カテゴリ:中東/西アジア
- 「パレスチナの刺繍」を囲んで[ 2009-01-21 22:35 ]
- ”ジャナワール”のいる湖、そしてクルドの村の暮らし[ 2008-02-14 12:46 ]
- みんながハッピー♪ 「ワクフ」に生きるイスラムの知恵[ 2007-02-10 23:35 ]
- イランの蜂蜜、その後。試行錯誤&実験結果![ 2007-02-02 16:10 ]
- キャンドバン村 写真が少ないわけは!?[ 2007-01-21 01:39 ]
- イスタンブールに飛びたくなる! 熱くてクールな音楽シーン[ 2007-01-13 12:24 ]
- 絵付けタイル華やかなトルコ、「拡大EUのフロンティア」?[ 2006-11-14 00:00 ]
- 細密画師の幸福の闇 無限の空白の頁[ 2006-09-24 13:48 ]
- 手が記憶だけで描く。黒羊朝細密画師アリの物語[ 2006-09-21 01:39 ]
- 世界4大料理!? レバノン料理はヘルシー&洗練[ 2006-07-31 03:05 ]
◆ オバマ大統領就任演説 対イスラム外交 ◆
●深夜、オバマ大統領の就任式を見ました。人々の熱気、、圧倒されました。オバマさんの就任演説は、ぜひ彼の言葉で聞きたいと思ったので英語で聞いていましたが、私にはむつかしい単語が多くわからない部分が大半。でも、自らの揺るぎない決意、責任と、一人一人への決意、行動への呼びかけ、その確固とした方向性、ヴィジョンの強さは感じることができました。

(ガザの暮らしの安定と平和を願って(1)/イスラムの美意識。幾何学の端正で精緻なモザイクタイル/アフマド・ヤサヴィー廟/orientlibrary)
●すでに新聞やネット等で、演説全文が紹介されています。その中から、イスラム世界と関わりのあるパートを抜き出してみます。(日本語=朝日新聞/英語=PBS)
*「イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。紛争の種をまき、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい」(To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West - know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. )
*「腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。そして、握りしめたそのこぶしを開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ」(To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history; but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.)
*「私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。また古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う」(We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lessen the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet. )
●ガザ、パレスチナについては触れられていません。アフガニスタンの平和構築の具体的な方策が気になります。けれどもブッシュ政権のような傲慢きわまりない高圧的な敵対姿勢とは異なる理解と寛容が垣間みられ、平静に聞くことができました、、

(ガザの暮らしの安定と平和を願って(2)/鳥のさえずり。バングラディシュのカンタ刺繍/望月真理さんのコレクションより)
◆ パレスチナの民族衣装 ◆
●そのパレスチナですが、文化的側面については多くを知りません。けれどもきれいな刺繍の民族衣装は見たことがあります。『西アジア・中央アジアの民族服飾 〜イスラームのヴェールのもとに〜』(文化学園服飾博物館/文化出版局)で調べてみました。すると、、「女性の衣装には地方ごとの特色があったが、1948年のイスラエル建国以来、次第に失われていく」との説明。そうですか、、。

●「1948年のイスラエル建国により、パレスチナの人々は今までの生活から離れて難民生活を余儀なくされる人も多く、民族衣装を作るために必要な材料や、針仕事にたずさわる時間が大きく制限されるようになった。こうして地域ごとに受け継がれてきたドレスのモチーフや技術は簡略化された」という文章がありました。(「文化学園服飾博物館所蔵資料と現代の西アジア・中央アジアの服飾」/村上佳代さん)。以下、同様に、同論考より引用(一部要旨)させて頂きます。
●「パレスチナの民族衣装では、胸部分に施される刺繍はそれぞれの地域で異なり、意味を持つものであった。刺繍は真綿糸(絹糸)や綿糸を用い、主にクロスステッチにより整然とした幾何学模様を施した。しかし1950年代以降のドレスの刺繍は、モチーフに地域性がなくなり、地を埋め尽くすような精緻なクロス・ステッチも見られなくなったりと、概して華やかさや重厚さは失われた」
●「クロス・ステッチは“×”を連続させていくのではなく、まず一方に長い糸をわたし、対角に短い糸を何本かわたしてクロス・ステッチに見せる方法に簡略化された。ドレスの生地は手織りの綿や亜麻に代わって、化学繊維が用いられるようになったため、折り目を数えて整然と文様を刺すことができなくなったことが、上記のように美しいクロス・ステッチが衰退した要因のひとつであろう」
●「刺繍はミシンによるものも見られ、厳かに輝いた金糸や銀糸も、さまざまな色のビニール・モール糸に取って代わられた。見頃のカッティングも、かつては前後、両脇と少なくとも4枚の布を用いて仕立てていたが、1980年代になると前後の見頃を脇で縫い合わせて両脇裾にスリットをいれただけの簡単な形に省略され、現在では同じ形のものが大量生産されるようになった」

(『西アジア・中央アジアの民族服飾 〜イスラームのヴェールのもとに〜』/文化学園服飾博物館/文化出版局より引用/「ガザ地方〜晴れ着と日常着/地中海に面し、メジュデルが織物の名産地である。婚約が決まると結婚式や結婚後に着る民族衣装を何枚も準備する。上質な生地に華やかな装飾のものを晴れ着、簡素な装飾のものを日常着とする」)

(『西アジア・中央アジアの民族服飾 〜イスラームのヴェールのもとに〜』/文化学園服飾博物館/文化出版局より引用/「ラーム・アッラ〜白地に赤糸刺繍」)
●占領や封鎖という非常事態が長く続き、生活だけで精一杯ななかで、伝統の技術を継承していくことには大きな困難がともなうことでしょう。そんななかで、日本のNGOが伝統的手仕事の刺繍製品の生産から販売をサポートしています。深みのある色合いや独特の模様が魅力です。イベントなどで見かけたら、手にとってみてください。
◆ ガザからイスラエル軍撤退も、周辺に待機 ◆
●日本パレスチナ医療協会・メルマガの「ニュース速報(090120)」より。・・・「ガザ地区の凄まじい破壊の状況が報道されはじめました。同地区のインフラのなかには、欧米、日本などの資金・技術協力で建設された施設も少なくありません。停戦宣言直後にイスラエルを訪問したEU諸国の6首脳は、せめて、「イスラエルが破壊したものを補償せよ」くらいは言ったのでしょうか。占領地住民のケアは、占領国の責任です。その資金を海外に支出させておいて、壊すだけ壊す。こんなことが白昼堂々とおこなわれているのに、国際社会は気に止めている様子もない。変だと思いませんか?」
● 同(090120)より (1/20 BBC)
* 12月27日から3週間余にわたったガザ攻撃の被害について、国連のジョン・ホルムズ事務次長は、ニューヨークの国連本部で記者会見、上水道システムの破壊で住民40万人への給水が止まっていることなど、概略を説明した。
* ホルムズ氏によると、19日、10万人分の上水道が復旧したが、依然、40万人分が断水、電力供給は、一日平均12時間以下、10万人が難民化しているという。損壊した国連施設は50、医療施設は21になる。
* 記者団の質問に、事務次長は、住民が緊急に要する救済資金は数億ドル、ガザ地区全体の復興には数十億ドル必要だろうと応えた。
* 一方、自治政府のパレスチナ統計局は、住宅4100棟が全壊、さらに17000棟が損壊、また、工場や作業場1500、モスク20、治安施設31、さらに上下水道管10箇所が破壊されたとしている。統計局の推計では、損害総額は19億ドル、うちインフラの被害は2億ドルに及ぶという。
* ガザ市で取材中のBBC記者は、住民たちは、ガレキの下に埋もれた肉親や友人の死体を捜しながら、世界がこの暴力を止めるのに十分なことをしなかったと怒っている、とつたえた。
* パレスチナの医療筋によると、少なくともパレスチナ人1300人が殺され、うち3分の1が子ども、また負傷者は5500人にのぼる。UNRWAのガザ事務所によると、子どもたちの多くは、砲弾や爆弾の破片を無数に浴び、きわめて重傷だという 。
●同(090121)より (1/21 BBC)
* イスラエル軍の報道官によると、軍は21日早朝までにガザ地区全域から撤退した。「しかし、わが軍はガザ地区周辺全域に部隊を待機させ、即応態勢をつづける」と報道官は語った。この発表は、オバマ大統領就任式開始(アメリカ東部時間20日正午)の13時間後。

(ガザの暮らしの安定と平和を願って(3)/ガザ応援団。中央部の4点、青の刺繍ポシェット、陶器が真ん中にある時計、エルサレムの写真と刺繍のフレーム、丸くて小さいらくだがパレスチナのもの。そのまわりを世界のいろんなものが囲む。日本のお守り=厄よけ、チベットの法具、ウズじいちゃんズ、イランの太陽タイル、ヒンドウーの神様、などなど。何にもできない私、、ガザの皆さん、世界が見守っています!と言いたかったのですが、、)
●深夜、オバマ大統領の就任式を見ました。人々の熱気、、圧倒されました。オバマさんの就任演説は、ぜひ彼の言葉で聞きたいと思ったので英語で聞いていましたが、私にはむつかしい単語が多くわからない部分が大半。でも、自らの揺るぎない決意、責任と、一人一人への決意、行動への呼びかけ、その確固とした方向性、ヴィジョンの強さは感じることができました。

●すでに新聞やネット等で、演説全文が紹介されています。その中から、イスラム世界と関わりのあるパートを抜き出してみます。(日本語=朝日新聞/英語=PBS)
*「イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。紛争の種をまき、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい」(To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West - know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. )
*「腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。そして、握りしめたそのこぶしを開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ」(To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history; but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.)
*「私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。また古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う」(We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lessen the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet. )
●ガザ、パレスチナについては触れられていません。アフガニスタンの平和構築の具体的な方策が気になります。けれどもブッシュ政権のような傲慢きわまりない高圧的な敵対姿勢とは異なる理解と寛容が垣間みられ、平静に聞くことができました、、

◆ パレスチナの民族衣装 ◆
●そのパレスチナですが、文化的側面については多くを知りません。けれどもきれいな刺繍の民族衣装は見たことがあります。『西アジア・中央アジアの民族服飾 〜イスラームのヴェールのもとに〜』(文化学園服飾博物館/文化出版局)で調べてみました。すると、、「女性の衣装には地方ごとの特色があったが、1948年のイスラエル建国以来、次第に失われていく」との説明。そうですか、、。

