチュルクの人から、「あなたにあの仕事を続けて欲しい」と言われた。現地の人からそう言われて感無量です。音楽を通して文化を知ってもらおう、民族文化そのものを愛してもらいたい、という気持ちが通じたと思います。また、カリマンさん(クルグス)やイナーラさん(カザフ)など、素晴らしいミュージシャンを紹介できたことがうれしい。

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(中央アジアの音楽 テュルク・ミュージック・イン・トーキョー。チラシも。写真の右3枚はorientlibrary)

--- 来る2月16日には「中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージック」が開催されますね。2回めとなる「中央アジアの音楽」について、また今後のイベント企画について教えてください。
今回は、アフガニスタンの伝統音楽を演奏する「ちゃるぱーさ」をゲストに迎えます。テュルク遊牧世界のクルグズ(ウメトバエワ・カリマン)、トゥバの音楽(寺田)、そしてシルクロードの十字路、アフガニスタンの音楽をお楽しみください。今後、イベントのテーマとしては、シベリア、北方(北方民族)にも広げていきたいと考えています。情報がないところ、例えば、サハ、ハカス、チュクチ、エウェンキ、ナナイなど。現地の音楽フェスで彼らを見ていて、面白いと思っているんですよ。アイヌの人とのコンサートも企画中です。日本での活動にも意義を見いだしています。

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(中央アジアの音楽2 テュルク&アフガンミュージックのチラシ。2月16日です!/写真上段右:トゥバのフェスティバル、ウストゥー・フレーにて子供たちと/下段左:カルムイク共和国のシャラエフ ディーマ アラッシュのメンバーと/下段右:ミュージシャンたちとトゥバ相撲フレッシュで鷲の舞を踊る)


■ ■ ■ トゥバの人たちに恩返しがしたい ■ ■ ■

--- トゥバに旅したい、滞在したいという人も増えそうです。注意点、アドバイスはありますか。
興味を持つ人は増えて欲しい。でも正直に言って、バックパックでも旅行でも、簡単に行ける場所とは言いづらいのも事実。一人で行く場合、やはりある程度のロシア語をやった方がいいでしょう。残念なことですが、日本ほど治安がいいわけでもないので。たしかに一人旅をする人もいるけれど、ちゃんと準備をしてきています。日本トゥバホーメイ協会が毎年ツアーを企画していますし、最近は少し高いけれど一般的な観光ツアーも出てきています。そういうところを利用するのも方法だと思います。

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(上段左:2013年国際ホーメイシンポジウム ソロ部門にて名人芸賞受賞/下段左:山頂や峠のような高所に建てられるオバーにて/下段右:フェスティバル ウストゥーフレーにて、チベット仏教の音楽隊の行進)

--- トゥバ音楽を好きになった日本人として、今後への思いを教えてください。
トゥバと日本との間にある関連性に興味を持ちます。トゥバで「お前、地元の歌を歌え」とかよく言われるんですが、「日本人の歌」をパッと歌える人は少ないのでは。彼らが自分たちの歌として、音楽の表現しているのを見ると羨ましいと思うし、日本人は何かをなくしたと考えざるを得ない。彼らとは、人と音楽との関係性が全然違う。だけど、共通する部分も多いんです。僕は日本人だけど、彼らの音楽を聴くとすごく懐かしいと思ったりする。その間にあるものをよく考えていきたい。今後やって行きたい事は、これからも現地に通いながら彼らの音楽と向き合い、その上で自分のスタイル、自分の音楽を作っていくこと。そして先々、トゥバの友人たちや先生に、「お前は、俺たちの音楽を勉強して、俺たちの文化を深く理解して、その上でお前の音楽を作ったね」と認めてもらいたい。考えていることはいろいろあり、今後少しずつ形にしていくつもりです。僕はトゥバ人になれるわけじゃないんです。トゥバの音楽を愛した一人の日本人の音楽家として、自分の音楽を作っていきたいと思っています。

