イスラムアート紀行

orientlib.exblog.jp

聖なるブハラ 太陽に向かう鳥

「ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ」(ブハラ)

「生きている、湧いている、大きな眼である太陽」・・・“ブハラ”という名前をはじめて意識したのは、94年に開催された「中央アジア映画祭」(国際交流基金)で「聖なるブハラ」という映画を観たとき。サディコフというウズベキスタンの監督の、重さのある幻想的な世界にショックを受けました。

e0063212_184098.jpg


91年にソ連から独立した中央アジア5カ国は、思い起こせば、この頃にようやく語られ始めたと思います。映画祭のパンフレットは「中央アジアの基礎知識」から始まり、チラシには「世界の映画史に急浮上する中央アジア映画群」と記されています。私もまったく白紙の状態で観ただけに、ほんとにドカンときましたね〜・・・

中央アジアの映画は、1920年代から30年代盛んだったソ連の映画製作から学び、「映画という製品を生産する工場」として各共和国に撮影所が設置されていたといいます。サディコフ監督はタルコフスキーやエイゼンシュタインの弟子など大物に師事。しかし検閲はきびしく、幻想的なサディコフ作品は何度も没収や上映禁止の憂き目にあっています。

前置きが長くなりました。今日のタイルはブハラの幻想的な鳥と太陽のタイルです。1622年に建造された「ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ(神学校)」のファサード・アーチの上部を飾る大胆な模様。タイル自体は近年修復されたものでピカピカした印象ですが、図案はオリジナルであり、勢いがあります。

e0063212_0552661.jpg


抽象的な文様しかないと思われているイスラムデザインですが、サマルカンドにはライオンの絵柄もあるし、イランなどには人物を描いたタイルがたくさんあります。このタイルの鳥は架空のもので、左右から太陽に向かっています。コバルトブルーの中の瑞々しい緑色が見事です。そして太陽の中には人間の顔が。太陽、、、そこでフラッシュバックでよみがえった記憶が、「聖なるブハラ」とサディコフ監督でした。

冒頭の一節は、ブハラ生まれのサディコフ監督が「中央アジアでは詩の言葉で語る」として紹介した一千年前のウズベキスタンの詩(映画祭パンフレットより)。

紀元前1世紀からの歴史があると言われているブハラは、7世紀にはイラン系ソグド人の都市国家が成立、その後イスラム化が始まり商業都市として繁栄、イラン文化の中心地に。15世紀にはウズベク族によりブハラ・ハン国の首都となり、またイスラム教学の中心地として多くのイスラム教徒が巡礼に訪れる街として「聖なるブハラ」と呼ばれるようになりました。

19世紀後半には帝政ロシアの植民地に、そして91年にソ連から独立、、、ということになりますが、ブハラでは1920年代まだイラン系のタジク語がウズベク語よりも優位だったというように、イラン的色彩の濃さを感じさせます。

e0063212_145229.jpg


そこで、タイルでの関連を調べてみると、こんなのがありました。イラン・ケルマンの「金曜モスク」(1359)。エントランス・タイル装飾には2羽の孔雀と花瓶の図柄が。構図に共通点を感じます。

ブハラは、ゾロアスター教、イスラム教などの様々な宗教、文化、民族が交錯し育層にも重なり合う街。タイルを見るたびに、現在の国境の感覚から物事を見てしまう想像力の貧しさを感じています。

*写真は、(上)赤い布に映えるブハラの実り、葡萄、(中)ナディル・ディヴァン・ベギのマドラサ・ファサード、(下)イラン・ケルマン・金曜モスクのタイル装飾(『The Art of the Islamic Tiles』 / Flammarionより引用)
by orientlibrary | 2005-12-07 01:20 | ウズベキスタンのタイルと陶芸