●「1948年のイスラエル建国により、パレスチナの人々は今までの生活から離れて難民生活を余儀なくされる人も多く、民族衣装を作るために必要な材料や、針仕事にたずさわる時間が大きく制限されるようになった。こうして地域ごとに受け継がれてきたドレスのモチーフや技術は簡略化された」という文章がありました。(「文化学園服飾博物館所蔵資料と現代の西アジア・中央アジアの服飾」/村上佳代さん)。以下、同様に、同論考より引用(一部要旨)させて頂きます。
●「パレスチナの民族衣装では、胸部分に施される刺繍はそれぞれの地域で異なり、意味を持つものであった。刺繍は真綿糸(絹糸)や綿糸を用い、主にクロスステッチにより整然とした幾何学模様を施した。しかし1950年代以降のドレスの刺繍は、モチーフに地域性がなくなり、地を埋め尽くすような精緻なクロス・ステッチも見られなくなったりと、概して華やかさや重厚さは失われた」
●「クロス・ステッチは“×”を連続させていくのではなく、まず一方に長い糸をわたし、対角に短い糸を何本かわたしてクロス・ステッチに見せる方法に簡略化された。ドレスの生地は手織りの綿や亜麻に代わって、化学繊維が用いられるようになったため、折り目を数えて整然と文様を刺すことができなくなったことが、上記のように美しいクロス・ステッチが衰退した要因のひとつであろう」
●「刺繍はミシンによるものも見られ、厳かに輝いた金糸や銀糸も、さまざまな色のビニール・モール糸に取って代わられた。見頃のカッティングも、かつては前後、両脇と少なくとも4枚の布を用いて仕立てていたが、1980年代になると前後の見頃を脇で縫い合わせて両脇裾にスリットをいれただけの簡単な形に省略され、現在では同じ形のものが大量生産されるようになった」


●占領や封鎖という非常事態が長く続き、生活だけで精一杯ななかで、伝統の技術を継承していくことには大きな困難がともなうことでしょう。そんななかで、日本のNGOが伝統的手仕事の刺繍製品の生産から販売をサポートしています。深みのある色合いや独特の模様が魅力です。イベントなどで見かけたら、手にとってみてください。
◆ ガザからイスラエル軍撤退も、周辺に待機 ◆
●日本パレスチナ医療協会・メルマガの「ニュース速報(090120)」より。・・・「ガザ地区の凄まじい破壊の状況が報道されはじめました。同地区のインフラのなかには、欧米、日本などの資金・技術協力で建設された施設も少なくありません。停戦宣言直後にイスラエルを訪問したEU諸国の6首脳は、せめて、「イスラエルが破壊したものを補償せよ」くらいは言ったのでしょうか。占領地住民のケアは、占領国の責任です。その資金を海外に支出させておいて、壊すだけ壊す。こんなことが白昼堂々とおこなわれているのに、国際社会は気に止めている様子もない。変だと思いませんか?」
● 同(090120)より (1/20 BBC)
* 12月27日から3週間余にわたったガザ攻撃の被害について、国連のジョン・ホルムズ事務次長は、ニューヨークの国連本部で記者会見、上水道システムの破壊で住民40万人への給水が止まっていることなど、概略を説明した。
* ホルムズ氏によると、19日、10万人分の上水道が復旧したが、依然、40万人分が断水、電力供給は、一日平均12時間以下、10万人が難民化しているという。損壊した国連施設は50、医療施設は21になる。
* 記者団の質問に、事務次長は、住民が緊急に要する救済資金は数億ドル、ガザ地区全体の復興には数十億ドル必要だろうと応えた。
* 一方、自治政府のパレスチナ統計局は、住宅4100棟が全壊、さらに17000棟が損壊、また、工場や作業場1500、モスク20、治安施設31、さらに上下水道管10箇所が破壊されたとしている。統計局の推計では、損害総額は19億ドル、うちインフラの被害は2億ドルに及ぶという。
* ガザ市で取材中のBBC記者は、住民たちは、ガレキの下に埋もれた肉親や友人の死体を捜しながら、世界がこの暴力を止めるのに十分なことをしなかったと怒っている、とつたえた。
* パレスチナの医療筋によると、少なくともパレスチナ人1300人が殺され、うち3分の1が子ども、また負傷者は5500人にのぼる。UNRWAのガザ事務所によると、子どもたちの多くは、砲弾や爆弾の破片を無数に浴び、きわめて重傷だという 。
●同(090121)より (1/21 BBC)
* イスラエル軍の報道官によると、軍は21日早朝までにガザ地区全域から撤退した。「しかし、わが軍はガザ地区周辺全域に部隊を待機させ、即応態勢をつづける」と報道官は語った。この発表は、オバマ大統領就任式開始(アメリカ東部時間20日正午)の13時間後。

●以前、東トルコのヴァン(ワン)湖について書いたことがあります。ワン湖〜ワンという街についての資料が見つけられず、村上春樹さんの『雨天炎天』をナビゲーターにするという奇策(!?)を用いました。村上さんも書いているように、ワン湖の水は独特のターコイズブルーで、トルコのタイルのように深みのある色合い。アララット山を背景に、雄大かつ優美な姿で見るものを魅了します。そんなワン湖を舞台にした『怪獣記』(講談社)が今回のテーマです。

◆ トルコの未知生物・ジャナワール! ◆
●ワン湖(琵琶湖の5倍の大きさ)には、「ジャナワール」というUMA(未確認不思議生物=ネッシーみたいなもの)がいるのだそうです!ジャナは体長10メートルで鯨のように潮を噴き上げるんだそうです!世界のUMAファンが注目するジャナワール!(目撃証言の絵を見ると、ジャンプ中の大型イモムシ!)
●そして、あまりにベタ(見え見えのヤラセ)な「証拠映像」に、逆に好奇心のツボを刺激されて、東トルコに乗り込んでいったのがノンフィクション作家の高野秀行さんです。私は、社会派的テーマを爆笑系の筆致で巧みに描く高野ワールドのファン。『西南シルクロードは密林に消える』はドキドキの一冊でした。

●そんな高野さんのジャナワール探しを知ったのは、じつは本の出版される前。このエキサイトブログでリンクさせてもらっている「イスタンブログ〜末澤寧史のイスタンブル流学記」で06年に「高野さんとワン湖に取材に行く」という記事があったのです(カテゴリ・「ワン湖のジャナワール」)。末澤さん(ブログでしか知らない方です)は高野さんの知人で、ジャナ探索行に重要な役割を果たします。
●そんなこともあって気になっていたジャナ探索紀行『怪獣記』、先日一気に読みました。次々登場する目撃者や関係者(すべて実在)が皆、人間くさいというか怪しいというか、個性全開、とにかく濃い〜!そればかりか、クルド独立運動、イスラム復興主義、極右など、東トルコの複雑な政治状況が、ジャナ探しにどーっとかぶさってきます。このあたりがキモです。高野ワールドですね〜。
◆ ワン湖の畔の美しいクルドの村々 ◆
●あらすじを書くのも興ざめなのでやめますが、私がいちばん好きな部分を少しご紹介したいと思います。それは、目撃証言を求めて湖周辺の小さな村々を回る場面。それらはみなクルドの村なのです。描かれたクルドの暮らしや光景こそ私が求めるものでした。
●クルドという民族になぜか惹かれてきた私、でも日本で知る情報は難民やテロのニュースばかりです。もっとふつうの暮らしのことが知りたかったのです。以下は『怪獣記』より引用、一部省略している部分もあります。

(ワンで購入したクルドのキリムの模様。90-100years old)
* 「相変わらず、車内ではクルド音楽が鳴り続けている。もの悲しさがなつかしさにもつながるクルドの調べを聞きながら、木立のつくる緑のトンネルをくぐっていくとその美しさに涙が出そうなくらいだった。湖をずっと眺め続けているわけだからふつうならだんだん美景にも飽きてくるはずなのに、いっこうに飽きない。それどころか、前の美景を超える美景が登場する」
* 「風が涼やかだ。人々はすでに冬支度をはじめていた。羊から刈り取ったばかりのウールを洗っている人もいれば、干し草を積み上げている人もいる。ある村では、葦を大量に刈り入れていた。リンゴ、杏、トマト、パブリカを庭に敷いたゴザの上に敷き詰めている家もあった。冬場には家畜だけではなく人間の食料もなくなるので、今のうちから干しておくのだ。近寄ってみれば、トマトやパブリカはすっかり乾燥しながらも鮮やかな赤やオレンジの色を残している。かじってみると甘い」
* 「三つ目の村はまるで桃源郷のようだった。エメラルドグリーンの静かな入り江にひっそりと村がある。車を止め、水際まで下りてみた。至近距離で見ても淡いエメラルドグリーンが日差しにゆらめく。南の島だってこんな綺麗なビーチはなかなかないだろう。私は見たことがない」
●面白冒険譚的側面もある本のなかで、にじみでてくるように描かれた光景。あのワン湖の畔の村々は、こんなに豊かな美しさを有していたんですね!さらに、食についても書かれています。
◆ 食い倒れ、美食のクルド! ◆
* 「運ばれてきたのは極上のクルド料理だった。ふつう、辺境では食文化があまり発達していない。ところがクルド人は例外である。薄焼きピザ「ラフマジュン」や牛肉ハンバーグ「チーキョフテ」、鶏肉の炊き込みご飯など、クルドにしかない料理がぞこぞこある。トルコ東部には「食い倒れの町」と呼ばれる町がいくつかあるが、いずれもクルドの町だ。クルドの宿主は「私たちクルドは、お金があれば、みんな食べ物に使っちまうんだ」と誇らしげに語っていた。さすが世界最大の少数民族なだけはある」
●食い倒れなんだ!これまでクルドを描いた映画に涙をふりしぼってきた私には、意外な一面でした。でも、うれしくなってきました。いい感じですね〜!
●正直、UMAにはあまり興味がない私。でもふだんあまり紹介されることのない東トルコ、とくにクルドの暮らしに触れることができて、とてもうれしい本でした。UMAも予想外の展開を見せ、高野さんたちはなんとジャナに遭遇するんですよ!
●今回もまた長くなってきました。構想(大げさ?)では、同じ東トルコのカルスという町を舞台にしたオルハン・パムクの『雪』、それと関連してトルコのスカーフ問題にまでいこうとしていました。次の機会にしたいと思います。(*写真の人や子どもは東トルコで撮ったものですが、クルドの人かどうかはわかりません)
********
◆ タイルでバレンタイン ◆