*本文中でも何度かリンクしていますが、寺田さんのブログはこちらです=「トゥバ日記」

取材場所は吉祥寺の「Cafe RUSSIA」、満員でお店自体が熱気。その中でさらに熱く思いを語る語る寺田さん。トゥバの音楽を紹介してくれてありがとう!自らの演奏活動はもちろん、多様な音楽を伝えてください。中央アジアを盛り上げていきましょう☆
by orientlibrary | 2014-02-08 18:31 | 中央アジア人

中央アジア人2・かれらの眼に近づきたい。カザフ装飾文化を調査し発信する廣田千恵子さん

帰国の荷物が70キロと聞き、170㎝くらいのたくましい女性を想像していました。待合せ場所にふわりと現れた廣田さんは小柄でやさしい雰囲気。一方で、その眼差しや、揺れる水色のビーズのイアリングから、草原の風を感じます。人が惹かれて向かう地は、やはりその人に合っているなあと、いつも思います。今回は長文です。カザフ人の暮らし、装飾文化、現地での調査について、若き中央アジア人の思いをお聞きしました。(今回の写真はすべて廣田千恵子さんからお借りしたものです。多謝。*最後のコラージュはorientlibrary)

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<中央アジア人・2 >
「カザフの人たちのこころを知りたい。かれらの眼に近づきたい。その思いで突っ走る」
廣田千恵子さん(千葉大学大学院/カザフの装飾文化をフィールドワーク&発信)



■ ■ ■ いちまいの布を、ただただずっと見ていた ■ ■ ■

--- 装飾文化に興味を持ち始めたのは、いつ頃からですか。カザフの装飾文化をフィールドワークするようになったきっかけを教えてください。
手芸は苦手だったのですが憧れはありました。織や刺繍も詳しくなかったけれど、いつかやってみたいと思っていました。きっかけは2009年。東京外国語大学モンゴル語専攻時に、一年間モンゴル国立大学に語学留学したときの経験です。雪害の年ですごく寒かった。部屋の壁に氷が張るくらいでした。それで外気を塞ぐために窓に布を貼ったんです。バヤンウルギー(カザフ人が居住するモンゴル西部の県)で買った大きな刺繍布でした。それを毎日なんとなく見ていた。これ手で作ったんだよあ、時間がかかってる、すごいなあ。きれいなものはパッと見たときにきれいと思いますよね。でも、使いながら見ていると、また違ったものが見えてくるんです。響くものがあった。惹き付けられるように、ずっと見ていました。そして一針一針の縫い目を手で触ったときに、本当にきれいだと思った。これだ!これを調べたい、と思うようになりました。

--- バヤンウルギーの刺繍布、強い磁力があったのですね。どのような布なのですか。
トゥス・キーズと呼ばれる布です。布にびっしりと刺繍が施されています。家(天幕=カザフでは“ウイ”と言う)の中で、装飾品として、また防寒対策や砂よけのために使われます。でも、どのような意味を持つものか、またなぜ埋め尽くすほどに全面に刺繍を施すのか、全然知らなかった。あれだけの大きいものをよく縫えるなあ、と思っていました。

--- 布のことを調べたいと思い、どのようなアクションをおこしたのですか。
2009 年の留学はモンゴル語習得のために1年間費やしました。2010年の春、もっとカザフの文化を知りたいと思い、当時ウランバートルにあったカザフ文化センターで話を聞くと同時に、そこでカザフ語の勉強を始めました。大学4年生の秋に帰国。急いで大学院(千葉大学)を受験し、2011年に入学。カザフの装飾品を研究したいという思いから、文化人類学を専攻。2012年から再度モンゴル国立大学に留学し、バヤンウルギー県でのフィールドワークをスタートしました。布を美しいと思って感動し、大学院進学と再留学。ただきれいだなと思っただけで突っ込んでいきました。これは何?知りたいという思いだけで。

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■ ■ ■ どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう ■ ■ ■

