イスラムアート紀行

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中央ユーラシアの現在、「イスラム復興の潮流」

「イスラムアート紀行」というタイトルをつけるとき、「イスラム」ではなく「イスラーム」にすべきなのか、ちょっと迷いました。でも、「イスラームアート紀行」と「—」がふたつ続くと、泰然悠々としたイメージになり、自分とは違う気が、、。キレ感のある方にしました。

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◆ 「イスラム」と「イスラーム」 ◆
が、いつかは文章の中だけでも、「イスラーム」にすべきなのか、とときどき迷います。というのも、イスラム関係のセミナーを受講したり、本から文章を引用すると、そこでは「イスラーム」になっていることが多いので、地の文と引用文で言葉が違い、全体が混乱してしまうからです。

前回ご紹介したシンポジウム@和光大学、「『シルクロード』は、いま 〜中央ユーラシアの現在をさぐる〜」、今回は「イスラーム復興の潮流とその行方」(講師:小松久男さん)にチャレンジしようと思うのですが、レジュメにはたくさんの「イスラーム」があります。

ブログでは「イスラム」と書かせて頂きたいと思います。先生の元々のレジュメやお話は「イスラーム」です。ご了解ください。また、『中央ユーラシアを知る事典』/平凡社/「イスラーム復興」の稿は小松先生担当)より引用する場合も、同様とします。こちらもどうぞご了解ください。もし今後、「イスラーム」に変えても、「イスラム金融」など一般化している言葉もあり、同じ問題が出てきそう。あ〜〜〜、、外国語の表記って難しいよ〜!これから、どうしたら(悩)??

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◆ イスラム文明に貢献してきた中央アジア  ◆
本題に入ります。「イスラーム復興の潮流とその行方」、気になりますよね。「ソ連時代、中央アジアのイスラムは長く停滞を強いられた。しかしペレストロイカ期に宗教の自由化が進むと、イスラム復興が政治と社会、文化など幅広い領域で見られるようになった。それは現代中央ユーラシアの動態の中でもひときわ顕著な動向の一つである」(『中央ユーラシアを知る事典』)。なるほど、やはり大きな動きなんですね。

でも、中央アジアって、中東などのイスラムの「本場」と比べると、アジア的というか、どこかライトな印象もあるんですが、、。「中央アジアのイスラーム化は8世紀以降徐々に進行」 「イスラム教は中央アジアの文化の基層に大きな役割を果たしてきた」。そして、「イスラムの辺境のようなイメージがあるが、イスラム文明に大きな貢献をしている」。

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(ブハラ/サーマーン廟)

「たとえば9世紀の学者ブハーリーによるハディース(予言者ムハンマドの言行録)の集成」「それまでは口承だったが、話が変わっていきがち。ブハーリーは各地を巡り歩き100万とも言われる中から正しいものを厳選。もっとも信頼できるものとして今もスンニ派に受け継がれている」。ブハーリーはブハラ生まれ。9世紀のブハラは、西のイスラム世界と活発な交流のあったサーマーン朝時代。人も知識もダイナミックに動いてたんですね!

◆ ソ連時代 イスラムへの抑圧 ◆
それから1000年もの間、王朝は興亡しましたが、イスラムは中央アジアにしっかりと根を張っていきます。「帝政ロシアの植民地だった時代でも、活力を持って維持されていた」そうです。それがガラッと変わるのがロシア革命。

「中央アジアで民族共和国が成立(1924年)し、民族への帰属意識が成長」「イスラムの地位や役割が奪われていった」「イスラムに対する抑圧と統制。ムスリム聖職者に対する攻撃と無神論宣伝。イスラム的伝統の除去とソビエト文明の扶植。中央アジア・カザフスタン・ムスリム宗務局の創設(1943年)」などが進行し、「民族的な伝統・慣行として」冠婚葬祭の中に受け継がれ、生き残っていったそうです。このあたりは、私の好きな陶芸の分野でも話を聞きます。ソ連時代は伝統が否定され、職人も工場に動員されて大量生産の商品を作ったそうです。

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(ウズ独立以前のものと思われるパンフレットより)

◆ ペレストロイカ期 信仰や伝統回帰の動き ◆
近年の変化は急です。「1970年代、革新派(ムジャッディーヤ)の出現」「疎外、閉塞感からの解放、体制批判」「外からの衝撃(イラン・アフガニスタン)」「『真のイスラーム』への回帰とその実現へ」。グローバルなイスラム復興の潮流が、中央アジアにも流れ込んできました。イランとアフガニスタンに囲まれた地域である、というのは大きいですよね。

このような動きにたいして、柔軟なハナフィー派のヒンドゥスターニーという人は伝統的な中央アジアのイスラムを守ろうとして、「聖戦」を戒めたそうです。イスラムの中でも対立や分裂が深まっていきました。こうした中で、ヒンドゥスターニーが「厳格な復古主義で知られるサウジアラビアのワッハーブ派にちなんで革新派に与えた<ワッハービー>という呼び名は、中央アジアのイスラム復興主義者、過激派の通称となっている」(『中央ユーラシアを知る事典』)。ワッハービーって、中央アジア生まれの言葉だったんですか!