●最後に、先日タイルみたいなチョコレートを見つけたので、バレンタイン記念に写真を撮ってみました。モロッコとウズベキスタンのタイルに囲まれたまんなかのふたつがチョコ(「sadaharu AOKI」)。☆ミルフィーユとローズです。良きバレンタインを!☆
* * ブログ内関連記事 **
* 東トルコ・ヴァン紀行。村上春樹と勝手にコラボレーション
* 中世のディテールの美。東トルコ・勝手にコラボ第2弾
* ジーエルケバブ@ディヤルバクル&東トルコの壮大で濃い時空間

◆ トルコの未知生物・ジャナワール! ◆
●ワン湖(琵琶湖の5倍の大きさ)には、「ジャナワール」というUMA(未確認不思議生物=ネッシーみたいなもの)がいるのだそうです!ジャナは体長10メートルで鯨のように潮を噴き上げるんだそうです!世界のUMAファンが注目するジャナワール!(目撃証言の絵を見ると、ジャンプ中の大型イモムシ!)●そして、あまりにベタ(見え見えのヤラセ)な「証拠映像」に、逆に好奇心のツボを刺激されて、東トルコに乗り込んでいったのがノンフィクション作家の高野秀行さんです。私は、社会派的テーマを爆笑系の筆致で巧みに描く高野ワールドのファン。『西南シルクロードは密林に消える』はドキドキの一冊でした。

●そんな高野さんのジャナワール探しを知ったのは、じつは本の出版される前。このエキサイトブログでリンクさせてもらっている「イスタンブログ〜末澤寧史のイスタンブル流学記」で06年に「高野さんとワン湖に取材に行く」という記事があったのです(カテゴリ・「ワン湖のジャナワール」)。末澤さん(ブログでしか知らない方です)は高野さんの知人で、ジャナ探索行に重要な役割を果たします。
●そんなこともあって気になっていたジャナ探索紀行『怪獣記』、先日一気に読みました。次々登場する目撃者や関係者(すべて実在)が皆、人間くさいというか怪しいというか、個性全開、とにかく濃い〜!そればかりか、クルド独立運動、イスラム復興主義、極右など、東トルコの複雑な政治状況が、ジャナ探しにどーっとかぶさってきます。このあたりがキモです。高野ワールドですね〜。
◆ ワン湖の畔の美しいクルドの村々 ◆
●あらすじを書くのも興ざめなのでやめますが、私がいちばん好きな部分を少しご紹介したいと思います。それは、目撃証言を求めて湖周辺の小さな村々を回る場面。それらはみなクルドの村なのです。描かれたクルドの暮らしや光景こそ私が求めるものでした。
●クルドという民族になぜか惹かれてきた私、でも日本で知る情報は難民やテロのニュースばかりです。もっとふつうの暮らしのことが知りたかったのです。以下は『怪獣記』より引用、一部省略している部分もあります。

* 「相変わらず、車内ではクルド音楽が鳴り続けている。もの悲しさがなつかしさにもつながるクルドの調べを聞きながら、木立のつくる緑のトンネルをくぐっていくとその美しさに涙が出そうなくらいだった。湖をずっと眺め続けているわけだからふつうならだんだん美景にも飽きてくるはずなのに、いっこうに飽きない。それどころか、前の美景を超える美景が登場する」
* 「風が涼やかだ。人々はすでに冬支度をはじめていた。羊から刈り取ったばかりのウールを洗っている人もいれば、干し草を積み上げている人もいる。ある村では、葦を大量に刈り入れていた。リンゴ、杏、トマト、パブリカを庭に敷いたゴザの上に敷き詰めている家もあった。冬場には家畜だけではなく人間の食料もなくなるので、今のうちから干しておくのだ。近寄ってみれば、トマトやパブリカはすっかり乾燥しながらも鮮やかな赤やオレンジの色を残している。かじってみると甘い」
* 「三つ目の村はまるで桃源郷のようだった。エメラルドグリーンの静かな入り江にひっそりと村がある。車を止め、水際まで下りてみた。至近距離で見ても淡いエメラルドグリーンが日差しにゆらめく。南の島だってこんな綺麗なビーチはなかなかないだろう。私は見たことがない」
●面白冒険譚的側面もある本のなかで、にじみでてくるように描かれた光景。あのワン湖の畔の村々は、こんなに豊かな美しさを有していたんですね!さらに、食についても書かれています。
◆ 食い倒れ、美食のクルド! ◆
* 「運ばれてきたのは極上のクルド料理だった。ふつう、辺境では食文化があまり発達していない。ところがクルド人は例外である。薄焼きピザ「ラフマジュン」や牛肉ハンバーグ「チーキョフテ」、鶏肉の炊き込みご飯など、クルドにしかない料理がぞこぞこある。トルコ東部には「食い倒れの町」と呼ばれる町がいくつかあるが、いずれもクルドの町だ。クルドの宿主は「私たちクルドは、お金があれば、みんな食べ物に使っちまうんだ」と誇らしげに語っていた。さすが世界最大の少数民族なだけはある」●食い倒れなんだ!これまでクルドを描いた映画に涙をふりしぼってきた私には、意外な一面でした。でも、うれしくなってきました。いい感じですね〜!
●正直、UMAにはあまり興味がない私。でもふだんあまり紹介されることのない東トルコ、とくにクルドの暮らしに触れることができて、とてもうれしい本でした。UMAも予想外の展開を見せ、高野さんたちはなんとジャナに遭遇するんですよ!●今回もまた長くなってきました。構想(大げさ?)では、同じ東トルコのカルスという町を舞台にしたオルハン・パムクの『雪』、それと関連してトルコのスカーフ問題にまでいこうとしていました。次の機会にしたいと思います。(*写真の人や子どもは東トルコで撮ったものですが、クルドの人かどうかはわかりません)
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◆ タイルでバレンタイン ◆

●最後に、先日タイルみたいなチョコレートを見つけたので、バレンタイン記念に写真を撮ってみました。モロッコとウズベキスタンのタイルに囲まれたまんなかのふたつがチョコ(「sadaharu AOKI」)。☆ミルフィーユとローズです。良きバレンタインを!☆
* * ブログ内関連記事 **
* 東トルコ・ヴァン紀行。村上春樹と勝手にコラボレーション
* 中世のディテールの美。東トルコ・勝手にコラボ第2弾
* ジーエルケバブ@ディヤルバクル&東トルコの壮大で濃い時空間
●イスラムの街を歩くと、国は違っても、何か共通する街の雰囲気というものがあります。迷路のようなほの暗い路地、中庭付きの瀟洒な住居。美しいモスクに隣接したマドラサ(神学校)や賑やかなバザール、スパイスの複雑な匂い、礼拝を呼びかける朗唱。

ワクフという仕組み
●イスラム教についてはまだまだ勉強不足で、私的なブログとはいえ、いい加減なことは書けません。ただ、見聞きしたり読んだりした範囲ですが、賢い宗教という印象を持ちます。合理的で現実的な知性、cleverさを感じます。そんなイスラムの街についての講座を受けています。イスラム都市を貫く共通項と、その源を、少しずつ感じはじめているこの頃です。
●「ワクフ」(waqf)という制度、ご存じの方も多いでしょう。「宗教寄進制度」と訳されます。講義を受けるにつれ、この制度の知恵と合理性に感心しています。魅力あふれるイスラムの街を支えてきたのは、みんながハッピーになれる、この<ワクフという仕組み>だったんだなあ!・・・(以下は、国際交流基金の異文化理解講座の内容をベースにしています。それに自分の感想を加えたものです)
●まず、ワクフが活発に機能していた時代のダマスカスを訪れたイヴン・バットゥータ(モロッコ生まれのイスラム法学者、旅行家。イスラムのグローバルネットワークを使い、最盛期のイスラム世界を旅した様子が「大旅行記」に活写されている)の記述を見てみましょう。

イヴン・バットゥータが見た14世紀ダマスカスのワクフと暮らし
●・・・「ダマスクスには数え切れないほど多くの種類と数のワクフがあり、その支出は計り知れない。巡礼ができない人のワクフがあり、彼にかわって巡礼する人に十分な費用を与えるのである。花嫁のワクフは、娘の嫁入り支度をすることができないような家族にかわって娘を花婿のもとに嫁がせるためのものである」
●・・・「また囚人の釈放のためのワクフがある。旅行者のためのワクフがあり、食べるもの、着るもの、故国への運送費用が与えられる。道路の改善および道路敷設のためのワクフがある」
●・・・「ダマスクスの住人は、競うようにモスクや修道場やマドラサや墓廟の建設をおこなう。ダマスクス近辺のどこで貯えを使い果たそうとも、必ずやなにがしかの生活の手だてを見つけることができる」
●・・・「たとえば、モスクのイマームとか、マドラサの朗唱役とか、給与付きのモスクの学生とか、コーランの朗唱役とか、墓廟の給仕とか、生活費や衣服費の支給される修道場のスーフィー(神秘主義者、修行者)の一員とかというように、ダマスクスでは、異邦人でも善行に頼って(生活し)続けることができる。(略)。知を求める者や神への奉仕を望む者は、そのための完全な援助を見つけることができる」

モスクができ、バザールができ、仕事ができる
●ワーキングホリディもびっくり〜。貧しい人たちも、故郷を離れ世界を旅する人びとも、ワクフの仕組みのなかで、それぞれができる仕事をし、必要ならば援助を受け、暮らしをたてることができたようです。
●この仕組みのすごいところは「みんながハッピー」なシステムという点だと思います。援助する側も犠牲的精神で福祉を支えるというのではなく、財産の権利は守られつつ、元手は目減りせず、しかも善行により天国が保障され精神的にも満たされるのです。
●宗教施設が充実し、ビジネスや商業は活性化し、農地はよく耕され、通商も盛んになります。学生はイスラム教をよく学び宗教指導者が養成されます。都市の基盤が整備され、活気のあるイスラムの街ができていきます。