--- 知りたいという、そこまでの強い思いの根源は何だったのでしょう。
人のこころ、でしょうか。どうしてこんなに手のかかるものを作るのだろう、という好奇心。家族のことをいろいろ考えて、思って縫うのだろうなあ。そういう心の部分、カザフ人ってどんな人だろうというのが知りたかった。

--- 熱い思いに感心します。20代前半にくっきりしたテーマを見つけて走っているのですから、すごい。モンゴル語を専攻した時点で、遊牧文化やアジアの文化に興味が強かったのですか。
何にも知らない、ちゃらんぽらんな学生でした。カザフ装飾に出会う前は、モンゴル語を知れば就職に有利かな、商社とかキラキラした企業で働いてお給料をもらえればいいや、くらいに考えていました。でも、ある出会いがあったのです。西村幹也さん(NPO法人北方アジア文化センターしゃがあ理事長)に会って人生が180度変わりました。西村さんの影響が大きい。西村さんは、「彼らが見ている眼と自分の眼とは違う。見ている世界が違う。彼らが見ている眼に近づきたい。彼らの眼になりたい」と言い、そのスタンスで遊牧文化を伝える活動を続けています。そうだ、私が見ている刺繍布と彼らが見ている刺繍布とは違う。彼らの眼に近づくためにはもっと知らなくてはいけないと考え、大学院進学を決めたのです。単純にきれいと感動したことも一因ですが、彼らの眼を持ちたいと思ったのがきっかけです。彼らの眼に近づきたいのです。

--- 「眼に近づく」、なるほど、遊牧文化に関わる活動を長くなさっている方ならではの言葉、視線ですね。
西村さんは、人生の先生です。加えて、留学中に日本人の学芸員に出会い、学芸員の仕事に興味を持つようになりました。いつか学芸員として仕事をするためにも研究テーマを見つけたいと思っていたときに刺繍布を見た。これを深めたい。普通に就職してお金を稼げればと思っていたのに、いまは「お金?どうでもいい」になっちゃった。すごい縁だと思います。

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■ ■ ■ 家族と同じ暮らし。天幕で起き20キロの牛糞を集める ■ ■ ■

--- 現地のことを教えてください。まず、モンゴルのカザフ人について。どのくらいの数の人たちがどのあたりに居住し、どのように暮らしているのですか。モンゴルに対しての意識は?
モンゴルには約14万人のカザフ人が、ウランバートル市などに居住(2007年現在)。私がフィールドワークに入っている西部のバヤンウルギー県には、およそ9.3万人が暮らしています。生業は季節移動型の牧畜が主です。メインは羊と山羊。山羊はカシミアが採れるので増えています。また、一部牧民は鷹の観光で収入を得ています。カザフの鷹の羽は質が良く、日本の弓道の矢にも使われているんですよ。かれらは「自分たちはカザフ人であり、バヤンウルギーはホームランドである」と思っています。モンゴル人に対してネガティブな感情はなく、同じ遊牧民だし土地を与えてくれたし、平和に暮らしてこれたのは彼らのおかげと言っています。

--- フィールドワークの生活はどのようなものでしたか。天幕で家族と暮らすのですよね。
元牧民で今は街の病院でお仕事をなさっているクグルシンさんという人の家で2年弱、住み込み調査をおこないました。クグルシンさんのお宅は県央であるウルギー市内にあります。また、毎月1週間ほど、ウルギー市から30kmほど離れたサグサイ郡のブテオというところに住む牧民・マナさんの家に泊まりにいっていました。クグルシンさんのところでも、マナさんのところでも、夏期はウイ(カザフの天幕)で、冬期は木造平屋の固定家屋で、家族と同じように暮らしました。ウイは広くて高くて快適。たくさんの装飾品で飾られています。田舎では、朝は起きてから家畜を放牧に出す仕事や糞掃除をします。春から秋は、燃料用の牛の糞を集めますが、これが重労働。20キロもの糞を袋に詰めて帰るので腰にくる。バヤンウルギーのほとんどが標高1600メートル、最も高いところは4300メートルに及びます。私が調査した場所も1700〜2700メートルと高かった。高地のせいか、疲れ方が違う。最初の3ヶ月で12キロ痩せました。でも病気ではなかった。食事の違いが大きいと思います。現地は朝昼とも揚げパンとお茶、夜は肉だけ。米をあまり食べないので痩せてしまいました。2年目には一時期体調を崩しました。数ヶ月間、39度、40度の高熱が突然出て、家の人に心配をかけました。たぶん疲労だったんだと思います。お風呂は1週間に1回くらい、少量のお湯を使う程度。これはきつかった。痒くて体を掻く。それが今、傷跡になっているんですよ。

