イスラムアート紀行

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日本人の「かざり」ごころを揺さぶる 中央アジア染織世界

遊牧民の毛織物というと、移動するのだから持ち物は必要最低限、気候はきびしい。だから「機能性重視」と思いがち。ところが先日、西アジアの毛織物の専門家は、装飾的な袋類や動物飾りなどを例に見せながら、「 “用の美”という言葉があるが、遊牧民の持ち物は決して用の美ではない。非常に装飾的」と強調されていました。

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(塩袋。塩を貯蔵するという機能性よりもむしろ装飾的、飾りと言えそうだ)


◆ 機能よりもかざりが大事! ◆
先日ご紹介した展覧会「シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの芸術」は“かざり”がコンセプトでした。展覧会図録の「中央アジアとコーカサスのかざり」(田辺昌子さん)という原稿で、企画の意図を感じることができます。

「近代の機能主義は、機能の追求に伴って“機能美”というものを発達させた」「我々は今、機能美こそが趣味がいいと感じている」

「展示された中央アジアとコーカサスの美術が、決して機能美でないことは確かである。腕を通さないかざり袖のついた衣装、人間の動きなど優先されない重く大きい装身具の数々、、この世界では、機能より美・かざりが常に優先されているのである」

しかし、「それらは機能美、シンプルな美に高い価値観をおく現代の日本人にとっても、趣味の悪いものではないどころか、むしろ親しく満たされて感じられる美である」。前々回の記事で、中央アジアの染織がなぜか懐かしく感じられると書きましたが、その背景にはこのような感覚もあるのかもしれません。

その核心にあるのは、「ここに表された原初的なかざりの要求こそ、過去日本においても美の喜びを方向づけてきた共通のものである」からであり、「日本人は飾りたいという要求を強く持った民族であり、どこか共通する美意識を持っている」

そして、「日本の機能社会では、もうこれだけのエネルギーをかざりに費やすことがむつかしくなってしまったが、かざりへの関心は、ほとんど本能的なものとして残されている」と筆者は強調します。

遊牧民や部族の華やかな毛織物、過剰とも思える装飾を見ていると、彼らの暮らしを感じます。鮮やかな色や装飾=「かざり」は、暮らしの美であり、癒しであり、娯楽であり、情報であり、個性の表現であり、部族の歴史の表象であり、家族や暮らしを支えてくれる動物への愛情であることを感じるのです。

遊牧生活と関連の深いオアシス文化を基盤とする中央アジアにも、このセンスが息づいているのではないかと思います。


◆ 中央アジアと日本の衣装 比較! ◆
そして、私たち日本人の中にもある「かざりの本能」・・・シンプル志向の現代からは考えにくいのですが、今回は、中央アジアの衣装と日本の衣装を見比べてみました。すると、、

<1> 縞対決!・・・<ウズベキスタン・サマルカンド/男性用外衣チャバン/絹絣/1920年>VS<日本/縞に幾何学文着物/麻絣/沖縄>・・・ウズベクの色合いが粋!
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<2> 伊達対決!・・・<ウズベキスタン/少年の衣装/アトラス絣/19世紀末>VS<日本/陣羽織/羅紗/桃山時代>・・・華の桃山、飾りの時代!
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<3> 赤対決!・・・<トルクメニスタン/女性の銀飾り付きドレス、ガウンなど/絹>VS<日本/歌舞伎衣装/真紅の振り袖打掛〜通天閣に楓文様打掛/金糸刺繍>・・・日本の方が派手、、トルクメンの衣装は「はちかつぎ姫」みたい
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日本、すごいぞ〜!

*写真は、『シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの芸術』展図録、『偉大なるシルクロードの遺産』展図録、『日本の染織 日本の絣』『日本の染織 武士の装い』『日本の染織 歌舞伎衣装』(いずれも京都書院美術双書)より引用
by orientlibrary | 2006-10-07 00:15 | 絨緞/天幕/布/衣装