合理的・現実的な運営のシステム
●なぜ、そんなことが可能なのか。それは<運営>が鍵を握ります。どの宗教でも、宗教施設(いわゆるハコもの、ハード)は寄付で作られますよね。でもイスラムがすごいのは、ワクフを通して宗教施設の運営コストを捻出する仕組み=オペレーションシステムを作ったことです。
●たとえば、お金持ちのアリさんが店舗や隊商宿などを建設しワクフとして寄進します。この不動産から得られる賃貸料が、たとえばモスクのランプ代になり、マドラサの学生たちの食費になり、礼拝指導者のお給料になり、掃除をする人の賃金になります。ワクフ寄進とは、その使われ方を特定することであり、使途はイスラム教的な善にかなうものです。
●お金を寄付しても、使うことでだんだん減っていきますが、ワクフはうまく回していけば長く運営し続けることができます。そして資金源としての農地や店舗、賃貸家屋、公衆浴場なども建設が進み、街は充実していきます。賃貸料を払う人たちにとっても、稼いだお金がイスラムの善にかなうことにつながり、公共性が魅力です。また、アリさん自身も収益は受け取ってよいのだそうです。
●宗教施設のまわりにバザールがあることが、得心できます。イスラムの街の構成要素は、みな有機的につながり、かつ「イスラム的価値」という共通項、求心力を持つことで、独特の雰囲気を作っているんですね。今回も長くなってしまい書ききれません。また機会があれば、このあたり書いていきたいです。
・・・・・・・・・
*写真は、上から、「ダマスカス/バザールからウマイヤドモスクを見る」、「アラビアコーヒー売り」、「ダマスカスの伝統的住居、中庭」、「ダマスカスを歩く人々」。

ワクフという仕組み
●イスラム教についてはまだまだ勉強不足で、私的なブログとはいえ、いい加減なことは書けません。ただ、見聞きしたり読んだりした範囲ですが、賢い宗教という印象を持ちます。合理的で現実的な知性、cleverさを感じます。そんなイスラムの街についての講座を受けています。イスラム都市を貫く共通項と、その源を、少しずつ感じはじめているこの頃です。
●「ワクフ」(waqf)という制度、ご存じの方も多いでしょう。「宗教寄進制度」と訳されます。講義を受けるにつれ、この制度の知恵と合理性に感心しています。魅力あふれるイスラムの街を支えてきたのは、みんながハッピーになれる、この<ワクフという仕組み>だったんだなあ!・・・(以下は、国際交流基金の異文化理解講座の内容をベースにしています。それに自分の感想を加えたものです)
●まず、ワクフが活発に機能していた時代のダマスカスを訪れたイヴン・バットゥータ(モロッコ生まれのイスラム法学者、旅行家。イスラムのグローバルネットワークを使い、最盛期のイスラム世界を旅した様子が「大旅行記」に活写されている)の記述を見てみましょう。

イヴン・バットゥータが見た14世紀ダマスカスのワクフと暮らし
●・・・「ダマスクスには数え切れないほど多くの種類と数のワクフがあり、その支出は計り知れない。巡礼ができない人のワクフがあり、彼にかわって巡礼する人に十分な費用を与えるのである。花嫁のワクフは、娘の嫁入り支度をすることができないような家族にかわって娘を花婿のもとに嫁がせるためのものである」
●・・・「また囚人の釈放のためのワクフがある。旅行者のためのワクフがあり、食べるもの、着るもの、故国への運送費用が与えられる。道路の改善および道路敷設のためのワクフがある」
●・・・「ダマスクスの住人は、競うようにモスクや修道場やマドラサや墓廟の建設をおこなう。ダマスクス近辺のどこで貯えを使い果たそうとも、必ずやなにがしかの生活の手だてを見つけることができる」
●・・・「たとえば、モスクのイマームとか、マドラサの朗唱役とか、給与付きのモスクの学生とか、コーランの朗唱役とか、墓廟の給仕とか、生活費や衣服費の支給される修道場のスーフィー(神秘主義者、修行者)の一員とかというように、ダマスクスでは、異邦人でも善行に頼って(生活し)続けることができる。(略)。知を求める者や神への奉仕を望む者は、そのための完全な援助を見つけることができる」

モスクができ、バザールができ、仕事ができる
●ワーキングホリディもびっくり〜。貧しい人たちも、故郷を離れ世界を旅する人びとも、ワクフの仕組みのなかで、それぞれができる仕事をし、必要ならば援助を受け、暮らしをたてることができたようです。
●この仕組みのすごいところは「みんながハッピー」なシステムという点だと思います。援助する側も犠牲的精神で福祉を支えるというのではなく、財産の権利は守られつつ、元手は目減りせず、しかも善行により天国が保障され精神的にも満たされるのです。
●宗教施設が充実し、ビジネスや商業は活性化し、農地はよく耕され、通商も盛んになります。学生はイスラム教をよく学び宗教指導者が養成されます。都市の基盤が整備され、活気のあるイスラムの街ができていきます。

合理的・現実的な運営のシステム
●なぜ、そんなことが可能なのか。それは<運営>が鍵を握ります。どの宗教でも、宗教施設(いわゆるハコもの、ハード)は寄付で作られますよね。でもイスラムがすごいのは、ワクフを通して宗教施設の運営コストを捻出する仕組み=オペレーションシステムを作ったことです。
●たとえば、お金持ちのアリさんが店舗や隊商宿などを建設しワクフとして寄進します。この不動産から得られる賃貸料が、たとえばモスクのランプ代になり、マドラサの学生たちの食費になり、礼拝指導者のお給料になり、掃除をする人の賃金になります。ワクフ寄進とは、その使われ方を特定することであり、使途はイスラム教的な善にかなうものです。
●お金を寄付しても、使うことでだんだん減っていきますが、ワクフはうまく回していけば長く運営し続けることができます。そして資金源としての農地や店舗、賃貸家屋、公衆浴場なども建設が進み、街は充実していきます。賃貸料を払う人たちにとっても、稼いだお金がイスラムの善にかなうことにつながり、公共性が魅力です。また、アリさん自身も収益は受け取ってよいのだそうです。
●宗教施設のまわりにバザールがあることが、得心できます。イスラムの街の構成要素は、みな有機的につながり、かつ「イスラム的価値」という共通項、求心力を持つことで、独特の雰囲気を作っているんですね。今回も長くなってしまい書ききれません。また機会があれば、このあたり書いていきたいです。
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*写真は、上から、「ダマスカス/バザールからウマイヤドモスクを見る」、「アラビアコーヒー売り」、「ダマスカスの伝統的住居、中庭」、「ダマスカスを歩く人々」。
●昨年の今頃、イランから買って帰った蜂蜜について、少し書きました。でも、じつはあのあと、迷っていたのです。「どうやって食べるんだろう?」と。●というのも、液体の蜂蜜も売っていたのですが、あえて巣(?:蜜の入っている六角形の穴が集合したもの)付きのものを買ったからです。
●私の予定では、雑誌などで見たオシャレな蜂蜜の食べ方をしようと思っていました。巣ごと食べるのが、一昨年くらいに流行していたのです。でも、それは思い出すと、巣がウエハースのようにやわらかそうな、白っぽいものでした・・・。

●ところがイランで買ったものは、ワイルドというか、ゴツゴツとしていかにも堅い。しばらくはそのまま置いておきましたが、いくら殺菌力の高い食品とはいえ、何とかしなければ、、。そしてこれは「抽出」の問題ではないか、ということに思い至りました。抽出という言葉を思い出した自分を褒めながら、ネットで調べました。
●でも、、調べてみても、よくわからない。アルコール抽出、水抽出、超臨界抽出、熱で液状化するなど、いろいろ方法があるらしいのですが、それをどうおこなうのかわかりません。そこで、時間がかかるけど安心という「蜜を落とす」方法にしてみました。
●これも用具がわからなかったので、ザル(ストレーナー)に巣付きの蜜を入れ、その下にボウルを置き、待ち受けることにしました。●1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、、蜜の濃度が高くしっかりしているので、ほとんど落ちてきません・・・。でも、わずかながらとれたものは、甘みが強く、しかも自然な甘さなので嫌みがなく、とても美味しいのです。
●蜂蜜、、普通はどうやって作るんだあ!?と疑問のかたまりになっていたとき、求めれば通ず、通りがかりに「小林キユウ写真展 ミツバチを育てながら。」というポスターを見つけたのです。さっそく入ってみると、養蜂の光景などの写真がありました。やったー!
●写真家の小林キユウさん、なんと現在は「日曜養蜂家」。ミツバチ1万5千匹を飼っているそうです。●ちなみに、キユウさんの双子のお兄さんは、小林紀晴さん。アジアを旅する若者を描いた本は当時とても新鮮で、私も買って読みました。お二人とも、静かなのに語りかけてくるような写真が印象的で好きです。
●キユウさんご自身も、静かな飾らない雰囲気の方だったので、図々しく「蜂蜜ってどうやって抽出するんですか」と聞いてみました。
●「遠心分離器みたいなのにかけるんですよ」と、その用具を撮った写真を教えてくれました。高速で回して分離するんだ!・・長年の謎が解けました。やった〜!小林さん、どうもありがとうございました!(その後、遠心分離方式事例をネットで発見)
●といっても、遠心分離器ってどこにあるの?(沈黙)。食べられない日は続きました。久しぶりに落とし方式のボウルを見てみましたが、成果なし。でも、なんだか巣がやわらなくなっている感じが。・・・もう食べるしかない!このまま!巣ごと!・・いってみました。・・・ん? イケます。そして蜜の濃くて甘いこと!

