カテゴリ:ウイグル/アフガン
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2か月ずつのカレンダーだと、もう1枚、という時期になりました。紙のカレンダーを壁にかけること、いつもはしないのですが、今年は甲斐大策さんの「アリアナの生命樹」というカレンダーをかけていました。
甲斐さんはペシャワール会会報の表紙を描いていらっしゃる方。重厚でありながら底から温かさが立ち上がってくるような甲斐さんの絵が好きです。
9・10月の絵は、カレンダーの中で一番好きでした。そしてじつは今日初めて、絵の下に書かれている文章を読んだのでした。描かれた世界が息づいてくるような、愛おしくなるような「語り」でした。(部分抜粋にて引用させていただきました。)

(「アリアナの生命樹」“樹々と人 ヌリスタン”部分/甲斐大策画、ペシャワール会事務局編、石風社制作より)
〜〜〜
樹々のヌリスタン
ところでヌリスタン人はどうしたのかな、平和な頃から少しづつ姿を見せなくなった。
アフガニスタン側の、五種類だったかな、怒らせると大変だが普段は、シャリーフ(高貴)な山の駱駝、という雰囲気のヌリスタニだったが、ソ連がきた頃から少しづつ減っていった気がする。
山奥の暮らしのせいか、上等な材木をたっぷり使い、扉は柱の彫刻が私たちより細やかで、木と葉と花で一杯、そうそう、スザン(刺繍)が最も素晴らしかったさ。
雪豹や珍しい蝶と同じだな、生命の樹の細工物も一緒に、静かに静かに少しづつ消えていく。あの人たちも消えてしまったのかなあ。
〜〜〜
最後の1枚は雪景色でした。

(「アリアナの生命樹」“北の薪市”部分/甲斐大策画、ペシャワール会事務局編、石風社制作より)
〜〜〜
北のたき木屋
薪も炭も高くてなぁ、近頃ペシャワルに出廻っている薪の大半は、古材の切れ端だよ。古い建物取り壊しが盛んになって二十年程かなぁ。
中には百年二百年を経た上等な松材もある。それもパクティア、そうだとも、私の村近くから出た松さ。そりゃあ、見ればすぐわかる。木目でわかるよ。それが、そこいらのユーカリやポプラや楡の枝と一緒にされていると哀しくなるよ。
(カバブ屋のコックが)このところの薪は信用ができない、炭はもっとひどい、と頭を抱えていた。カバブが臭くなってはなぁ。それもセラティーンの天下一カバブがだ。
(昔の薪は)ほとんどが根だった、それも太くて重いのばかり。うんと寒いところでじっくり育った樹の根だよ。もう何十年も前にそうだったのだから、その後樹を植えたり育てたりするような世の中ではなくなっただろう、今頃どうなっているかは想像がつく。
クンドゥズの夏はペシャワル並みに蒸し暑いが、もうそろそろ寒い頃だろう。薪をどうしているやら・・・・
〜〜〜
雪の中の薪、、薪ひとつからもいろいろなことが見えてくるのですね。

(コヒスタンの衣装とバローチの絨緞/美しい世界の手仕事プロジェクト2010より)
今年は秋にパミールのお話を聞く会があり貴重な写真も見せて頂いたのですが、アフガニスタン、このごろ考えたり何かしたりすることがほとんどなくなっている私です。報道で接するアフガニスタンは、依然混迷しているようです。ペシャワール会のような地道な活動に頭が下がります。

(「アリアナの生命樹」部分/甲斐大策画、ペシャワール会事務局編、石風社制作より)
〜〜〜
生命の樹
なぁ、これは生命の樹だよな、石榴、無花果、葡萄、林檎、桑の実、みんな一本の樹にぶら下がり、グリ・ライラ(夜の花=チューリップ)、グリ・ダウド(ダヴィデの花=雛罌粟)まで咲いている。
生命の樹、壁だけではない。木に彫り、布に刺し、絨緞に織り、西も東も、アリアナのどこへ行っても、恐らく何千年も昔からあったはずだ。
村そのものが生命の樹、皆その下で生まれ育ち、そして枯れもする。
ペシャワルかい?この都は永遠の生命の樹、善いこと悪いこと全てある。枯れはしない。
〜〜〜

(HERAT FRIDAY MOSUQUE 1200-1498-1964/『COLOUR AND SYMBOLIZM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』よりトリミングして引用)
甲斐さんの絵、じっくり見ていると、ますます絵の中に入りこみます。リアルだけれど幻想的、重いけれど温かい。そして何よりアフガニスタンへの強い愛を感じます。底流に信頼や希望を感じるのです。カレンダーはお終いになるけれど、絵は保存しておこうと思いました。
気が早いですが、どの国の人たちにとっても、良き年になりますように。
甲斐さんはペシャワール会会報の表紙を描いていらっしゃる方。重厚でありながら底から温かさが立ち上がってくるような甲斐さんの絵が好きです。
9・10月の絵は、カレンダーの中で一番好きでした。そしてじつは今日初めて、絵の下に書かれている文章を読んだのでした。描かれた世界が息づいてくるような、愛おしくなるような「語り」でした。(部分抜粋にて引用させていただきました。)

〜〜〜
樹々のヌリスタン
ところでヌリスタン人はどうしたのかな、平和な頃から少しづつ姿を見せなくなった。
アフガニスタン側の、五種類だったかな、怒らせると大変だが普段は、シャリーフ(高貴)な山の駱駝、という雰囲気のヌリスタニだったが、ソ連がきた頃から少しづつ減っていった気がする。
山奥の暮らしのせいか、上等な材木をたっぷり使い、扉は柱の彫刻が私たちより細やかで、木と葉と花で一杯、そうそう、スザン(刺繍)が最も素晴らしかったさ。
雪豹や珍しい蝶と同じだな、生命の樹の細工物も一緒に、静かに静かに少しづつ消えていく。あの人たちも消えてしまったのかなあ。
〜〜〜
最後の1枚は雪景色でした。

〜〜〜
北のたき木屋
薪も炭も高くてなぁ、近頃ペシャワルに出廻っている薪の大半は、古材の切れ端だよ。古い建物取り壊しが盛んになって二十年程かなぁ。
中には百年二百年を経た上等な松材もある。それもパクティア、そうだとも、私の村近くから出た松さ。そりゃあ、見ればすぐわかる。木目でわかるよ。それが、そこいらのユーカリやポプラや楡の枝と一緒にされていると哀しくなるよ。
(カバブ屋のコックが)このところの薪は信用ができない、炭はもっとひどい、と頭を抱えていた。カバブが臭くなってはなぁ。それもセラティーンの天下一カバブがだ。
(昔の薪は)ほとんどが根だった、それも太くて重いのばかり。うんと寒いところでじっくり育った樹の根だよ。もう何十年も前にそうだったのだから、その後樹を植えたり育てたりするような世の中ではなくなっただろう、今頃どうなっているかは想像がつく。
クンドゥズの夏はペシャワル並みに蒸し暑いが、もうそろそろ寒い頃だろう。薪をどうしているやら・・・・
〜〜〜
雪の中の薪、、薪ひとつからもいろいろなことが見えてくるのですね。

今年は秋にパミールのお話を聞く会があり貴重な写真も見せて頂いたのですが、アフガニスタン、このごろ考えたり何かしたりすることがほとんどなくなっている私です。報道で接するアフガニスタンは、依然混迷しているようです。ペシャワール会のような地道な活動に頭が下がります。

〜〜〜
生命の樹
なぁ、これは生命の樹だよな、石榴、無花果、葡萄、林檎、桑の実、みんな一本の樹にぶら下がり、グリ・ライラ(夜の花=チューリップ)、グリ・ダウド(ダヴィデの花=雛罌粟)まで咲いている。
生命の樹、壁だけではない。木に彫り、布に刺し、絨緞に織り、西も東も、アリアナのどこへ行っても、恐らく何千年も昔からあったはずだ。
村そのものが生命の樹、皆その下で生まれ育ち、そして枯れもする。
ペシャワルかい?この都は永遠の生命の樹、善いこと悪いこと全てある。枯れはしない。
〜〜〜

