イスラムアート紀行

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中央アジアからインドへ。伝統織物の伝道師

前回記事のアジュラックについて、『インド 大地の布』(岩立広子さん/求龍堂)中の寄稿文「インドの染織 5000年の伝統」(ジャスリーン・ダミージャさん)に、素晴らしい解説がありました。今回は、この論文から多くを引用させていただきたいと思います。(写真は適切なものがなく、インドの衣装の雰囲気ということでムガル時代のインド細密画(東京国立博物館)、ブハラは古い建築装飾の幾何学模様などにしてみました)

* 「アジュラック染めは、青、赤、黒、なかでも藍による青を主体とした幾何学文様の木版染めだが、アジュラックという言葉そのものが、青を意味するアラビア語に由来する」

*「赤はアカネ染料で、黒は植物染料で下染めしたうえで、鉄とジャグリー(ココナツ椰子の樹液からとる粗黒砂糖)を酸化発酵させた媒染剤で染める。西欧でファスチン織りとして売られ、また東洋では香辛料と交換に取引されたのが、この布であった」

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(アジュラック制作過程/『AJRAKH patterns&borders』(anokhi museum of hand printing)より引用)

アジュラックが世界中の貿易業者をインドに引きつけたとダミージャさんは指摘します。一方で、インドも外国文化や周辺諸民族の影響を受けています。

*「フン族やスキタイ人、中央アジアの家畜放牧民など遊牧民族の流入により、テントの住居用布地や日用品、衣類などの織物を多用する遊牧生活の伝統がもたらされた」

*「10世紀にはアラビア人が西海岸に移住。外国文化の影響はますます強くなった。アラビア人が支配権を確立すると、アラビア文化の影響は組織的に浸透していった。イスラームの宮廷の伝統は、おそらくこの時期にインドにもたらされたものだろう」 

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(ジャハンギール立像/ビカネール派/18世紀後半/ジャハンギールはムガル帝国第4代皇帝。絵画を愛好し、この時代に芸術活動は活発化した/東京国立博物館東洋館にて撮影。文章は同キャプションより)

遊牧民の生活様式、イスラム宮廷文化、幅広い魅力的な文化の流入が、インド染織に磨きをかけていく様が想像されます。

*「緯糸を余分に足して紋を織り出す織物、ブロケードをインドにもたらしたのは、おそらくシリア人だったと思われる。中近東のシリアは、ブロケード生産のもっとも重要な中心地の一つだったからだ」(ブロケード(brocade)とは、サテン地に浮き模様を織り出した織物のこと)

*「「マッシュルー」(アラビア語で「許されているもの」の意味)は綿と絹の交織で、外側の見える部分が絹、裏側の肌に触れる部分が綿である。おそらくこれもアラビア文化を通してインドにもたらされたものだ。正統のイスラム教徒は肌に絹を直接つけることが許されなかったので、裏側に綿を織り込んだのだ」

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(テラスに立つハイデラバードの君主(ニザム)/ハイデラバード派/19世紀前半/豪華な金地縞花模様の上着やこれと似た文様の帯、左手に持つ長剣、右手の本、緑色の後光はこのニザムの地位の高さをよく示している。花壇、テラス、上をやや濃い色とした背景は、定型化した形式である/東京国立博物館東洋館にて撮影。文章は同キャプションより)

AZURE(青)とAJRAKHなど、言葉から類推されるつがなりがあるんですね。綿と絹の交織って、「正統のイスラム教徒は肌に絹を直接つけることが許されなかった」というところから始まったんでしょうか?オリジンはどこなんでしょう。興味深いです。そして次に、びっくりな一節がありました。

*「13世紀に中央アジアからもたらされ、インド伝統織物の重要な一部をなす技術がある。ブハラからグジャラート州スーラトに移住したナクシャバンディ派が導入した技術で、織機の上部にコードを張ってフレームに模様を織り出す技術である」

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(ブハラのカリヤンミナル。1172年建造。カラハン朝の壮大なミナレット。焼成煉瓦で幾何学模様を表現。この頃のブハラの都市としての勢いが伝わってきます。13世紀前半にモンゴル軍が侵攻したことが、織物職人のインドへの移住につながったのでしょうか/orientlibrary)

*「彼らの祖先は、スーフィー教ナクシャバンディ派の導師バフー・ディン・ナクシャバンディで、金のブロケードの複雑な文様をデザインする名匠でもあった」

*「このナクシャバンダ族(*)のグループは、スーラトからアーンドラ、アウランガバードやヴァラナシなもっとも重要な織物の中心地へ移住し、その地で織物業に従事し、族長バフー・ディン・ナクシャバンディへの尊敬を持ち続けた。それは今日も続いている」(* 族という意味がよくわかりませんが、、)

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(ブハラの金糸刺繍。ブハラ工芸を代表する名産物。土産物にも/orientlibrary)

ブハラは今でも金糸刺繍が盛んですが、スーフィーの導師がブロケードデザインの匠だったとは!染織の技術を各地に伝搬していくことと布教は重なり合っていたのでしょうか。ナクシシュバンディーの名を染織の本で見るとは思いませんでした。

インド、パキスタンと中央アジア、西アジアが好きで、その共通点やつながりを見つけては一人喜んでいる私、ブハラとグジャラートが染織を通じて重なり合うということに、すごくドキドキしてしまうのです。

でも、これって私だけかも、、。ですので、ダミージャさんの文の中から、染織や文化が好きな多くの方に興味のありそうな<インド哲学と染織>をご紹介して終わりにしようと思います。

*「染織に関連するサンスクリット語の言葉が、インド哲学の専門用語とつながりがあるのは、きわめて興味深い。たとえば、「スートラ(経典)」は仏陀の教えを「(糸を通して)つなぐ」という言葉からきている。タントラ教の行者が瞑想の行で精神を集中するために用いる図形「ヤントラ」は、今日でもゾロアスター教の「クシュティ」を織るのに使われる装置を指すが、もともと織機を意味するサンスクリット語である」

*「織機の経(たて)糸を巻く織巻(おまき)「スタンバ」は、聖なる柱「世界の柱」を指すサンスクリット語と関係があるとされる。ヨガや瞑想の奥義である「タントラ」は、経糸を指す「タントゥー」というサンスクリット語からきている。時を意味する「カラ」の概念は、経糸と緯(よこ)糸—昼と夜—を織り上げる、と表現される」

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(ブハラのマゴキ・アッタリ・モスク。イスラムタイル装飾初期(12世紀頃)より見られる複雑な多角星模様。連続しつながり合う模様、その凝縮力と広がり、趣きとしての典雅さ。イスラムの美の結晶というほど素晴らしいです。布を見た後では織物のように見えてきます/orientlibrary)

スーフィーの導師が織りなすブロケードといい、、織るという行為は神との合一への道筋に近いものなのでは、という思いがわいてきているこの頃です。
by orientlibrary | 2009-02-28 00:14 | 絨緞/天幕/布/衣装