イスラムアート紀行

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物理学者が語るアラベスクの不思議 

「ぼくはアラビア文様というのは、職人さんたちがいったいどんなふうにして作っていったか、それを知りたくてしょうがないな」。

◆ 数学的考察にもとづく美の世界  ◆
『美の幾何学』(中公新書/初版1979年。私の購入は数年前)の中で、伏見康治さん(1909年生まれ、物理学者)は、こう語っています。この本は、伏見さん、画家の安野光雅さん、創作パズル作家の中村義作さん3名の鼎談や文様論からなるもの。黄金分割、寄せ木文様、アラベスク、遠近法、四次元へと話題が広がっています。

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( “QARQBA”と呼ばれるモロッコのパターン。このデザインによるタイルはマラケシュのもの/『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE 』より引用)

初版の1979年とは、イラン革命があり、ソ連のアフガン侵攻があった年ですが、イスラム教やイスラム圏の文化に関する情報は今よりもさらに少なかったと思います。そんな時代に幾何学を真摯に追求するなかで、「アラベスク」が熱く語られていたのです。ピュアな「疑問」と「好奇心」から発せられる言葉の数々を、私はとても美しいと思いました。以下も「 」内は伏見さんの発言です。
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(ムカルナスのパターン図、モロッコ/『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE 』より引用)

 「ああいうのは紙の上で考えるのはいいんですが、織物なら織物の上にそれを実現していくのは、どういうふうに考えてやったかということですね」
 「とくに回教寺院の屋根みたいに曲面の文様をつくってゆくのは、たいへんにむずかしいと思うんです」(注:1979年頃にはまだ、イスラム教をさして「回教」という言い方がされていたと思います。回教寺院=イスラムの礼拝所=モスクのこと)
 「ふつうの敷石とかタイルの敷き詰め文様なら、並べていく最中にいろいろ考えながらやることも可能でしょうけど、アラビア文様は初めにプランがないとダメですね」
 「ですからかなりの数学的な考察にもとづいてああいう文様を考えたのか、そのへんが非常に疑問なんです。相当偉い、教育を受ければ数学者になるような人が職人さんたちのなかにいてやったんですかねえ」

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(アルハンブラ宮殿のパターン。右下はこのパターンを用いたモロッコの事例/『TRADITIONAL ISLAMIC CRAFT IN MOROCCAN ARCHITECTURE 』より引用)

テーマは幾何学ですが、未知の世界へのみずみずしい好奇心が伝わってきます。そして、基本に敬意があると感じられるのが、なんだか嬉しいのです。優れた学者さんほど謙虚で、異なる文化にも偏見がありませんよね。以下は、同氏のコラムからです。

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(パキスタン・ムルターンの「シャールクネ・アーラム」のモザイクタイル装飾デザインの分析/『ISLAMIC ARCHITECTURE OF PAKISTAN』より引用)

◆ 幾何学の専門家が考えるアラベスクとは ◆
 「アラベスク風の文様といっても様々であるが、ここでアラベスクとよびたいのは、折れ曲がった線がいろいろな方向に走っていて交錯して、全体として対称性を持っているようなもののことである」
 「寄せ木細工と今までよんできたものは、実は対称性が基本領域の中に閉じこもっていて、隣りの領域との関係は、境界のかたちだけである。アラベスクのような、それからそれへとつながっている文様を考えて、はじめて文様の幾何学がものになるような気がするが、これに関する研究はきわめて乏しいようである。」

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(パキスタン・ムルターンの「シャールクネ・アーラム」のモザイクタイル装飾デザインの分析/『ISLAMIC ARCHITECTURE OF PAKISTAN』より引用)

 「いったいアラビアの匠たちがどういう方法で、この複雑でしかも美しい幾何学文様を考え出したのか、私にはわからないが、おそらく方眼紙とか、斜眼紙とか、あるいはその類似品が下紙としてあって、その線に沿って折れ線をたどって行ったのではあるまいか」
 「そういう線をいくつか描いていけば、アラベスクの骨格が出来あがる。その上で、それらの折れ線が交わるところを、例外なく、交互に上下に「立体交叉」させるよう、描き換えていくのではなかったか」


◆ コンパスと定規によるデザイン ◆
アラベスクとは、イタリア語でアラブ風という意味のアラベスコから来た言葉だそうです。狭義には植物紋様を、広義には動植物紋様、幾何学紋様、文字装飾を組み合わせて作る装飾技法の総称だということです。数学が高度に発達したイスラム世界で多彩な発展をみせ、イスラム美術の象徴ともいえるものです。

「イスラームの建築はコンパスと定規を用いて考案される。その造り方は幾何学紋様と同様である」(『イスラーム建築の見かた』/深見奈緒子さん)との指摘通り、コンパスと定規による華麗な幾何学(〜アラベスク)パターンの驚くべき多彩な事例、タイルへの応用が紹介されているイスラム美術の専門書もあります。数学が超弱いので、そのパターンについて詳細なご紹介ができません。写真をご参照ください。

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(パキスタン・ムルターンの「シャールクネ・アーラム」のモザイクタイル装飾デザインの分析/『ISLAMIC ARCHITECTURE OF PAKISTAN』より引用)

以前、「(イスラムタイルの)幾何学文様は繰り返しなので製作が簡単」と「レクチャー」したインテリア関係者がいました。また、アメリカの科学論壇で最近「発見」され話題になった幾何学パターンは、800年以上も前からイスラム建築の壁面を装飾していました。こういうことに、うんざりします。私が伏見さんの言葉をドキドキしながらうれしく読んだわけを、ご理解いただけるのではないかと思います。


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by orientlibrary | 2008-01-31 20:14 | タイルのデザインと技法