甲斐さんの絵、じっくり見ていると、ますます絵の中に入りこみます。リアルだけれど幻想的、重いけれど温かい。そして何よりアフガニスタンへの強い愛を感じます。底流に信頼や希望を感じるのです。カレンダーはお終いになるけれど、絵は保存しておこうと思いました。
気が早いですが、どの国の人たちにとっても、良き年になりますように。
なかなか余裕なく記事更新できません。時間がたってしまうので、気になっている写真、リンクだけですがご紹介させていただきます。
アフガニスタンで平和構築・紛争予防の現場で働く青木健太さんのブログ「永遠ピースのために」より、マザリシャリフにあるハズラト・アリー廟、計30枚です。
青の世界。そのタイルは、目に眩しいほどの水色、紫にも見えるラピスラズリ色、控えめなトルコブルー。黄色の面積も大きく、明るい強さを放っています。
空は広く、青く、空気は澄んで、人々は家族や友人と、思い思いの格好で廟を訪れ、お祈りし、ゆったりとたたずんでいます。女性の姿も多く、報道で見るアフガニスタンとは違う姿を見ることができます。
ブログ上でのお友達(勝手に!?)であるkentaさんは、アフガンから一時帰国されていましたが、再度のアフガン居住。写真も文章も、グッと入って行くような対象への近さや深い愛情を感じさせる一方、クールで知的抑制が効いた独自の世界を持っている方だと思います。アフガニスタンのタイルはなかなか見られませんので、ぜひkentaさんのお写真で旅をなさってください。
タイル自体は修復がされていて、細かいモザイクなどはあまりないようです。けれども模様のバリエーションが多彩で、イランやウズベクではあまり見たことのないものも。建物全面にめくるめくタイルの世界が展開されています。そして青。圧倒的な青の存在感に包まれるような廟だと感じました。kentaさん、ご紹介どうもありがとう!

(ウズベキスタンの古写真)
アフガニスタンで平和構築・紛争予防の現場で働く青木健太さんのブログ「永遠ピースのために」より、マザリシャリフにあるハズラト・アリー廟、計30枚です。
青の世界。そのタイルは、目に眩しいほどの水色、紫にも見えるラピスラズリ色、控えめなトルコブルー。黄色の面積も大きく、明るい強さを放っています。
空は広く、青く、空気は澄んで、人々は家族や友人と、思い思いの格好で廟を訪れ、お祈りし、ゆったりとたたずんでいます。女性の姿も多く、報道で見るアフガニスタンとは違う姿を見ることができます。
ブログ上でのお友達(勝手に!?)であるkentaさんは、アフガンから一時帰国されていましたが、再度のアフガン居住。写真も文章も、グッと入って行くような対象への近さや深い愛情を感じさせる一方、クールで知的抑制が効いた独自の世界を持っている方だと思います。アフガニスタンのタイルはなかなか見られませんので、ぜひkentaさんのお写真で旅をなさってください。
タイル自体は修復がされていて、細かいモザイクなどはあまりないようです。けれども模様のバリエーションが多彩で、イランやウズベクではあまり見たことのないものも。建物全面にめくるめくタイルの世界が展開されています。そして青。圧倒的な青の存在感に包まれるような廟だと感じました。kentaさん、ご紹介どうもありがとう!

「ウスタード」(マスター)の称号を持つアフガニスタンの国民的歌手グルザマンさんと日本の音楽家(チャルパーサ)のコラボレーションによるコンサートが、東京中野の包(PAO)でおこなわれました。(国際交流基金の文化招へいプログラムによる音楽交流会の一環)

(グルザマンさんとチャルパーサのおふたり。パーカッションの女性の衣装がキレイでお人形みたいにかわいかった。バックのキリムがいいですよね〜!床にはアフガントルクメンの赤い絨緞。こうでなくちゃ!!)
まず第一に大きな拍手を送りたいのは会場演出です。会場全体に赤い絨緞を敷き詰めての座るスタイル。ステージには大きなキリムが飾られています。シンプルな縞模様がとっても粋でした。観客も感触の良い絨緞に腰をおろし、リラックスして音楽を楽しめます。
音楽にとって、演出はとっても大事だと思います。コンクリートの壁と織物が一枚ある壁では全然違う。安物のカーペットと本物の絨緞では全然違う。華美な演出というより、音楽が生きる空間を、と願うことが多いです。だから今回は大正解で、うれしかった!
比較して、先日ひょんなことからボブ・ディラン(アメリカのフォークシンガー、今年68歳)のライブに行くことになったのですが、会場はクラブで、しかもオールスタンディング。見えないかもとは思っていましたが、前の人たちの身長が高く一切何も見えませんでした。なので1500人くらいいた会場で、私だけ床に座って聴いていました。苦行。シニアファンも多いんですから、みんなキツいですよ。アメリカ的立つ文化発想なのかな。でもコンサートって、今はみんな立ちますよね。どうしてああなってしまったんでしょう。インドやアフガン音楽のように、演奏家も観客も座してくつろいでゆっくりとしたペースで音楽を楽しみたいと思うのは私だけ?プラス踊るスペースがあればいい。もっと好きに聴きたい。(ロックだってしみじみ聴いてもいいと思う。オーディエンスの表情が印象的なこのライブ映像「Janis Joplin -Maybe」☆)

(楽士たちをお出迎え)
座して聴くグルザマンさんの歌、ラブソングと平和への想い。「ぼくの村の泉に瓶を持って水汲みに来ておくれ」とか「彼女のお母さん、ぼくの想いを娘さんに伝えてください」とか、素朴なラブソングを丸みのあるやわらかい声で披露。平和を願う歌のときには、奥行きのある力強い声で、人生経験の深さを感じました。

(緑のスカーフがよく似合うグルザマンさん。スカーフはアフガンイベントでおなじみの「渋谷のパパ」アミンさん(シルクロードの占い師)からのプレゼント☆)
イスラムの旗のもとに、音楽や踊りを禁止する人たちがいますが、音楽や踊りは人生に寄り添うようにあるものだと思います。音楽を禁ずるのは人生を奪うに近いのではないかと思います。今回のコンサートでいっそうその思いを強くしました。
国家からウスタードの称号を授与されているグルザマンさんであっても、かの国にあって順風満帆な人生を歩んだとは思えません。60代くらいかとお見受けしましたが、体制の変化や内戦に辛い思いをされたことも多々あったでしょう。

(MAZAR-E- SHARIF/MOSQUE/1480 AND 1963/1963は修復でしょうか。王制の時代ですね/『COLOUR AND SYMBOLISM OF ISLAMIC ARCHITECTURE』よりトリミングして引用)
平和の歌の紹介のとき、通訳の方(在日アフガンの方?)が「国外にあっても平和を願う気持ちは、、」と言ったあとが続かず、こみあげるように目を真っ赤にされていました。今だ混迷するアフガニスタンを思うと、胸に迫るものがありました。

(楽器。グルザマンさんの弾き語り)
会場には、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣さんの姿も。「先日帰って来たところなの」と、さらっとおっしゃっていましたが、タイル見たい、行きたい、でも行けないよね、という私と大違いで、西垣さんは即行動。かつ上品で知的。かっこいいです!
*宝塚・アフガニスタン友好協会=2006年に毎日国際交流賞受賞=受賞理由「日本で大きく取り上げられることがほとんどない時代から支援を続けた。タリバン政権時代にも、政治と距離を置いて人道支援に徹する活動が評価され、入国が許されていた。「難民に毛布を」キャンペーン、ミシンを使った女性の自立プロジェクト、隠れ学校、孤児院の整備、「片足の少女に義足を」キャンペーンなど、その活動は常に現地の思いをくみ取り、成果を上げてきた。アフガン戦争後も、女性たちの学問への思いを受け止め、女子トイレや寮などの建設に取り組む。さらに内戦時代は望むべくもなかったスポーツ環境の向上にもいち早く着手し、サッカー場を整備。若者の交流の場を提供した」/その後も東部のジャララバードにあるナンガルハル大学教育学部女子寮を建設。専門書や辞書などの備品を届ける活動などを続けている。ホームページはこちら。

(HERAT/FRIDAY MOSQUE/1200-1498-1964/ヘラート、行きたい!!『COLOUR AND SYMBOLISM OF ISLAMIC ARCHITECTURE』よりトリミングして引用)

