イスラムアート紀行

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蒼の都サマルカンド モザイクタイルの発展

ウズベキスタンの魅力、何をあげるかは人それぞれでしょう。私の場合は、やはりタイルへの思いが強くあります。たしかに、タイル装飾の博物館とも称されるサマルカンドの「シャーヒ・ズインダ」は近年の修復によって、雰囲気が大きく変わりました。歴史的な建造物のオリジナルの個性を変容させてしまうタイプの修復については、今後への課題を残しているのではないかと思います。

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それでもなお、いえ、ますます、ウズベキスタンのタイル装飾、土の建築文化は、私を惹きつけます。今回は、より素朴な土壁の住まいを見たり、各地の意欲のある陶芸家の方々に出会い、土〜陶の世界の魅力にさらに入り込んでしまった、というのが実感です。

以前も書きましたが、サマルカンドでもレギスタン広場やビビハニムは、今もなお、タイル装飾の美と建造物の歴史的な雰囲気を味わえると思います。

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(先月撮ったレギスタン広場の「シェルドル・マドラサ」:1636年。ライオンと人の顔が描かれた文様で有名)。

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(レギスタン広場の古い写真)

これを見ると、やはり構造体の修復は必須だということがわかります。タイルは、かなりオリジナルのものが残っていたことがわわかります。現在ずっと平面での広場になっているあたり、一段下の段差がわかるのも興味深い写真です。

装飾タイルが開花するのは14世紀のイラン〜中央アジアです。モザイクタイルが壁面を覆うばかりに埋め尽くし、文様も流麗な植物文様が登場します。とくにティムールが1397年に首都としたサマルカンドは、建造物を彩るタイルの色から「青の都」とも呼ばれます。

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イルハーン朝の時代に萌芽したモザイクタイル装飾は、ティムール朝の時代になって大発展を遂げました。モザイクタイルはペルシア語で「モアラッグ」と言われます。様々な色調の施釉タイルを文様に合う形に刻み、それらを組み合わせて文様を表現するのです。

モザイクタイルでの装飾には、大変な手間と莫大な費用がかかりました。10センチ四方のモザイクタイルを製作するには一人の職人が一日8時間働いて2日かかったそうです。壁面を埋め尽くしたモザイクタイルは、圧倒的な美の表現であると同時に、強大な権力の象徴でもあったのではないでしょうか。

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オアシス都市サマルカンド、真っ青な空よりもさらに蒼く輝く壮大なドームやミナレット。サマルカンド人だけでなく、行き交う旅人はどんな思いで見上げたのでしょうか。

そしてティムールがイランや中央アジアを支配していた同時代、イラクやイラン北西部は、カラ・コユンル朝(1375頃〜1469年)、アナトリア東部を中心とする地方はアク・コユンル朝(1378年頃〜1508年)という>二つのトルコ系王朝が統治していました。

カラ・コユンル朝、、そうです。このブログのロゴにもしている「ブルーモスク」(タブリーズ)を建造した王朝です。セルジューク朝、イルハーン朝、ティムール朝、カラ・コユンル朝。個人の好みなのですが、私は洗練された美の極致であるサファビー朝やオスマントルコのタイルよりも、草創期から発展期の、この時代のタイルに心惹かれます。イキイキしている感じがします。もっと知りたいし、見ていきたい時代と地域です。
by orientlibrary | 2006-06-23 02:23 | ウズベキスタンのタイルと陶芸