●まさかお腹も壊さないでしょう。殺菌力のある食品ですから。これからボチボチ食してまいります。それにしても、便利な食材が満ちあふれているなか、蜂蜜ひとつでこれだけ遊べるとは。なんだかんだ言いながら、けっこう楽しんでます。
*写真は、上から、「蜂蜜ホールの状態」、「イランの絨緞の模様、糸杉など」、「落とし方式で抽出した蜂蜜」、「小林キユウさんのシール」、「巣ごと状態の蜂蜜」
*** 追加情報 ***
●↑を書いた時点では、じつは巣がガムのように残ったのですが、経緯を書くと長くなるので省略しました。今回、パンをトーストするときに上にのせてみたら、巣はまあまあ溶けて甘くておいしかったので、溶かす実験をすることにしました。
●その結果、考えてみれば納得なのですが、、 熱を加えればいいという単純な結論に到達?しました。
*この巣付き蜂蜜を
オーブンで熱すると、こんな感じに。
レンジで熱すると、こんな感じに。(これは約30秒。2分かけたものはカラメル状態になり大変なことになりましたので、時間は短めで。カラメル状態時には巣も溶けていましたが、蜜は食べられる状態ではないので、その加減のいいほどよい時間がポイントみたいですね)●これで密の部分を使えばいいわけですね。巣はやはり残るので、ガムみたいに食べるかどうかはお好みという感じでしょうか。今回はとりあえず、ここまでにしておこうと思います♪
Tags:#食文化・美味しいもの
●イラン北西部・東アゼルバイジャン州の州都タブリーズ近郊に「キャンドバン」という村があります。標高2200メートルの山岳地に奇岩が林立。「イランのカッパドキア」とも言われ、岩穴の住居には今も人びとが住んでいます。

●昨冬訪れたのですが、なぜか写真が少ないのです。大変な寒さで岩を登る道が凍りついていて、滑って転げ落ちたら大変!と、写真どころではなかったんだと思います。天気が良かったら、「童話のような村」「かわいい家々」等々、甘いことを書いていたかもしれませんが、そうは書けないというのが正直なところです。

●でも、岩をくり抜いて作られた家は、意外にも暖かく住み心地がよさそうでした。壁をうまく使っての飾り物もアクセントになっています。住んでいる人たちは「アゼリー」(アゼルバイジャン語)を話し、顔立ちもイランの南の人たちとは少し違う感じがしました。

●このあたり知識がないので、「Wikipedia」で見てみると、、、
・ 東アーザルバーイジャーン州はイランでも非常に古い歴史を持つ地域で、エラムの当初の首都であり、ハカーマニシュ朝中核の地でもある
・ 東アーザルバーイジャーン州の文化的に際だった特徴は言語と民俗にあり、人びとはテュルク諸語に属するアザリー(アゼルバイジャン語)を話す
・ この地域が輩出した学者、神秘主義者、詩人は数多く(中略)現在のイランの最高指導者であるアリー・ハーメネイーもこの地の家系出身である

●学者や詩人を多く輩出する土地、、なんとなくわかる気がします。一方で工業、工芸も盛んな地域だそうです。
・ 東アーザルバーイジャーン州は産業の中心地である。州内に5000以上の製造業事業所があり、このうち少なくとも800が工業で、これは全国総数の6%を占める
・ タブリーズは手工業でも卓越した地位にあり、東アーザルバーイジャーン州の輸出の大きな部分を手工業品が占める
・ タブリーズの絨毯は力強いデザインと鮮やかな色合いで世界市場に名をとどろかせている。ペルシャ絨毯の名声は、東アーザルバーイジャーンのデザイナーの創造力と織工の腕に負っているといっても決して過言ではない
・ 現在、絨毯織機は州内に66,000、20万人を雇用している。年間の絨毯生産は約792,000m、イラン全体の絨毯生産の35%、輸出の70%の量にあたる
●古都タブリーズはタイル好きにも絨毯好きにも魅力的な街。いつか心ゆくまでタイルや工芸品を見たいなあ!
*写真、上から3点はキャンドバン村。一番下はアゼルバイジャン州のレストランにて。男性の顔立ちが濃い感じがします。

●昨冬訪れたのですが、なぜか写真が少ないのです。大変な寒さで岩を登る道が凍りついていて、滑って転げ落ちたら大変!と、写真どころではなかったんだと思います。天気が良かったら、「童話のような村」「かわいい家々」等々、甘いことを書いていたかもしれませんが、そうは書けないというのが正直なところです。

●でも、岩をくり抜いて作られた家は、意外にも暖かく住み心地がよさそうでした。壁をうまく使っての飾り物もアクセントになっています。住んでいる人たちは「アゼリー」(アゼルバイジャン語)を話し、顔立ちもイランの南の人たちとは少し違う感じがしました。

●このあたり知識がないので、「Wikipedia」で見てみると、、、
・ 東アーザルバーイジャーン州はイランでも非常に古い歴史を持つ地域で、エラムの当初の首都であり、ハカーマニシュ朝中核の地でもある
・ 東アーザルバーイジャーン州の文化的に際だった特徴は言語と民俗にあり、人びとはテュルク諸語に属するアザリー(アゼルバイジャン語)を話す
・ この地域が輩出した学者、神秘主義者、詩人は数多く(中略)現在のイランの最高指導者であるアリー・ハーメネイーもこの地の家系出身である

●学者や詩人を多く輩出する土地、、なんとなくわかる気がします。一方で工業、工芸も盛んな地域だそうです。
・ 東アーザルバーイジャーン州は産業の中心地である。州内に5000以上の製造業事業所があり、このうち少なくとも800が工業で、これは全国総数の6%を占める
・ タブリーズは手工業でも卓越した地位にあり、東アーザルバーイジャーン州の輸出の大きな部分を手工業品が占める
・ タブリーズの絨毯は力強いデザインと鮮やかな色合いで世界市場に名をとどろかせている。ペルシャ絨毯の名声は、東アーザルバーイジャーンのデザイナーの創造力と織工の腕に負っているといっても決して過言ではない
・ 現在、絨毯織機は州内に66,000、20万人を雇用している。年間の絨毯生産は約792,000m、イラン全体の絨毯生産の35%、輸出の70%の量にあたる
●古都タブリーズはタイル好きにも絨毯好きにも魅力的な街。いつか心ゆくまでタイルや工芸品を見たいなあ!
*写真、上から3点はキャンドバン村。一番下はアゼルバイジャン州のレストランにて。男性の顔立ちが濃い感じがします。
●トルコの音楽ドキュメンタリー映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』は、こんな言葉で始まります。●・・・「儒教ではこう言われている。---“音楽は訪れた土地の文化の奥深さを語る”---。音楽というのは、それほどに雄弁なんだ」「イスタンブールは72の民族が行き交う、大きな橋みたいな街だ。対極のものが隣り合っている。伝統と革新、富と貧困。すべてが混在している」・・・
●アップで迫るボスポラス大橋、海峡を渡る船に乗り、西洋的なベイオール地区、そして伝統的なアジア側のエリアへ。クラブシーン、ヒップホップ、ロック、伝統音楽、民謡、大衆音楽まで、息つく間もない音の波。イスタンブールの音楽がこれほど多彩だったとは。そしてカッコいいとは。。
●タイル好きにとってのトルコ、、セルジューク朝の古雅の趣あふれる青のタイル、オスマン朝イズニークの赤、ブルー&ホワイトの陶器など、古いものばかりに目がいきます。でも、トルコ、とくにイスタンブールは、クラブカルチャーの最先端の地なんだそうです。一方でサズなど伝統的な音楽も、深く根づき、息づいています。
●音楽映像詩的な映画が大好きな私(たとえば『ラッチョ・ドローム』!!)、正直言ってこの映画、どうかなあ、と半信半疑でした。というのも、「トルコ版『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』」という謳い文句だったので。『ブエナ〜』、すごくヒットしましたよね。でも私はかなり退屈でした。あのヒット、タイトルの魔力もあったのでは?

●ご安心ください!?『クロッシング〜』、もっとクールでカッコよく、熱くて、土着で、ボーダーレスで、しかも音楽シーンを通して時代や社会に強くメッセージしています。
●登場するミュージシャンは多彩。スーフィー音楽とDJを融合し千年以上の伝統を持つ縦笛「ネイ」をふくメルジャン・デデは昨年「ラマダンの夜」コンサートで来日。哀感あふれるクルド民謡の歌姫アイヌール、以前は禁止されていたクルド語で歌うことの困難を超えてきました。トルコ語ロックの先駆者エルキン・コライは60代の今もロックしてます。
●早口言葉かと思うトルコ語ラップ。路上には社会的なメッセージを骨太に歌うバンドやブレイクダンサーたちがいます。そのレベルの高さ。単に何でも反対、社会が悪いというのではなく、自分の考えをしっかり持っている印象がありました。日本の音楽は私的内面的なものが多いので、とても新鮮に映ります。
●アラブ風のサズがイケてるトルコの大スターオルハン・ゲンジェバイ。国民的歌手セゼン・アクスはラストに登場して存在感を見せました。等々、まだまだ多くのミュージシャンが出演し、音楽の種類も多様なら、年代も若者から重鎮まで幅広い。

●そのなかで私がいちばん好きだったのは、トラキア出身のジプシー(ロマ)でクラリネット演奏家のセリム・セスレルです。ロマの音楽というのは、技術は言うまでもないことで、もうそんなことはどうでもよくて、旋律やリズムが、ふだん意識しない心の奥の方に響いてきます。日本人の私にも響く、この音の魂みたいなもの、何か聴覚や体感の普遍的根源的なものかもしれない。
●、、でも、映画や音楽を書くことってむつかしいですね。映画は今回は試写で、3月から劇場公開されます。万人向けではないけれど、イスタンブールや民族系の音楽の好きな方にはリコメンドしたい映画でした。
*写真は、上から「映画チラシより引用」、「多彩釉モスクランプ/イズニーク/1570年/mosque of the grand vizier so-kollu mehmet pasa in istanbul」、「多彩釉皿/イズニーク/1585年/中心部=カリグラフィーの雲の中に鳥が見えます。鳥は頭を尾の方に入れ春の花を運んでいます。まわりには赤や緑の波、岩、雲などが配されています」(陶器2点は『turkish tiles and ceramics』より引用)
Tags:#中東〜アジアの音楽・映画
●トルコってアジア?ヨーロッパ?よく「東西文明の接点」などと言われますが、いったいどちらの要素が強いんでしょう。数年前にトルコに行ったとき、ユーロで示された値段の高さにびっくり。十数年前に行ったときは物価が安いイメージがあったのに、ユーロではとんでもなく高かった。雰囲気的に、国としてはヨーロッパに入りたいんだなあ、と感じるものがありました。

●ノーベル文学賞を受賞したイスタンブール生まれのオルハン・パムク氏は、そのあたりの心性を小説に驚くべきスケールとディテールで描きますが、パムク氏自身、アルメニア問題に言及した件で「国家侮辱罪」に問われています。
●イスラム美術好きの私としては、トルコにヨーロッパのイメージはありません。ヨーロッパで加盟に反対している人が多いということを新聞などで見ると、なんとなくそれもわかるなあという気がしていました。でもEUとトルコの関係については、ほとんど知識がありません。
●トルコの人は、本当にEUに入りたいの?どうして?、、心の隅で疑問に思ってきましたが、先日「拡大EUのフロンティア トルコとの対話」という催しを発見。行ってみることにしました。2時間弱にもかかわらず、3人の専門家による濃い内容のセミナーでした。