まず第一に大きな拍手を送りたいのは会場演出です。会場全体に赤い絨緞を敷き詰めての座るスタイル。ステージには大きなキリムが飾られています。シンプルな縞模様がとっても粋でした。観客も感触の良い絨緞に腰をおろし、リラックスして音楽を楽しめます。
音楽にとって、演出はとっても大事だと思います。コンクリートの壁と織物が一枚ある壁では全然違う。安物のカーペットと本物の絨緞では全然違う。華美な演出というより、音楽が生きる空間を、と願うことが多いです。だから今回は大正解で、うれしかった!
比較して、先日ひょんなことからボブ・ディラン(アメリカのフォークシンガー、今年68歳)のライブに行くことになったのですが、会場はクラブで、しかもオールスタンディング。見えないかもとは思っていましたが、前の人たちの身長が高く一切何も見えませんでした。なので1500人くらいいた会場で、私だけ床に座って聴いていました。苦行。シニアファンも多いんですから、みんなキツいですよ。アメリカ的立つ文化発想なのかな。でもコンサートって、今はみんな立ちますよね。どうしてああなってしまったんでしょう。インドやアフガン音楽のように、演奏家も観客も座してくつろいでゆっくりとしたペースで音楽を楽しみたいと思うのは私だけ?プラス踊るスペースがあればいい。もっと好きに聴きたい。(ロックだってしみじみ聴いてもいいと思う。オーディエンスの表情が印象的なこのライブ映像「Janis Joplin -Maybe」☆)

座して聴くグルザマンさんの歌、ラブソングと平和への想い。「ぼくの村の泉に瓶を持って水汲みに来ておくれ」とか「彼女のお母さん、ぼくの想いを娘さんに伝えてください」とか、素朴なラブソングを丸みのあるやわらかい声で披露。平和を願う歌のときには、奥行きのある力強い声で、人生経験の深さを感じました。

イスラムの旗のもとに、音楽や踊りを禁止する人たちがいますが、音楽や踊りは人生に寄り添うようにあるものだと思います。音楽を禁ずるのは人生を奪うに近いのではないかと思います。今回のコンサートでいっそうその思いを強くしました。
国家からウスタードの称号を授与されているグルザマンさんであっても、かの国にあって順風満帆な人生を歩んだとは思えません。60代くらいかとお見受けしましたが、体制の変化や内戦に辛い思いをされたことも多々あったでしょう。

平和の歌の紹介のとき、通訳の方(在日アフガンの方?)が「国外にあっても平和を願う気持ちは、、」と言ったあとが続かず、こみあげるように目を真っ赤にされていました。今だ混迷するアフガニスタンを思うと、胸に迫るものがありました。

会場には、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣さんの姿も。「先日帰って来たところなの」と、さらっとおっしゃっていましたが、タイル見たい、行きたい、でも行けないよね、という私と大違いで、西垣さんは即行動。かつ上品で知的。かっこいいです!
*宝塚・アフガニスタン友好協会=2006年に毎日国際交流賞受賞=受賞理由「日本で大きく取り上げられることがほとんどない時代から支援を続けた。タリバン政権時代にも、政治と距離を置いて人道支援に徹する活動が評価され、入国が許されていた。「難民に毛布を」キャンペーン、ミシンを使った女性の自立プロジェクト、隠れ学校、孤児院の整備、「片足の少女に義足を」キャンペーンなど、その活動は常に現地の思いをくみ取り、成果を上げてきた。アフガン戦争後も、女性たちの学問への思いを受け止め、女子トイレや寮などの建設に取り組む。さらに内戦時代は望むべくもなかったスポーツ環境の向上にもいち早く着手し、サッカー場を整備。若者の交流の場を提供した」/その後も東部のジャララバードにあるナンガルハル大学教育学部女子寮を建設。専門書や辞書などの備品を届ける活動などを続けている。ホームページはこちら。

◆ ビョーク続編 ◆
●前々回の記事、ビョークがウイグル〜ウズベク柄の衣装を着て歌ったあのコンサートに、なんとアルジェタイルやタジクの写真を提供してもらった「Y.Sさん」が行っていたそうです。「Y.Sさん」によると、「素晴らしいパフォーマンスとステージ演出でした。衣裳は、おなかまわりがふっくらとした膝丈スカートで南インドのカタカリダンスの衣裳に近いです」。
●カタカリダンス!わあ、南インドのテイストもミックスしていたのかな。それは迫力ありますね〜!「メイクも原色で隈取り風なので、おそらくカタカリを参考にしていると思います」。なるほどお。「コソボの歌は公演の最後に歌われ、「コソボ!コソボ!コソボ!」と何度も絶叫するビヨークは、鬼気迫るものがありました」ということです。「Y.Sさん」、教えてくれてどうもありがとう!♪
◆ クエッタの日本製陶器 ◆
●こうやって情報や写真を提供してもらい、レアな本を紹介してもらい、私だけでは作れないブログができていくのは楽しく、ありがたいことです。そしてじつは今回も、なのです。

●今回の写真は、先日「パキスタンのクエッタから帰国したばかりのMさん」に見せてもらったもの。クエッタのなかでも「いいものが置いてある店」で撮ったものだそうです。
●この陶磁器類、もちろん私のツボにハマり、大騒ぎしていました。クエッタ自体、私にはなかなか行けないところですし、もしも行けたとしてもほとんどジモティの「Mさん」のような街歩きはできません。言葉もできないし。だから本当に貴重な写真だったのです。自分が好きなものは、人に見て欲しくなる私。ブログへの掲載を承諾してもらいました。ラッキー☆(トリミングしています。ご了解を!)

●で、これは何かといいますと、、「Occupied Japan」(日本がアメリカの占領下となった1947-52年の5年間に日本から輸出したもの)の陶磁器などだそうです。一点一点の詳細はわかりませんが、遠い旅をしてこの店の棚に並んだことだけは確かなようです。

●茶わんやポット、かわいいですよね!日本的情緒を強調しながらどこの国ともいえない雰囲気があり興味深いです。
●私が身を乗り出したのは、下↓の写真の白いカップ。日本でアフガニスタンの王室向けに作られ輸出されたものだそうです。「アフガニスタン向けに、日本から、陶器を輸出」という文脈が一瞬ピンときませんでしたが、「Occupied Japan」の頃のアフガンは王制(1926-73年)。

●当時の日本の生産者が「アフガニスタンの王室」をどのようにイメージしたか、見ていると興味深いです。ぽったりした白に金彩で花模様が描かれています(右は色が落ちていますが)。幾何学風の模様はイスラムの国を意識したのかもしれません。
●アフガンの王家の食卓で実際に使われた茶わんが、どこをどう流れてきたものかクエッタの店の棚に並び、興味を持った日本人が写真を撮り、それを私が日本で見せてもらった。茶わんは写真として里帰りした感じになりますね。

●クエッタ周辺には、古い土の墓廟など見てみたいものがあって行きたい場所のひとつなのですが、以前プランを練りながら果たせませんでした。でも、こういう形で日本ーアフガニスタンークエッタとつながるものと、それも自分の好きな陶器と出会えてうれしかったです。「Mさん」、またよろしく〜☆

(イラン?)
●前々回の記事、ビョークがウイグル〜ウズベク柄の衣装を着て歌ったあのコンサートに、なんとアルジェタイルやタジクの写真を提供してもらった「Y.Sさん」が行っていたそうです。「Y.Sさん」によると、「素晴らしいパフォーマンスとステージ演出でした。衣裳は、おなかまわりがふっくらとした膝丈スカートで南インドのカタカリダンスの衣裳に近いです」。
●カタカリダンス!わあ、南インドのテイストもミックスしていたのかな。それは迫力ありますね〜!「メイクも原色で隈取り風なので、おそらくカタカリを参考にしていると思います」。なるほどお。「コソボの歌は公演の最後に歌われ、「コソボ!コソボ!コソボ!」と何度も絶叫するビヨークは、鬼気迫るものがありました」ということです。「Y.Sさん」、教えてくれてどうもありがとう!♪
◆ クエッタの日本製陶器 ◆
●こうやって情報や写真を提供してもらい、レアな本を紹介してもらい、私だけでは作れないブログができていくのは楽しく、ありがたいことです。そしてじつは今回も、なのです。

●今回の写真は、先日「パキスタンのクエッタから帰国したばかりのMさん」に見せてもらったもの。クエッタのなかでも「いいものが置いてある店」で撮ったものだそうです。
●この陶磁器類、もちろん私のツボにハマり、大騒ぎしていました。クエッタ自体、私にはなかなか行けないところですし、もしも行けたとしてもほとんどジモティの「Mさん」のような街歩きはできません。言葉もできないし。だから本当に貴重な写真だったのです。自分が好きなものは、人に見て欲しくなる私。ブログへの掲載を承諾してもらいました。ラッキー☆(トリミングしています。ご了解を!)

