イスラムアート紀行

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フェルガナ陶芸の故郷 リシタン・伝統の青

先日、フランスから帰国した日本の陶芸家の話を聞く会がありました。フランスにもリモージュなどの産地がありますが、ヨーロッパではセットの食器が一般的なため、作家ものはあまり売れず、彫刻的な置物などに活路を見いだしているというお話でした。

日本では、日々の食卓で焼き物がおおいに活躍します。お金持ちだけ、ハレの場面だけでなく、焼き物が普段の生活に彩りを添えています。フランスの陶芸家は「日本はいいなあ」とうらやましがったそうです。こと焼き物に関しては、私はけっこう日本贔屓です。ウズベキスタンの陶芸についても、あまり意識したことがありませんでした。

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(白地緑彩深皿(9世紀・サマルカンド/『偉大なるシルクロードの遺産』より引用)

しかし陶芸とタイルは影響しあっています。中世、世界的に見ても突出した装飾タイルが展開した地・ウズベキスタン。8〜9世紀にはすでに、マーワラーアンナフル(中央アジア南部のオアシス地域を指す。アラビア語で“河の彼方の地”の意味)に釉薬を施した陶器が登場し、広く用いられていたといいます。

11〜12世紀には高度な技術を確立。陶器文化の中心地が各地に形成されたました。最大の中心地はサマルカンド(当時はアフラシャブ)。シャシ、フェルガナ、チャガニアなどの陶器も有名だったそうです。このあたりは書き出すと長くなってしまいそう。今回は一気に青い陶器で名高いリシタンに飛びます。

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(カップと大皿。カップは19世紀末・フェルガナ。大皿は1908年・リシタン/『シルクロードのかざり 中央アジアとコーカサスの美術』より引用)

フェルガナ盆地にあるリシタンは「フェルガナの陶芸芸術のふるさと」と言われています。良質の陶土に恵まれ、千年以上前から陶芸がおこなわれていました。中世にはシルクロード沿いの町々で人気を博しました。

14世紀末、ティムールがサマルカンドからリシタンに数名の陶工を送ったのは、有名な話です。その狙いは、当時の中国の磁器製造の秘密を明らかにすることだったと考えられています。しかしこの試みは失敗しました。フェルガナ盆地には良質のカオリンが産出されなかった>からです。

しかしリシタンでは、地元の土を使いファイアンス(堅く焼かれた彩色陶器)を作る技術を生み出しました。白い地に青で絵付けしたこの陶器は「チーニー」(中国)と呼ばれ、19世紀に盛んに作られました。古代の太陽や月、宇宙の象徴である円や螺旋、ザクロや鳥などの美しい絵が職人によって描かれました。絵付けのスタイルは、むしろウズベキスタンのオリジナルといえるようです。

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(古リシタン陶器。リシタンの工房にて) 

しかし20世紀初頭には安価なロシア製品に市場を奪われ、ソ連時代には工場の労働者となるなど、生産と市場も大きく変容。けれども陶工たちは、この間も技術の伝承を維持してきたといいます。独立後は伝統が再評価されるなか、陶器製作も活性化しているようです。

またリシタンでは、他の産地が工業製品の釉薬を使うことが多くなるなかで、ウズベキスタン伝統の天然釉「イシクール」を上薬に使っていることも大きな特徴です。イシクールは彼らだけが知る砂漠に咲く灌木の灰から作られるもの。今回はその写真も撮ることができましたが、詳細は次の機会にしたいと思います。

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(大皿=アリシェル・ナジロフ氏作品、ウズベキスタン国立工芸博物館所蔵。アリシェル氏は日本の九谷と交流があり、九谷の繊細な画風が反映された作品も多い)

リシタン陶器は形状も多彩。大皿からボウル、ジャー、ピッチャー、ポット、保存容器、壷など商品開発にも熱心です。海外で個展を開催したり、日本の産地と交流して技術を高めるなど熱意あふれる陶芸家もいます。その筆頭がアリシェル・ナジロフさんです。アリシェルさんとリシタン、そしてウズベキスタン各地の個性的な陶芸産地については、これから少しずつ書いていきます。

*ウズベキスタンの陶芸についてはスタディの途中です。資料も豊富ではありません。可能な限り、修正等を加えていきます。ラフ段階の記事であることをご了承ください。
by orientlibrary | 2006-07-06 20:47 | ウズベキスタンのタイルと陶芸