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--- 調査はどのようにかたちで進みましたか。自分でも刺繍や織をおこなうのですか。
留学の調査テーマは「カザフの装飾品の社会的経済的利用の変遷について」です。社会主義時代には手作りの装飾品を販売することはなかったのに、資本主義経済になり観光地化していくなかで、大事な装飾品を売るようになった。そのことが彼らの経済に影響を与えています。その詳細を調べたい。日常生活のなかで装飾品がどのように使われているかも調べたい。そうして見て歩いているうちに、自分でも作りたいと思うようになり、2年目から作り始めました。作られたものは細密だけれど、手芸手法は凝ってはいないので、意外と簡単。反復練習を重ねていくうちに、できるようになりました。並行して元々牧畜文化に興味があったので、春営地、夏営地、秋冬のデータを取ることもおこなっています。

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■ ■ ■ 市販の糸を自分の手でさらに撚る ■ ■ ■

--- 装飾品の自宅利用と販売の比率はどのくらい?また手作りする人は今でも多いのですか。動向を教えてください。
装飾品は自宅利用がほとんどです。販売は本当に一部。でも自宅利用すら少なくなってきています。装飾手芸文化がなくなるのではないかと危惧しています。材料の糸などは、社会主義時代にはソ連からの支援物資をバザールで買っていました。ところが1980年代、突然物資が入ってこなくなった、あるいは値段が高くなったときがあったそうです。カザフの布製品はたくさんの糸を使うので大変です。40代〜60代くらいの女性がその頃のことを話してくれるのですが、持っている服を裂いて糸にして、その糸を撚ってから使ったそうです。そこまでして作らなきゃいけないの?と聞くと、あの頃は時間があった、と。以前は給料をもらえていた、やることやっていれば時間もあり、生活に少し余裕があったのだそうです。想像ですが、手芸ブームみたいなものもあったのではないかと思います。

--- 服から糸を作るのですか。そこまでして装飾品を作ってきたんですね。
70年代80年代に作られた装飾品が圧倒的に多いんですよ。70年代まではロシア製の細い糸、元々撚ってある糸をそのまま使っていた。80年代には生地を裂いて作った糸を自分たちで撚る。糸が太くなり糸の質が良くなりました。自分たちで撚った糸、労力を費やした糸で作るので、女性たち自身も質の良さを自覚しています。90年代、がらっと変わって中国製の糸になる。これが質が悪い。細くて毛羽だって、すぐに切れてしまう。けれども、それを使わざるをえないので、自分たちで撚るんです。三重くらいに撚って撚って、ものすごい時間かかっている。貴重で丈夫なドイツ製の糸でも撚っています。自分の手で作るからには、質のいいもの作りたいというプライドがある。きれいということだけではない、日々使うものなので実用性、丈夫であることは重要。その人たちの眼になると、そうかなと思う。あるもので手をかける。安い糸を買っても手をかければ美しくなる。ものづくりしている人たちのこだわりですね。時間をかけるのがすごいなあ。時間感覚が違う。