●で、これは何かといいますと、、「Occupied Japan」(日本がアメリカの占領下となった1947-52年の5年間に日本から輸出したもの)の陶磁器などだそうです。一点一点の詳細はわかりませんが、遠い旅をしてこの店の棚に並んだことだけは確かなようです。

●茶わんやポット、かわいいですよね!日本的情緒を強調しながらどこの国ともいえない雰囲気があり興味深いです。
●私が身を乗り出したのは、下↓の写真の白いカップ。日本でアフガニスタンの王室向けに作られ輸出されたものだそうです。「アフガニスタン向けに、日本から、陶器を輸出」という文脈が一瞬ピンときませんでしたが、「Occupied Japan」の頃のアフガンは王制(1926-73年)。

●当時の日本の生産者が「アフガニスタンの王室」をどのようにイメージしたか、見ていると興味深いです。ぽったりした白に金彩で花模様が描かれています(右は色が落ちていますが)。幾何学風の模様はイスラムの国を意識したのかもしれません。
●アフガンの王家の食卓で実際に使われた茶わんが、どこをどう流れてきたものかクエッタの店の棚に並び、興味を持った日本人が写真を撮り、それを私が日本で見せてもらった。茶わんは写真として里帰りした感じになりますね。

●クエッタ周辺には、古い土の墓廟など見てみたいものがあって行きたい場所のひとつなのですが、以前プランを練りながら果たせませんでした。でも、こういう形で日本ーアフガニスタンークエッタとつながるものと、それも自分の好きな陶器と出会えてうれしかったです。「Mさん」、またよろしく〜☆

●なんだか慌ただしくて、ブログ更新がなかなかできません。遊びに来て頂いている皆様、ごめんなさい。お詫びの気持ちをこめて、今回はトルキスタンの味をご紹介!(↓ ウイグルの少女たち)

●JR南与野(さいたま市)から10分くらい歩いたところにある「シルクロード ムラト」は06年秋のオープン。ウイグルの家庭料理が美味しい!との噂を聞いて行ってきました。若いお客さんが多くて、店内は和気あいあいとした雰囲気。カウンター席から店主のエリさんの調理光景が見られるのもうれしいな。
●まずはウイグル名物の「ポロ」。羊肉入りのピラフに、ヨーグルトがついてきます。
●脂っこいかなあと少し心配していましたが、これが意外なほどあっさりとして食べやすい。ヨーグルトを混ぜて食べる食べ方が好きなので、さらに美味しく感じました。
●ちなみに、こちらはウズベキスタンのプロフ(人参と羊肉入りピラフ)です。先日、民放のテレビ番組でウズベキスタンをやっていて(「やってるよ〜」と電話で教えてもらいました)、プロフを朝ご飯に食べていましたが、ホントですか?お祝いやもてなしのときに食べると聞きましたが、、
●さて、ウイグルに戻って、、ワインはその名も「シルクロード」。嫌みのないいい感じのワインでした。ウイグルは葡萄で有名。ワインもイケますね。
●手前にあるのはウイグルのナン。じっくりこねた生地の真ん中を独特の用具でくぼませ、そのまわりをフォークなどで飾りをつけています。これがおいしさの秘密かも。焼きたてホカホカのナンは、、モチモチとしておいしい〜!
●ちなみに、こちらはウズベキスタンのナンです。大きくてずっしりと重い。バザールなどで味を競いながら売っています。
●調理場ではエリさんが麺作りをスタート。手際の良さに歓声をあげたあといただく「ラグメン」(ラムと野菜のトマト味炒め)は、また格別。からめて食べる麺のコシが最高です。
●感心したのは(調理場が見えて材料も明らかなので書いてもいいと思いますが)、日本のスーパーで売っている普通の小麦粉(最もポピュラーなもの)を使って、あれだけの味のナンや麺を作る腕です。
●私はグルメではなく、いわゆる「こだわり素材」などは、あまり気にしません。むしろ一般的な材料で、納得の味を作り上げる職人さんに共感します。エリさんに拍手!
●先日の新聞によると、地域を絞り込んだレストランが各地にできて人気を博しているそうです。(「ムラト」は、ここでも紹介されていました)。タイ南部・イサーン地方の辛い料理を出す店(東京・新大久保)、グルジアの家庭料理の店(東京・吉祥寺)、アゼルバイジャンの伝統料理の店(京都市)、韓国済州島料理(滋賀県)、予約限定ではあるけれどパレスチナ料理(川口市)、などなど。
●来日して居を構えた人が作った店、また世界各地に旅行した人がその地の料理に惚れ込んで作った店など、さまざま。いかにも日本の下町という風情の谷中の「夕焼けだんだん」には、かの「ざくろ」(イラン・トルコ料理)のカフェ(← 左にぶら下がっているのはドネルケバブ)もあります。
●多国籍風、無国籍風に変化していくなかで、日本の良さも、また深化・変化しながら魅力を増していくのでは、と私は思います。おいしいもの、きれいなもの、ばんざ〜い!

●JR南与野(さいたま市)から10分くらい歩いたところにある「シルクロード ムラト」は06年秋のオープン。ウイグルの家庭料理が美味しい!との噂を聞いて行ってきました。若いお客さんが多くて、店内は和気あいあいとした雰囲気。カウンター席から店主のエリさんの調理光景が見られるのもうれしいな。
●まずはウイグル名物の「ポロ」。羊肉入りのピラフに、ヨーグルトがついてきます。●脂っこいかなあと少し心配していましたが、これが意外なほどあっさりとして食べやすい。ヨーグルトを混ぜて食べる食べ方が好きなので、さらに美味しく感じました。
●ちなみに、こちらはウズベキスタンのプロフ(人参と羊肉入りピラフ)です。先日、民放のテレビ番組でウズベキスタンをやっていて(「やってるよ〜」と電話で教えてもらいました)、プロフを朝ご飯に食べていましたが、ホントですか?お祝いやもてなしのときに食べると聞きましたが、、
●さて、ウイグルに戻って、、ワインはその名も「シルクロード」。嫌みのないいい感じのワインでした。ウイグルは葡萄で有名。ワインもイケますね。
●手前にあるのはウイグルのナン。じっくりこねた生地の真ん中を独特の用具でくぼませ、そのまわりをフォークなどで飾りをつけています。これがおいしさの秘密かも。焼きたてホカホカのナンは、、モチモチとしておいしい〜!
●ちなみに、こちらはウズベキスタンのナンです。大きくてずっしりと重い。バザールなどで味を競いながら売っています。
●調理場ではエリさんが麺作りをスタート。手際の良さに歓声をあげたあといただく「ラグメン」(ラムと野菜のトマト味炒め)は、また格別。からめて食べる麺のコシが最高です。
●感心したのは(調理場が見えて材料も明らかなので書いてもいいと思いますが)、日本のスーパーで売っている普通の小麦粉(最もポピュラーなもの)を使って、あれだけの味のナンや麺を作る腕です。●私はグルメではなく、いわゆる「こだわり素材」などは、あまり気にしません。むしろ一般的な材料で、納得の味を作り上げる職人さんに共感します。エリさんに拍手!
●先日の新聞によると、地域を絞り込んだレストランが各地にできて人気を博しているそうです。(「ムラト」は、ここでも紹介されていました)。タイ南部・イサーン地方の辛い料理を出す店(東京・新大久保)、グルジアの家庭料理の店(東京・吉祥寺)、アゼルバイジャンの伝統料理の店(京都市)、韓国済州島料理(滋賀県)、予約限定ではあるけれどパレスチナ料理(川口市)、などなど。●来日して居を構えた人が作った店、また世界各地に旅行した人がその地の料理に惚れ込んで作った店など、さまざま。いかにも日本の下町という風情の谷中の「夕焼けだんだん」には、かの「ざくろ」(イラン・トルコ料理)のカフェ(← 左にぶら下がっているのはドネルケバブ)もあります。
●多国籍風、無国籍風に変化していくなかで、日本の良さも、また深化・変化しながら魅力を増していくのでは、と私は思います。おいしいもの、きれいなもの、ばんざ〜い!
●個人が発信するブログなどのパーソナルメディア、具体的で筆者の思い入れが伝わるものが多く、更新を楽しみに待っているものがいくつもあります。そのひとつが、カシュガルにお住まいの男性による「ウイグルの生活と文化」(エキサイトブログ)です。