●アートではないのですが、トルコはヨーロッパ?という素朴な疑問について少しだけ見えてきたので、長くなりますが聞き書きしたものからまとめてみたいと思います。政治の話、う〜ん、ちょっと、、という方、どうぞトルコのタイル写真でくつろいでいって下さい。
**************************************************************
<EUからの視点>
・ トルコがEU加盟候補国になるまでの経緯、それを可能にしたものは何だったのか。98年と99年の変化から見る
・ 87年にトルコが加盟申請したが、97年のルクセンブルグ欧州理事会では加盟はeligibleである(資格がある)という中途半端な結論に
・ 98年は加盟論議停滞とトルコがこれに抵抗した年、しかし99年は一転してトルコを加盟候補国と見なす転換点となった
・ 背景には、「ギリシアとトルコの関係が改善した」「議長国となったドイツがトルコ加盟に前向きな政権に交代した」「NATOによるコソボ空爆がありヨーロッパに分裂への危機意識が生まれた〜ユーゴ内紛になすすべがないヨーロッパ。トルコを外に置いておくのはよくないという意識」これらの雰囲気が「イズミール大地震」という自然災害によって急速に加盟候補国へと収れん、全会一致の結論に達した
・ しかし、問題はヨーロッパにトルコ加盟に対しての明確なビジョンや政策がないまま、決定に動いていったこと。これが後まで尾を引いている。いまだにアルメニア虐殺問題、反イスラーム感情、キプロス問題などでくすぶっている
・ また、一般的な正直な意見は、「トルコはヨーロッパではない」というものだ。トルコの人口が増加し最大国になるという危惧もある
・ 講演者(八谷まち子さん)の見解は、トルコの加盟はEUにとって大きなメリットになる、存在感が飛躍的に大きくなる、というもの。理由は、「トルコの豊富な天然資源」「高齢化いちじるしいヨーロッパにトルコの若年労働力は魅力」「NATOとは違う軍隊ができる」など

<トルコからの視点>
・ EU加盟に向かうトルコの内政と外交の変化について見る
・EUは加盟候補国の政治を変えていく。コペンハーゲン基準があり、加盟国は準備協約をし、法整備や政策を実施する
・内政では民主化改革の枠組みができ、これまでで最大の効果があった
(1)市民社会と政党の活動の自由が拡大した
(2)個人の基本的人権、少数派の権利が拡大した
(3)軍隊のパワーが縮小(軍部は放送、出版、教育も監視していたが04年~廃止)
・ 改革の成果として、国民の意識が変化した
(1)加盟による経済的利益を重視→民主化の進展が利益という意識へ変化した
(2)思想信条の自由があり、イスラム派が支持に回った
・ しかし限界がある
(1)国軍は国家体制を維持する任務であり首相直属である
(2)トルコ侮辱罪は残る
(3)クルド語による教育はまだおこなわれていない
・ 外交ではキプロス問題での譲歩があった。統合を進める方向へ
・ EU加盟への国内の支持率は「熱烈支持」から「幻滅」へ。EUシフトを取ったが見返りが見えない。しかしEU的な価値を重視する人が増えてきた。経済よりも政治的な利益が大きかった
・ 加盟に反対している人は、EUがトルコを疎外しているという印象がある。EU諸国のなかで反トルコの世論が一番高い。加盟賛成は最も低い38%ほどである

<ドイツからの視点>
・ ドイツ社会とトルコ系移民がこの60年でどう変化したかを見る
・ 戦後ドイツ=「ガストアルバイター(労働者としてのトルコ人)」、50年代半ばからの西ドイツ奇跡の経済復興を支えた
・ 1973年以後のトルコ人=第1世代の労働者が家族を呼び寄せ
・ 83年は帰国手当法で祖国に帰す政策
・ トルコ内の政情不安があり難民、不法滞在者としてのトルコ人のイメージに
・ 冷戦後の移民急増、旧ソ連や東欧から年間40万人も入ってくる。 庇護申請者の出身国の2位がトルコ=どうしてこんなに迫害された人が来るんだという印象に。ケルンでイスラム王国を運営した一種のカルト集団の悪いイメージも
・ ドイツの外国人数=人口8300万人の7%、そのうちの36%がトルコ人(トルコから来た人+ドイツ生まれのトルコ人という大きな集団も)
・ 国籍法の改正とドイツ社会の変容、05年の移民法で社会統合を進める=市場が求める必要な移民は容易に入れるがそれ以外はきびしくなる
・ ドイツ社会におけるトルコ系住民の現在=「エルンストロイターイニシアチブ」により双方の社会がお互いの理解を促進するプログラム
*おつかれさまでした。写真は『TURKISH TILE AND CERAMIC ART』 より引用しました。

●ノーベル文学賞を受賞したイスタンブール生まれのオルハン・パムク氏は、そのあたりの心性を小説に驚くべきスケールとディテールで描きますが、パムク氏自身、アルメニア問題に言及した件で「国家侮辱罪」に問われています。
●イスラム美術好きの私としては、トルコにヨーロッパのイメージはありません。ヨーロッパで加盟に反対している人が多いということを新聞などで見ると、なんとなくそれもわかるなあという気がしていました。でもEUとトルコの関係については、ほとんど知識がありません。
●トルコの人は、本当にEUに入りたいの?どうして?、、心の隅で疑問に思ってきましたが、先日「拡大EUのフロンティア トルコとの対話」という催しを発見。行ってみることにしました。2時間弱にもかかわらず、3人の専門家による濃い内容のセミナーでした。

●アートではないのですが、トルコはヨーロッパ?という素朴な疑問について少しだけ見えてきたので、長くなりますが聞き書きしたものからまとめてみたいと思います。政治の話、う〜ん、ちょっと、、という方、どうぞトルコのタイル写真でくつろいでいって下さい。
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<EUからの視点>
・ トルコがEU加盟候補国になるまでの経緯、それを可能にしたものは何だったのか。98年と99年の変化から見る
・ 87年にトルコが加盟申請したが、97年のルクセンブルグ欧州理事会では加盟はeligibleである(資格がある)という中途半端な結論に
・ 98年は加盟論議停滞とトルコがこれに抵抗した年、しかし99年は一転してトルコを加盟候補国と見なす転換点となった
・ 背景には、「ギリシアとトルコの関係が改善した」「議長国となったドイツがトルコ加盟に前向きな政権に交代した」「NATOによるコソボ空爆がありヨーロッパに分裂への危機意識が生まれた〜ユーゴ内紛になすすべがないヨーロッパ。トルコを外に置いておくのはよくないという意識」これらの雰囲気が「イズミール大地震」という自然災害によって急速に加盟候補国へと収れん、全会一致の結論に達した
・ しかし、問題はヨーロッパにトルコ加盟に対しての明確なビジョンや政策がないまま、決定に動いていったこと。これが後まで尾を引いている。いまだにアルメニア虐殺問題、反イスラーム感情、キプロス問題などでくすぶっている
・ また、一般的な正直な意見は、「トルコはヨーロッパではない」というものだ。トルコの人口が増加し最大国になるという危惧もある
・ 講演者(八谷まち子さん)の見解は、トルコの加盟はEUにとって大きなメリットになる、存在感が飛躍的に大きくなる、というもの。理由は、「トルコの豊富な天然資源」「高齢化いちじるしいヨーロッパにトルコの若年労働力は魅力」「NATOとは違う軍隊ができる」など

<トルコからの視点>
・ EU加盟に向かうトルコの内政と外交の変化について見る
・EUは加盟候補国の政治を変えていく。コペンハーゲン基準があり、加盟国は準備協約をし、法整備や政策を実施する
・内政では民主化改革の枠組みができ、これまでで最大の効果があった
(1)市民社会と政党の活動の自由が拡大した
(2)個人の基本的人権、少数派の権利が拡大した
(3)軍隊のパワーが縮小(軍部は放送、出版、教育も監視していたが04年~廃止)
・ 改革の成果として、国民の意識が変化した
(1)加盟による経済的利益を重視→民主化の進展が利益という意識へ変化した
(2)思想信条の自由があり、イスラム派が支持に回った
・ しかし限界がある
(1)国軍は国家体制を維持する任務であり首相直属である
(2)トルコ侮辱罪は残る
(3)クルド語による教育はまだおこなわれていない
・ 外交ではキプロス問題での譲歩があった。統合を進める方向へ
・ EU加盟への国内の支持率は「熱烈支持」から「幻滅」へ。EUシフトを取ったが見返りが見えない。しかしEU的な価値を重視する人が増えてきた。経済よりも政治的な利益が大きかった
・ 加盟に反対している人は、EUがトルコを疎外しているという印象がある。EU諸国のなかで反トルコの世論が一番高い。加盟賛成は最も低い38%ほどである
<ドイツからの視点>
・ ドイツ社会とトルコ系移民がこの60年でどう変化したかを見る
・ 戦後ドイツ=「ガストアルバイター(労働者としてのトルコ人)」、50年代半ばからの西ドイツ奇跡の経済復興を支えた
・ 1973年以後のトルコ人=第1世代の労働者が家族を呼び寄せ
・ 83年は帰国手当法で祖国に帰す政策
・ トルコ内の政情不安があり難民、不法滞在者としてのトルコ人のイメージに
・ 冷戦後の移民急増、旧ソ連や東欧から年間40万人も入ってくる。 庇護申請者の出身国の2位がトルコ=どうしてこんなに迫害された人が来るんだという印象に。ケルンでイスラム王国を運営した一種のカルト集団の悪いイメージも
・ ドイツの外国人数=人口8300万人の7%、そのうちの36%がトルコ人(トルコから来た人+ドイツ生まれのトルコ人という大きな集団も)
・ 国籍法の改正とドイツ社会の変容、05年の移民法で社会統合を進める=市場が求める必要な移民は容易に入れるがそれ以外はきびしくなる
・ ドイツ社会におけるトルコ系住民の現在=「エルンストロイターイニシアチブ」により双方の社会がお互いの理解を促進するプログラム
*おつかれさまでした。写真は『TURKISH TILE AND CERAMIC ART』 より引用しました。 ●前回に続き、16世紀末イスタンブールの細密画(ミニアチュール)を巡る状況をミステリアスに描いた小説『わたしの名は紅(あか)』(オルハン・パムク)の、「盲目と記憶」の部分より、本文をベースにorientlibrary風に書いてみました。タイルが登場する細密画(全体/細部3点)を添えてどうぞ。