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--- 手に入るもので時間と手間をかける、手仕事の基本なのかもしれませんね。若い世代も手芸が好きなのですか。
人によりけりですね。勉強したい、海外留学したいという人は手芸には行かない。最近ではパソコンや携帯電話で遊んだりする方が面白いと感じる子も多い。人気アイドルのクリップをみて踊ったり。一方、手芸全般ができるとある30代後半の女性は、「おばあちゃんに手芸はやっておきなさい、嫁に行くとき利益になるよ」と言われたそうです。こだわりを持って手芸をしていると、上手な人がいるという噂が広がり、みんなが頼むようになる。あるときは、作ってあげた布のお礼に羊2頭をもらい換金、大きな利益を得たそうです。こういうタイプの人は、常に刺繍しています。また、子供が多い家庭のほうが装飾品を作ります。子どもの数は9人、10人くらい。18人という人も。子供が多いと、子どもが家事や兄弟の世話を担うので、親は自分の時間を作ることができる。装飾品を作る環境作りになります。子育てにお金のかかる日本や欧米とは逆の発想ですね。

--- カザフの装飾品は、いつ頃に生まれ、どのように発展してきたのですか。
カザフの手工芸の歴史については、資料が少なく探している最中です。その歴史について、はっきりしたことは今の私にはまだ言えません。模様については、伝統的に受け継がれてきたと言われるものもあれば、一部は近隣地域の手芸品やバザールにある既製品などを見て取り入れていったのではないかと想像します。いまは安いキリムが入ってきているので、それを買って使う人もいます。モンゴル人は絨毯を壁に貼るけれど、カザフ人は貼らない。というのも、主柱がないウイの構造上、重いものは負担になるからです。でも何かつけないと美しくない。だから布になったのではないかと思います。布になる前は、フェルトなど別の素材を使っていたのではないかと。ちなみに、刺繍布の下の部分は完結してしまうから(不完全な部分を残す)ということで縫いません。

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■ ■ ■ 赤を使わない人はいない。満たすように縫う ■ ■ ■

--- 布は、赤やオレンジなど、とにかく色合いが派手ですね。
色や模様については、モンゴルはシンプルでシック。カザフは多彩で華やか。カザフ人のセンスで、派手なものが美しいと思ったのだと思います。色の組み合わせは子供のときに親が教えてくれるそうです。地味めの人もいるんですよ。でも、赤を使わない人はいない。たぶん自分の作っているものが派手だと思っていないと思います。美しい、きれいという言葉はよく使いますが、派手という表現は使わない。派手とか地味とは異なる概念があるのだと思います。私自身もシンプル好みだったのに、現地に行ってから派手なのがいいなと思うようになりました。自然環境が大きいと思います。山合いの地で色彩がまわりにない。そんななかでは、赤などの明るい色を求めるのではないでしょうか。また、自分で刺繍をやってみてわかったのですが、色選びは意外に難しい。大きな布のため全体が見えず、頭の中でイメージしにくい。でも、カザフの女性は頭の中で見えているんです。すごい才能だと思う。

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--- 模様は大胆で、ぎっしりと埋め尽くすように縫い込まれています。
よく見かける丸の模様ひとつとっても、作り手はかたちにもこだわっています。規則性がある。余白や間のような日本の美的感覚とは違うようです。余白があるのは美しくないのかもしれない。満たす、という感じでしょうか。カザフの女性たちは手工芸を楽しんでいる。楽しまなきゃ、あのびっしりした手仕事はやりきれないでしょう。使う家族や相手を思って作っていくし、自分も楽しんで作る。だから心に響くものになる。販売目的だったらたぶん作れないんじゃないかな、あれだけのものは。

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--- 民族衣装はどのようなものですか。日常に着ていますか。
民族衣装は男女とも、ふだん着ている人はあまり見ません。祭りなどの行事には大勢の人が着ているのを見ます。模様の刺繍のある長いコート、装飾のある凝ったベルトなどです。男性の帽子、女性のスカーフは、普段からよく着用しています。女性が髪を見せるのはよくないようです。元々の習慣でもありイスラム的なこともあるようです。現実的には頭が汚れているのを隠したり、冬は防寒にも役立ちます。私も向こうでは、バザールでいろいろ買って毎日かぶっていました。