(↑ ウイグルのバザール/トルファンにて/手前が干し杏かな?)
●コメントなどは受け付けていらっしゃらないのでブログ的交流はありませんが、ウイグル人の女性と結婚し現地で長く暮らしていらっしゃる方ならではの話題と内容を、あのあたりが大好きな私は興味津々で拝読しています。写真もガイドブックなどでは見ることのできないものが多く、とても貴重。
干し杏水&干し杏酒
●そんな「ウイグルの生活と文化」さん、今回は「ドーグゥ」という飲み物の話題でした。「ドーグゥ」に使われる氷は、凍結した池から切り出し氷室で貯蔵したものなのだとか。そんな土混じりの氷水のお話を楽しく読んでいると、最後の方に「ん?」と思う写真がありました。氷に関連した話題として、「干し杏で味付けした水売り」が紹介されていたのです。
●そうか!?と思いました。ウズベキスタンからお土産の干し杏、どうしようかとずっと置いていたものがあったのです。お酒を愛するTさんから、「焼酎に漬けると美味しいよ」と聞いたことも思い出し、さっそく「干し杏水」と「干し杏酒」製作実験をしてみました。

(↑ 「干し杏水」と「干し杏酒」(予定)。布はウズベキスタンのアトラス)
●ちなみに、健康関連の各種情報によると、干し杏というのは、「生果・乾果も合わせた果実のなかで、β-カロテンの量がいちばん多く、活性酸素の害を抑制することで、抗ガン、抗動脈硬化、抗細胞老化の効果が期待できる」ほか、書ききれないほどの効能が紹介されています。たしかにパキスタンのフンザなど、長寿で名高い土地には杏がたくさんありますもんね。

(↑ 杏の里、長寿の村、パキスタン・フンザの女性)
ウイグルの「チャイ」とウズベクの「ギャプ」
●もうひとつ、「ウイグルの生活と文化」さん、以前読んでいて興味深かったのが、「チャイ」と呼ばれる互助組織の記事です。「チャイ」という言葉は、お茶と意味すると同時に、「大きめの宴席に招待したりされたりする」ときの表現にも使われるそうです。
ウイグルの「チャイ」
●さらに、「日本の頼母子講に似た、「チャイ」 と称する親類縁者による親睦・相互扶助組織」があるそうです。内容は、「親類縁者女性同士の組織で、月に1度、当番の家や当番が予約したレストランに集まってする親睦会」とのこと。
●具体的なケースを読んでいて、あれ?と思いました。・・・「妻の 「チャイ」 メンバーは15人で、毎月1人170元(食事代20元を含む)を会費として納めて、当番がお金を受け取るとのことです。1月4日は妻の当番日で、食事代を差し引いた2000元(約3万円)ほどを受け取ったと言うか、満期になったため戻って来たようなものです」・・・
ウズベキスタンの「ギャプ」
●これと似た組織のこと、「ウズベキスタンの慣習経済」というテーマのセミナーで聞いたことがあります。(講師は、樋渡雅人さん/東京大学)。そのときのメモから、少しご紹介します。
---慣習経済とは、血縁や地縁等の社会的な結びつきや慣行などにより人々が相互に依存しあっている経済のことを言う。インフォーマルエコノミー、セカンドエコノミーなどの言葉もあるように、旧ソ連時代にも計画経済と並存して根付いていたものである。
---そのひとつの事例が「ギャプ」である。ギャプとは、定まった構成員が定期的に家に集まり、会食などを楽しむウズベキスタンの慣習。構成員は、マハラ(共同体)、同級生、親族、同業者など、何らかの接点に基づく。ホストはローテーションで回り、情報交換をしたり問題を討議したりする。また冠婚葬祭や緊急事態における互助単位としての側面も併せ持つ。
---ギャプには、「回転式貯蓄信用講」とでもいうべき経済的機能がある。定期的に構成員から定まった額のお金を徴収し、誰か一人にそれを自由に使わせるということを、全員が順番に回るまで繰り返す、という金融の仕組みがあるのである。これによって、多額の投資が可能になり、電化製品や絨毯など耐久消費財の購入が早まる。
---同種の接点を持つ同質のメンバーが選別され、共同利害によって結束するギャプは、メンバーの関係性を固定化、安定化する。ギャプにより地域のネットワークは重層化し、社会的相互作用は制度化、強化されていく。また、社会保障政策との補完性などからも注目される。

(↑ ウズベキスタンのバザールにて)
●ウイグルでは女性だけ、ウズベキスタンでは多様なグループという点は異なりますが、基本は同じ仕組みですよね。大きな買い物をするとき、親族や地域で都合しあっていたことがわかります。ほんと、日本の「頼母子講」ですね。このような共通項を発見すると、さらに親しみが増すように思います。

●コメントなどは受け付けていらっしゃらないのでブログ的交流はありませんが、ウイグル人の女性と結婚し現地で長く暮らしていらっしゃる方ならではの話題と内容を、あのあたりが大好きな私は興味津々で拝読しています。写真もガイドブックなどでは見ることのできないものが多く、とても貴重。
干し杏水&干し杏酒
●そんな「ウイグルの生活と文化」さん、今回は「ドーグゥ」という飲み物の話題でした。「ドーグゥ」に使われる氷は、凍結した池から切り出し氷室で貯蔵したものなのだとか。そんな土混じりの氷水のお話を楽しく読んでいると、最後の方に「ん?」と思う写真がありました。氷に関連した話題として、「干し杏で味付けした水売り」が紹介されていたのです。
●そうか!?と思いました。ウズベキスタンからお土産の干し杏、どうしようかとずっと置いていたものがあったのです。お酒を愛するTさんから、「焼酎に漬けると美味しいよ」と聞いたことも思い出し、さっそく「干し杏水」と「干し杏酒」製作実験をしてみました。

●ちなみに、健康関連の各種情報によると、干し杏というのは、「生果・乾果も合わせた果実のなかで、β-カロテンの量がいちばん多く、活性酸素の害を抑制することで、抗ガン、抗動脈硬化、抗細胞老化の効果が期待できる」ほか、書ききれないほどの効能が紹介されています。たしかにパキスタンのフンザなど、長寿で名高い土地には杏がたくさんありますもんね。

ウイグルの「チャイ」とウズベクの「ギャプ」
●もうひとつ、「ウイグルの生活と文化」さん、以前読んでいて興味深かったのが、「チャイ」と呼ばれる互助組織の記事です。「チャイ」という言葉は、お茶と意味すると同時に、「大きめの宴席に招待したりされたりする」ときの表現にも使われるそうです。
ウイグルの「チャイ」
●さらに、「日本の頼母子講に似た、「チャイ」 と称する親類縁者による親睦・相互扶助組織」があるそうです。内容は、「親類縁者女性同士の組織で、月に1度、当番の家や当番が予約したレストランに集まってする親睦会」とのこと。
●具体的なケースを読んでいて、あれ?と思いました。・・・「妻の 「チャイ」 メンバーは15人で、毎月1人170元(食事代20元を含む)を会費として納めて、当番がお金を受け取るとのことです。1月4日は妻の当番日で、食事代を差し引いた2000元(約3万円)ほどを受け取ったと言うか、満期になったため戻って来たようなものです」・・・
ウズベキスタンの「ギャプ」
●これと似た組織のこと、「ウズベキスタンの慣習経済」というテーマのセミナーで聞いたことがあります。(講師は、樋渡雅人さん/東京大学)。そのときのメモから、少しご紹介します。
---慣習経済とは、血縁や地縁等の社会的な結びつきや慣行などにより人々が相互に依存しあっている経済のことを言う。インフォーマルエコノミー、セカンドエコノミーなどの言葉もあるように、旧ソ連時代にも計画経済と並存して根付いていたものである。
---そのひとつの事例が「ギャプ」である。ギャプとは、定まった構成員が定期的に家に集まり、会食などを楽しむウズベキスタンの慣習。構成員は、マハラ(共同体)、同級生、親族、同業者など、何らかの接点に基づく。ホストはローテーションで回り、情報交換をしたり問題を討議したりする。また冠婚葬祭や緊急事態における互助単位としての側面も併せ持つ。
---ギャプには、「回転式貯蓄信用講」とでもいうべき経済的機能がある。定期的に構成員から定まった額のお金を徴収し、誰か一人にそれを自由に使わせるということを、全員が順番に回るまで繰り返す、という金融の仕組みがあるのである。これによって、多額の投資が可能になり、電化製品や絨毯など耐久消費財の購入が早まる。
---同種の接点を持つ同質のメンバーが選別され、共同利害によって結束するギャプは、メンバーの関係性を固定化、安定化する。ギャプにより地域のネットワークは重層化し、社会的相互作用は制度化、強化されていく。また、社会保障政策との補完性などからも注目される。

