イスラムアート紀行

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ウズベキスタンの宝物、「マハラ」

●以前、「トルクメンの座布団(絨緞をカットしたもの)のせいか、ちょっとした不思議体験をしました」と書いたところ、「何があったの?」「座布団はどんな柄?」などのご質問が。また、「苔玉作りました」では、「その後、どうなった?」というメールも。合わせてここにご紹介します!、、、こんなので〜す↓。トルクメンファンにはおなじみのギュル。強いです。赤が濃いです。苔玉、元気です。ウズベキスタンの青の陶器の中で、とっても元気です。ウズじいちゃんも写真に入ってくれました。不思議体験は、一種の幽体離脱系。ヨガの後だったので、ごく自然な現象かもしれません。ヨガで体が空っぽになる感じって、いいものです。日々の中で、心身ガチガチになってるので。

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●ガチガチの心身、ほぐしたいですね〜。そんなときには中央アジアに思いを馳せて、こんな話題はいかが?ウズベキスタンの「マハラ(マハッラ)」です。写真もマハラにちなんだものを選びました。

●ウズベキスタンのことが語られるときに、時々登場する言葉マハラ。たとえば、中央アジアでの日本語弁論大会で優勝したA君のスピーチの中に、こんな一節がありました。

「ウズベクには“マハラ”という、日本の町内会のような、組織があります。“マハラ”が親代わりになったり、結婚式、お葬式など、めでたいことや困ったことなどを、お互いに助けあいます。ひとつのマハラは3 Km 四方ぐらいの広さで、約 2,000 人ぐらいの人が住んでいます」

「マハラにもルールがありますが、厳しいものではありません。 どこかにお葬式や “ハシャール”という町の共同作業があるとき、手伝いに出なかったことを恥ずかしいと思って、マハラの仕事があるときは、どの家でも必ず誰かが手伝いに行きます。 私は、マハラはウズベクの、大事な宝物だと思います」

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(生活の匂いあふれる路地歩きが好き)

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(ぶらぶら歩きしたいな、土の道)

●A君、これを書いた時は二十歳。若者も「ウズベクの宝物」と思っているマハラ、別の本で見てみましょう。『社会主義後のウズベキスタン 〜変わる国と揺れる人々の心』(ティムール・ダダバエフ/アジア経済研究所発行)、この本はウズベキスタン出身の著者自身の経験や人々へのインタビューによって構成されている新書。ソ連邦崩壊後の人々の価値観の変化や夢や悩みが、具体的に紹介されています。このなかでも「人々のアイデンティティを形づくるもの」として宗教、郷土意識と並ぶ3本柱の一つとしてマハラが紹介されていました。以下「 」内は同書から引用させていただいています。

「マハッラと呼ばれるコミュニティは、ウズベキスタンの人々のアイデンティティ形成において重要な役割を果たす人的ネットワークの代表例である」

「マハッラとは、アラビア語で都市の住宅地域に見られた街区あるいはいくつかの街区を合わせた行政単位を意味する。これは、いわゆるイスラーム世界の伝統的な都市に広く見られる。8世紀以降、徐々にイスラーム化の進んだ中央アジアでも、この語は都市の街区や農村地域の地区などの意味で用いられてきた」

「マハッラは、都市社会のもっとも基本的な単位であり、都市の住戸はいずれかのマハッラに所属しているのが普通であった」

「中央アジア南部のオアシス地域では、個々の住宅は高い粘土壁で囲まれたスペースに中庭を設け、その周りに住居空間を配置するのが一般的であり、これらの住宅を細い路地で結びながら、生活と行政の側面で近隣コミュニティとして機能してきたのがマハッラである」

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(路地沿いに土壁。素朴な土味がある)

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(土壁の中には広々とした中庭のある住まい。庭には果樹や畑があり生産的でもある)

●マハラってアラビア語だったんですか。勉強不足でした。それにしても、、オアシス、中庭、土壁という言葉、それだけでイメージが広がり、和む私です。ほわほわ〜〜。

「その主な機能は、相互扶助的な隣人ネットワークであり、住民は一つのモスクやパン焼き釜を共有しながら、冠婚葬祭などの儀礼を共同で実施し、また必要に応じて労力を提供しあい(ハシャル)、用水地や道路の清掃に当たってきた。非金銭的な相互支援の仕組みであったとも言える」

