イスラムアート紀行

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東北手仕事旅(travel and research Tohoku handwork)

東北行き、2泊3日とは思えない濃い時間でした。1週間くらいいたような気がします。
海岸部では、目の前の状況が、いくら実際に見ても、とても現実とは信じられませんでした。
そして、言葉にできないほどの被災の状況と、新緑に山桜の薄桃色がやさしいの山里の景色とが交互に訪れる光景は、夢の中を彷徨っているようで現実感を失いました。
けれども、例えば仙台では、東京よりも活気を感じました。工芸の関係者にもお会いして、東北の手仕事をたくさん拝見し、いろいろな話をしました。地のおいしいものをたくさん食べ、涙が出るほど笑いました。
この起伏に、現在少し疲れ気味ではありますが、東北の皆さんのパワーを見習い、元気でいきたいと思います!

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茨城県北茨城市の海岸線を行きました。

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(北茨城)

「明治の日本美術院の主催者であり、思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングして、まるで一枚の絵画のようです」(北茨城市サイト)という「五浦六角堂」は、もうありませんでした

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(五浦六角堂入り口にて)

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福島県いわき市では、陶芸家Nさんの工房&ギャラリーを訪ねました。山間の美しい地区にあり、地震の被害は一見わかりませんでした。
けれども登り釜が崩れてきていました。11日ではなく、その後の余震で次第に崩れてきているそうです。
福島は余震が厳しいようです。Nさんは「夜、あまり眠れない」。

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(Nさんコレクション。古い大堀相馬焼だそうです。テレビで見る馬の絵のものとはずいぶん趣きが違います。軽快な筆運びに魅了されました。この裏面には蝶が洒脱に描かれいました。焼き物としても薄手で品が良く本当に素敵でした/  *  「大堀相馬焼は、福島県浪江町の大堀地区一円で生産される焼物です。その歴史は深く、創業から350年になんなんとするこの大堀相馬焼は、昭和53年に国の伝統的工芸品としての指定を受け、現在は25軒の窯元が伝統を守りながら日々皆様に愛され親しまれる製品づくりに努力しています。その産地である大堀地区は、阿武隈山系の山ふところに田園風景が広がる素朴でどこか懐かしい里山です」(大堀相馬焼協同組合公式サイトより))

ここで、Nさんに見せてもらった本に触発されました。

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(「東北の近世陶磁」、芹沢長介コレクション)

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(大堀相馬焼/「東北の近世陶磁」を撮影したものです)

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(会津本郷焼/飴釉流掛壺/「東北の近世陶磁」を撮影したものです/  *  「室町時代末期から,尾張や美濃地方はやきものの町として栄えていました.しかし,絶えず合戦の舞台にもなっていました.そこで,彼の地の陶工達は全国に焼き物ができる土地を求めて旅立ちました.東北地方を,目指した者の中に,瀬戸出身の水野源左衛門,長兵衛の兄弟がいました.彼らは,やがて長沼(福島)で故郷の粘土に大変よく似た原料を見つけ出し,ここに留まって焼き物を作り始めました.その頃,会津藩主保科正之公は領地内で製陶をはじめた兄源左衛門を呼んで,会津に焼き物を誕生させるように命じました.源左衛門は原料探しのために会津の山々を調査し,遂に本郷の地に良質の粘土を発見しました.そして,苦心の末に「凍み割れしない瓦」を完成させたのです.保科公はその功績を称えて,弟長兵衛に瀬戸右衛門という称号を与えましたそれ以後,会津本郷焼は脈々とその技を受け継ぎ,現在に至ります. 陶器と磁器の両方を作っている産地で,ひとつの窯元で両方の焼き物を生産していることもあります.磁器は青く彩色した呉須染付や,種々の釉を用いた多色の色絵など多岐にわたっています.陶器では実用的なものが多く作陶されていて,それらは飴釉,灰釉といった伝統的な釉薬が用いられています」(日本のやきものサイトより))

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(切込焼。青の強さが目を引く焼き物です。/「東北の近世陶磁」を撮影したものです/  *  「江戸時代の後期から明治時代の初め頃まで、加美町の切込地区を中心に生産されていた陶磁器を切込(きりごめ)焼と呼びます。仙台藩の御用窯として上質な製品を焼く一方、庶民向けの日用雑器も大量に生産していました。なかでも白い地に藍色で模様が描かれた染付磁器が、その大半を占めています。有田焼に見られるような純白の地肌ではないものの、かえってそれが温かみのある素朴な魅力となり、多くの人々の心をひきつけてきました。しかし、その歴史はまだ謎に包まれたままで、今後の調査・研究に期待されています」(加美町観光情報サイトより))

東北の近世陶磁、今までまったく知識がありませんでしたが、繊細なものから力強いものまで個性がありました。東北の土仕事にも、非常に興味がわいてきました。

海岸部の状況は、やはり画像のアップができません。気持ちが整理できたら、いつかご紹介できるかもしれません。
福島は原発の問題があります。独特の空気を感じたのは気のせいでしょうか。

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仙台の活気には圧倒されました。「東北は東京より活気がある」と聞いていましたが、本当にそんな感じでした。
ホテルが取れず、「エレベーターが壊れていて階段だけ」というホテルがようやく見つかりホッ。宿泊客の多くが工事関係の方でした。
いわきでもホテルがひとつだけ、その日だけあいていました、奇跡的という感じでした。
行き先々の道路、高速のパーキング、町中のホテル、被災地、至る所で、復興に携わるたくさんの人たちを見ました。一歩一歩ですね。

いろんなことを感じ、考えましたが、少々疲れ気味でもあり、またの機会に書ければと思います。

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(堤人形/  *  「仙台の伊達政宗公が、奥州街道の北の入口に警備のために足軽の侍町(堤町)を作った際、良質の粘土がある事に着目し、藩内の産業発展と生活の安定に役立つ人形・焼物などを内職として作らせたのが、堤焼やつゝみ人形のはじまり。文化・文政時代には東の堤・西の伏見と全国二大源流と言われ、歌舞伎・浮世絵風の人形は、彩色の優美さ、洗練された形の良さなどで日本一の名声を博し、東北の土人形、張子人形に影響を与えた。幕末の世情不安の中で衰退し、全盛期には13軒あった人形屋も現在製作するのはただ1軒のみとなり、昔の技と心を守って製作している」(city doサイトより))

堤人形と人形屋さんとの出会いは、楽しい思い出となりました。最高でした!
by orientlibrary | 2011-05-11 23:00 | 日本のいいもの・光景