--- 宗教が暮らしに根づいているのですか。イスラム?チベット仏教?また中国の影響はどうですか。
イスラム教のスンニ派ですが、それほど厳格ではありません。また、チベット仏教でもありません。中国の影響はないと思います。中国化は避けているように思います。でも、中国のミシンや糸、織物が入ってきているなど、現実的な関わりはありますね。


■ ■ ■ アウトプットは大事。勢いをつけていきます ■ ■ ■ 

--- 現在は一時帰国中。また現地に戻るそうですね。今後、どのようなかたちで活動をしていかれるのでしょう。とても興味があります。
冬に一時現地に行き、春からはしばらく日本で活動します。現地で集めた手工芸品を紹介する展示会をしていきたい。それが大切なものを売ってくれた人たちへの恩返しにもなるかなと思います。試行錯誤ですが、布の展示に際しては、作り手のこと、布の背景を伝えたい。作り手の人となり、暮らしや歴史について語っていきたい。その上で、その人に何か作って欲しいという人がいたらオーダーを取るなどして、少しずつ広がっていけばいいなと思います。将来は招聘事業もしていきたい。作者と生で交流してもらうと、また違うでしょう。逆にツアーで向うに行き、触れ合ってもらうのもいいなと思っています。

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--- ビジョンとともに、具体的な活動のプランがありますね。アウトプットを強く意識されている印象です。
手探りなんです。でも、夢ややりたいことって口にしていくほうがいいと思う。言っていくことで、広がっていけばいいなと思います。アウトプットはすごく大事だと思う。「カザフ情報局 ケステ」というホームページを作り発信しているのも、とにかくカザフに触れて欲しいから。まず興味を持って欲しい。学校などで教えることも考えましたが、論文やペーパーだけを残してなんになるんだ、という気持ちが強い。日本ではカザフについての情報が少ないんです。モンゴルはいろいろあるのですが。カザフにも、こんなすごいのがあるよ!と発信していく方が盛り上がるかなと思って。そんな気持ちで、この一年は勢いをつけていこうかと思っています。

* 廣田さんが管理人をつとめる「カザフ情報局 ケステ」。カザフの人、暮らし、装飾文化について、豊富な写真とともにイキイキと紹介。

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もう何もつけ加えることはないのですが、丸の模様や他の地域からの影響の話も出ていたので、自分の写真を見ながら考えてみました。文様構成は中央アジアの好みがベースにあるような気がします。

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(上段左から:ウズベキスタンのフェルガナ(タジク寄り)のスザニ/同マルギランのスザニ/ブハラのアンティーク・スザニ3点。色の組合せやデザイン=オアシス的と感じる/リシタン陶器=大皿の模様。青と緑で花円を多数描く/ご存知トルクメニスタン、テケ族の赤い絨緞。強烈なギュル。遊牧民の強さと、突き抜けた手技の洗練がある/パキスタンのミラーワーク。円の模様は各地にある/雲南の民族衣装。印象だが、高地に行けば行くほど手仕事の濃密度が高まるような気がする。とてつもない凝縮に圧倒される。一種のトランス!?)


廣田さん、ありがとうございました。とても楽しい取材でした。WEBサイト、レクチャー、展示会、ツアー、招聘事業、どんどんアウトプットする、興味を持つ人が増える、きっと動きが生まれるはず!、、その意気と粋がいいな。触発されます。どんどん発信していってくださいね。そして、中央アジア、盛り上げていきましょう!
by orientlibrary | 2013-12-25 19:48 | 中央アジア人

中央アジア人・アトラスと駆けるウズベキスタン

秋は展覧会、展示会、イベントが、いつもにも増して多い時期。個人的には、土寄りの時間が多いのですが、写真がないこともあり、今回もアトランダムな内容。後半は、「中央アジア人・1 〜アトラスと駆けるウズベキスタン 川端良子さん(東京農工大学)」です!