「このようなマハッラに寄せる人々の帰属意識は濃密であり、ブハラ人やサマルカンド人という個々のオアシス都市への帰属意識と並んで重要なアイデンティティのよりどころであったと考えられている。政治権力は頻繁に交替したが、中央アジアのオアシス都市社会の持続性を支えてきたのは、このマハッラだったと言える」

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(マハラのモスク。整然と清掃され種々の花が咲く庭がある)

●日本の町内会と同じようなものと説明されることの多いマハラですが、より深く強い紐帯のように思えます。暮らしの中の道徳も教えられます。長老や老人の存在は重要だったそうです。

「(マハッラの)長老は、万引きをする、タバコを吸う、家出をする、親の言うことを無視するなど、行動に問題のある子どもを厳しくしつけ、二度とそのようなことをしないように見守った」

●ウズベク人以外の民族も積極的にマハラに参加していたそうです。あるロシア女性は語ります。

「(洗濯後の水の始末のことなど)私に注意をしてくれた人は怒ることもなく優しく説明してくれました。私が出産のために入院していたとき、マハッラの人たちが私の親戚がロシアからお見舞いにくることができないことを知って、毎日のように順番に病院まで料理を持って来てくれました。とても温かい気持ちになり、ありがたかったです」

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(ハシャールで守り維持する聖者廟)

●長い歴史と伝統を持つマハラですが、ソ連邦崩壊後の暮らしの変化や人々の揺れる心に焦点を当てる同書、マハラの変化にもリアルに迫っていきます。

「独立後の政策によって、マハッラはさまざまな権限を与えられ、非公式かつ伝統的な組織から公式な準行政機関へと変貌した。(略) しかしマハッラの公式化は、事実上、新たな行政機関を作り上げることになってしまい、マハッラに対する住民の信頼と期待は裏切られる形になった」

●変化にとまどい、こんな感想を述べる人もいました。

「昔(公式化以前)のマハッラではお互いに対する思いやりがあり、個々人の問題は住民全体の問題として考えていました。当時の(現在のような犯罪防止隊は存在しなかった)マハッラの方が泥棒も少なく、みんな家のドアを閉めずにドアにカギをかけずに暮らしていて、住民同士の信頼度は高かったのです。今のマハッラの状態を見ていると、生活が良くなって(さまざまな支援の仕組みが制度化されて)いるにもかかわらず、人々のお互いに対する優しさはどんどん減っています」

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(フェルガナの立派なマザール=聖者廟。タイル装飾が美しい)

●複雑な気持ちになりますね。こんな発言、見つけました。(「ウズベキスタンと中央アジア:安定と持続的発展の実現」
/アブドゥジャバル・アブドゥバキトフ/ウェストミンスター大学タシケント校学長/2008年10月/中央ユーラシア研究会公開シンポジウムにて)

「今、わが国の政治体制は再構築の真只中にある、現在、国家建設のために政治エンジンとして4つの政党があるが、その構築の基盤は伝統的末端共同体マハラと直結している。マハラというのは英語ではネイティブ、あるいはコミュニティ、ネイバーフッド、アドミニストレーション、コミュニティの自治会などと訳すことができる。今われわれはこれを、新しい近代的なわれわれ自身の制度に編成替えしようとしている。そしてさらに、アジア型の市民社会の特徴を高めていきたい」

●編成替え、、、う〜ん、、『社会主義後のウズベキスタン』の筆者であるティムール・ダダバエフさんは、マハラの項を次のように結んでいます。

「人々の多くは公式化された行政機関の機能を果たしているマハッラの姿にそれほど親近感を抱いていない。むしろ、昔の非公式なコミュニティ内にあった人々の関係が壊れていくことを気にしているように思われる」

●ティムールさんは慎重に言葉を選んでいますが、その奥にある多くの人々の声の声が聞こえてくるような気がします。

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(Fさん撮影/ナン焼き釜を積んだロバ車。窯はマハラで共有の場合もあるようです)
by orientlibrary | 2009-11-11 22:33 | ウズベキスタンのタイルと陶芸