<名人ミレキの考え>
・・・・・「当時、細密画師がいちばん恐れていたのは、盲目になることでした。アラブの絵師は日出の時間に西に向かって地平線を眺めました。シーラーズの絵師は、朝食の前にクルミの実とバラの花びらをつぶしたものを食べたことが知られています。イスファハーンの絵師は、日の光がじかに工房の机にこないように、薄暗いところやろうそくの光のなかで仕事をしました。ブハラのウズベク人の絵師は、一日の仕事の終わりに祈って浄めた水で目を洗いました」
・「一方で、ヘラトの名人ミレキは“盲目は悪いことではない”と言いました。 “盲目は全生涯を美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜(たまわ)る最後の幸せである” と」

・「なぜならば、 “細密画とはアラーの神が世界をどのようにごらんになるかを絵の中で探し求めることだから”であるといいます。“画師は厳しい研鑽の果てに、精根尽きて盲目になる。そして、盲目の暗闇の中、記憶の底から眼前にアラーの光景〜アラーがこの世をどうごらんになるか〜があらわれる。その光景を紙の上にとどめるために、画師はその後の全生涯を手を慣らすことについやす”のだと」
・「当時のヘラトの名人たちは、写本を愛するシャーのために描く絵をいつかやってくる至福の盲目への準備とみなし、手の訓練と考えました。絶えず描き続け、毎日ろうそくの光の中で写本の絵を見続けました。名人ミレキは、苦労して髪や米粒の上に植物を描き、盲目に近づこうとしました。そして、彼はスルタンに見ることを許された写本の傑作を三日三晩見続けた後、盲目になりました」

・「アラーの神の不死の世界に到達したミレキは、“死なねばならない人間のために作られた写本には戻らない”と、そのあと二度と絵を描きませんでした。そしてこう言いました。“盲目の細密画師の記憶がアラーの神に到達したところには、絶対的な沈黙、幸福な闇、そして空白のページの無限さがある”と」
・「名人ミレキの影響で、タブリーズの古いタイプの名人たちの中には、年をとっても盲にならないのを恥じ、才能や技術が十分でないと思われるのを恐れて、盲人のまねをする人もあります。ある人は、暗闇の中で鏡の前に座ってランプの薄明かりの光でヘラト派の昔の名人たちのページを何週間も飲み食いもせずに眺めるのです」
・「(名人オスマンが言うには)”勝利者の様式を使うようにと、その模倣をするようにと強制されたとき、昔の偉大な名人たちは名誉を守るために、自ら針を刺して盲目となり、その褒美としての純粋な闇が降りてくるまでの間、顔も上げずに傑作を何日も眺め続けた。盲目に向かう甘美のなかで、それまで持っていた邪悪が消えていく。なんという幸福だろう!”」・・・・・
●これは小説ですが、著者は建築を学んだイスタンブール生まれの作家であり、執筆にあたっては相当資料を読み込んだと思われます。名人たちの生涯が誇張されて語られる面はあったにしても、14世紀、15世紀のイスラム世界の美意識や職人の考えの一端を垣間見ることができるのではないでしょうか。
●『わたしの名は紅(あか)』の読みどころは、スタイルと個人、伝統の伝承、新しい様式の形成、東洋と西洋など、また違うところにあるのですが、盲目になることの至福、美の極地は、私にイスラムの高度な象徴性や凝縮性を思い起こさせます。
●そして、この本は細密画のように、部分で見ても全体で見ても、読めば読むほど深みがあって引き込まれます。細密画を見続けているうちに、画師の魂が乗り移ったのではないかと思うほどです。そんな不思議な、リアルと幻想の間のような世界、これこそが細密画なのかもしれません。
*細密画は、「BAHRAM IN THE BLACK PALACE」(NISAMI’S “HAMSAH”/ウズベキスタン)

<名人ミレキの考え>
・・・・・「当時、細密画師がいちばん恐れていたのは、盲目になることでした。アラブの絵師は日出の時間に西に向かって地平線を眺めました。シーラーズの絵師は、朝食の前にクルミの実とバラの花びらをつぶしたものを食べたことが知られています。イスファハーンの絵師は、日の光がじかに工房の机にこないように、薄暗いところやろうそくの光のなかで仕事をしました。ブハラのウズベク人の絵師は、一日の仕事の終わりに祈って浄めた水で目を洗いました」
・「一方で、ヘラトの名人ミレキは“盲目は悪いことではない”と言いました。 “盲目は全生涯を美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜(たまわ)る最後の幸せである” と」

・「なぜならば、 “細密画とはアラーの神が世界をどのようにごらんになるかを絵の中で探し求めることだから”であるといいます。“画師は厳しい研鑽の果てに、精根尽きて盲目になる。そして、盲目の暗闇の中、記憶の底から眼前にアラーの光景〜アラーがこの世をどうごらんになるか〜があらわれる。その光景を紙の上にとどめるために、画師はその後の全生涯を手を慣らすことについやす”のだと」
・「当時のヘラトの名人たちは、写本を愛するシャーのために描く絵をいつかやってくる至福の盲目への準備とみなし、手の訓練と考えました。絶えず描き続け、毎日ろうそくの光の中で写本の絵を見続けました。名人ミレキは、苦労して髪や米粒の上に植物を描き、盲目に近づこうとしました。そして、彼はスルタンに見ることを許された写本の傑作を三日三晩見続けた後、盲目になりました」

・「アラーの神の不死の世界に到達したミレキは、“死なねばならない人間のために作られた写本には戻らない”と、そのあと二度と絵を描きませんでした。そしてこう言いました。“盲目の細密画師の記憶がアラーの神に到達したところには、絶対的な沈黙、幸福な闇、そして空白のページの無限さがある”と」
・「名人ミレキの影響で、タブリーズの古いタイプの名人たちの中には、年をとっても盲にならないのを恥じ、才能や技術が十分でないと思われるのを恐れて、盲人のまねをする人もあります。ある人は、暗闇の中で鏡の前に座ってランプの薄明かりの光でヘラト派の昔の名人たちのページを何週間も飲み食いもせずに眺めるのです」
・「(名人オスマンが言うには)”勝利者の様式を使うようにと、その模倣をするようにと強制されたとき、昔の偉大な名人たちは名誉を守るために、自ら針を刺して盲目となり、その褒美としての純粋な闇が降りてくるまでの間、顔も上げずに傑作を何日も眺め続けた。盲目に向かう甘美のなかで、それまで持っていた邪悪が消えていく。なんという幸福だろう!”」・・・・・
●これは小説ですが、著者は建築を学んだイスタンブール生まれの作家であり、執筆にあたっては相当資料を読み込んだと思われます。名人たちの生涯が誇張されて語られる面はあったにしても、14世紀、15世紀のイスラム世界の美意識や職人の考えの一端を垣間見ることができるのではないでしょうか。●『わたしの名は紅(あか)』の読みどころは、スタイルと個人、伝統の伝承、新しい様式の形成、東洋と西洋など、また違うところにあるのですが、盲目になることの至福、美の極地は、私にイスラムの高度な象徴性や凝縮性を思い起こさせます。
●そして、この本は細密画のように、部分で見ても全体で見ても、読めば読むほど深みがあって引き込まれます。細密画を見続けているうちに、画師の魂が乗り移ったのではないかと思うほどです。そんな不思議な、リアルと幻想の間のような世界、これこそが細密画なのかもしれません。
*細密画は、「BAHRAM IN THE BLACK PALACE」(NISAMI’S “HAMSAH”/ウズベキスタン)
●16世紀末イスタンブールの細密画(ミニアチュール)を巡る状況をミステリアスに描いた小説『わたしの名は紅(あか)』(オルハン・パムク)。オスマン朝スルタンの栄華の時代、イスラムの街の暮らしや美、とくに細密画や細密画師についての凝った描写が読み応えたっぷりの佳作です。

●細密画を見るときの印象も変わってきます。細密画ってすごい世界だなあ。濃い本で、まだまだ読めていないのですが、「盲目と記憶」という部分が細密画の核心を語っているようで惹かれました。タイル装飾の傑作・タブリーズのブルーモスクを作った王朝・黒羊(カラコユンル)朝の話であることも気になります。
●これを引用してご紹介したいと思ったのですが、この本、文章がかなり読みづらい。原文を生かしたものなのでしょうけれど、、。そこで本文をベースにorientlibrary風に再訳(?)してみました。タイルが描かれたヘラトの細密画(全体(↑)、細部(↓)〜建物、植物、タイル)に添えてどうぞ。
【名人アリの物語】
・・・・・「ペルシアの詩人ジャーミの『悪意の贈り物』をトルコ語に訳したもののなかに、黒羊朝のジハン・シャーの写本工房にいた高名な細密画名人、タブリーズのシェイク・アリが、写本のヒュスレヴとシリンの壮麗な版に挿絵を描いたときの話があります」

「アリの描く写本の挿絵がまだ制作途中のうちに、ジハン・シャーにはその本がこの世で比較するものもないくらいに壮麗な本に仕上がることがわかりました。けれどもひとつ気になることがありました。それは、この名人アリがジハン・シャーの宿敵である白羊朝の若き支配者ハッサンのために、さらに良い本を作るかもしれないということでした」
「ジハン・シャーは、この壮麗な写本を自分以外の誰も持つべきではないと考えました。そこで写本が完成したときにアリを殺すことに決めました。しかし心のやさしい後宮の美女が、盲目にするだけで十分ではないですかと説得したので、これを受け入れることにしました」
「恐ろしいシャーの考えは、アリの耳にも入りました。けれどもアリは、制作をやめることも、のろのろと描いて完成を送らせることもなく、またわざと下手に描いたりもせず、むしろ通常よりも熱心に働きました。早朝の礼拝の後、仕事を始めて、ろうそくの光で疲れた目から苦い涙があふれるまで、馬や糸杉や恋人たちや龍などを描きました」
「名人アリは、たいていの場合、ヘラトの昔の名人たちが描いたページを何日も眺めて、その絵を別の紙にまったくその通りに描きます。まったく同じ馬、糸杉、恋人たち、龍を。そして、ついに黒羊朝のジハン・シャーのために作成した写本が完成しました。シャーはまずほめました。次に金貨を浴びせました。そして先のとがった羽根飾り用の針でアリを盲にしました」
「名人アリは、その痛みが癒えるのも待たずにヘラトを去りました。そして白羊朝の王様ハッサンのところに行ってこう言いました。『私は盲目です。しかし私は写本の美しさのすべてを、すべての線、すべての筆運びを記憶しています。見ないでも手がすべてを描くことができます。そして、あなた様にこの世でいちばん美しい写本を描くことができます。なぜならば、目がもうこの世の穢れに惑わされることがないのですから』」
「ハッサンはアリの言うことを信じました。そしてアリもまた言にたがわず、この世に比類なき傑作を描きました。ハッサンはその後、戦いでジハン・シャーを打ち破りました。アリの写本がハッサンに精神的な力を与えたことを皆知っていました」・・・・・
●当時の細密画師は盲目になることを最も恐れていたといいます。しかし盲目は、全生涯をその美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜る最後の幸せという考えも、、。これについては次回に。
*細密画は『聖なる男を訪問するアレキサンダー』(1494/ヘラト)。描かれているのはヘラトの要塞。15世紀に作られたタイルに覆われた建物。