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まず、青のFBよりサマリー少々。
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(ティラカリ・マドラサ(サマルカンド)〜宇宙のようなカリグラフィーと幾何学模様/ホジェ・アハマド・ヤサヴィー廟(トルケスタン)〜彩釉レンガとタイルを駆使した壮麗な装飾/シャーヒ・ズィンダ(サマルカンド)〜幾何学模様を立体化)

釉薬クラス。知らなくてはと義務感のような気持ちで始めたのですが、意外なことに釉の調合にハマってます。無謀なチャレンジをサポートしてくれる白金陶芸教室さんに感謝しつつ、今回もオリジナル青に向けて走ってます♪
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(青系調合テストピース/基礎釉作り/トルコ青釉調合/この青が憧れ)

インドの布を紹介しているkocariさん。明るい色使い、斬新な色の組合せ、美しい手仕事のカンタや刺繍が女性に人気。
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(西早稲田の民家ギャラリー。きれいな手仕事とチャイでなごませていただきました)

中央アジアのテキスタイルや工芸を紹介するカンノ・テキスタイル。滝野川の展示。スザニやキリムバッグも。
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(左段3点=カンノ・テキスタイル/中〜右の4点。ウズベキスタンの絣布アトラス、アドラスで作られた小物類=テディベア、捻り香合、ネクタイアなど、2012年のハンディクラフトコンテスト入賞作品、現地での製品化第1弾。ウズベキスタンでの販売がスタート! 〜写真はコカリさん、カンノ氏空間にて〜)

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<中央アジア人・1 >
「アトラスと駆けるウズベキスタン」川端良子さん(東京農工大学)


ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンなど、中央アジアを駆け巡るひと。数十キロの荷物、スーツケース2個持ちでもニコニコ。中央アジアメニューなど、おいしい料理を手早く作る料理上手でもあります。ウズベキスタンでのアトラスプロジェクトも興味深いステージに。聞いてみたいこと、たくさん。

(* 夏のインタビューからタイムラグがあるため、少々補足している点があります。また録音はしていますが、このまとめは取材時の入力を基にしています。細部のニュアンスが多少違う点があるかもしれません。この点、ご了解ください。)

まず、東京農工大のウズベキスタンプロジェクト。趣旨、経緯、現状など、詳細はこちらに。

<参考:フェルガナプロジェクト>=JICA の草の根支援プロジェクト。ウズベキスタン共和国の国立養蚕研究所、ビジネスウーマン協会と協力し、フェルガナ地域農民を対象に、養蚕を主体とした農家副業技術の改良・向上に向けた普及活動をおこなう。生産物の販売モデルを確立し、ウズベキスタン国内の養蚕地域において活動発展と高品質蚕糸の安定生産につなげることを目指す。

<参考:ウルゲンチプロジェクト>=2013年3月より新プロジェクト。「ウズベキスタン共和国シルクロード蚕業復興計画−辺境農村における副業収入向上のための技術移転モデルの確立−」を開始。

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—— アトラスプロジェクト、いまの様子を教えてください。
この秋、ヒバ市イチャンカラ市場に外国人向けの販売拠点を作る予定です。目的はお土産物としてアトラス商品を定着させること。サマルカンドやタシケントには、いろんな店ができていて、品質も向上しています。ヒバはまだ入る余地があります。世界遺産なので外人観光客も来ます。女性の自立化とアトラスの普及をめざしています。

—— 今後、ハンディクラフトコンテストの優秀作品が販売されるのですか。
地元の人を雇用し、日本の皆さんのアイデアであるコンテストの優秀作品などを販売します。プロジェクト開始以降、ウズベキスタン側のアイデアで作られたアトラスのシュシュやポーチは、日本国内でも販売しており好評です。メインの市場はあくまでウズベキスタンだと考えていますが、日本でも売れる商品だということは自信になります。農村の女性は日本や日本人を知っていて、いまだに「おしん」と言われるんですよ。日本に悪い印象はないですね。

