イスラムアート紀行

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イスラムの地のアルメニア建築 独特の美の世界

●イスラムの美を堪能できるイランやトルコに、イスラム建築ではないけれど、何か気になる建物があります。アルメニア教会です。この不思議さはなんだろう、という疑問から、前回から少し書き始めています。

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●日本アルメニア友好教会のホームページには、アルメニアについての詳細でわかりやすい情報が満載です。歴史については次のような文章から始まります。「アルメニアの故地は,チグリス・ユーフラテス川源流域です」。

●「アルメニア高地は,中国,インド方面からの通商路がアラクス川流域を緩やかに溯り,コーカサス山脈と黒海のあいだを北上して欧州ロシアにいたるルートや,ユーフラテス源流域を西進してアナトリア高地を抜け地中海に出るルートなどが合流するところで、重要な交易ルート上にありました」。教会建築が花開いた「アルメニア高地」とは、このエリアをいうのですね。


●しかし内陸の交易ルートというのは、多くの民族にとって魅力的な場所でもあるのでしょう。「このように,通商路,戦略的要衝に位置し、多くの資源にも恵まれたアルメニアは、大勢力の野望を誘ったため、国家を建設・維持できたのは断続的でした」。

●9世紀のバグラット王朝の繁栄と絶頂期を迎えた教会建築については、前回ご紹介しました。しかし10世紀末からはビザンチン帝国やセルジュク族が侵攻。さらにモンゴル帝国,ティムールなども侵入し国土は荒廃。多くのアルメニア人が他所に移住しました。

16世紀以降は、オスマン帝国とサファビー朝ペルシアの間で争奪戦となり,両国に分割され「トルコ領アルメニア」「ペルシア領アルメニア」に。ペルシア側は後にロシアに割譲された結果「ロシア領アルメニア」に。そしてソ連崩壊によって独立国となるという、なんとも複雑な歴史です。

●現在、私たちがイランやトルコで見るアルメニア教会は、バグラット王朝期のもの(アクダマール島の教会)〜両国に分割された時のもののようです。文様や造形について手持ちの写真で見比べてみたいと思います。(建築全体については写真がないものもあり省略します。あくまでディテールです)。


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サファビー朝期、1655年に建てられたイスファハーン・ジョルファのヴァーンク教会(→)。<イスラム/ペルシア>と<キリスト教/ヨーロッパ>が混合しています。

●大聖堂の入口にはタイル装飾があり、内部天井には幾何学文が、内壁にはキリストと聖グレゴリの生涯が描かれています(↑上の写真)。

●「カフェトライブ」さんの記事にもあったように、入り口のアーチにイスラム建築の特徴である「ムカルナス(鍾乳石飾り)」が施されています。タイル装飾といい、イスラムとの混交が明らかです。

●ムカルナスやタイル装飾は、同時代のイスファハーンのモスクの美の極致のような世界とは比べるべくもありませんが、静かで深く、何か訴えかけてくるものがある教会だと思います。


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●北西イランをひたすらトルコ国境へ。国境まで50キロというあたりの山の中に突然尖塔が見えてきます。アルメニア正教の聖地カレ・カリサー、聖ダディオス教会(黒の教会)です(←)。


●現在の建物は17世紀に再建されたものです。外壁にはレリーフがあります。精緻で綺麗ですが、アクダマール島の教会のような簡素な温かさは感じられず、じつはここでは写真をほとんと撮っていません。






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●こちらはトルコ東部、イランとの国境に近いドゥバヤジットの山腹に建つ宮殿「イサクパシャ」(→)。

●17世紀にクルド系の王朝が100年近い年月をかけて建立したもので、セルジュク、オスマン、ペルシャ、アルメニア様式が混在しています。

●外壁のレリーフが見事。生命の樹など立体的で複雑なものがたくさんありました。レリーフは権力を示すものだったのではないかと思えてきます。



●今回こそは特徴を考えようと思っていましたが、またまた記事が長くなってしまいました。世界の宗教建築に造詣の深い神谷武夫さんの言葉で、次の機会につなぎたいと思います。「アルメニアが中東にありながら、ビザンチン様式に組み込まれず、独自の建築スタイルを発展させえたのは、コンスタンチノープルの支配に屈せず、独立した教会を維持し続けたせいだったかもしれない」。

*写真一番上は「ジョルファのヴァーンク教会」。現在は内部撮影禁止らしいですね。15年前はフラッシュ禁止でしたが撮影はできました。
by orientlibrary | 2006-05-07 23:57 | 中東/西アジア