●細密画を見るときの印象も変わってきます。細密画ってすごい世界だなあ。濃い本で、まだまだ読めていないのですが、「盲目と記憶」という部分が細密画の核心を語っているようで惹かれました。タイル装飾の傑作・タブリーズのブルーモスクを作った王朝・黒羊(カラコユンル)朝の話であることも気になります。
●これを引用してご紹介したいと思ったのですが、この本、文章がかなり読みづらい。原文を生かしたものなのでしょうけれど、、。そこで本文をベースにorientlibrary風に再訳(?)してみました。タイルが描かれたヘラトの細密画(全体(↑)、細部(↓)〜建物、植物、タイル)に添えてどうぞ。
【名人アリの物語】
・・・・・「ペルシアの詩人ジャーミの『悪意の贈り物』をトルコ語に訳したもののなかに、黒羊朝のジハン・シャーの写本工房にいた高名な細密画名人、タブリーズのシェイク・アリが、写本のヒュスレヴとシリンの壮麗な版に挿絵を描いたときの話があります」

「アリの描く写本の挿絵がまだ制作途中のうちに、ジハン・シャーにはその本がこの世で比較するものもないくらいに壮麗な本に仕上がることがわかりました。けれどもひとつ気になることがありました。それは、この名人アリがジハン・シャーの宿敵である白羊朝の若き支配者ハッサンのために、さらに良い本を作るかもしれないということでした」
「ジハン・シャーは、この壮麗な写本を自分以外の誰も持つべきではないと考えました。そこで写本が完成したときにアリを殺すことに決めました。しかし心のやさしい後宮の美女が、盲目にするだけで十分ではないですかと説得したので、これを受け入れることにしました」「恐ろしいシャーの考えは、アリの耳にも入りました。けれどもアリは、制作をやめることも、のろのろと描いて完成を送らせることもなく、またわざと下手に描いたりもせず、むしろ通常よりも熱心に働きました。早朝の礼拝の後、仕事を始めて、ろうそくの光で疲れた目から苦い涙があふれるまで、馬や糸杉や恋人たちや龍などを描きました」
「名人アリは、たいていの場合、ヘラトの昔の名人たちが描いたページを何日も眺めて、その絵を別の紙にまったくその通りに描きます。まったく同じ馬、糸杉、恋人たち、龍を。そして、ついに黒羊朝のジハン・シャーのために作成した写本が完成しました。シャーはまずほめました。次に金貨を浴びせました。そして先のとがった羽根飾り用の針でアリを盲にしました」
「名人アリは、その痛みが癒えるのも待たずにヘラトを去りました。そして白羊朝の王様ハッサンのところに行ってこう言いました。『私は盲目です。しかし私は写本の美しさのすべてを、すべての線、すべての筆運びを記憶しています。見ないでも手がすべてを描くことができます。そして、あなた様にこの世でいちばん美しい写本を描くことができます。なぜならば、目がもうこの世の穢れに惑わされることがないのですから』」「ハッサンはアリの言うことを信じました。そしてアリもまた言にたがわず、この世に比類なき傑作を描きました。ハッサンはその後、戦いでジハン・シャーを打ち破りました。アリの写本がハッサンに精神的な力を与えたことを皆知っていました」・・・・・
●当時の細密画師は盲目になることを最も恐れていたといいます。しかし盲目は、全生涯をその美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜る最後の幸せという考えも、、。これについては次回に。
*細密画は『聖なる男を訪問するアレキサンダー』(1494/ヘラト)。描かれているのはヘラトの要塞。15世紀に作られたタイルに覆われた建物。
●誰が言ったか謎ですが、、<世界3大料理>とは、中国、フランス、トルコだそうですね。日本が入っていないという何とも怪しい定義で、とても納得できるものではありません。トルコが入るのも少し意外な感じ。地域的なバランス配慮!?
●そして今回知ったのです。<世界4大料理>という言われ方があることを。で、どこが加わるの?これがレバノンなんだそうです。(*以下の写真は、レバノンのメニューや文章と合致してはいません。雰囲気ということで、、) (→揚げパン入りボリュームたっぷりサラダ)
●レバノンを食から見てみたいと思います。レバノンに行った人は皆「食事が美味しかった!」といいます。私は観光でちょっと寄っただけですが、その限りでも美味しかったし、ワインもイケました。 (←ひよこ豆やなすのペーストなど前菜系が充実。右の緑のロールは葡萄の葉利用)
●シリアやヨルダンなど、あのあたり、食事がおいしい!なかでも、ヨーロッパなどでは「アラブ料理の代表はレバノン料理」という認知が高く、世界的にも人気がある料理なんだそうです。レバノンは地中海に面しており、気候は地中海気候。レモンの人口1人当たりの消費量は世界一!柑橘系の国ですね。
●レモン、オリーブ油、トマトソース、ゴマ、豆などをたっぷり使い、それらにアラブのスパイスをプラス。油っこくなく野菜をたくさん使ってヘルシー。洗練された食の体系があると思います。
●良質な葡萄の産地・レバノンはワインでも有名。世界で初めてワインを作ったのは、レバノン人の先祖であるフェニキア人。「フルーティでありながらコクがあり、まさに地中海の香りといったワイン」と言われます。「アラック」(アニス入りの葡萄の蒸留酒)も強いけど、地元の人は好きみたいです。(←アラブの名物!シャワルマ)
●イスラム教徒の多いすべての国が禁酒、ということはなく、私もトルコでもウズベキスタンでもインドネシアでも毎日ワインやビールを飲んでいました。クルアーンが教えるのは、酔って人前で恥ずべきおこないをしてはいけないということ。基本的な道徳です。イスラム圏と言われる地域には「皆で飲んで歌って踊って」が好きな、陽気で親しみやすい人たちが多いと感じます。 (→パレスチナにも美味しいビール有ります)
●そこで、レバノン料理の代表的なメニューをご紹介(レバノンだけでなく地中海料理ですが)。味わい深いディップ類が多くて、これがまたワインに合うんですよね! (←は、炭水化物ダブルだ!神戸そばめし風マカロニ入りプラフ)
* ホンムス HUMMUS(ひよこ豆のペースト) * ババガノーシュ BABAGANOUGE(なすとすりゴマのペースト) * タブーリ TABOULI (レバノンの代表的なサラダ) * ピタパン BREAD * ほうれん草のパイ FATAYER SPINACH * チーズロール RKAKAT CHEESE(白チーズの揚げ春巻) * キベ KIBBE (ビーフ挽肉入りのパイ) * ファラフェルとゴマソース FALAFEL WITH TAHANI SAUCE * シャワルマ SHAWARMA(ハーブで味付けした焼肉。チキンまたはビーフ)
*写真は、アラブ・トルコ・地中海料理店「カルタゴ」(東京・中野)にて撮ったものです。
●そして今回知ったのです。<世界4大料理>という言われ方があることを。で、どこが加わるの?これがレバノンなんだそうです。(*以下の写真は、レバノンのメニューや文章と合致してはいません。雰囲気ということで、、) (→揚げパン入りボリュームたっぷりサラダ)
●レバノンを食から見てみたいと思います。レバノンに行った人は皆「食事が美味しかった!」といいます。私は観光でちょっと寄っただけですが、その限りでも美味しかったし、ワインもイケました。 (←ひよこ豆やなすのペーストなど前菜系が充実。右の緑のロールは葡萄の葉利用)●シリアやヨルダンなど、あのあたり、食事がおいしい!なかでも、ヨーロッパなどでは「アラブ料理の代表はレバノン料理」という認知が高く、世界的にも人気がある料理なんだそうです。レバノンは地中海に面しており、気候は地中海気候。レモンの人口1人当たりの消費量は世界一!柑橘系の国ですね。
●レモン、オリーブ油、トマトソース、ゴマ、豆などをたっぷり使い、それらにアラブのスパイスをプラス。油っこくなく野菜をたくさん使ってヘルシー。洗練された食の体系があると思います。
●良質な葡萄の産地・レバノンはワインでも有名。世界で初めてワインを作ったのは、レバノン人の先祖であるフェニキア人。「フルーティでありながらコクがあり、まさに地中海の香りといったワイン」と言われます。「アラック」(アニス入りの葡萄の蒸留酒)も強いけど、地元の人は好きみたいです。(←アラブの名物!シャワルマ)
●イスラム教徒の多いすべての国が禁酒、ということはなく、私もトルコでもウズベキスタンでもインドネシアでも毎日ワインやビールを飲んでいました。クルアーンが教えるのは、酔って人前で恥ずべきおこないをしてはいけないということ。基本的な道徳です。イスラム圏と言われる地域には「皆で飲んで歌って踊って」が好きな、陽気で親しみやすい人たちが多いと感じます。 (→パレスチナにも美味しいビール有ります)
●そこで、レバノン料理の代表的なメニューをご紹介(レバノンだけでなく地中海料理ですが)。味わい深いディップ類が多くて、これがまたワインに合うんですよね! (←は、炭水化物ダブルだ!神戸そばめし風マカロニ入りプラフ)* ホンムス HUMMUS(ひよこ豆のペースト) * ババガノーシュ BABAGANOUGE(なすとすりゴマのペースト) * タブーリ TABOULI (レバノンの代表的なサラダ) * ピタパン BREAD * ほうれん草のパイ FATAYER SPINACH * チーズロール RKAKAT CHEESE(白チーズの揚げ春巻) * キベ KIBBE (ビーフ挽肉入りのパイ) * ファラフェルとゴマソース FALAFEL WITH TAHANI SAUCE * シャワルマ SHAWARMA(ハーブで味付けした焼肉。チキンまたはビーフ)
*写真は、アラブ・トルコ・地中海料理店「カルタゴ」(東京・中野)にて撮ったものです。
Tags:#食文化・美味しいもの
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