—— 風土や慣習も違いますし、いろいろと大変なこともありそうです。
ビジョンは長期です。このプロジェクトで終わるつもりはない。成果を出したい。私の専門は環境問題ですが、その分野のプロジェクトは現実的になかなか難しい。農工大は養蚕研究の長い歴史があり、養蚕復興はウズベキスタン政府の意向とも重なりました。双方に良かったと思います。

—— やりがいがありますね!
目に見えて成果が出ていることは喜びです。農家の人が喜んでいること、同じ労力でも日本の繭を買うと収量が増し、収入も増える。基本はカイコの品種です。ウズベキスタンは旧ソ連だったので日本品種が行っていなかった。品質を良くして、製糸会社に働きかけています。そしてプロジェクト拠点は、フェルガナからウルゲンチに移動しました。フェルガナでの成功を点から面にしていかなくてはなりません。フェルガナには養蚕の伝統がありましたが、養蚕が気候条件的に困難と言われているウルゲンチで成功したいのです。ウズベキスタンの西と東の端で成功することは、全土での展開に重要だと考えます。ウズベキスタンでは、ロシアなどに出稼ぎに行く男性が少なくありません。シルクの製品化と販売を通して、副業による収入向上につなげたい。

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—— 中央アジアとの縁、どのようなきっかけだったのですか。
専門は、中央アジアの環境問題、水質と土、養蚕です。京大大学院時代はアラル海の水質をやっていました。中央アジアの環境問題で、理系の博士号は初めて。足抜けはできません。元々、NHKのシルクロード番組が好きでした。民族学者である片倉もとこさんの『アラビアノート』などの著書や辺境をフィールドワークする生き方にも影響を受けました。青池保子さんのロシアを題材とする漫画にも魅せられていました。いろいろなことが重なっていますね。

—— 中央アジア、ウズベキスタンと日本、ここがいちばん違うという点は。
計画的に動く日本人と、前もって準備しない傾向のあるウズベキスタン。でも、ギリギリに帳尻を合わせるのがすごいです。

—— 中央アジア、ウズベキスタンの、ここが好きと思うことは。
人情味がある。ウズベキスタンの人は親切。日本人が失いつつあるものがあると思う。お役所仕事は腹が立つけど地方は親切。最初にカザフに行ったとき、田舎に行くとものがないので、カップ麺とか食べていました。そんなとき、村長が羊をふるまってくれました。ゴミ箱に落ちていた箱、そこに日本語が書いてあったのですが、それを拾って飾り棚に飾ってくれたこともありました。

—— 中央アジアでの最高の時間は。
真っ平な地平線に沈む太陽。自然の大きさを肌で感じます。中央アジアの自然は本当に魅力があります。

—— 中央アジア、ウズベキスタンでおすすめの食べ物は。
ナンが一番好きですね。窯で焼くナン、焼きたてのナンほどおいしいものはない。とくにタシケントの安いナン、卵が入っていない薄いナンがいい。フェルガナのナン、ピザパイ、ラグマン、カザフのロシアパンもおいしい。メロン、ドライフルーツなど、果物ははずせません。タシケントには各国の料理店がいろいろあります。現地のチェコビールはおいしいですよ。グルジア料理も安くておいしいです。

—— お気に入りの場所は。
ヒバは好き。いまは都会になっていますが、こじんまりとして観光しやすい。時期は5月か9月ですね。

<追記> 2013年10月よりヒバのイチャンカラにてテスト販売開始。タシケントのいくつかのショップでもコンテスト作品第1弾商品の取り扱いが始まっています。ウズに行かれた折には、お土産にどうぞ!

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川端さん、どうもありがとうございました!これからも中央アジアパワー、分けてくださいね〜!

アトラス製品、日本での展開も楽しみです。いつもウズベキスタンでお土産選びに苦労しているので、興味津々。川端さんおすすめのヒバ、私もホレズムのタイルとやきものを巡る旅をしたいのに、好適な9月も10月も行けずじまい。冬は極寒、夏は極暑。いつ行けるだろう。ご縁を待ちます。
by orientlibrary | 2013-10-15 00:26 | 中央アジア人