イスラムアート紀行

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細密画師の幸福の闇 無限の空白の頁

前回に続き、16世紀末イスタンブールの細密画(ミニアチュール)を巡る状況をミステリアスに描いた小説『わたしの名は紅(あか)』(オルハン・パムク)の、「盲目と記憶」の部分より、本文をベースにorientlibrary風に書いてみました

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<名人ミレキの考え>
「当時、細密画師がいちばん恐れていたのは、盲目になることでした。アラブの絵師は日出の時間に西に向かって地平線を眺めました。シーラーズの絵師は、朝食の前にクルミの実とバラの花びらをつぶしたものを食べたことが知られています。イスファハーンの絵師は、日の光がじかに工房の机にこないように、薄暗いところやろうそくの光のなかで仕事をしました。ブハラのウズベク人の絵師は、一日の仕事の終わりに祈って浄めた水で目を洗いました」

「一方で、ヘラトの名人ミレキは“盲目は悪いことではない”と言いました。“盲目は全生涯を美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜(たまわ)る最後の幸せである” と」

「なぜならば、“細密画とはアラーの神が世界をどのようにごらんになるかを絵の中で探し求めることだから”であるといいます。“画師は厳しい研鑽の果てに、精根尽きて盲目になる。そして、盲目の暗闇の中、記憶の底から眼前にアラーの光景〜アラーがこの世をどうごらんになるか〜があらわれる。その光景を紙の上にとどめるために、画師はその後の全生涯を手を慣らすことについやす”のだと」

「当時のヘラトの名人たちは、写本を愛するシャーのために描く絵を、いつかやってくる至福の盲目への準備とみなし、手の訓練と考えました。絶えず描き続け、毎日ろうそくの光の中で写本の絵を見続けました。名人ミレキは、苦労して髪や米粒の上に植物を描き、盲目に近づこうとしました。そして、彼はスルタンに見ることを許された写本の傑作を三日三晩見続けた後、盲目になりました」

「アラーの神の不死の世界に到達したミレキは、“死なねばならない人間のために作られた写本には戻らない”と、そのあと二度と絵を描きませんでした。そしてこう言いました。“盲目の細密画師の記憶がアラーの神に到達したところには、絶対的な沈黙、幸福な闇、そして空白のページの無限がある”と」

「名人ミレキの影響で、タブリーズの古いタイプの名人たちの中には、年をとっても盲にならないのを恥じ、才能や技術が十分でないと思われるのを恐れて、盲人のまねをする人もあります。ある画師は、暗闇の中で鏡の前に座ってランプの薄明かりの光でヘラト派の昔の名人たちのページを何週間も飲み食いもせずに眺めるのです」

「(名人オスマンが言うには)”勝利者の様式を使うようにと、その模倣をするようにと強制されたとき、昔の偉大な名人たちは名誉を守るために、自ら針を刺して盲目となり、その褒美としての純粋な闇が降りてくるまでの間、顔も上げずに傑作を何日も眺め続けた。盲目に向かう甘美のなかで、それまで持っていた邪悪が消えていく。なんという幸福だろう!”」

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これは小説ですが、著者は建築を学んだイスタンブル生まれの作家であり、執筆にあたっては相当資料を読み込んだと思われます。名人たちの生涯が誇張されて語られる面はあったにしても、当時のイスラム世界の美意識や職人の考えの一端を垣間見ることができるのではないでしょうか。

『わたしの名は紅(あか)』の読みどころは、スタイルと個人、伝統の伝承、新しい様式の形成、東洋と西洋など、また違うところにあると思いますが、盲目になることの至福、美の極地は、私にイスラムの高度な象徴性や凝縮性を思い起こさせます。

そして、この本は細密画のように、部分で見ても全体で見ても、読めば読むほど深みがあって引き込まれます。細密画を見続けているうちに、画師の魂が乗り移ったのではないかと思うほどです。そんな不思議な、リアルと幻想の間のような世界、これこそが細密画なのかもしれません。

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by orientlibrary | 2006-09-24 13:48 | 中東/西アジア