●ウイグルでは女性だけ、ウズベキスタンでは多様なグループという点は異なりますが、基本は同じ仕組みですよね。大きな買い物をするとき、親族や地域で都合しあっていたことがわかります。ほんと、日本の「頼母子講」ですね。このような共通項を発見すると、さらに親しみが増すように思います。
●今回は「中東・西アジア都市周遊」講座から、カーブルとアフガニスタンについて少し書きたいと思いますが、その前にいくつかトピックを。ティーマサラ、巣ごと蜂蜜、サマルカンドブルーの陶芸の3つです。

ティーマサラ
●前回のチャイ調査?で「ティーマサラを持参して」うんぬんと書いたところ、日本でティーマサラは手に入るのかというメールを何通かいただきました。売っています。知っているところでは、「LUPICIA」という紅茶専門店(通販もあり)。インド雑貨店でも見たことがあります。ご興味のある方は検索してみられるのもいいかもしれません。
●私はなぜか手元に妙にマサラがあります。どこでどうやって買ったかも忘れました。インドに行く人にお土産に頼むのもいいかもしれませんね。または、カルダモンやシナモン、ジンジャーなど、日本で買いやすい好みのスパイスをミックスしてもいいのでは?手軽です。
巣ごと蜂蜜

●イランで買った巣ごとの蜂蜜をどうやって食べるかについての苦闘の歴史と実験について、以前書きました。熱することで解決、でしたが、先日、日本で見つけたのです。富士山麓の巣ごと蜂蜜を。200グラム1575円。販売の方に聞いてみると、「巣は残りますね。トーストにしても巣は残ってしまいます」とのこと。
●私は実験後、適量を取り巣ごとレンジにかけて溶けた部分だけを使用するようにしています。でも日本の値段だと微妙ですね。それなら蜂蜜を買ったほうが手軽ということになってしまいます。ただ、巣のものの方が味が濃いように思いますので、好みによるということでしょうか。
サマルカンドブルーの陶芸
●先日、イラン人陶芸家・ティムアさんと芸大の仲間たちとの展覧会を表参道で見たあと、向かったのは日本橋三越のギャラリー。石川県九谷の陶芸家・武腰一憲さんの作陶展です(会期は6日から12日まで)。「天空のサマルカンドブルー」と題された展覧会。その作品は、中央アジアとやきものが好きな私には衝撃的でした。

●サマルカンドの青というと、煌めくようなコバルトブルーとターコイズブルーを思い浮かべますが、武腰さんの青は、渋みと深みのある薄紺とでもいうような青。日本の青だと思いました。そんな青をベースに白を鮮烈に配し、剛直と繊細が同居したようなキリッとした線が形作る花器や陶額には、厳しいまでの美しさがありました。
●でも、そこに遊び心のあるモチーフが加わることで、器は軽やかさと物語性に包まれます。そのモチーフとは、私の愛する中央アジアの人々や生き物の姿であり、イスラムの幾何学模様でした。日本とシルクロードを美しく融合する武腰さんの感性と匠の技に感動しました。
都市周遊・カーブル
●トピックに続いては、「中東・西アジア都市周遊」講座(国際交流基金)より、「カーブル アフガニスタンを背負う街、アフガニスタンならざる街」(八尾師誠さん・東京外国語大学)です。
●まず、都市の名前について。日本の報道機関は「カブール」という呼称を用いていますが、現地語であるダリー語のアラビア文字表記は「کابل」(kābul)) 。発音は「カーブル」または「カーボル」なのだそうです。欧米での用いられ方(報道や地図)がカブールだったことから、日本ではそれを導入したという、ありそうな話。以前、京大のH先生がある報道機関に投書して正したところ、答えは「昔からこうなっているので変えられない」だったとか。私は今後、「カーブル」と記すことにします。

●「リグ・ヴェーダ」にも登場し、アレキサンダーが通過したとされるカーブル。古い街なんですね。8世紀頃からイスラム時代に入り、様々な王朝が支配・争奪・係争する土地として複雑な歴史があるようです。タイル好きとしては、ジャムのミナレット(1179)(↑は全景)(↓は壁面のタイル装飾)が建設された12世紀のゴール朝が気になります。また、インド・ムガル朝を建国したバーブルが愛した街としての印象が強くあります。

●地形や歴史など先生のお話に引き込まれたのですが、驚いたのはカーブルの人口の推移。1988年の推計1424000人から、1994年には推計700000人に半減しているのです。クーデターやソ連やアメリカの侵攻など戦火の絶えない現代の歴史のなかでも、ムジャヒディーンの時代の混乱というのがいかにひどかったかがわかります。
●以前、「在りし日のカブール博物館」というドキュメンタリー映画を見たことがありますが、博物館が無惨に破壊され貴重な収蔵品が略奪されたのもこの時代(93年)。現在は人口300〜400万人に増加しており、博物館にも収蔵品が戻ってきているようです。
●私の最終目的地アフガニスタン。ヘラートやマザリシャリフのタイルを見に行きたい。深刻な課題が多いのに軽いことを言うのは不謹慎かもしれませんが、きれいなものを見に行けるようになる日が一日も早く来ることを願っています。
*写真は、上から順に、「インド・カングラのお茶畑にて」、「富士の蜂蜜」「武腰一憲作陶展パンフレットより引用」、「ジャムのミナレット〜『COLOUR AND SYMBOLIZM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』より引用」、「同タイル装飾〜同」

ティーマサラ
●前回のチャイ調査?で「ティーマサラを持参して」うんぬんと書いたところ、日本でティーマサラは手に入るのかというメールを何通かいただきました。売っています。知っているところでは、「LUPICIA」という紅茶専門店(通販もあり)。インド雑貨店でも見たことがあります。ご興味のある方は検索してみられるのもいいかもしれません。
●私はなぜか手元に妙にマサラがあります。どこでどうやって買ったかも忘れました。インドに行く人にお土産に頼むのもいいかもしれませんね。または、カルダモンやシナモン、ジンジャーなど、日本で買いやすい好みのスパイスをミックスしてもいいのでは?手軽です。
巣ごと蜂蜜

●イランで買った巣ごとの蜂蜜をどうやって食べるかについての苦闘の歴史と実験について、以前書きました。熱することで解決、でしたが、先日、日本で見つけたのです。富士山麓の巣ごと蜂蜜を。200グラム1575円。販売の方に聞いてみると、「巣は残りますね。トーストにしても巣は残ってしまいます」とのこと。
●私は実験後、適量を取り巣ごとレンジにかけて溶けた部分だけを使用するようにしています。でも日本の値段だと微妙ですね。それなら蜂蜜を買ったほうが手軽ということになってしまいます。ただ、巣のものの方が味が濃いように思いますので、好みによるということでしょうか。
サマルカンドブルーの陶芸
●先日、イラン人陶芸家・ティムアさんと芸大の仲間たちとの展覧会を表参道で見たあと、向かったのは日本橋三越のギャラリー。石川県九谷の陶芸家・武腰一憲さんの作陶展です(会期は6日から12日まで)。「天空のサマルカンドブルー」と題された展覧会。その作品は、中央アジアとやきものが好きな私には衝撃的でした。

●サマルカンドの青というと、煌めくようなコバルトブルーとターコイズブルーを思い浮かべますが、武腰さんの青は、渋みと深みのある薄紺とでもいうような青。日本の青だと思いました。そんな青をベースに白を鮮烈に配し、剛直と繊細が同居したようなキリッとした線が形作る花器や陶額には、厳しいまでの美しさがありました。
●でも、そこに遊び心のあるモチーフが加わることで、器は軽やかさと物語性に包まれます。そのモチーフとは、私の愛する中央アジアの人々や生き物の姿であり、イスラムの幾何学模様でした。日本とシルクロードを美しく融合する武腰さんの感性と匠の技に感動しました。
都市周遊・カーブル
●トピックに続いては、「中東・西アジア都市周遊」講座(国際交流基金)より、「カーブル アフガニスタンを背負う街、アフガニスタンならざる街」(八尾師誠さん・東京外国語大学)です。
●まず、都市の名前について。日本の報道機関は「カブール」という呼称を用いていますが、現地語であるダリー語のアラビア文字表記は「کابل」(kābul)) 。発音は「カーブル」または「カーボル」なのだそうです。欧米での用いられ方(報道や地図)がカブールだったことから、日本ではそれを導入したという、ありそうな話。以前、京大のH先生がある報道機関に投書して正したところ、答えは「昔からこうなっているので変えられない」だったとか。私は今後、「カーブル」と記すことにします。

