イスラムアート紀行

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見るほどに味わいが深まる アルメニア教会のレリーフ 

●イスラムのタイルと建築ファンの私にとって、アルメニア建築というのはピントの合わないものでした。キリスト教自体をほとんど知らないし、教会建築への興味も低いというのが正直なところです。しかし、トルコやイランで見たアルメニア教会(遺跡含む)の中に、イスラムに近い求心力を感じたものがありました。簡素ながら、とても力強く、リズム感があり、そして何か突き抜けたものがあるのです。

●そして最近、「写真でイスラーム」さん、「カフェトライブ」さんが、アルメニアの教会建築や模様について書いていらっしゃるのを見て、もう一度自分の写真を見返してみました。すると、皆さんが指摘されている模様や特徴が、たしかにあるのです。アルメニアの建築やデザインは、イスラム建築以上にマイナー。意識して追いかけないと、現地で見る機会があっても、ぼんやりやりすごしてしまうなあと思いました。そんなわけで、少し調べてみることにしました。
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●すると、、、アルメニア建築って、深いです。おもしろい。まず、押さえる必要があるのは、世界で最初にキリスト教を国教にした(301年)のがアルメニア王国だったということです。そしてその数十年後から、教会建築がアルメニア高地全域で花開きはじめます。

●アルメニア正教は、アルメニア教会を確立した聖グレゴリウスにちなんで「東方キリスト教の中のグレゴリウス派」と呼ばれることもあるそうです。またアルメニア教会は,キリストの神性を重視するキリスト単性論に属する東方教会のひとつであり、現在も世界に独自の教会組織をもっています。
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●この点について、アルメニアの女性が語っている言葉が印象的です。「アルメニア文化には、ウラルトゥ、ペルシャ、ギリシャなどの精神文化が吸収されている。アルメニアが誇る歴史の一つに、世界初のキリスト教の国教化がある。宗教会派上の独自性ゆえに、ローマ、ピザンチン教会派などとは対立した。この国教化のためにアルメニア教会は民族の中軸的存在として、1500年以上にわたって結束を強める役割を果たした」(吉祥寺村立雑学大学通信「アルメニアの文化と日本文化」より)。

●4世紀末、アルメニアは,ローマとゾロアスター教を強制するササン朝ペルシャ間に分割支配されることになります。この厳しい時代に人々の心の支えになったのが、メスロプ・マシュトツが創始したアルメニア文字でした。聖書のアルメニア語訳もなされ,文学が興隆し,教会建築もその基礎様式を固めるなど,5〜6世紀は文学と建築が花開いた時期だったといいます。

●その後、7世紀にアラブの支配下に入りましたが、9世紀半ばにバグラット王朝(885-1045年)が興り,国際交易における重要な位置を回復。ヴァン湖周辺をはじめとして多くの都市が勃興し,アルメニアは教会建築上の絶頂期、そして中世の一大繁栄期を迎えました。「千と一の教会がある都市」と言われたアニ(遺跡自体の記事はこちらアニ建築細部デザインの記事はこちら)もその頃に栄えた都市です。アニの教会建築は,アルメニア建築の最良の典型様式の代表と言えるのだそうです。

e0063212_22373740.gif●そして同じ頃、現在のトルコのヴァン湖に浮かぶアクダマール島に、「聖なる十字架の教会」が建てられました(921年)。


●赤茶色の石造りの教会はドームを持ち、外壁には旧約聖書に登場するアダムとイヴ、ダヴィデとゴリアーテの物語や装飾的な十字架、さらに植物、動物、鳥などのレリーフが施されています。簡素ながら豊かな味わいがあり、イスラム美術ファンの私もすっと引き込まれる魅力があります。
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●という感じで、その後のアルメニアの歴史と建築を書いていこうと思いましたが、ちょっと調べた範囲でも膨大で、とても一度に書けません。最後にユーラシア学の泰斗・加藤九祚さんの言葉を紹介して、次回に続けたいと思います。「アルメニアを旅行して、人々は全体として建築、それも石造建築の天分にめぐまれているように見受けられた。石材が豊かであることも大きな要因であろうが、それを立体的、美的に構成する能力はまた別ではなかろうか」。

*写真はいずれも、アクダマール島「聖なる十字架の教会」
by orientlibrary | 2006-05-04 22:51 | 中東/西アジア