さて、ペレストロイカ期です。89年、「イスラムの信仰と慣習は自由にして不可侵」とされ、宗教の自由が保障されます。中央アジアのイスラムは覚醒し、信仰や伝統を回帰しようという動きが高まります。全連邦イスラム復興党も結成(1990年)されます。

そして91年、中央アジア諸国は独立。指導者たちは、「世俗主義の原則は堅持しながら、イスラムは民族文化の重要な要素であり、国民統合の要因になりうることを理解」(『中央ユーラシアを知る事典』)していました。たくさんのモスクやマドラサなどが建設され、街にはイスラムの教義を解説した冊子があふれます。指導者たちもメッカ巡礼など、競ってイスラム信仰をアピールしたそうです。

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◆ 政治化するイスラーム ◆
ところが、次第にイスラムの政治化が進展。とくにウズベキスタンとタジキスタンで顕著になります。ウズベキスタンでは、フェルガナ地方のムスリム組織が活性化。原理主義の脅威を認めた政権は抑圧を強め、その結果、組織の地下潜行と流亡化(タジキスタン、アフガニスタンへ)が進みます。

タジキスタンでは内戦(1992-97年)に。タジキスタン・イスラム復興党と旧共産党政党の武力抗争、そしてソ連時代に形成された地域間の権力闘争などがからみ、アフガニスタン内戦との連動など危機が拡大します。国民和解が成立したのは1997年。イスラム復興党は政治参加(イスラムを基盤とする党が認められている中央アジア唯一の国)しています。

「1990年代半ば、ちょうどタリバーンがアフガニスタンで勢力を確立する頃から、中央アジアの南部でイスラム武装勢力(タリバーンの支援を得た「ウズベキスタン・イスラム運動」)とグローバルなイスラム復興組織(49年にヨルダンで結成された「イスラム解放党」)の活動が顕著となった」(『中央ユーラシアを知る事典』)。1999年2月にタシケント爆弾テロ事件、8月にはキルギスでの拉致事件が起き、日本でも関心が高まりました。

その後、911以後の中央アジアへのアメリカ軍の配置、上海協力機構(2001設立・中央アジア4カ国+中国、ロシア)など、中央アジアの政治と社会は、政治の民主化、社会経済的な諸問題解決を模索し続けます。

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(モノカルチャーの名残、ウズベキスタン綿花畑)

◆ イスラム復興 その現在と未来 ◆
そんな中で起きたのが、05年5月の「アンディジャン事件」(ウズベキスタン東部アンディジャン市において武装勢力が刑務所等を襲撃し、同市で政権の退陣を求める住民デモが発生。治安部隊が武装勢力を鎮圧した際、一般市民に数百人の死者が生じたとされる/外務省HPより)。これを契機にウズベキスタンとアメリカとの関係が悪化。ウズベキスタンはロシアと関係を強めていくことになります。

「中央アジアのイスラム復興は、ソ連崩壊という巨大な渦から発したともいえる」「この大渦から生まれたイスラム復興の波は、程度の差こそあれ、ヴォルガ・ウラル地方、北カフカース、中国新彊など、中央ユーラシアのほぼ全域に及んでいる」「イスラムをどこに、どのように位置づけるのか、イスラムは個々人の信仰の中におさまりきるのか、それとも広く社会と政治の領域においても積極的な意味を持つべきなのか。これは現代の中央アジアが直面している重要な課題なのである」(『中央ユーラシアを知る事典』)。

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ソビエトという時代の経験、世界的なイスラム復興気運、911以後の地政学的な影響、拡大する地域内格差、、、そうか、、個々に見ていたこの地域の事象、「中央ユーラシア」という地域概念で見直してみると、その底流にあるものが、見えてきたような気がします。以前より大きな視点で見られるようになり、勉強になりました。

最後に、旅行者の私の印象でしかないのですが、中央アジアのイスラムは柔らかで、日々の暮らしの中で息づいている感じがします。それが好きです。フェルガナでも、穏健で謙虚で信心深い人たちに多く会いました。それがフェルガナファンになった理由のひとつです。フェルガナ=過激派では、残念です。報道される「過激派」の後ろに、大多数の穏健な人たちがいること、ニュースなどを見られたときなどに思い出して頂ければ、とても有り難いです。


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by orientlibrary | 2007-12-16 14:25 | 中央アジア5カ国