●「リグ・ヴェーダ」にも登場し、アレキサンダーが通過したとされるカーブル。古い街なんですね。8世紀頃からイスラム時代に入り、様々な王朝が支配・争奪・係争する土地として複雑な歴史があるようです。タイル好きとしては、ジャムのミナレット(1179)(↑は全景)(↓は壁面のタイル装飾)が建設された12世紀のゴール朝が気になります。また、インド・ムガル朝を建国したバーブルが愛した街としての印象が強くあります。

●地形や歴史など先生のお話に引き込まれたのですが、驚いたのはカーブルの人口の推移。1988年の推計1424000人から、1994年には推計700000人に半減しているのです。クーデターやソ連やアメリカの侵攻など戦火の絶えない現代の歴史のなかでも、ムジャヒディーンの時代の混乱というのがいかにひどかったかがわかります。
●以前、「在りし日のカブール博物館」というドキュメンタリー映画を見たことがありますが、博物館が無惨に破壊され貴重な収蔵品が略奪されたのもこの時代(93年)。現在は人口300〜400万人に増加しており、博物館にも収蔵品が戻ってきているようです。
●私の最終目的地アフガニスタン。ヘラートやマザリシャリフのタイルを見に行きたい。深刻な課題が多いのに軽いことを言うのは不謹慎かもしれませんが、きれいなものを見に行けるようになる日が一日も早く来ることを願っています。
*写真は、上から順に、「インド・カングラのお茶畑にて」、「富士の蜂蜜」「武腰一憲作陶展パンフレットより引用」、「ジャムのミナレット〜『COLOUR AND SYMBOLIZM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』より引用」、「同タイル装飾〜同」
●いつ頃から、何がきっかけで、アフガニスタンが気になり始めたのか、よく覚えていません。やはりタイルだったのかもしれないし、仏教美術が先だったかもしれません。けれども聞こえてくるアフガン関連の情報は争いのことばかりでした。そのうちに911が起き、アフガン空爆が始まり、長い争いや戦争で荒廃した町や村がテレビに映し出されました。

●そんななかでも、いや、こうなるずっと以前から、アフガニスタンで地道な活動を続けているのがペシャワール会の中村哲さんとその仲間たちです。
●中村さんの講演を聞いたこともありますが、静かな話し方の中に強い意志があり、小柄な体にはエネルギーがみなぎっていました。現在は医療活動の他にも、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」という問題意識で、用水路建設を自らおこなっています。
●送って頂く「ペシャワール会報」の楽しみのひとつは、表紙の甲斐大策さんの絵。最初は暗くて重い、と少し敬遠していたのですが、見るほどに引き込まれるようになりました。モノクロなのにアフガンの光を感じます。

●アフガニスタン文化研究所の研究会にも一度おじゃましました。所長の前田耕作先生のバーミヤン発掘調査のお話でした。前田先生のトークは「話術」と言ってもいいくらい、人を引き込む魅力があります。会員の皆さんも熱心で、文化を通しての交流を心強く感じました。
●ニュースレターの表紙は「花咲くアフガニスタン」でした。4月のバーミヤンには杏や林檎、ジャガイモの白い花、菜の花などが咲き揃うそうです。バーミヤンにはかって巨木が繁茂していたといいます。そんなバーミヤンには緑化の計画もあるそうです。
●海外のタイルの専門書や写真集には、アフガニスタンのものがかなり載っています。土色のレンガに蒼のタイルが映えて、心惹かれるものばかりです。
●アフガニスタンのヘラートはタイル装飾の頂点であるティムール朝の都だったのですから、タイルが素晴らしいのは当然でしょう。
●しかし日本では、アフガニスタンがタイルの文脈で語られることは、まずありません。残念なことです。絶対に見たいという思いが高まっています。でも、もう願いがかなわないものもあるようです。

●KOHSANにある“ MAUSOLEM OF TOMAN AGHA ”(1441)。タイルは少ししか残っていませんが、ドームが見事です。けれどもソ連の爆撃によって1984年にドームを完全に失いました。その直前に撮られた最後の写真です(↑)。
●この他、本で見る限り、へラートのモスクのタイル装飾は、同時代のイラン・タブリーズ・ブルーモスク(トルクメン系王朝)の流麗さと比較すると、たしかに「知的で抑制的」に見えます。このあたりの比較にも徐々にチャレンジしていきたいと思います。そしていつか、実際に自分の目で見たい!
* 3点目の写真は『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』 より引用。

●中村さんの講演を聞いたこともありますが、静かな話し方の中に強い意志があり、小柄な体にはエネルギーがみなぎっていました。現在は医療活動の他にも、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」という問題意識で、用水路建設を自らおこなっています。
●送って頂く「ペシャワール会報」の楽しみのひとつは、表紙の甲斐大策さんの絵。最初は暗くて重い、と少し敬遠していたのですが、見るほどに引き込まれるようになりました。モノクロなのにアフガンの光を感じます。

●アフガニスタン文化研究所の研究会にも一度おじゃましました。所長の前田耕作先生のバーミヤン発掘調査のお話でした。前田先生のトークは「話術」と言ってもいいくらい、人を引き込む魅力があります。会員の皆さんも熱心で、文化を通しての交流を心強く感じました。
●ニュースレターの表紙は「花咲くアフガニスタン」でした。4月のバーミヤンには杏や林檎、ジャガイモの白い花、菜の花などが咲き揃うそうです。バーミヤンにはかって巨木が繁茂していたといいます。そんなバーミヤンには緑化の計画もあるそうです。
●海外のタイルの専門書や写真集には、アフガニスタンのものがかなり載っています。土色のレンガに蒼のタイルが映えて、心惹かれるものばかりです。
●アフガニスタンのヘラートはタイル装飾の頂点であるティムール朝の都だったのですから、タイルが素晴らしいのは当然でしょう。
●しかし日本では、アフガニスタンがタイルの文脈で語られることは、まずありません。残念なことです。絶対に見たいという思いが高まっています。でも、もう願いがかなわないものもあるようです。

●KOHSANにある“ MAUSOLEM OF TOMAN AGHA ”(1441)。タイルは少ししか残っていませんが、ドームが見事です。けれどもソ連の爆撃によって1984年にドームを完全に失いました。その直前に撮られた最後の写真です(↑)。
●この他、本で見る限り、へラートのモスクのタイル装飾は、同時代のイラン・タブリーズ・ブルーモスク(トルクメン系王朝)の流麗さと比較すると、たしかに「知的で抑制的」に見えます。このあたりの比較にも徐々にチャレンジしていきたいと思います。そしていつか、実際に自分の目で見たい!
* 3点目の写真は『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』 より引用。
●時代や地域が違えば、平均寿命も自立年齢も違ってきます。堺屋太一さんが年齢観について面白い考えを書いています。常々、現代の読者が歴史を実感できるような年齢換算が必要と考えていた堺屋さん、16世紀後半の日本戦国時代について、次のような換算をするようになったそうです。「当時の年齢を1.2倍して3を足したぐらいが、現代の私たちの年齢観にふさわしい」。
●たとえば、織田信長は49歳で死去しましたが、堺屋流で換算すると62歳。長寿国日本の現在の49歳で考えると若すぎてピンときませんが、62歳ならば「現役社長バリバリの年齢での無念の死」と実感がわいてきます。
●またチンギス・ハンが生きた12世紀の草原を今の日本に置き換えると「当時の年齢×1.25+5」。たとえば15歳のテムジンは24歳ちょっとで、海外留学から帰ってきたくらい、とのこと。何回か前に書いた13歳の少年の早熟についても「ああ、20歳過ぎか」と考える方が、「中学1年生がそんなこと言うの!?」と驚いているより近いかも!?

●歴史をさかのぼらなくても、現代でもところ違えば、平均寿命が50歳代の国も、子供たちがチンギス・ハン並みに大人びている国もあります。以前、「アフガニスタン、明日へつなぐアーティストたち」という展覧会を見たことがあります(国際交流基金、2003年)。そして、その絵画の“成熟度”に息をのみました。
●絵を描いたのは、アフガニスタンの路上で働く10代の少年少女(2002年当時、以下同様)。彼らは靴磨きをしたり鉄くずを拾い集めて駄賃を稼いでいました。当時のカブールでは6万人もの子供たちが、こうして働いていたそうです。
●そんな彼らに読み書きなどを教えるNGO「アシアナ」は、絵画や工芸などの職業訓練もおこなっていました。
●街角や大自然、文化遺産など、テーマは様々ですが、構成、観察力、表現力など、とても10代なかばの子供たちの作品とは思えない。描く環境も描く道具も、ぞんぶんに豊かとは言えないでしょう。にもかかわらず、“老成”とも言えるような作品世界。驚きました。
●アフガニスタンの人たちは、もともとの美的センスがいいんだ!と感心しましたが、反面、子供たちがこれまでに見てきたものの濃さ、深さに思いが及び、すこし重い気持ちになりました。
●ある16歳の少年は、習得した技術を生かして夜は看板職人として働いているそうです。16歳にして収入に結びつく技術を持てるのはえらい!!と思うと同時に、16歳・・のびのびと好きなものも描きたいのでは?などと、ぬるま湯日本の発想をしてしまいました、、。
*写真はすべて、「アフガニスタン、明日へつなぐアーティストたち」(国際交流基金)パンフレットより引用させていただきました(作者が作品を持つ写真3枚は、内藤たけしさん撮影です)。
●たとえば、織田信長は49歳で死去しましたが、堺屋流で換算すると62歳。長寿国日本の現在の49歳で考えると若すぎてピンときませんが、62歳ならば「現役社長バリバリの年齢での無念の死」と実感がわいてきます。
●またチンギス・ハンが生きた12世紀の草原を今の日本に置き換えると「当時の年齢×1.25+5」。たとえば15歳のテムジンは24歳ちょっとで、海外留学から帰ってきたくらい、とのこと。何回か前に書いた13歳の少年の早熟についても「ああ、20歳過ぎか」と考える方が、「中学1年生がそんなこと言うの!?」と驚いているより近いかも!?

●歴史をさかのぼらなくても、現代でもところ違えば、平均寿命が50歳代の国も、子供たちがチンギス・ハン並みに大人びている国もあります。以前、「アフガニスタン、明日へつなぐアーティストたち」という展覧会を見たことがあります(国際交流基金、2003年)。そして、その絵画の“成熟度”に息をのみました。
●絵を描いたのは、アフガニスタンの路上で働く10代の少年少女(2002年当時、以下同様)。彼らは靴磨きをしたり鉄くずを拾い集めて駄賃を稼いでいました。当時のカブールでは6万人もの子供たちが、こうして働いていたそうです。
●そんな彼らに読み書きなどを教えるNGO「アシアナ」は、絵画や工芸などの職業訓練もおこなっていました。●街角や大自然、文化遺産など、テーマは様々ですが、構成、観察力、表現力など、とても10代なかばの子供たちの作品とは思えない。描く環境も描く道具も、ぞんぶんに豊かとは言えないでしょう。にもかかわらず、“老成”とも言えるような作品世界。驚きました。
●アフガニスタンの人たちは、もともとの美的センスがいいんだ!と感心しましたが、反面、子供たちがこれまでに見てきたものの濃さ、深さに思いが及び、すこし重い気持ちになりました。●ある16歳の少年は、習得した技術を生かして夜は看板職人として働いているそうです。16歳にして収入に結びつく技術を持てるのはえらい!!と思うと同時に、16歳・・のびのびと好きなものも描きたいのでは?などと、ぬるま湯日本の発想をしてしまいました、、。
*写真はすべて、「アフガニスタン、明日へつなぐアーティストたち」(国際交流基金)パンフレットより引用させていただきました(作者が作品を持つ写真3枚は、内藤たけしさん撮影です)。
●アフガニスタンに行ってきました?! 大田区池上で開催された「アフガニスタン映画祭」。2時過ぎから9時まで、なんとアフガニスタン映画9本、うち1本はオムニバス、4本はドキュメンタリーというヘビーさ。プラス1時間のシンポジウムで、7時間まるごとアフガニスタン!

●映画は、60年代のものからタリバン政権崩壊後に作られたもの。どれもずっしりと重く、近年から現在のアフガンを表現している。例えば・・・『シャブナム」=両親と家をなくしたが孤児院も満員で入れてもらえない少女、両親の墓に一個のリンゴを半分に割って乗せるシーンから始まる。
●『サクリファイス」=母親が残してくれたヤギを病気の弟のために生け贄に差し出さなければならない、宗教指導者が頑固。
●『石打ち刑」=悲惨このうえない。村のヤクザに暴行された未亡人が出産、石打ち刑を言い渡される、その上ヤクザは彼女の13歳の妹と無理やり結婚する。
●『ストレンジャー」=田舎で仲睦まじく暮らす夫婦、地主が外人の客人に聴かせるために歌のうまい妻に無理やり歌わせたことから悲劇が。
●もっとも迫力があったのは、ドキュメンタリーの『パミールの大地」。高度3500〜4500mというパミール高原に住む人たちの暮らしや伝統を、今年の選挙前の時期に取材。アフガンのクルーでさえ初めて撮影に入った地域であり、大変貴重な映像。季節外れの大雪の投票日、村の人は選挙を楽しんでいたが、雪のためか女性の投票率は2%と低かった。

●長時間、重い映画を見続けたわけだが、けっして苦痛ではなかった。いずれもときには命を張って真摯に作られており、伝えたいものがずっしりとくる。アフガニスタンの自然や住まいなども垣間みられた。見る機会が持てたことに感謝している。
●タリバン政権崩壊後、映画製作は大変活発になっているという。機材はソニーなどの小型デジタルビデオを使用し、Macなどで編集。フィルムと比べて制作費が半分から3分の1になり、このようなデジタル化が活発な映画製作の背景にあるようだ。また、映画は読み書きのできない子供などの教育にも役立っており、ユネスコなどの支援で多数製作されているという。

●印象的だったのは、ゲストで映画制作者であるアフガン・フィルムのラティフさんの、「映画は希望だ」という言葉。多くの製作者が国外に逃れていた時代を思うと、映画を作れること自体が喜びであり、メッセージを伝えられること、受け取れることが希望なのだ。
●絶望的な内容の映画であっても、自由を求める気持ち、生命を愛おしむ気持ちが、迷いなく強く伝わる。エンタテイメントな映画とはまた違う、映画を見る喜びがあると思った。
*写真はパンフレットより引用

●映画は、60年代のものからタリバン政権崩壊後に作られたもの。どれもずっしりと重く、近年から現在のアフガンを表現している。例えば・・・『シャブナム」=両親と家をなくしたが孤児院も満員で入れてもらえない少女、両親の墓に一個のリンゴを半分に割って乗せるシーンから始まる。
●『サクリファイス」=母親が残してくれたヤギを病気の弟のために生け贄に差し出さなければならない、宗教指導者が頑固。
●『石打ち刑」=悲惨このうえない。村のヤクザに暴行された未亡人が出産、石打ち刑を言い渡される、その上ヤクザは彼女の13歳の妹と無理やり結婚する。
●『ストレンジャー」=田舎で仲睦まじく暮らす夫婦、地主が外人の客人に聴かせるために歌のうまい妻に無理やり歌わせたことから悲劇が。
●もっとも迫力があったのは、ドキュメンタリーの『パミールの大地」。高度3500〜4500mというパミール高原に住む人たちの暮らしや伝統を、今年の選挙前の時期に取材。アフガンのクルーでさえ初めて撮影に入った地域であり、大変貴重な映像。季節外れの大雪の投票日、村の人は選挙を楽しんでいたが、雪のためか女性の投票率は2%と低かった。

●長時間、重い映画を見続けたわけだが、けっして苦痛ではなかった。いずれもときには命を張って真摯に作られており、伝えたいものがずっしりとくる。アフガニスタンの自然や住まいなども垣間みられた。見る機会が持てたことに感謝している。
●タリバン政権崩壊後、映画製作は大変活発になっているという。機材はソニーなどの小型デジタルビデオを使用し、Macなどで編集。フィルムと比べて制作費が半分から3分の1になり、このようなデジタル化が活発な映画製作の背景にあるようだ。また、映画は読み書きのできない子供などの教育にも役立っており、ユネスコなどの支援で多数製作されているという。

●印象的だったのは、ゲストで映画制作者であるアフガン・フィルムのラティフさんの、「映画は希望だ」という言葉。多くの製作者が国外に逃れていた時代を思うと、映画を作れること自体が喜びであり、メッセージを伝えられること、受け取れることが希望なのだ。
●絶望的な内容の映画であっても、自由を求める気持ち、生命を愛おしむ気持ちが、迷いなく強く伝わる。エンタテイメントな映画とはまた違う、映画を見る喜びがあると思った。
*写真はパンフレットより引用
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